ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 九章 十三節
『節約された盾の数だけ、前へ出た者の影は濃くなる。』
報告書の四行目が、消えなかった。羽黒承、前進殺害処理。記録官は、たぶん悪気なく書いた。
悪気がないから、余計に消しにくい。結界消費なし。冷却液消費なし。
敵誘導偵察三、死亡確認。並べると、合理的に見える。見えてしまう。
「この書き方、変えられますか」
僕が言うと、記録官は鉄筆を止めた。
インクではない。
湿った紙では滲むから、薄い金属板へ刻んでいる。
爪の横が黒く汚れていた。
「変えるなら、事実とずれない範囲です」
「前進殺害処理、という言葉が強すぎます」
「弱くすると、上が読まないです」
記録官は、こちらを責めなかった。ただ、板の端を親指でなぞる。そこには、別の戦果欄が並んでいた。
敵英雄級一。戦車砲塔喪失一。機甲衝撃兵二。
死者確認数。負傷者数。冷却液残量。
読まれるべきものは、強い言葉でないと埋もれる。
そういう紙の作りをしている。
「では、前進制圧」
「死亡確認三が残ります」
「……前進制圧、敵三死亡確認」
「それなら通ります」
通る。通ってしまう。
言葉を少し丸めても、三人が死んだことは残る。
✶
午後、補給机が増えた。机が増えたのに、箱は増えていない。おかしな話だ。
でも、戦場ではよくある。足りないものほど、数える人間が増える。会計担当が、薄い算盤を開く。
整備担当が、焼けた冷却管を布で包んで持ってくる。
徴発担当は、革鞄の留め具を壊しかけていた。
開けるたびに、金属音が小さく鳴る。
それだけで、何度も開け閉めしたのが分かる。
「魔導冷却液は、明朝までに小瓶十二」
「必要数は」
「最低三十六です」
「足りません」
「はい。足りません」
会計担当は、そこで笑わなかった。
代わりに、算盤を一段戻す。
「冒険者便を使えば、追加で十は寄せられます。ただし単価が跳ねています。危険手当と帰り荷の保証が付く依頼へ流れています」
「帰り荷」
「前線へ行ったあと、空で戻るのを嫌がります。帰りに遺物か食料か金属片を積める依頼が優先されます」
分かる。分かってしまう。
冒険者は悪くない。死ぬかもしれない道へ行くなら、帰りの荷がある仕事を選ぶ。
その方が自然だ。
自然な選択が、必要な箱だけを遅らせる。
「茶札と復路優先だけでは足りませんね」
「足りません」
「仮買い取りは」
「ネクサス側から案が出ています。空荷で戻る車両へ、こちらが後払いで荷を作る形です」
ネクサス。
あの名前が出ると、補給机の空気が少し変わる。希望ではなく、手間が増える名前だ。
ただ、その手間で何人か戻る。
「採用します。支払い署名は」
「大尉待遇では少し弱いです」
会計担当が言った。少し、という言い方ではない顔をしている。いや、顔ではない。
指だ。
算盤の玉を、一つだけ動かさずに残している。
「佐官署名ですか」
「仮買い取りの上限を上げるなら」
「代筆では」
「今朝の戦果表が付くなら、臨時扱いで通せると思います」
今朝の戦果表。
前進制圧、敵三死亡確認。結界消費なし。冷却液消費なし。
僕が三人殺したから、署名欄が広がる。
そういう順番になる。
「……分かりました。仮で出してください。上限は小瓶三十六相当。帰り荷は遺体搬送別枠化と、修理部品の回収箱で埋めます」
「遺体搬送を帰り荷に数えますか」
「数えません。別枠です。帰り荷にすると、値段が付きます」
会計担当が、算盤から手を離した。
「それは、助かります」
誰が助かるのか、聞かなかった。
聞くと、たぶん答えが増える。
✶
夕方前、敵の小火点が南の畑跡へ出た。歩兵十二、重機関銃一、術式兵二。距離、八百。
これ自体は、大隊規模で動いている敵集団の先端でしかない。本隊は北東林の向こうに留まったまま、こちらの補給線を少しずつ削る役目だけを、この十五人へ回している。
希望さんの視界を北東林へ一度繋ぐ。少し前の景色に、まだ動かない本隊の影が重なる。旧街道は基準点がなく、白紙のままだ。切り替えるたびに像がずれる感覚が、朝より長引いている。数字を読み違えて一拍止まる回数も、朝より増えていた。
目的は、こちらの補給机ではない。
補給机へ来る荷車道を、斜めに押さえる位置だ。
結界班を動かせば、冷却液が要る。砲兵を使えば、榴弾を使う。徹甲砲を使えば、敵は下がる。
下がって、また出る。
「大尉」
通信兵が言った。
「分かっています」
「言っていません」
「言わない方がいいことも、だいたい分かります」
「では、言いません」
