ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 九章 二十三節
『遠くへ届く目は、近き手の震えを忘れやすい。』
2378- 北部第三中継点 羽黒承視点
昼前に、戦車が一両増えた。
最初、僕はそれを守護戦車だと思った。
車体の高さ、砲塔の形、長い砲身。正面に泥除けの布が掛かっていても、GT系列の骨格は隠しきれない。けれど、近づくにつれて細部が違って見えた。
砲塔の右側に、余計な箱がある。
車体後部にも、何かを背負っている。
通信機の増幅器だろうか。濃緑の布で覆われた筒から、細い銀線が何本も砲塔へ戻っている。整備兵が三人、車体の横を歩きながら布の結び目を直していた。戦車を護衛しているというより、壊れやすい荷物を運んでいるように見える。
「B.I.G-GT-76Ex、北部機甲試験隊より臨時編入。指揮権者は」
通信兵がそこで僕を見た。
「僕、ですか」
「そう書いてあります」
「書類はたまに乱暴なんだね」
通信兵は笑わなかったが、口の端だけが少し緩んだ。昨夜の交戦から寝ていない顔だった。頬に乾いた泥が残っていて、片方の耳だけ赤い。通信符号を聞き続けた人の耳だ。
「乱暴な書類ほど、通ります」
「嫌な経験則をありがとう」
軽く返すと、通信兵の肩から少し力が抜けた。
なら、今はそれでいい。
昨夜の話をここで重くしても、誰の耳も休まらない。新しい戦車が来て、書類が来て、指揮受領欄が増えた。そういう朝には、まず冗談の置き場所を探した方がいい。
「署名欄、増えますか」
「増えますね。僕のせいではない、という欄も増やしてほしいです」
「ありません」
「では、作りましょう」
通信兵が、今度はほんの少し笑った。
それを見てから、僕は指揮受領欄へ名前を書いた。
GT-76Exの車長は、砲塔から半身を出して敬礼した。年は三十前後に見えた。左頬に古い火傷があり、顎の下で結んだ防炎布が汗を吸って色を変えている。
「北部機甲試験隊、車長ベゼル・クノン上尉。以後、中佐殿の指示下に入ります」
「羽黒承です。階級上の扱いは、今朝の通達通りでお願いします」
「本車は通常のGT-76ではありません。扱いを誤ると、戦果より先に整備表が燃えます」
「こちらの整備表が燃えるのは困ります。敵の分は保証できなくても、こちらだけは守りましょう」
上尉は少し目を細めた。冗談を受け取ったというより、僕がどの程度の緊張で話しているかを測った目だった。
砲塔の中から、細い金属音が続いている。
歯車ではない。もっと高く、耳の奥へ残る音だ。二基のフライホイールが回っている音に、火器管制装置の細い唸りが重なっている。近づくと、油と熱い魔導冷却液の匂いがした。
便利そうなものほど、匂いがきつい。
最初のころなら、新型戦車だとか試験機だとか、そういう言葉で少しは浮かれたと思う。
今は、まず冷却液の残量を見る。
「特徴を、短くお願いします」
「高出力型のGT-76です。前後二十キロ級で動けます。主砲は八十ミリL/43。装甲を抜く弾、面を崩す弾、煙で視界を切る弾を積んでいます。魔法加速徹甲弾は五発」
「五発」
「本来は四から六発です。今日は五発。使えば結界用の魔力を食います」
上尉は砲塔の内側から、小さな真鍮箱を取り出した。手のひら二つ分ほどの箱で、蓋の上に細い針が三本並んでいる。
「それと、魔法加速徹甲弾を撃つ前に、精神力測定器を通します」
「弾の安全装置ですか」
「半分は弾。半分は人間です」
上尉は箱の側面を指で叩いた。
