ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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九章十一話 速く見える道

《王録》 九章 十一節

 

『速き者の足跡を追うな。その前に道を掃いた者の名を見よ。』

 

 臨時大尉待遇、という呼び方は、昼までに広がった。

 

 広がるのが早すぎる。弾薬箱より速い。冷却液より速い。

 

 まともな補給より、呼び名の方が先に届く。

 

「大尉、北西尾根から敵影」

 

 通信兵が言った。

 

 もう訂正しなかった。

 

 訂正している間に、敵は近づく。

 

「数を」

 

「歩兵、およそ六百。機甲衝撃兵三。戦車二。結界補助具六。術式兵、少なくとも四。英雄級一」

 

 雲の下を、哨戒機が一機横切っていく。魔導フライホイールの高い唸りだけが、天幕の布越しにも届いた。今の数字は、あの機体が拾ってきたものだ。

 

 地図室の空気が少し変わった。

 

 英雄級一。

 

 その一が、紙の上で妙に大きい。

 

「六百、ですか」

 

「はい。ただし、こちらへ正面から来るのは、たぶん一部です。北東林と南低地でも、別の中継点から同時に交戦報告が入っています」

 

 通信兵が、地図の端に赤札をもう二枚置いた。

 

 僕たちの見ている範囲の外で、別の戦線が同じ時刻に動いている。ここからは、砲声も怒号も届かない。届かないまま、誰かが同じ雨の中で同じ数字と向き合っている。

 

 ただし、完全に見えないわけではなくなっていた。希望さんの千里眼を切り替える。北東林の基準点は後退、その像には味方以外の数字が十三。南低地は停止、外側に数字なし。旧街道は予定どおり。どれも少し前だ。沢渡さんが経過時間を足し、地図係が現在位置の円を描く。

 

 沢渡は、この天幕では参謀役ということになっている。肩書きの上では、僕の観測を各班向けの命令文へ直す係だ。実際にそれをやらせたことは、まだ一度もない。

 

 三つの円のうち、北西尾根へ近づくものはない。六百は別戦線から流れた部隊ではなく、最初からこの道を使うために集められていた。なら、こちらの予備を南低地へ残しても間に合う。

 

「南低地の予備は動かさないでください。北東林へも増援なし。こちらは現有で受けます」

 

 敵が三か所を同時に押しても、味方の遅れまで同時には隠せない。戦場の霧は消えない。ただ、濃い場所が地図に残るようになった。

 

「距離は」

 

「尾根下の曲がりまで一・九キロ。前線まで二・三キロ。水車小屋線へ入るなら、最短で三十分弱」

 

「風は」

 

「北西から。観測班の札では三から四」

 

 僕は地図の北西を見た。尾根。曲がり。

 

 古い石垣。その下に、昨日使わなかった荷車道がある。細い。

 

 でも、英雄級が走るには十分だ。

 

「正面攻撃ではありません。英雄級の突入路を作りに来ています」

 

「突入路」

 

「はい。戦車と機甲衝撃兵は、突破するためではなく、こちらの目と弾を使わせるためです。歩兵は道を掃く。術式兵は足場を作る。結界補助具は、英雄級が速く見える場所まで白い面を伸ばす」

 

 言ってから、喉の奥に少し苦いものが残った。

 

 速いから強いのではない。

 

 速く見える場所まで、周囲が道を作っている。

 

 アンテラルさんが一人でやっていたことを、敵は部隊でやっている。

 

「大尉、命令を」

 

 通信兵が言う。

 

「まず、英雄級を見ないでください」

 

 地図係が顔を上げた。

 

「見ない?」

 

「見ると釣られます。先に道を作っているものを潰します。結界補助具、術式兵、戦車の機銃、機甲衝撃兵の足。英雄級は、その後です」

 

「工兵班からです」

 

 通信兵が、別の符号紙を差し出した。

 

「北西尾根の偽装標識、張り替え終わりました。青杭は本物より二列多く見えるはずです。あと、南側の旧橋跡に、領域権の申請札を立てました」

 

「効果は」

 

「敵の地図が古ければ、南側は渡れると誤読します。実際は昨日から沼地です」

 

 工兵隊は、六百という数を正面から受ける気はない。受けられる数ではない。だから、地形の方を先に変える。

 

✶

 

 北西尾根の下は、黒い土が露出していた。雨で薄く削られた場所だ。そこへ敵は、隊列を崩さず入ってきた。

 

 先頭に歩兵。その後ろに、板状の結界を持った補助具班。左右に機甲衝撃兵。

 

 後方に戦車二両。英雄級は、中央より少し後ろにいた。目立たない。

 