通信兵は、地図の南へ小さな赤札を置いた。
赤札の端が少し欠けている。
何度も使われて、角が丸くなっていた。
「前進します。小銃班二名だけ。結界班は動かさない。山崎さんは撃たないでください」
「本当に撃たないぞ」
山崎さんの声が通信具から来る。
いつもより低い。
「はい。撃たせないために行きます」
「お前、そういう言い方をするな」
「すみません」
謝ってから、三郷の剣を持つ。革紐は、まだ湿っている。汗か、泥か、別のものか。
確かめない。
✶
畑跡は、畑ではなくなっていた。
畝の跡だけが残り、そこへ水が溜まっている。
敵の重機関銃は、壊れた石囲いの影にあった。
銃身の下に、濡れた布。冷やしている。向こうも、熱に困っている。
術式兵が二人。一人は結界。一人はリ・ガクラの短い標識を持っている。
殺人交戦用。
字幕がいる魔法、と山崎さんが前に言っていた。
たしかに、見ただけでは分からない。
分からないものほど、近づく前に潰す。
「小銃班、右の術式兵。標識だけ」
銃声。標識が割れる。リ・ガクラの赤い文字が、空中でほどけた。
敵重機関銃がこちらを向く。僕は走った。アクセラップ起動具を短く作動。
畝を越える。足が沈む。沈む前に、次へ。
銃声。背中の後ろで土が裂ける。
小銃班の一人が、敵の銃口へ通常弾を入れる。
銃口が少し上がる。それだけで足りる。僕は石囲いへ入った。
敵歩兵が銃剣を出す。近い。
近い場所の銃剣は、遠い場所の機関銃より速い。
剣を置く。三郷の剣が、銃剣を受ける。剣柄のマギブレイク機を低出力で作動させる。
相手の小結界がひずむ。短銃。一発。
HPが落ちる。二人目が横から来る。小銃班の弾が、相手の足元を叩いた。
よろけたところへ、僕が入る。胸。撃つ。
三郷の剣を握ったまま、もう何人目を斬ったのか分からなくなっている自分に気づいた。それでも手は止まらなかった。剣の重さが、覚えていたままの重さで戻ってくることだけが、怖かった。
重機関銃手が、銃を捨てて短い斧を抜いた。
筋肉が太い。STRの線も太い。でも、SANは細い。逃げたい線だ。それでも、逃げない。
斧が来る。受けない。銃身を足で踏むと、機関銃の架台が泥へ沈んだ。斧が空を切る。
僕は腹へ短銃を当てた。一発。相手が折れる。もう一発。HPが消えた。残った敵が下がる。下がった先に、小銃班の射線がある。
「投降するなら、武器を捨てて両手を上げてください」
翻訳札が鳴る。敵の一人が、銃を下げた。その後ろで、術式兵が結界を張る。
投降ではない。時間稼ぎ。
「撃ってください」
小銃班が撃つ。白い面が揺れる。僕は走った。結界は貫通に強く、爆発と打撃は面で受ける。斬撃は、同じ線を押し続ける。
三郷の剣の柄で、マギブレイク機の出力を上げる。白い面へ刃を置く。押す。面が裂ける前に、術式兵の手が震えた。
六秒。半分になる前に、もう一度押す。白が切れた。短銃。一発。最後のHPが消えた。
重機関銃の銃身が泥へ落ち、畑跡を押さえていた火線が消えた。伏せていた小銃班が一人、二人と頭を上げる。
「火点、取った!」
誰かの声に、畝の向こうから銃床を叩く音が返った。僕の右手には反動が残っていた。三郷の剣を白い面から引き抜く。勝った。その一拍だけは、数字を見なかった。
✶
畑跡の小火点は、十二分で消えた。敵歩兵死者二十四。術式兵三、死亡確認。
重機関銃一、鹵獲不能、破損処理。味方負傷一。結界消費なし。
冷却液消費なし。榴弾消費なし。小銃通常弾、二十六。
短銃弾、六。僕の名前は、また戦果欄の横に置かれた。今度は、誰も書き方を迷わなかった。
羽黒承、前進制圧。敵二十七死亡確認。結界消費なし。
冷却液消費なし。
会計担当が、その数字を見て、仮買い取りの上限欄へ印を押した。
僕が殺した数で、冷却液の支払い枠が広がる。
そういう机になっている。
通信兵が、横から小さく言った。
「怒る水、まだ残っていません」
「では、明日にしてください」
「明日も残っていないと思います」
「困りましたね」
僕は、そう言って笑う形だけ作った。口の端が、うまく上がらなかった。遠くで、荷車の鈴が鳴った。
冷却液ではない。遺体搬送用の空車だった。それでも、道は空けなければならない。
左手の表示は、もう一日中重ねすぎて、輪郭の境目が曖昧になっている。北東林の数字と、目の前の畑跡の数字が、一瞬だけ入れ替わって見えた。見間違いだ。そう決めて、僕は目を閉じた。閉じても、数字は消えなかった。
戻るものが人でなくても、戻す道は要る。
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