「魔法で弾を押す時も、広域マギブレイク機を動かす時も、結界に無理をさせる時も同じです。出力だけ足りても危ない。術者か搭乗員の精神力が落ちていると、照準がぶれる前に、術式の戻りで中の人間がやられます」
「測って、駄目なら」
「撃ちません。撃つな、と整備規定にあります。英雄殿が怒っても、測定器が赤なら撃たない」
英雄殿。
その呼び方が少しこちらへ来た気がして、僕は地図へ目を戻した。
僕は地図の横へ、弾種を書き足した。
通常徹甲弾は装甲用、榴弾は面を崩す時、煙幕弾は視界を切る時。
魔法加速徹甲弾は五発だけ。撃つ前に精神力測定。
数字だけなら、きれいに並ぶ。
でも、五発というのは五回撃てるという意味ではない。五回だけ、車体の守りと引き換えに遠くを殴れるという意味だ。
「火器管制は」
「MFC-76Ex。魔法式測距火器管制装置です。距離、相対速度、車体姿勢、弾道補正を出します。千から千五百メートル級で効きます」
「自動照準ではない」
「違います」
上尉の返答は早かった。
そこを間違えられるのが、よほど嫌なのだろう。
「砲手か車長が見たものを、装置が掴み直すだけです。見えていないものは撃てません。見間違えれば、見間違えたまま補正します」
「嫌な装置ですね」
「便利な装置です」
「便利なものは、だいたい嫌な使い方もできます」
上尉は今度は少し笑った。火傷のある頬が、片側だけ動いた。
「中佐殿は、戦車兵に向いていません」
「自覚があります」
「ただ、本車の試験には向いています」
地図の上で、僕の手が止まった。
「どうしてですか」
「見えているものを、すぐ撃つと言わないからです」
その言い方は、少し痛かった。
褒められているのか、釘を刺されているのか、どちらにも聞こえた。
通信兵が、横から符号板を差し出した。
「MRC-77の受信試験、始めます。車長、符号一。中継点から水車小屋線まで」
「送れ」
砲塔内の通信手が、短い符号を打った。
音声ではない。
細い魔力波が空気を撫でる。耳で聞くというより、歯の根元に一瞬だけ冷たさが来る感覚だった。符号板の端に置いた魔導針が、北西へ倒れて戻る。
「水車小屋線、受信。遅延二呼吸」
通信兵が読み上げた。
「悪くないです」
「結界最大では」
「試しますか」
「試します。撃たれてから分かるよりは、今の方がいい」
GT-76Exの車体結界が上がった。
透明な壁、ではない。
車体の輪郭から少し外側で、粉塵の落ち方が変わる。空気が薄く濁り、砲塔の前で白い膜が一度だけ呼吸した。
結界面そのものに容量がある。張った瞬間から減っていき、六秒ほどで半分になる。
訓練で聞いた話だ。
貫通には強い。爆発や打撃は、面で受けるから普通に削れる。
斬撃は弱い。同じ線を押し続けるから、面が濁る。
昨日、アンテラルさんの剣が敵英雄級を止めた時、その濁りを見た。
今日は、それを味方の戦車で見る。
「符号二、送信」
魔導針が倒れた。
戻るのが遅い。
「水車小屋線、欠落一。敵衝撃兵接近警報と誤読」
「今のが欠点です」
上尉が砲塔の縁を軽く叩いた。叩く音は、結界にくぐもって低く聞こえた。
「守ると声が曲がります。魔法加速徹甲弾なら、もっとです。走る、守る、狙う、撃つを同時にやると、優秀な鉄の塊が気難しい鉄の塊になります」
「鉄の塊で済まない場合は」
「整備兵が怒ります」
近くにいた整備兵が、本当にこちらを見た。
若い男だった。油で黒くなった親指に、白い布を巻いている。笑ってはいない。たぶん、本当に怒る人の顔ではなく、本当に寝たい人の顔だ。
「怒る前に、寝かせてください」
