ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 九章 四節
『矢筒の底を見た者は、放たぬ矢の重さもまた数える。』
弾薬箱は、空になる前に軽くなる。持った人間の腕が、先に気づく。箱を下ろす時の音が変わる。
底の金具が鳴りすぎる。中で弾が動く余白が増える。
僕は、それを聞き分けられるようになっていた。
あまり嬉しくない成長だった。
「十ミリ通常弾、残り二箱。安価弾、一箱半。徹甲弾、三十六発」
弾薬係が言った。
彼はまだ若い。
僕たちより少し上か、同じくらいかもしれない。
頬の産毛が剃りきれていない。
右手の爪だけが黒い。
昨日、給弾機構を触った跡だろう。
「二十ミリは車載分のみで、下ろせません。B.I.G-ACFV-65の砲塔側に固定され、外すための整備兵は機関車両の軸合わせに取られています」
取られている。人の行き先を、そう言う。本人は物ではない。
それでも、戦場では人も時間も取られる。
「山崎さんの砲弾は」
「通常榴弾六。低装薬八。照明弾二」
昨日より一つだけ多い。
多い、という言葉に助けられるほどではない。
「魔導冷却液」
「一本と三分の一」
「三分の一」
「瓶の底に残っています」
瓶の底。
その言葉だけで、喉の奥に苦味が来た。
水ではない。
でも、戦場では瓶の底も水みたいに扱われる。
「今日は、砲で解決しない方針にします」
弾薬係が僕を見た。
「できますか」
「したいです」
「したい」
「できるとは、まだ言いません」
彼は少し笑った。
緊張で固まっていた口元が、そこで動いた。
「中尉、できるって言い切らないところは助かります」
「言い切って弾が増えるなら言いますが、増えませんから」
増えない。
なら、減らし方を選ぶしかない。
✶
昼前、敵は分かりやすく来た。
分かりやすい攻撃は、たいてい罠を含む。
「北東林から歩兵二十。結界補助具二。軽機関銃一。後方に機甲衝撃兵らしき影、三」
通信兵の声が、地図室へ落ちる。僕は地図の北東を見た。林。
浅い溝。旧畑の石垣。こちらの水車小屋線から、前方一・二キロ。
敵の後方影まで、一・五キロほど。
「車両なし、砲兵観測は確認できず。軽機関銃は歩兵列中央、結界補助具の後ろです」
結界補助具の後ろ。正しい。貫通弾には強い。
榴弾なら面ごと叩ける。
斬撃には弱いが、こちらに接近戦をさせる気はない。
敵は教範通りに来ている。
教範通りの敵は、甘くない。
「意図」
通信兵が待つ。僕は、弾薬表を横に置く。十ミリ通常弾、二箱。
徹甲弾、三十六。榴弾、六。冷却液、一本と三分の一。
敵は、こちらに撃たせたい。
結界補助具を見せ、機甲衝撃兵を後ろに置き、軽機関銃で圧をかける。
こちらが十ミリを撃つ。山崎さんが榴弾を撃つ。冷却液を使う。
そのあと、本命が来る。
「弾薬消耗誘導です。あれは前菜です」
「前菜」
通信兵の復唱が、少し遅れた。
たしかに、戦場で使う言葉ではなかった。
「言い方が悪かったです。誘いです。水車小屋線は十ミリ発砲禁止、小銃班は通常弾のみで、徹甲弾を温存」
「結界補助具にはマギブレイク機を単独運用できる人を寄せ、装備側の蓄力は使わない。アクセラップ班もまだ動かさず、足を見せないでください」
足を見せない、という復唱だけが妙に軽い。
でも、意味は重い。
敵に速さを覚えられたら、次はそこを撃たれる。
「山崎さんへ、低装薬一。敵の前ではなく、石垣の横。土を崩して進路を狭める」
「敵ではなく石垣横」
「はい。殺すより、並びを崩します」
通信兵が符号を打つ。
弾薬係が息を吸って、箱の数をもう一度確認した。
箱は増えない。
でも、撃つ場所を変えれば、弾の意味は少し変わる。
✶
低装薬弾が、石垣の横を崩した。土が流れる。石が転がる。
敵の列が少し詰まる。
結界補助具の白い面が、その詰まりを覆うように張られた。
面は途切れない。
切れ目を探す癖を、僕は訓練で直された。
結界は穴を空けて避ける壁ではない。
面そのものが、余分な生命みたいに攻撃を受ける。