 それが嫌だった。

 

 英雄なら前へ出る、というこちらの期待を、ちゃんと外している。

 

 敵英雄級は、白い外套も派手な飾りもない。濡れた灰色の上衣に、長い片刃の剣。膝の装甲だけが妙に厚い。

 

 膝。

 

 踏み込みを守るための装甲。

 

 あの人は、走る。

 

 ただ走るのではなく、走れる場所まで周りを使う。

 

「敵、展開」

 

 観測手の声が通信具から入る。

 

「術式兵、鉄杭を出しました。左側、泥に刺しています」

 

 スパイク。

 

 昨日より広い。

 

 足を止めるためではなく、こちらの横移動を制限するための列だ。

 

「右側、電撃準備。青白い火花」

 

 ボルト・スパーク。

 

 濡れた土と結界の上では、軽い魔法では済まない。

 

「戦車、砲塔旋回。こちらの低火点へ」

 

「徹甲砲班、撃破ではなく砲塔をこちらへ向けさせないこと。第一目標は左戦車の機銃口、距離九百、右風三、初弾は低く」

 

「小銃班は歩兵を撃ちません。歩兵の前の地面を撃ってください。敵に足場を作らせない」

 

「敵を撃たないんですか」

 

「今は、道を撃ちます」

 

 自分で言って、少し指が冷えた。人を撃たない言い訳にも聞こえる。でも、今は本当にそうだ。

 

 道を壊せば、英雄級は速く見えなくなる。

 

✶

 

 敵の初動は、きれいだった。

 

 歩兵が低く走り、泥の浅い場所へ白布を投げる。

 

 術式兵がそこへスパイクを立てる。

 

 結界補助具班が、板状の白い面を斜めに重ねる。

 

 戦車が機銃を振り、こちらの土嚢上を掃く。機甲衝撃兵は、左右で剣を抜いている。剣で斬るためではない。

 

 こちらに剣を意識させるためだ。その中央の細い道を、英雄級が歩く。まだ走らない。

 

 歩いているのに、速く見える。

 

 周囲が全部、その人を走らせるために動いているからだ。

 

「第一結界班は低面。銃弾だけ受け、ボルト・スパークは真正面で止めず受け流してください」

 

「右火点は術式兵の手元。殺さず、杖先を落とします」

 

「山崎さん、低装薬一発をスパイク列手前の泥へ。距離七百二十、右風三、射角一目盛り下で鉄杭を倒してください」

 

 砲声。

 

 泥が上がる。

 

 スパイク列の手前が崩れ、鉄杭が何本か横へ寝た。

 

 走れる線が、一瞬だけ消える。敵歩兵が止まった。英雄級は止まらない。

 

 止まらないが、少し横へずれた。

 

「見えました。英雄級は速いのではなく、線を選ばされています」

 

「どうします」

 

「線をさらに減らします」

 

 右戦車の機銃が鳴った。結界面に白い傷が連続して走る。HPの線が削れる。

 

 六秒で半分。半分戻る前に、次が来る。

 

「第一結界班、下がってください。第二班、同じ場所へ入らない。半歩右。削れた面を重ねないで」

 

 味方の結界がずれる。敵の機銃が、空いた土嚢を叩いた。人はいない。

 

 そこへいるはずだった人はいない。

 

「徹甲砲班、右戦車。砲塔ではなく、機銃基部。撃ってください」

 

 金属を叩く音。

 

 右戦車の前面結界が白く膨らみ、機銃の線が一度上へ跳ねた。

 

 貫通していない。でも、掃射は止まった。止まった隙に、敵英雄級が走った。

 

 来た。白い面と、泥と、倒れた鉄杭の間。

 

 そこだけが、まるで乾いた道みたいに空いている。

 

 敵はその道を作った。

 

 僕は、それを壊しきれていない。

 

「中央、来ます」

 

 小銃班長の声。

 

「撃たないでください。正面へ撃つと、結界で受けられます。足元、二歩前」

 

「二歩前」

 

「通常弾三。低く」

 

 銃声。泥が跳ねる。英雄級の足が、泥の薄いところを避ける。

 

 避けた先に、まだ道がある。術式兵が作った道だ。

 

「希望さん、後ろの術式兵、見えますか」

 

「見えます。左手を下げた方、次の鉄杭を持っています」

 

「撃てますか」

 

「撃てます」

 

「手元だけ」

 

 返事は短かった。遠くで銃声。術式兵の手元で鉄杭が跳ねた。

 

 英雄級の足元に、次の道が出ない。初めて、敵英雄級の速度が落ちた。落ちた瞬間、普通の人間に見えた。

 