「はい。できれば、戦車もあなたも同じ場所で寝かせません」
「縁起でもないです」
「すみません。今のは撤回します」
整備兵は鼻で息を吐いた。親指の白布が、油で少し灰色になっている。
「壊す場所を、こちらで直せる場所にしてください」
「分かりました。壊す時は、整備兵に優しい壊し方を目指します」
「優しい壊し方はありません」
言い切って、整備兵は工具帯を鳴らして車体後部へ戻った。オチは付けさせてもらえなかった。
戻る足取りが、来た時より半歩だけ軽い。
それなら、今の冗談にも少しは使い道があったのだと思う。
✶
試験射撃は、北東の焼けた林へ向けて行った。
距離、千二百。
風、弱い。煙は低く流れている。
目標は、昨日撃破した敵中央戦車の残骸ではない。その奥に、敵が置き忘れた砲架の影がある。熱は消えているが、金属の反応が残っていた。
僕の数字には、そこに低い値が三つ見えた。人ではない。道具でもない。
たぶん、結界補助具の残りだ。敵が回収に来るなら、そこを使う。
「北東林、焼け残りの砲架。その奥、二十歩。低い値三つ。推定、結界補助具です」
「見えますか」
「僕には、数字だけ」
「砲手、砲架奥二十歩。補助具想定。通常HE」
上尉の声が砲塔の中へ落ちた。
砲手が覗き込む。
MFC-76Exの補助表示器が、薄い青で光った。表示板の数字が一度、揺れる。
「ロック浅い」
「目標が弱いです。魔力場が細い」
「砲架を掴むな。奥だ」
上尉が言った。僕は息を止めかけて、やめた。砲架なら見える。
補助具は見えにくい。装置は、見えるものへ寄る。人間もたぶん、同じことをする。
「発砲、まだ」
僕は言った。
上尉がこちらを見た。
「理由は」
「砲架を撃つと、壊した感じだけ残ります。補助具が残る。敵が取りに来ます」
「なら」
「煙幕を一発、砲架の手前。回収に来る相手の視界を切ってください。こちらは撃ったと思わせる。実際には、次の回収線を見ます」
上尉はすぐに否定しなかった。
砲塔の中で、装填手が弾を替える音がした。
「煙幕、装填」
「弾薬消費が増えます」
通信兵が言った。
「増えますね」
「怒られます」
「その時は、僕が煙幕を見間違えたことにしてください」
「それは嘘です」
「では、僕が必要だと思ったことにしてください」
通信兵は符号板に何かを書いた。筆圧が少し強い。
「最初からそう書きます」
「お願いします」
砲が撃った。
砲声はGT-72より鋭く、GT-73ほど腹の底へ来ない。長い砲身から出た煙が、横へ細く流れた。着弾点の手前で白煙が開き、焼けた林の低い場所を隠す。
煙の向こうで、低い値が一つ動いた。
次に、二つ。
三つ目は動かない。
「動きました。回収要員、二。北側へ五歩。膝をついています。たぶん補助具を外している」
「射撃しますか」
「いいえ。水車小屋線へ送ってください。捕捉だけ。撃つなら、逃げ線の先です」
上尉がうなずいた。
「MRC、符号三。目標、回収要員二。方位北東、距離千二百。射撃禁止。追跡」
魔導針が倒れる。
今度は、戻りが早かった。
「水車小屋線、受信。射撃禁止、了解」
通信兵が読み上げた。射撃禁止。その四文字が、少し胸の奥を冷やした。
撃てる相手を撃たない。それは優しさではない。撃つ場所を選んでいるだけだ。
敵の回収要員が煙の奥で動く。低い値が、さらに北へ寄った。そこは、昨日こちらが砲で崩した浅い窪みの手前だ。
「北へ誘導されています」
上尉が言った。
「はい。敵がですか、僕らがですか」
「両方でしょう」
その返事は、かなり正しかった。