張った分だけ増える。受けた分だけ削れる。時間でも減る。
六秒で半分。また六秒で、さらに半分。強いけれど、長くは持たない。
「敵、結界展開」
「小銃班、撃たない。二秒待つ」
「二秒」
「三」
僕は自分で数えた。
六秒を待つには長い。
二秒なら、兵の指が耐える。
「今。通常弾、足元」
小銃の音が散る。結界は貫通を止める。弾頭の姿勢を乱す。
でも、足元の土は止めない。泥と小石が跳ね、敵歩兵の膝が乱れた。軽機関銃が吠える。
水車小屋線の土嚢に、乾いた音が走る。土嚢の上端が削れる。中身の砂が細く落ちる。
「味方負傷一、腕。生命表示は安定」
「救護班は曲がり一つ目へ。搬送せず、まず圧迫だけ」
圧迫だけ。また、そういう命令だ。行かせない。
戻さない。今は、その場で止める。敵の後方影が動いた。
三つ。機甲衝撃兵。三から六メートル級。
人型の装甲に、疑似筋肉の束。剣と機関銃。あれが来るなら、前菜は終わりだ。
「機甲衝撃兵が前進。前線まで一・三キロ、溝を避けているため速度は遅い」
溝を避ける。
つまり、足回りは万能ではない。
疑似筋肉は強いが、関節は地面を嫌う。
「水車小屋線、アクセラップ班は走らず右へ三十歩移動して待機。機甲衝撃兵に足を見せないでください」
「山崎さんは榴弾を待ち、照明弾を準備。林の影を消しますが、発砲は僕の合図まで」
機甲衝撃兵の一体が、前に出すぎた。装甲の肩に、結界の白がまとわりつく。歩兵用の板状結界より厚い。
それでも戦車ほどではない。徹甲小銃のAPなら、条件次第で抜ける。
結界HPを削り、装甲を割り、最後に戦闘室を打ち抜く。
遠い。
手順が多い。
手順が多いほど、失敗する場所も増える。
「中尉」
弾薬係が言った。
「徹甲弾、使いますか」
「まだです。こちらから近づくのではなく、近づかせます」
自分で言って、少し嫌になる。
近づかせる。
その言葉の中には、前線の人の距離が入っている。
「水車小屋線、小銃班は後退しない。土嚢裏で姿勢を低く。結界班、板状一枚を土嚢の上ではなく、手前に張ってください」
「手前」
「土嚢を守らない。人を守る。土嚢は削れていい」
「了解」
結界が張られる。白い面が、土嚢より少し低い位置に浮く。敵の軽機関銃が土嚢を削る。
土嚢は壊れる。その手前の面が、跳ねた破片を受ける。受けるたびに白が濁る。
六秒。半分。もう六秒。
薄い。小銃班の前列が、一人ずつ後ろへ滑った。
代わりに、後列が土嚢の低い欠け目へ入る。銃口の数は変えない。人だけを入れ替える。
救護兵は走らず、曲がり角の陰で膝をついたまま待った。負傷者が出てから出るのでは遅い。けれど、今出れば撃たれる。
歩兵が動くたび、結界の薄い面も少しずつずれる。
土嚢の線ではない。
人がまだ撃てる線を、保っている。
「結界班は再展開せず下がってください。アクセラップ班は右三十歩の位置から左へ十歩、機甲衝撃兵に側面を見せて誘います」
アクセラップの薄い光が、兵の足元で短く伸びた。
兵が小型起動具へ魔力を送って作った光。装備側の蓄力は使っていない。機甲衝撃兵が、その動きへ釣られる。
一体だけ、肩をこちらへ向けた。
「照明弾」
山崎さんの砲が鳴る。
白い火が林の上で割れた。
影が消える。
機甲衝撃兵の脇腹にある補助結界発生器が見えた。
小さい。
でも、そこだけ白の濃さが違う。
「徹甲小銃班、二。発射準備」
「徹甲二」
「補助結界発生器へ。撃ったらすぐ伏せる」
「了解」
発射音。一発目は弾かれた。白い面に当たり、弾頭が横へ逃げる。
二発目。同じ場所。白が割れるのではなく、急に薄くなった。
機甲衝撃兵がよろける。膝の疑似筋肉が、茶色い繊維を見せた。それでも倒れない。
足を引きずって、前へ出る。
「止まらない」
弾薬係が言った。
「止まりません。戦闘室まで抜きます」
言葉が、口の中で硬かった。
戦闘室まで抜くという言葉が、たった今自分が下した命令の意味をそのまま言い換えているだけだと分かっていて、それでも言葉にされて初めて分かることの重さに、口の中がまだ慣れていなかった。