 普通、ではない。それでも、化け物ではない。人間が、無理をして走っている。

 

 ただ、その無理を通せる人間だった。道が消えたのに、足は止まらない。

 

 右足が泥を踏み、沈む前に左足が膝を越える。

 

 倒れた鉄杭を踏み台にして、体をひねる。

 

 小銃班の狙いが一拍遅れた。

 

 周囲の道を剥がしても、本人の身体がまだ道を作っている。

 

 アンテラルさんを思い出した。

 

 あの人も、足場が悪い場所ほど、こちらの目が追いつかなくなった。

 

「機甲衝撃兵、左右前進」

 

 通信兵が言った。

 

 左右の巨大な影が、同時に剣を振り上げる。

 

 疑似筋肉の束が外装の隙間で膨らみ、泥を踏んだ足が沈む。

 

 右の機体が先に振った。

 

 刃は土嚢の列を斜めに削り、そこに伏せていた小銃班の二人を面ごと押し流した。

 

 斬れてはいない。でも、銃口は土に埋まり、射線が消える。片方は右へ。

 

 片方は左へ。英雄級を助けるためではない。こちらの砲と小銃を割るためだ。

 

「左を僕が止めます。右は徹甲砲班、足元。山崎さん、右機甲の後ろ、泥だけ」

 

「大尉、前へ?」

 

「必要です。ここで英雄級を止めないと、後ろの救護線へ入られます」

 

 必要なら、僕が出ますよ。

 

 前に言った言葉が戻ってきた。

 

 今回は、誰も軽く受け取らなかった。

 

✶

 

 土嚢の切れ目から出る。弾が近い。近いと、音より先に空気が動く。

 

 左の機甲衝撃兵がこちらを向いた。剣と機関銃。大きすぎる組み合わせだ。

 

 機関銃がこちらを追う前に、結界班が低い面を張る。

 

 白い面に弾が当たり、細かい光が散った。結界HPが削れる。戻るまで六秒。

 

 六秒を買うために、僕は走る。アクセラップ起動具を短く作動。足元の泥が一瞬だけ軽くなる。

 

 軽くなった分、止まる時に膝が痛む。機甲衝撃兵の左足。STRの線が太い。

 

 けれど、膝の下、疑似筋肉の束が外装の傷から少し見えている。

 

 昨日の砲撃跡か。それとも整備不足か。どちらでもいい。

 

 そこだけは、薄い。

 

「左機甲、膝下。通常弾いりません。十ミリ徹甲一、僕の合図で」

 

「合図待ち」

 

 僕は三郷の剣を抜く。機甲衝撃兵の剣が来る。受けない。横へ入る。白い結界面が、剣の前に張られている。

 

 切れ目はない。でも、斬撃には弱い。剣柄のマギブレイク機を作動させると、刃が熱を持ち、僕の手も熱を持った。

 

 剣の腹を結界面へ滑らせる。割るのではなく、面を歪める。歪んだ場所へ、徹甲弾が入る。

 

「今」

 

 一発。白が潰れ、膝下の疑似筋肉が弾けた。機甲衝撃兵が大きくよろける。

 

 それでも倒れない。足を引きずりながら、剣を振り直す。中の操縦手が、まだ動かしている。

 

 とどめは戦闘室。分かっている。分かっているから、嫌になる。

 

「小銃班、機関銃口へ通常弾。僕の前を空けてください」

 

 機関銃口が跳ねる。僕は戦闘室へ短銃を向けた。近すぎる。照準より、呼吸の方が邪魔になる。

 

 一発目は外装で跳ね、二発目は戦闘室の内側で火花を散らした。HPの線が一本消える。もう一本が残る。機甲衝撃兵は、まだ動いた。

 

 三発目。残った線が落ちた。機体が膝から崩れる。

 

 疑似筋肉の束が、泥の中でしばらく震えていた。

 

 その横を、敵英雄級が抜けようとしていた。

 

 こちらの目が機甲衝撃兵へ集まった瞬間を、ちゃんと見ている。

 

 アンテラル級。そう呼びたくなる速さだった。でも、道がある。

 

 まだ周りが道を作っている。それに、本人も道を作れる。

 

 煙の薄い場所だけを選び、泥の浅いところへ足を置き、倒れた鉄杭の角を踏んで体を浮かせる。

 

 支援があるから速い。

 

 支援がなくても、遅くはない。

 

「右戦車、煙。英雄級の後ろを隠すつもりです」

 

 観測手の声。

 

「照明弾。煙の後ろではなく、上。影を出してください」

 

 山崎さんの返事。

 

 照明弾が上がる。

 