「水車小屋線、北側古道へ機関銃を向けてください。撃たなくていいです。見せてください。敵が戻るなら西へ曲がります」
「西に曲がった後は」
「GT-76Exで砲架奥を撃ちます。回収を諦めさせる。人は撃たない」
「人が戻ってきたら」
通信兵の声が少し低くなった。
僕は地図の赤い線を見た。
線の上に、昨夜の敵英雄級が倒れた場所がまだ残っている。消せば地図はきれいになる。でも消したら、そこを通ってはいけない理由が薄くなる。
「戻ってきたら、撃ちます」
僕の声は普通だった。
普通だったから、通信兵が一度だけ息を飲んだ。
「了解」
敵の回収要員は戻らなかった。西へ曲がり、煙の縁から消えた。GT-76Exが二発目を撃った。
HE弾。
砲架の奥で土が上がる。結界補助具の低い値が、一つ消え、二つ目が潰れ、三つ目だけが薄く残った。完全破壊ではない。だが、すぐには使えない。
「補助具二、破壊。一、機能不明。敵回収要員二、生存。後退」
通信兵が復唱した。
「戦果表は」
「敵結界補助具、二基機能喪失。一基未確認。敵回収行動阻止。人的損害、なし」
「なし、でいいですか」
通信兵は聞いた。
聞かれると思っていなかった。
僕は煙の向こうを見た。数字はもう薄い。人の値は見えない。見えないから、なしと書ける。
見えないものを、なしと書く。
それが報告書の怖いところだ。
「未確認、と添えてください」
「はい。人的損害、未確認」
符号板に文字が増えた。
GT-76Exの砲塔から、上尉がこちらを見ている。火傷のある頬に、冷却液の匂いを含んだ湯気が触れていた。
「中佐殿」
「はい」
「この車は、貴官の目と相性がいい」
相性がいい。
嫌な言い方ではない。
けれど、それをそのまま受け取ると、ここにいる人たちの手まで重くなる気がした。
「では、仲良くしましょう。まずは機嫌を損ねない範囲でね」
「戦車相手に仲良く、ですか」
「人間相手より難しいかもしれません」
砲塔の中で、装填手が短く笑った。高いフライホイール音に混じって、すぐ消えた。
「ただ、頼りにします。上尉も、この車も」
「了解しました」
上尉は、今度ははっきりうなずいた。
北東の煙が薄くなる。
その奥で、敵の回収要員が残した足跡だけが古道へ続いていた。
僕は地図に、GT-76Exの札を置いた。
濃緑の札。
ほかの守護戦車より少し大きい。
それを置いた瞬間、地図の上で届く距離が変わった。
希望さんから届く基準点は五つ。北東林、水車小屋線、南低地、旧街道、第三中継点。遅延した視界を切り替えるたび、その中の数字を僕が拾う。沢渡さんが時刻ごとの移動円を重ね、通信兵が通常報告を書き足す。
その上に、航空魔導兵の短い視界が一つ足された。高く飛ばない。林の上へ頭を出し、すぐ沈む。見えるのは一瞬だけだが、煙の上端と、敵が顔を上げる向きが分かる。
以前なら五枚の別々の報告だった。今は一枚の地図で、どの線が遅れ、どこへ敵が寄り、どの予備なら先に着くかまで読める。
変わったのは、勝てる場所ではない。
間違えた時に、取り返しがつかなくなる場所だった。
六つの像を一枚へ畳んだあと、こめかみの奥に鈍い重さが残った。畳めば畳むほど、戻す時に少し遅れる。今日はまだ、遅れが表に出ていないだけだった。
✶
午後、敵が一度だけ戻ってきた。
回収ではない。
試し撃ちでもない。
煙の端に、低いHPが横へ並ぶ。歩兵。術式兵。十二か十三ミリ級の徹甲小銃を持つ班。さらに後ろから、濃いHPが一つ、揺れながら出てきた。
機甲衝撃兵。