「十ミリ、徹甲弾三。機甲衝撃兵一番、胸部右寄り。近すぎない。撃ったら移動」
「徹甲三」
「はい。三発まで」
三発まで。三発で足りなければ、次を削る。次を削れば、別の誰かが足りなくなる。
十ミリが鳴った。一発目、結界残りを削る。二発目、装甲を叩く。
三発目。胸部右寄り。機甲衝撃兵の上体が後ろへ抜けた。
疑似筋肉が一度だけ暴れ、剣の先が土を切る。
戦闘室に届いた。中の人に届いた。表示が消える。
`生命`。ひとつ、落ちた。僕は、次の命令を出すまでに少し遅れた。
通信兵がこちらを見る。弾薬係も見る。遅れを見られた。
それでも、待たせるわけにはいかない。
「二番、三番は追いません。泥へ榴弾一。歩兵列を切ってください。機甲衝撃兵を孤立させる」
「榴弾一」
「一発だけ」
砲声。
泥と水が上がる。
歩兵列が切れる。
機甲衝撃兵二体は前へ出られず、後ろの歩兵と距離が空いた。
「水車小屋線、後退準備。負傷者を先に曲がりへ。小銃班、通常弾で牽制。徹甲は撃たない」
「徹甲温存」
「はい。今日はここまでです」
敵は、もう一度押すか迷った。迷っている間に、こちらは負傷者を下げた。敵の結界補助具が、白を張り直す。
すぐに薄くなる。六秒。また六秒。
時間は、こちらにも敵にも同じように効く。ただ、効き方は同じではない。
✶
戦闘は、夕方前に止まった。勝ったとは言いにくい。でも、抜かれなかった。
機甲衝撃兵一、撃破。敵歩兵、後退。味方負傷二。
うち一名、処置中。十ミリ徹甲弾、五発消費。榴弾、一発消費。
低装薬、一発消費。照明弾、一発消費。魔導冷却液、少量使用。
箱はまた軽くなった。でも、線は残った。水車小屋線は抜かれていない。
旧水路の負傷者搬送も、止まっていない。グラスは休息欄に入れられたままだった。本人は文句を言ったらしい。
食堂班が豆スープを濃くして黙らせた、と補給係が報告した。
それは、今日の中でいちばんよい報告だった。
「戦果欄、どうしますか」
通信兵が聞いた。僕は板を見る。敵機甲衝撃兵一、撃破。
敵歩兵前進、阻止。水車小屋線、保持。味方負傷二。
弾薬消費、多。その下に、まだ書いていない行がある。敵操縦者一、死亡推定。
推定ではない。表示は落ちた。僕は見た。
見て、次の命令が遅れた。その遅れも、記録には残らない。
「死亡推定ではなく、撃破内訳へ入れてください」
「人員は」
「敵搭乗員一、死亡確認相当」
通信兵の筆が止まった。
「相当」
「表示確認です。遺体確認ではありません」
「了解」
筆が動く。
僕は自分の左手を見る。
遠くの二つの表示が、昨日より少し濃い。気のせいならいい。でも、見直しても濃さは変わらなかった。
殺した。指示した。撃ったのは僕ではない。
それでも、撃つ場所と発数を決めたのは僕だ。
戦果になった。
階級の理由にもなる。
たぶん、強さの理由にもなる。
その全部が、机の上で同じ筆跡に揃っていく。
「中尉」
弾薬係が、空になった小箱を持ってきた。
十ミリ徹甲弾の箱。
底が見えている。
「三発使って当てました。でも、次に同じことをするには足りません」
「分かっています」
分かっている。
分かっているのに、使った。
使わなければ、水車小屋線が抜かれたかもしれない。
使ったから、次が細くなった。
正しい判断は、いつも次の判断を楽にしてくれるわけではない。
「補給表へ。十ミリ徹甲弾、危険残量。優先順位を上げます」
「はい」
「ただし、救護布より上にはしない」
弾薬係が少し驚いた。
「徹甲弾より救護布ですか」
「今日は、そうです」
「明日は」
「明日、また決めます」
それ以上は言えない。
明日の僕が、今日よりましな判断をする保証はない。
それでも、明日の僕に渡すものは選べる。僕は記録板の最後に書いた。次弾、間に合わず。
ただし、線は残存。その二行は、どちらも嘘ではなかった。片方だけで済めば、まだ気持ちは楽だったのに。
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