ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

166 / 167
八章二十九話 空欄に置く理由

《王録》 八章 二十九節

『使われなかった鍵は、扉の前で一番長く錆びる。』

 

 師団司令部からの再照会は三枚だった。青杭六番で残した資源、結界を張らなかった根拠、現場で中止を決められる者の範囲。

 

 どれも字がきれいだった。書いた人は、少なくとも僕より寝ていてほしい。

 

「少尉」

 

 書記官が言った。

 

「返答を間違えると、中止権者ごと削られます」

 

 書記官の声は昨日より荒れていた。紙の角が一枚ずれている。彼にしては大きい。

 

「上から見れば、現場判断で作戦停止が起きる欄です」

 

「現場判断で作戦失敗を避ける欄です」

 

「そう書くと、上が悪い判断をしたように読めます」

 

「では、作戦継続条件確認欄」

 

「反対という字を消しますか」

 

「消すと、反対できなくなります」

 

「本文に反対を残し、欄名だけ丸めます。紙は尖ると破れますから」

 

 通信兵が横で咳をした。書記官は自分の言い回しに眉を寄せたが、赤鉛筆は止めなかった。

 

 彼は赤鉛筆を持ち、欄名を二つ書いた。表題。作戦継続条件確認欄。

 

 小見出し。反対有無。中止権者。

 

 再開条件。昨日より公文書に近くなり、その分だけ現場の言葉から離れた。

 

「これなら通りますか」

 

「通る可能性が増えます」

 

「断言できるなら、私は今ごろ寝ています。可能性までです」

 

「すみません」

 

「謝る先が違います」

 

 書記官は、机の横の残量板を見た。

 

 白い線が、昨日のまま残っている。

 

 結界班が使わなかった結界HP。

 

 そこに、白墨で小さく『未展開』と書かれていた。

 

 誰が書いたのかは知らない。

 

 字は、あまり上手くない。

 

 でも、消されていなかった。

 

 

 返答には数字が要る。青杭六番。七十五ミリ級榴弾二。結界班配置予定三名、実配置ゼロ。白札なし。結界HP消費ゼロ。負傷は土砂転倒一、自力復帰。救護は徒歩誘導で、担架は待機を維持。

 

 ただ残った数だけでは、偶然と区別できない。止めた者、理由、代わりに行った処置、再開条件まで必要だった。

 

「工兵下士官と結界班長を呼んでください。救護班長は、休んでいるなら起こさず、起きている場合だけ来てもらいます」

 

「三人の状態を確認します」

 

 通信兵が外へ出る。

 

 布が開いた瞬間、冷えた風が入った。

 

 土と火薬に馬の汗が混じっている。補給馬車は増えたのに、箱は足りない。紙の見出しより先に、人と道が詰まっていた。

 

 

 最初に来たのは、工兵下士官だった。

 

 上着の裾が泥で硬くなっている。

 

 右の靴紐だけ、別の紐で結び直してあった。

 

「呼びました?」

 

「はい。昨日の反対理由を、もう一度教えてください」

 

「地面が緩かったからです。本当に、それだけなんですけど」

 

「紙にするには、もう少し詳しくお願いします」

 

 工兵下士官は、右の靴紐を見た。

 

 別の紐で結び直した靴。

 

 昨日の地面を、まだ靴が覚えている。

 

「上へ出すので、もう少し細かく」

 

 工兵下士官は、少し考えた。考える時、彼は空を見ない。靴を見る。

 

 自分の靴ではなく、床に落ちた泥を見る。

 

「一発目で土嚢の後ろが水を吸いました。二発目を待つ前に、杭の根元が浮いてました。あそこで白札を出すと、札そのものより足場が動きます」

 

「結界面は立っても、立っている人間の足場がずれるんですね」

 

「反対理由は地盤軟化、白札掲示時の人員足場不安定、とします」

 

「硬いですが、紙ならそれで」

 

 工兵下士官は、机の上の三枚を見た。

 

「これ、上が読むんですか」

 

「はい」

 

「未使用が戦果って、怒られません?」

 

 三枚目の表には、まだ墨の乾いていない欄があった。撃たなかった砲弾の数だけ、白いまま残っている。

 

