ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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九章十話 外れた線

《王録》 九章 十節

 

『残った線を吉兆と読む者は、泥の中で名を呼ぶ者の手を知らない。』

 

 南西林道の確認は、戦闘が終わってからの方が長かった。

 

 撃っている間は、まだ順番がある。敵の位置を見る。味方の射線を見る。

 

 結界の減りを見る。撃つか、待つか、下げるかを決める。終わったあとは、その順番が崩れる。

 

 泥に倒れている人間。膝をついたまま止まった機甲衝撃兵。折れた小銃。

 

 水を吸った包帯。誰かの手袋。

 

 それぞれが、別々の場所に転がっていた。

 

「確認班は二人一組。遺体確認と装備回収を分けてください。結界具が残っているものは、触る前に冷却札を当ててください」

 

 通信兵が復唱するより先に、救護兵の一人がこちらへ走ってきた。

 

 膝まで泥を跳ね上げている。

 

 担架の右手側を持っていた兵だ。

 

「中尉、重傷二名、どちらも後送可能です。ただ、一人は返事が乱れています。もう一人は、歩けると言い張っています」

 

「歩かせないでください」

 

「本人が、他の担架を先に回せと」

 

 僕は救護所の方を見た。

 

 雨除け布の下に、横になった味方のバーが二本見える。

 

 一人はHPが半分を少し越えている。けれど、SANの線が薄い。呼吸のたびに、表示が細かく欠ける。

 

 もう一人はHPが安定している。STRも大きくは落ちていない。ただ、右手の動きが遅れている。手首の近くに、赤い小さな警告が出たり消えたりしていた。

 

 HPとは別に、どちらの体にも薄い線がもう一本あった。SP。体力の残り。高ければ、まだ動ける根拠になる。低ければ、意識があっても長くは保たない。

 

「後送順は、返事が乱れている方を先に。歩けると言っている方は、手を固定してから二番目です。自分で歩かせないで」

 

「手だけで二番ですか」

 

「手だけではありません。本人が歩けると思っているのが危ないです」

 

 救護兵は一度、雨除け布の下を見た。

 

 寝かされている兵が、こちらへ上体を起こそうとしていた。誰かが肩ではなく胸の帯を押さえ、背中を布へ戻す。

 

「分かりました。縛ります」

 

「固定でお願いします」

 

「同じことです」

 

「あとで本人に怒られるので、言葉だけは選んでください」

 

 救護兵は短く息を吐いて、泥を蹴って戻った。

 

 その息が白く見えた。

 

 雨は冷えてきている。

 

✶

 

 敵精鋭七十二のうち、死亡確認は六十九まで進んだ。

 

 残り三名は、機甲衝撃兵の中だ。

 

 操縦室の前面は、山崎さんの低装薬弾で歪んでいる。外側の装甲は厚くない。けれど、内側には疑似筋肉の束と、操縦用の固定器具が詰まっていた。

 

 撃ち抜いたあとも、機体は少し動いた。

 

 右腕が泥を掻く。

 

 左足のない脚部が、何かを探すように地面を擦る。

 

 中の人間が動かしているのか、疑似筋肉が最後の命令を繰り返しているのか、外からは分からない。

 

 だから確認班は近づけない。

 

「焼きますか」

 

 工兵下士官が聞いた。

 

 彼は油布を被り、長い鉤棒を持っている。棒の先には泥と灰がこびりついていた。

 

「まだです。中に人がいる可能性があります」

 

「生きているなら、返事をします」

 

「翻訳札を近づけます。返事がなければ、冷却液をかけて機構を止めてください」

 

「冷却液は残り二本です」

 

「一本だけ使います。もう一本は装甲車へ戻してください」

 

 工兵下士官は、少し顎を引いた。

 

「大尉扱いになったと聞きました」

 

「まだ呼ばれていません」

 

「命令の範囲は、もうそうです」

 

 彼はそう言って、鉤棒を持ち直す。

 

 呼び方より、冷却液一本の方が重い。

 

 今は、そちらの方が助かる。

 

✶

 

 翻訳札を近づけた時、僕は一度、判断を間違えた。

 

 機甲衝撃兵の胸部内側に、細いHPバーが見えた。

 

 消えかけている。

 

 けれど、確かに残っていた。

 

「停止。焼却なし。中に一名、生存反応」

 

 僕が言うと、確認班がその場で止まる。工兵下士官も冷却液の栓を戻した。雨の音が、機体の外板を叩いている。

 

 僕はもう一歩近づいた。拡張された表示は、便利だ。HPは、生命の残りを線にする。

 

 SANは、受け答えの底にある崩れを見せる。

 

 STRは、動けるかどうかの余裕を出す。

 

 けれど、その線が誰のものかまでは、いつも正しく教えてくれない。

 

 機体の中から、かすかな光が漏れていた。操縦室ではない。胸部の横。

 

 結界補助具の予備槽だ。

 

 割れた魔導電池が、まだ低く脈を打っている。結界はもう張れていない。ただ、残った回路が、自分自身を守るために細い線を作っていた。

 

 一瞬、人だと思った。

 

 違う。装置が、まだ動いているだけだ。

 

 僕は喉の奥に残っていた冷たい息を、ゆっくり吐いた。

 

「訂正します。生存反応ではありません。結界補助具の残留表示です」

 

 通信兵が、すぐに紙へ書き足す。

 

「確認法を変えますか」

 

「変えます。HPだけで生存判断を出さない。呼吸、返答、熱、出血の動き、最低三つを合わせてください。機構内は、結界具と人員表示を分けるまで、救護判断を保留」

 

「保留の間に死ぬ場合は」

 

 通信兵の筆が止まった。

 