 白い光が煙の上を照らし、英雄級の影が泥へ落ちた。

 

 影は速い。

 

 けれど、足はひとつずつ地面を踏んでいる。

 

「小銃班、影の二歩前。撃ってください」

 

 銃声。泥が跳ねる。英雄級の足が止まる。

 

 止まった一瞬で、僕は距離を詰めた。剣が合う。重い。

 

 アンテラルさんの刃と似ている。似ているが、違う。

 

 アンテラルさんは、こちらの呼吸を先に奪う。

 

 この敵は、周囲が呼吸を奪ったあとに来る。だから、周囲を壊せば間に合う。そう思った瞬間、刃が消えた。

 

 速さではない。

 

 手首だけで角度を変え、こちらの剣の陰へ刃を隠した。

 

 僕の首の横を、冷たいものが通る。

 

 外套の襟が裂けた。

 

 続く横薙ぎは、僕だけを追っていなかった。

 

 左の結界班と、膝を入れ替えた小銃手まで同じ線に入る。

 

 あのまま通せば、三人分の場所が一度に空く。

 

 周囲を壊しても、本人の技量までは消えない。

 

「結界班、僕の左。銃弾だけ」

 

 英雄級が押す。

 

 僕は押し返さない。

 

 三郷の剣を斜めにして、相手の刃を滑らせる。

 

 滑らせた先で、敵の膝が入る。

 

 剣だけではない。

 

 膝、肘、肩。

 

 全部がこちらの姿勢を崩すために動いている。

 

 僕は短銃を抜きかけ、撃たずに相手の肘へ銃口だけを置いた。

 

 相手の腕が、ほんの少し止まる。撃つためではない。次の刃筋を遅らせるためだ。

 

 横から、敵歩兵の銃声。味方の結界が受ける。HPが削れる。

 

 六秒。六秒は長い。僕はマギブレイク機の出力をもう一段上げた。

 

 手の中で、革紐が汗を吸う。刃の触れている白が薄くなる。敵英雄級の目が、そこで初めて僕を見た。

 

 僕ではない。僕の後ろの結界班でもない。三郷の剣を見た。

 

 相手にも、分かるのかもしれない。この剣が、僕のものではないことが。

 

「山崎さん、通常榴弾一。僕の後ろではなく、敵の後ろ。逃げ道を閉じてください」

 

「近いぞ」

 

 山崎さんの声が、通信越しでも荒い。

 

「近いです。だから後ろだけ」

 

「通常榴弾一、敵後方」

 

「撃ってください」

 

 砲声。

 

 爆風が、敵英雄級の後ろの白い道を壊した。

 

 結界補助具の面が震え、歩兵が一人倒れる。

 

 英雄級の後退路が消える。彼は前へ来るしかなくなった。前へ来た。速い。速いまま、こちらへ来る。

 

 僕は受けた。受けて、半歩下がる。下がらされたのではない。半歩だけ、こちらから渡した。踏み込みを誘うための半歩。

 

 昔の僕なら、たぶん全部奪われていた。今は、半歩だけなら渡せる。その半歩で、敵の足が泥へ入る。

 

 さっきまで術式兵が作っていた道ではない。

 

 ただの泥。

 

「今です。足元」

 

 小銃班の通常弾が、敵の足元を叩く。泥が上がる。英雄級の膝が落ちた。

 

 僕は剣の腹で胸を押した。斬らない。押す。

 

 結界が膨らむ。HPの線は太い。でも、STRが落ちる。

 

「山崎さん、低装薬一。敵英雄、右後ろ。倒すのではなく、浮かせてください」

 

「低装薬一、右後ろ」

 

 爆風。敵英雄級の体が、泥から少し浮いた。そこへ、僕は短銃を向ける。降伏を促す距離ではない。相手の剣はまだ動き、目もまだこちらを見ていた。

 

 撃たなければ、次にこちらが斬られる。一発。胸甲の端。二発。結界の薄いところ。

 

 相手は倒れながら、まだ剣を返した。刃の先が僕の外套を裂く。逃げると伸びる。近づくと、相手の腕が詰まる。僕は一歩だけ前へ入った。

 

 三郷の剣の柄で、相手の手首を押さえる。三発目。表示が落ちた。

 

 敵英雄級が泥の上に倒れ、握っていた剣が手から離れた。照明弾の白い光の下で、あれほど速かった影が止まる。

 

「英雄級、落ちた!」

 

 小銃班長の声が通り、救護線の前にいた兵が一斉に立ち直った。止めた。今度は僕が、あの速さを止めた。

 

✶

 

 敵は、そこで退かなかった。

 