「怒られる可能性はあります」

 

「じゃあ、俺の名前、ちょっと小さく書いてください」

 

「無理です」

 

「ですよね」

 

 彼は笑った。今日は前歯に土がついていない。そこまで確かめてから、僕は紙へ視線を戻した。

 

 前歯の土が消えるだけで、昨日から今日へ進んだことが分かる。

 

 それは、たぶん必要な情報だ。

 

 

 結界班長は、端の毛羽立った灰色の布を手首に巻いて来た。

 

「残した結界容量の件ですか」

 

「はい」

 

「してください」

 

「理由を」

 

「昨日、張っていたら、今日の朝は持ちません」

 

「持たない」

 

「結界HPは面に乗ります。張った瞬間から減る。撃たれなくても、六秒で半分。張り直せば、手首と目が先に鈍ります」

 

 結界班長は手首の布を持ち上げた。

 

「少尉の表は弾の消費を残します。でも、張らずに残した容量と、休ませた手首は残りませんでした」

 

「はい」

 

「残してください。使わなかったことが、次の展開分です」

 

「文面は変えます」

 

「お願いします。俺がそんな立派なことを言ったら、班の奴らに笑われます」

 

「結界班長申告。次回展開分の容量を温存し、再展開疲労も抑制」

 

「そこは入れてください。若いのが、我慢すれば張れると思っています」

 

 若いの。結界班長は、たぶん二十代半ばだ。それでも、若いのと言う側に立っている。

 

 戦場は、人の年齢を雑に進める。

 

「入れます」

 

 僕は、次回展開可能回数の温存、再展開疲労の抑制、結界HP消費ゼロと書いた。

 

 そこまで書いた時、左手の手袋の下が熱くなった。

 

 手袋の下では、二つの表示が濃いままだった。

 

 その脇に、もう一つ薄い字が浮きかけていた。「負荷」に近い形だったが、すぐ揺れて消えた。今の僕には、まだ読み切れない。

 

 昨日、誰も死ななかった。

 

 それなのに、そのことでかえって僕の指揮は評価されていく。

 

 強くなっていく。

 

 そういう場所へ来ている。

 

 

 救護班長は、来なかった。

 

 寝ていた。

 

 それでいい。

 

 代わりに、救護兵が一人、メモを持ってきた。

 

 髪紐を貸してくれた人だ。今日は包帯を裂いた短い布で髪をまとめている。

 

「班長、寝ています」

 

「起こさなくていいです」

 

「これだけ渡せと」

 

 メモには太い字で三行あった。担架は出せば戻す人が要る。その人を出せば、別の担架が要る。待機中の担架は救護線の余力である。

 

「そのまま使っていいですか」

 

 僕が聞くと、救護兵は首を横に振った。

 

「班長、言葉が荒いから直せって」

 

「十分分かります」

 

「本人もそう言ってました」

 

 僕は、少し笑った。

 

 救護兵も、少し口元を緩めた。

 

 それから、すぐに戻る顔になった。

 

「少尉、出さなかった担架まで戦果に書くのは、変ですね」

 

「はい」

 

「でも、昨日は助かりました」

 

 救護兵の前掛けは替えられている。けれど、紐の結び目だけ昨日と同じ癖で固かった。

 

「救護班長の判断です」

 

「それでも、欄がなかったら、止めにくかったです」

 

 救護兵は目を伏せなかった。目の下に、眠っていない人の赤みがある。

 

「残してください」

 

「残します」

 

「名前も」

 

「救護班長の名前ですか」

 

 救護兵は、胸のあたりに挟んでいたメモを抜いた。

 

 紙は少し湿っている。

 

 たぶん、走ってきた。

 

「はい。怒られるなら、本人が怒られたいそうです」

 

「分かりました」

 

「あと、私の髪紐は備品扱いですか。返却予定は」

 

「借用品です。返却は戦後で」

 

 救護兵は、自分の短く結んだ髪を触った。代わりの紐は、包帯を細く裂いたものだった。

 

「長いですね」

 

「すみません」

 

「いいです。戻ってきたら洗います」

 

 救護兵はそう言って、メモを置いて出ていった。

 

