ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

182 / 187
九章十四話 水筒の底

《王録》 九章 十四節

 

『夜は問いを薄めない。ただ、答える者の喉だけを乾かす。』

 

 夜になっても、冷却液は来なかった。

 

 代わりに、水筒が一本だけ机に残った。半分も入っていない。

 

 誰のものか分からない。軍用品の水筒はみんな似ていて、傷の場所と革紐の結び方くらいしか違わない。

 

 僕のものではない。でも、僕の机に置かれている。

 

 たぶん、通信兵だ。

 

 怒る水は残っていない、と言ったくせに、少し残していった。

 

 そういうところだけ、部下は上官に似なくていい。

 

 僕は水筒を持ち上げた。軽い。軽いのに、手首が下がる。

 

 机の上には、戦果板がある。羽黒承、前進制圧。敵六十四死亡確認。推定八十以上。敵機甲衝撃兵一、戦闘室破壊。敵英雄級一、砲撃誘導により死亡確認。

 

 結界消費なし。冷却液消費なし。仮買い取り上限、承認。いいことばかり並んでいる。いいことばかりだから、気持ちが悪い。

 

✶

 

 短銃を分解する。

 

 弾倉を抜き、薬室を見る。空。

 

 銃身を布で拭くと煤がついた。黒い。当たり前だ。撃ったのだから。

 

 何発撃った。北東石壁線の戦闘記録で四発。水車小屋線の弾薬表で六発。

 

 合計十発。十発で、僕が直接止めたのは三人。

 

 僕の命令で止まったのは三十四人。推定欄を入れれば、もっと増える。

 

 僕が直接撃ったのは、その全部ではない。

 

 でも、僕の命令で死んだ。僕の手で死んだ。

 

 命令で死なせた方が楽か。自分で撃った方が楽か。

 

 楽、という言葉が出た時点で、僕は少し笑った。

 

 声は出なかった。口の中だけが、引きつった。楽な殺し方を比べている。

 

 何やってるんだ、僕。左手の奥が、また熱い。戦闘が終わるたびに、表示が太くなる。

 

 HP、SAN、STR。

 

 最初は、見えるものが増えただけだと思った。

 

 今は違う。

 

 撃った後に増える。命令で止めた後に濃くなる。誰かのHPが消えた後で、僕の表示だけが太る。

 

 その太くなる表示に、今日はじめて文字がついた。SPE。異能、と読めた。

 

 魂、という言葉を使えば、たぶん説明は簡単になる。

 

 でも、簡単にしたくなかった。

 

 奪ったものが、僕の中で仕事をしている。

 

 そう考えた瞬間、短銃の煤より先に、手袋の内側が汚れている気がした。

 

✶

 

 三郷の剣を膝に置く。

 

 重い。

 

 昼間は、もう少し軽かった。

 

 アクセラップ起動具と剣柄のマギブレイク機を動かし、敵の結界を裂いていた時は、重さを忘れていた。

 

 忘れられていた。

 

 敵のHPの端が、白く裂けるみたいに欠けた。

 

 そこへ踏み込めば勝てると分かった。分かった瞬間、足が先に出た。それが一番嫌だった。

 

 この剣は、三郷のものだ。僕のものではない。

 

 なのに、僕の手の中で、人を殺す道具になっている。

 

 三郷ならどうした。

 

 前へ出ただろう。笑っただろう。誰かを立たせただろう。

 

 それから。それから、殺しただろうか。答えは出ない。

 

 出ないのに、僕は何度も同じところへ戻る。三郷なら。

 

 三郷なら、という逃げ方を、僕はいつまで使うつもりだ。

 

 剣の柄には、昼間の泥が少し残っていた。布で拭く。取れない。

 

 爪でこすれば取れる。でも、爪の間に入る。それが嫌で、布だけで何度も拭いた。

 

✶

 

 僕は、兵を前へ出している。

 

 小銃班を、結界班を、通信兵を、救護兵を。前へ出して、下げて、また前へ出す。

 

 戻すためだ。死なせないためだ。そう言える。

 

 言えるだけの結果もある。味方死亡なし。負傷一。

 