膝の高さが人間ではない。三メートルを少し超える。疑似筋肉の束が脚の外側で脈を打ち、片手に機関銃、片手に幅広の剣を持っている。結界は板ではなく、機体の輪郭に沿って薄く張られていた。
速いから強いのではない。
速さが出る場所まで、味方が射線と足場を整えている。
徹甲小銃班がこちらの結界班を押さえ、術式兵が煙を切り、機甲衝撃兵がその隙間を走る。英雄級がいなくても、形は同じだった。
「北東林、敵精鋭七。徹甲小銃二。術式兵三。機甲衝撃兵一。距離九百五十。ただし、これは先行斥候程度です。本隊は林の奥にまだ数百規模で留まっているとみられます」
僕は地図の青い線を一本だけ下げた。
「水車小屋線、撃たないでください。まだです。GT-76Ex、煙幕一。敵徹甲小銃班の前」
「撃つのは」上尉が聞いた。
「煙のあとです。機甲衝撃兵の膝を狙わず、後ろの土を崩してください。倒すより、止めます」
味方の小銃班二つが、土手の低い場所へ腹ばいで入った。
撃つためではない。
敵の歩兵が右へ逃げた時、そこが空いていないと見せるためだ。結界班はその後ろで半歩ずつずれ、張り直す面を重ねないように膝を入れ替えている。救護兵は、低い担架を一枚だけ溝の中へ伏せた。
戦車だけなら、ここまで細かく動かない。
歩兵が動くと、戦場の形が変わる。
GT-76Exが撃った。
白煙が横へ開き、敵徹甲小銃班の照準が一拍遅れた。次の砲声で、機甲衝撃兵の後ろの地面が盛り上がる。疑似筋肉の脚が泥を噛み、巨体が前へつんのめった。
それでも倒れない。
片膝を引きずりながら、機関銃をこちらへ向ける。
「航空魔導兵、上へ出ないでください。煙の縁だけ。敵の右肩後方へ照明符一。誘導ではなく、向きを取るだけです」
短い返事のあと、煙の上端に白い点が生まれた。空から見れば目印。地上から見れば、ただの光の滲み。機甲衝撃兵の頭部が、一瞬だけそちらへ向いた。
「徹甲砲、左肩。結界を剥がしてください」
水車小屋線の徹甲砲が鳴った。
結界面に白い亀裂が走り、六秒も待たずに半分が落ちた。貫通には強い。けれど、同じ場所へ質量を重ねれば、結界のHPは削れる。
僕は短銃ではなく、徹甲小銃を受け取った。
重い。
最初のころなら、たぶん持っただけで肩が抜けた。
今は、抜けない。
「必要なら、僕が出ますよ」
言った声が、思ったより明るかった。
「上尉、僕が『右』と言ったら、同軸を機体の右へ。徹甲砲は僕が伏せるまで待機。狙いは同じ左肩です」
「中佐殿を目標標識にする命令は受けていません」
「今、受けてください」
通信兵が怒る前に、僕は低い土手へ出た。GT-76Exの砲塔が一度だけ横を向き、敵歩兵の射線を押さえる。上尉が合わせてくれたのだ。
機甲衝撃兵の戦闘室は胸ではなく、腹の少し上にあった。
HPの青い縁が、そこだけ薄い。
機甲衝撃兵の機関銃が僕へ向く。銃口の線を数える前に、右足が土手の斜面を半歩滑っていた。上体は低くなり、銃床は肩から外れない。正面を向かれれば、薄い場所は装甲板の陰へ戻る。
「右」
GT-76Exの同軸機銃が短く鳴り、機体の右側で泥を跳ね上げた。敵歩兵が伏せ、機甲衝撃兵は機関銃を右へ振る。腹の左側が、もう一度こちらへ開いた。
僕は息を吐いた。
引き金を引く。
徹甲弾は結界の残りを乱し、装甲板を抜き、戦闘室の中で止まった。機甲衝撃兵は二歩だけ進み、剣を落とし、前のめりに倒れた。疑似筋肉がまだ脚を引こうとして、泥だけを掻いた。
倒れた。
銃口を下ろす。肩から力が抜け、一拍だけ息が軽くなった。
「機甲衝撃兵、戦闘室貫通。停止」
