ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 八章 三十節
『旗は遠くへ進み、鍋は残された火の弱さを数える。』
反攻準備連絡班の天幕には、朝から箱が並んでいた。
箱の数は多い。多いのに、必要な分には届かない。その差が、積まれた木箱を見ればすぐ分かった。
十ミリ弾。徹甲小銃AP。魔導冷却液。
結界残量板。橋梁線用の縄。救護用の包帯。
どれもある。どれも、必要な数には届かない。
足りない箱は、空白ではなく、半端な箱として来る。
半端なものほど、置き場所に困る。
「魔導冷却液、二本」
補給係が言った。
若い男だった。
耳の後ろに汗疹があり、首元の襟を何度も指で引いている。
彼の持つ帳簿は、角だけ妙に新しい。
中身より先に表紙が替えられた帳簿だ。
「要求六本のうち、残り四本は」
「北街道の護衛便です。第三整備場から砲尾部品を帰り荷で運ぶため、そちらが優先されました」
優先。
口にしやすい言葉ではない。
ただ、使うと人が少し遠くなる。
「第三整備場の砲尾部品は、こちらにも必要です」
「はい」
「ですが、今この線で必要なのは冷却液です」
「分かっています」
補給係は、帳簿を抱える指に力を入れた。
爪が少し白い。
「依頼時点で北街道便の危険手当が上がり、組合と荷主が護衛を回しました。帰り荷があるので」
「こちらには帰り荷がない。負傷者は荷として数えられないからですか」
「はい」
言ってから、補給係の喉が動いた。
自分で言った言葉を、自分の口の中で嫌ったのだと思う。
僕は帳簿を見た。負傷者は荷ではない。正しい。
だから、商いの表では弱い。
「責めていません」
「はい」
「責めないと、改善しませんか」
補給係が顔を上げた。
そこは、僕が聞くつもりのなかった場所だった。
聞いてしまった。
「分かりません」
彼は答えた。
正直だった。
「責めても、たぶん馬車は増えません」
「では、責めない方向でお願いします」
「はい」
通信兵が横で小さく息を吐いた。
笑いではない。
少し、肩から力を抜いた音だった。
✶
箱を並べ直す。
十ミリ弾は、水車小屋線へ全量は置かない。
半分を旧水路戻送路へ回す。
徹甲小銃APは、結界補助具対策として温存。
魔導冷却液は、砲兵と結界班で取り合わない。
時間で分ける。昼は砲兵。夜は結界班。
どちらも不満が出る。不満は出る。出ない方が怖い。
「山崎さんへ。昼間の砲撃密度を落とし、低装薬中心。榴弾は一回の接触につき二発までです」
「ただし、敵結界補助具が二つ以上見えた場合は、先に徹甲小銃班へ回します」
「砲兵は怒るでしょうけど、山崎さんは先に計算すると思います」
「計算してもらってください」
通信兵が符号を打つ。
山崎からの返答は、少し遅れた。
遅れた分だけ、たぶん本当に計算した。
「砲兵班、了解。二発目の前に敵距離を再送せよ。追記で、少尉、ケチくさい」
「敵距離再送。追記は記録しなくていいです」
通信兵が読み上げた。
天幕の中で、補給係が少し目を丸くした。
書記官は、何も聞かなかったことにした顔で筆を持つ。
「返答してください」
「はい」
「こちら、ケチではなく節約です。なお、違いは戦後説明します」
通信兵が、今度は少し笑って打った。
山崎からすぐに返る。
「戦後まで覚えていたら聞く」
覚えていてほしい。その一文は送らず、距離と残弾だけを符号へ戻した。
やめた。それは欄にしない方がいい。
✶
昼過ぎ、師団司令部から返答が来た。作戦継続条件確認欄。暫定採用。
全線適用は保留。
ゴルペホ橋梁線および旧水路戻送路で試行継続。
中止権者の指定は、現場班長を原則とする。
残った弾、結界容量、待機中の担架は、戦果欄横の補助欄として扱う。
補助欄。補助。主ではない。
でも、消えてはいない。
「通りましたね」
通信兵が言った。
「暫定です」
「でも、通りました」
「はい」
書記官が、返答を写す。字はいつも通り整っている。けれど、最後の点だけ少し濃かった。
ペン先に力が入ったのだろう。彼も、少しは喜んでいるのかもしれない。そう決めつけるのはやめる。
ただ、点が濃い。それだけ見る。
「少尉」
補給係が、帳簿を閉じた。
「補助欄に、補給未達も入れますか。たぶん怒られます」
「入れます。怒られる回数は数えないでおきます」
補給係の口元が、ほんの少し緩んだ。
彼は疲れている。
でも、さっきより少し肩が下がっている。
帳簿を抱きしめる持ち方ではなく、持つ持ち方になっている。
「補給未達は失敗欄ではなく、次の作戦条件にします。魔導冷却液二本なら砲撃密度を下げ、十ミリ部品が遅れるなら重機関銃を短く撃つ。縄が不足するなら戻送路を一つ減らします」