 結界消費なし。冷却液消費なし。板の上では、ちゃんと成功している。

 

 でも、死地に向かわせていることは変わらない。

 

 僕は自分もそこへ入っている。入っているから許されるのか。

 

 違う。自分も死に誘っているだけだ。

 

 人を死地へ置き、自分もそこへ置く。

 

 それを覚悟と呼べば、少し格好がつく。

 

 でも、あの日、クラスメイトを戦場へ押し出した構造と、どこが違う。

 

 使えるから使う。戻れるかは、あとで数える。

 

 戦力になるから前へ出す。死んだら、記録する。

 

 僕が憎んだものと、僕が今やっていることの間に、きれいな線が引けない。

 

 線を引こうとすると、三郷の剣の泥が布へ移る。

 

 落ちない。

 

✶

 

 外で、荷車の鈴が鳴った。遺体搬送用の空車。空で来て、空では戻らない。

 

 帰り荷ではない。別枠。僕がそう決めた。

 

 値段を付けないために。値段を付けないと決めるのに、書類が要る。署名が要る。

 

 署名欄を広げるために、僕が殺した人数が使われる。

 

 おかしい。

 

 おかしいのに、通る。

 

 通った方が、冷却液は来る。

 

 冷却液が来れば、結界班の二人は次に死ににくくなる。

 

 だから正しい。

 

 正しい。

 

 正しい。その言葉を、僕は机の上に置いたまま、何度も見返していた。

 

 正しいなら、どうして水筒を持つ手が止まり、短銃を拭く布が黒くなるだけで吐き気が来る。

 

 正しいなら、三郷の剣はもっと軽いはずだ。

 

✶

 

 僕は水を飲まなかった。飲むと、喉が動く。喉が動くと、まだ生きている感じがする。

 

 それが少し嫌だった。机の端に、昼間の記録板を裏返して置く。裏にも文字があった。

 

 別の誰かの記録だ。旧水路、担架三。青杭、修理待ち。

 

 茶札、九十一。破損三。有効八十八。

 

 文字は淡い。何度も消して使った板だ。

 

 死者数も、弾薬数も、茶札も、同じ板に乗る。

 

 僕の名前も乗る。戦果の横に乗る。仮買い取りの横に乗る。冷却液の横に乗る。それで仕事が進む。

 

 仕事が進むなら、板は間違っていない。間違っているのは。僕か。違う。僕だけではない。

 

 世界か。大きすぎる。王国か。帝国か。森田さんか。第二夫人か。それとも、死んだ人か、殺した人か。

 

 名前を並べると、どれも少しずつ合って、どれも足りない。

 

 だから、楽な答えが欲しくなる。あいつらが悪い。王国が悪い。

 

 帝国が悪い。僕は悪くない。その一文だけ、口の中で何度も作った。

 

 作るたびに、短銃の煤が布へ移る。黒が増える。僕は悪くない。

 

 そう言えば言うほど、布は黒くなった。

 

✶

 

 夜明け前、少し眠ったらしい。

 

 夢は見なかった。

 

 見なかった、というより、覚えていない。

 

 起きた時、机に額を乗せていた。水筒は、まだ半分以下のまま。三郷の剣は膝から落ちておらず、短銃は組み直してある。誰がやった。僕だ。眠る前に、手だけが動いていた。

 

 窓の外で、荷車の鈴がまた鳴る。今度は少し違う音だった。瓶が触れ合う音。冷却液。来た。

 

 僕は立ち上がる。足が少し痺れていた。机の上の戦果板を、もう一度見る。羽黒承、前進制圧。敵二十七死亡確認。仮買い取り上限、承認。冷却液、到着。一行、増える。

 

 よかった。そう思った。思ってしまった。人を殺した後で、足りないものが届く。

 

 人を死なせた後で、次の命令が軽くなる。僕はそれを、よかった、で受け取った。水筒を持つ。

 

 今度は飲んだ。水はぬるくて、少し鉄の味がした。

 

――――――――

 

面白かったら、下記のリンクから評価やレビューをいただけると嬉しいです。

https://kakuyomu.jp/works/822139841314440520/reviews

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。