自分で言った。
言えてしまった。
敵精鋭のうち二人が、倒れた機体へ走ろうとした。
「今は撃たない方がいいです」
僕は言った。
「逃げるなら」
一人が振り返り、徹甲小銃をこちらへ戻した。
「撃ちます」
「同軸、右。徹甲砲、停止機の左を越えて奥の術式兵」
GT-76Exの同軸機銃が先に鳴った。
僕は土手へ伏せる。頭上を徹甲砲弾が抜け、停止した機甲衝撃兵の奥で結界面を割った。続く砲撃が、散開しかけた術式兵の足元を崩す。
敵精鋭二、死亡確認。
術式兵三、砲撃により死亡確認。
徹甲小銃班二、後退中に一名死亡、一名負傷後不明。
機甲衝撃兵一、戦闘不能。
味方損害、なし。
上尉が砲塔からこちらを見た。
「中佐殿、出る必要はありましたか」
「ありました。たぶん」
「たぶんで出ると、整備兵より先に通信兵が怒ります」
通信兵は本当に怒っていた。
でも、水を渡してきた。
怒りながら渡す水は、普通の水より少し重い。
僕は受け取って、飲まずに、まず徹甲小銃の安全を戻した。
✶
夜になると、地図室は狭くなる。
昼間は戦車の音、通信符号、整備兵の足音、砲弾箱の金具があった。誰かが何かを運んでいて、誰かが文句を言っていて、誰かが僕の冗談に困っていた。
夜には、それが減る。
減ると、残ったものが大きくなる。
机の上には、GT-76Exの濃緑の札がある。ほかの札より少し大きい。それだけで、戦場の届く範囲が変わる。僕が昼に笑って置いた札だ。
笑って置いた。
そのことが、喉の奥に引っかかった。
戦争は、人を遠くへ押し出す。
僕はそれを止めたいと言っている。三郷を、復讐のために使いたくないと言った。桐谷さんや佐々木くんや、死んだクラスメイトの名前を、次の殺しの理由にしたくないと言った。
なのに今日、僕は敵の回収要員が逃げる線を読んだ。
撃たなかった。
それを少し良いことのように扱った。
でも、撃たなかったのは、その場で殺すより、次に使える線を残した方が都合がよかったからだ。敵がどこへ戻るかを見るために、生きて帰らせた。人を助けたのではない。道具として残した。
僕は、そういう判断をした。
その後で、機甲衝撃兵を撃った。
敵精鋭も、術式兵も、僕の線の上で止まった。
守れたものはある。その数だけ、僕の名前の横に死者が増えた。胸の奥が、冷たく空いた。
戦争が嫌いだ。人を死地へ送る命令が嫌いだ。
その命令を、丁寧な言葉に直して出せる自分が嫌いだ。
昼間の僕は、通信兵に笑いかけた。整備兵に冗談を言った。上尉に頼りにしますと言った。たぶん、それは必要だった。部下の前で潰れる指揮官は、邪魔だ。
必要だった。その言葉が、一番嫌だった。
必要だから、何をしてもいいわけではない。それでも僕は、必要だという理由で、人を動かし続けている。
必要なら、誰かの戻る道を塞いで、別の誰かの戻る道を作って、それを作戦と呼んでいいのか。
僕たちをクラスメイトから引きはがし、訓練場へ置き、戦場へ置き、死ぬ場所へ運んだ人たちと、僕は何が違うのだろう。
違う、と言いたかった。言えなかった。机の端に置いた水が、少しぬるい。
飲むと、鉄の味がした。血ではない。たぶん、古いカップの味だ。
それでも舌は、勝手に別のものを思い出す。僕は戦果表を閉じた。閉じても、数字は消えない。
目を閉じても、いくつかの値が薄く残ったままだった。今日拾った分が、まだ全部消えていない。
昼間に笑った声だけが、少し遠くへ逃げていった。
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