「戻送路を減らすんですか」
「減らしたくはありませんが、縄なしで増やすと戻れなくなります」
補給係は、帳簿の背を親指でなぞった。
表紙が新しいせいで、革がまだ硬い音を出す。
「冒険者組合へ、条件付き依頼を出します」
「条件」
「帰り荷を作ります。負傷者ではなく、修理済み部品と空薬莢、回収器材。帰りにも金が出る形にします」
「できますか」
補給係は帳簿を開いた。まだ何も書かれていない頁に、革表紙の影が落ちる。
「会計担当が嫌がります」
「会計担当を呼びます」
「嫌がりますよ」
「今日、何回目でしたっけ」
補給係が、今度は少し笑った。笑った後、すぐに帳簿を開く。仕事へ戻るのが早い。
それが、彼の強さなのだと思う。
✶
夕方、会計担当が来た。
年配の女性だった。
髪を後ろで固くまとめ、袖口に小さな算盤を下げている。
歩くたびに、算盤の玉がかすかに鳴る。
彼女は、こちらが挨拶を終える前に言った。
「帰り荷に金を出す余裕はありません」
「まだ説明していません」
「説明されると、断りにくくなるので先に言いました」
強い。
補給係が隣で背筋を伸ばした。
「北街道へ流れている護衛依頼の一部を、こちらへ戻す必要があります」
「説明は聞きます。危険手当で競るなら断りますが」
「危険手当で競るなら負けます」
「はい。なので、帰り荷を作ります」
補給係が、背後で荷札の束を押さえた。空荷で戻る便の数だけ、札の穴が余っている。
「修理部品と空薬莢ですか」
「ご存じでしたか」
「帳簿が先に来ています」
会計担当は、袖の算盤を外した。机の上に置く。小さい。
でも、音が硬い。
「空薬莢と修理済み部品は価値があります。ただ、負傷者輸送と同じ便に載せるなら規則上の分類が違います」
「分類は変えず、項目を追加できますか」
「それならできます」
早い。
「条件は」
「帰り荷ではなく、復路回収補助。報酬は護衛料ではなく、回収手数料。冒険者組合の評価点に、救護協力を足します」
「評価点」
「金だけでは北街道に負けます。名誉だけでは誰も来ません。金に少し近い名誉を足します」
金に少し近い名誉。
その言い方は、紙にしない方がいい。
でも、よく分かる。
「使えますか」
「使わせます」
会計担当は算盤を弾いた。
玉の音が、短く続く。
「ただし、全便では無理です。三便に一便。最初はそれだけ」
「十分です」
「十分ではありません」
「では、始められます」
会計担当が、こちらを見た。目尻に細かい皺がある。笑った皺ではない。
細かい数字を見続けた人の皺だ。
「あなた、言い換えが多いですね」
「すみません」
「謝らなくていいです。軍人は言い換えが下手な人が多いので」
算盤の玉が、まだ一つだけ左へ寄っていた。会計担当はそれを戻さない。
「それは褒められていますか」
「半分」
「残り半分は」
「使いすぎると、誰も本当の不足を見なくなります」
僕は頷いた。それは、聞いておくべき言葉だった。作戦継続条件確認欄。
補助欄。復路回収補助。名前を丸めれば通る。
丸めすぎれば、何が痛いのか分からなくなる。
「気をつけます」
「それも、よくある返事です」
「では、帳簿に残します」
「それなら、少しは信じます」
会計担当は、算盤を袖へ戻した。
玉が一つだけ遅れて鳴る。
✶
夜、反攻準備連絡班の机に、新しい欄が増えた。
作戦継続条件確認欄。残弾、結界容量、待機担架。補給未達。復路回収補助。
欄は増える。人は増えない。箱は少ない。
それでも、線は少し整う。僕は地図を見る。ゴルペホ橋梁線。
旧水路戻送路。北街道。第三整備場。
西詰所へ戻る細い道。線が増えるほど、戻れない場所も増える。外で、馬車の車輪が止まった。
遅れていた便だ。積み荷は少ない。
でも、荷台の後ろに空薬莢の袋が二つ載っていた。
復路回収補助。まだ、名前だけの仕組みだ。でも、袋はある。
補給係が、それを見て小さく手を振った。荷台の冒険者が、面倒そうに振り返す。
彼らは悪人でも英雄でもなく、ただ割に合う仕事を選んでいるだけだ。だから、割を少し作り替える。
戦争は、そういうところまで手を伸ばす。
僕は左手の手袋を外さないまま、指を握った。
握った左手の内側で、二つの表示が重なった。
重なった隙間に、まだ名前のない値が一つ滲んでいた。「敵味方」か「状態」か、判別する前に消えた。地図の外側まで、何かが少しずつ滲み出している気がした。
見えなくても、重い。今日、人は死んでいない。でも、僕の机は少し広くなった。
明日の補給表を開くと、箱の数の横で戻送路の欄が空いていた。
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