 責めているわけではない。

 

 その質問は必要だ。

 

「その場合は、僕の判断遅れです。記録に入れてください」

 

「そのまま書きますか」

 

「はい。誤認一。生存判断保留基準、修正。責任者、羽黒承」

 

 通信兵は、少し眉のあたりを拭った。雨か、汗かは分からない。紙には、ちゃんと書かれた。

 

 僕の名前も。誤認も。それを見て、工兵下士官が冷却液をかけた。

 

 白い蒸気が立ち、機甲衝撃兵の右腕が止まる。

 

 疑似筋肉の束が、力を失って泥へ落ちた。

 

 その奥から、操縦手二名の遺体が出てきた。

 

 どちらも、胸の固定具を外そうとした跡があった。

 

 爪の間に、黒い油が入っている。名札は読めない。翻訳札は、もう反応しなかった。

 

 敵精鋭七十二。死亡確認七十。投降二、後方へ護送済み。

 

 その数字は、ようやく閉じた。閉じたのに、楽にはならない。

 

 投降した二人は、武器を捨てた場所から一歩も動かなかったという。動けば撃たれると分かっていたのか、それとも、もう動く理由がなかったのか。どちらでも、僕はそこに同じ一行しか書けなかった。

 

✶

 

 報告板は、雨除け布の下に置かれた。山崎さんの砲兵班から、弾薬残が届く。通常榴弾、残り三。

 

 低装薬弾、残り二。十ミリ徹甲、分配後残り二十七。

 

 機関銃弾、箱単位では残っているが、銃身交換が追いつかない。

 

 魔導冷却液、未開封一本。

 

 さっき一本使ったから、数字は合う。

 

 合ってしまう。

 

「中尉、司令部から返信です」

 

 通信兵が封筒を持ってきた。封蝋は簡易のものだ。正式辞令ではない。ただ、赤い線が二本入っている。

 

 戦域命令。僕は手袋の泥を布で拭き、封を切った。中には、短い命令文が入っていた。

 

 南西林道、茶札新線、旧泥道閉鎖区、三線の救護・補給・撤収判断を、羽黒承の一括調整下に置く。

 

 現場呼称は、臨時大尉待遇へ統一。

 

 佐官署名欄への代筆を、緊急時に限り認める。

 

 期限は、次の本隊到着まで。僕は読み終えて、少し封筒を折った。破らないように。

 

 濡らさないように。

 

「大尉、ですか」

 

 通信兵が言った。

 

「必要な時だけでお願いします」

 

「必要な時が、増えそうです」

 

「では、増えた分だけ使ってください」

 

 自分で言ってから、少し遅れて分かった。使われるのは、呼称だけではない。僕の判断も。

 

 僕の名前も。

 

 僕が間違えた時に、そこへ戻ってくる責任も。

 

 通信兵は、封筒を帳簿の間へ挟んだ。

 

「誤認の件も、上げます」

 

「上げてください」

 

「評価が下がるかもしれません」

 

「下がるなら、その方がいいです」

 

「下がらないと思います」

 

 彼は、そこで一度だけ言葉を探した。

 

 雨除け布の端から、水滴が落ちる。

 

 紙の上ではなく、木箱のふちへ落ちた。

 

「間違えたと言える人間の方が、次の命令を預けやすいそうです。少なくとも、司令部はそう書くと思います」

 

 僕は返事をすぐに出せなかった。代わりに、報告板へ目を落とす。敵精鋭七十二。

 

 死亡確認七十二。味方死亡なし。重傷二。

 

 誤認一。基準修正一。臨時大尉待遇。

 

 数字が増えている。勝ったから増えたものもある。間違えたから増えたものもある。

 

 殺したから増えたものは、どこに書けばいいのか分からなかった。

 

✶

 

 救護所へ戻ると、歩けると言い張っていた兵は、手首を固定されて毛布に包まれていた。

 

 本人はまだ納得していないらしく、左手だけで水筒を持とうとしている。

 

 隣の兵が、それを取り上げて飲ませていた。返事が乱れていた兵は、眠っている。SANの線はまだ薄い。

 

 ただ、さっきより欠け方が遅い。僕は雨除け布の入口で止まった。中へ入ると、全員の表示が見える。

 

 見えるものが増えたから、助かる場面は増えた。

 

 それでも、休ませるためには、見ないふりをした方がいい時もある。

 

「大尉」

 

 固定された兵が、こちらを見た。

 

「まだです」

 

「さっき、通信兵が言ってました」

 

「必要な時だけです」

 

「じゃあ今は必要です。俺、歩けます」

 

「歩けるなら、寝てください。歩けない人を運ぶ手が足りなくなります」

 

 兵は水筒を奪い返そうとして、固定された手で毛布を引っかけた。

 

 隣の兵が、水筒を少し遠ざける。

 

「ずるいですよ、その言い方」

 

「僕も、そう思います」

 

 それだけ言って、僕は外へ出た。

 

 雨の匂いに、冷却液の甘い臭いが混じっている。

 

 南西林道には、もう銃声はない。

 

 ないはずなのに、耳の奥で、まだ最後の一斉射が続いていた。

 

 僕は左手を握る。表示は消えない。HP。

 

 SAN。STR。読みにくい二つの線。

 

 そのどれもが、さっきより濃い。僕は強くなっている。少なくとも、この戦場ではそう扱われる。

 

 だから次は、もっと広い場所を任される。もっと多くの線を見る。

 

 もっと早く、撃つか、下げるか、見捨てるかを決める。

 

 雨が手袋の縫い目から入ってきた。

 

 冷たい水が、指の間にたまる。

 

 その感覚だけは、表示にならなかった。

 

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