 英雄級が落ちても、諸兵科はまだ動いた。

 

 右の機甲衝撃兵が、倒れた英雄級を越えようとする。

 

 戦車二両が、同時に砲塔をこちらへ向ける。

 

 結界補助具班は、新しい面を張ろうとしていた。

 

 彼らは英雄に頼っていない。

 

 英雄を使う手順を持っているだけだ。

 

 その手順は、英雄が倒れても少し残る。

 

 低い爆音が頭上を抜けた。

 

 双発の襲撃機が一機、雲を割って降りてくる。左戦車の上を横切った瞬間、機首の砲が短く連射する。土嚢の後ろにいても分かるほど、音が太い。

 

 弾着は砲塔の付け根。装甲がめくれ、白煙が噴く。機はそのまま低く抜け、対空の届く前に稜線の向こうへ隠れた。

 

 地図係が、赤札の隣に小さく丸を足した。

 

「左戦車、機動不能。あの一機だけでは仕留めきれません。詰めます」

 

「第二段階です。敵は回収ではなく押し込みます」

 

「命令を」

 

「右機甲衝撃兵、足。戦車は砲塔。結界補助具は撃たない。張らせてから、導線束。歩兵は後退路だけ塞いでください」

 

「殲滅しますか」

 

「降伏勧告を一回入れます」

 

 通信兵が拡声具を差し出す。敵の戦車砲塔が、こちらを向く。砲口の奥に黒い穴。

 

 その穴を見ながら、僕は言った。

 

「帝国軍部隊へ告げます。英雄級は戦闘不能。機甲衝撃兵一、戦闘不能。戦車二両、こちらの照準下にあります。武器を置き、結界補助具から離れてください。負傷者は救護します」

 

 翻訳札が遅れて鳴る。返事は、砲声だった。結界班の面が白く膨らむ。

 

 砲弾は、正面ではなく少し右へ流れた。

 

 味方の徹甲砲が先に砲塔基部を叩いたせいだ。

 

 助かった。

 

 助かったから、次の命令を出す。

 

「再交戦確認。全班、予定通り」

 

 予定通り。言葉だけなら軽い。現場では、もう軽くない。

 

 徹甲砲が戦車の砲塔を止める。小銃班が歩兵の後退路を刻む。

 

 山崎さんの低装薬弾が、右機甲衝撃兵の足元を崩す。

 

 結界補助具が白い面を張る。張った瞬間、十ミリ徹甲が導線束へ入る。白が消える。

 

 敵の動きが、順番に止まる。止まったものから、人が倒れる。敵歩兵の一人が白布を上げようとした。

 

 隣の兵が、その腕を引き下ろす。白布は泥へ落ちた。僕はそれを見た。

 

 見たまま、撃つ命令を止められなかった。白布を拾う前に、彼らはまた小銃を構えた。こちらの救護線へ向けて。

 

「撃ってください」

 

 銃声が重なる。

 

 白布の近くで、HPの線がいくつも落ちた。

 

 敵は退いた。

 

 退いた、というより、残った形を保てなくなった。

 

 戦車一両、砲塔喪失。戦車一両、機銃基部破損、後退。機甲衝撃兵二、戦闘不能。機甲衝撃兵一、後退中に行動停止。

 

 敵英雄級一、死亡確認。術式兵二、死亡確認。歩兵死者、確認中。味方死亡なし。負傷八。重傷一。結界班、二名後送。冷却液、残りゼロ。

 

 六百のうち、直接ここへ来たのは百に満たない。残りは、偽の青杭と沼地になった旧橋跡へ吸われ、南低地の中継点へ流れたと、あとで工兵下士官が言っていた。

 

 見えている敵の少なさは、勝ったからではない。工兵が先に地図を書き換えていたからだ。

 

 僕は、その最後の一行を一番長く見た。勝った。でも、次の結界具は冷やせない。英雄級を止めても、補給は増えない。

 

 沢渡が、記録の束を静かに閉じた。今日も、参謀役の出番はなかった。任せれば楽になる部分もあるはずなのに、その手順をまだ作れていない。作れば、いつか自分の目が届かない場所でも部隊が動く。それが、少し怖かった。

 

 手袋の中で、指が震えている。短銃の反動か。三郷の剣か。マギブレイク機の熱か。どれかひとつにできれば楽だった。

 

 左手の表示は、また濃くなっている。HP。SAN。STR。読みにくい二つの線。

 

 敵英雄級の最後の速さだけが、まだ目の奥に残っていた。

 

 速かった。けれど、速さの前には道があった。僕はその道を壊した。

 

 道の上にいた人間ごと。

 

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