 歩き方が斜めだった。右足ではなく、腰。数字が出る前に椅子を勧められる仕組みが要るが、そのための手も足りない。

 

 

 返答書は、夕方までに形になった。

 

 題。

 

 作戦継続条件確認欄の設置理由。

 

 一、敵火力誘導時における人員配置停止の記録。

 

 二、結界HPおよび再展開疲労温存の記録。

 

 三、救護線余力保持の記録。

 

 四、現場中止権者の指定と再開条件。

 

 五、残存資源を戦果欄横へ併記する理由。

 

 書記官が読み上げる。

 

 通信兵が符号化する。

 

 僕は、最後の一文を直した。

 

 当該欄は、指揮官の判断を制限するものではなく、指揮官が現場に残る資源を把握するためのものである。

 

 そこへ、赤を入れる。指揮官。僕。

 

 その単語だけだと、また僕へ戻る。

 

「ここ、変えます」

 

「どう」

 

「当該欄は、指揮所が現場に残る資源を把握するためのものである」

 

 書記官は読んだ。

 

「指揮官を消すと、責任も少し薄くなります」

 

「責任は、別紙の権限範囲に残します」

 

「なるほど」

 

 書記官は、赤を入れ直した。指揮官ではなく、指揮所。僕一人の手から、少し遠ざける。

 

 遠ざけても、逃げたわけではない。そう言い切れるかは、まだ分からない。でも、今日の紙には必要だった。

 

 送信前、通信兵が聞いた。

 

「少尉、これが通ったら全線に広がりますか。やっぱり、そのつもりの照会ですか」

 

「広げるつもりで聞いてきていると思います」

 

「嫌ですか」

 

「いえ。嫌じゃないです。ただ」

 

 通信兵は、符号板の紐を結び直した。

 

 結び目が小さい。

 

「少尉の机が、また増えますね。少しは困ってる顔をしてくださいよ」

 

「しています」

 

 通信兵は信じず、増設用の板を壁へ立てかけた。

 

 僕は頬を動かした。

 

 たぶん、変な形になった。

 

 通信兵が、今度ははっきり笑った。

 

「それは困ってますね」

 

「でしょう」

 

 笑いが一つあるだけで、送信前の空気が少し軽くなる。

 

 通信兵が符号を送り、残量欄の根拠が師団司令部へ出ていく。

 

 戻ってきた時、それはもう僕の紙ではない。制度になるかもしれない。削られるかもしれない。

 

 別の名前をつけられるかもしれない。

 

 それでも、昨日止めた線の先に人が残ったことだけは、書いた。

 

 外では、補給馬車がまた一台、遅れて入ってきた。

 

 箱は少ない。

 

 車輪の音も、重くない。

 

 ただ、荷車そのものが足りないわけではなかった。

 

 遠い道には、空き馬車がある。冒険者用の装甲車もある。荷を運べる手は、まだ消えていない。

 

 消えていないのに、必要な箱だけが遅れる。

 

「また護衛依頼、北街道へ流れたそうです」

 

 通信兵が、外から戻ってきた文書を見て言った。

 

「理由は」

 

「危険手当が高いのと、帰り荷があるから、と」

 

 割がいい。

 

 その言葉は、誰も悪人にしない。

 

 冒険者は死にに行くために登録しているわけではない。

 

 荷主も、安い金で命を買えると思ってはいけない。

 

 それでも、魔導冷却液の箱はここに来ない。

 

 十ミリ弾の予備部品も、橋梁線の縄も、同じ棚で止まる。

 

 輸送量ではない。

 

 向きが合っていない。

 

 儲かる荷と、戻すために要る荷が、別々の道を走っている。

 

「少尉、次の地図を見ている顔をしています」

 

「地図はあります」

 

「では、嫌な顔です」

 

「それは、たぶん合っています」

 

 僕は補給欄の横に、小さく書いた。

 

 輸送量不足ではなく、依頼配分の不整合。

 

 字にすると冷たい。天幕の布の外では、荷台の空きがそのまま残っていた。

 

――――――――

 

面白かったら、下記のリンクから評価やレビューをいただけると嬉しいです。

https://kakuyomu.jp/works/822139841314440520/reviews

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。