ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

190 / 191
九章二十四話 署名欄の前

《王録》 九章 二十四節

 

『秤は重さを覚える。載せた手の名は、後から刻まれる。』

 

2378- 北部第三中継点 羽黒承視点

 

 朝になる前に、机が一つ増えた。

 

 正確には、机と呼ぶには少し足りない。弾薬箱を二つ並べ、その上に板を渡し、右端へ濡れた布を噛ませただけのものだ。けれど、書類を置ける。印を押せる。水筒を倒しても、地図の中央までは濡れない。

 

 だから、机として扱われる。

 

 この戦場では、そういうものが多い。

 

「中佐待遇では足りないそうです」

 

 通信兵が、朝一番の符号紙を持ってきた。

 

 眠っていない顔だ。昨夜渡された水筒の革紐が、また少し緩んでいる。直せばいいのに、直す時間がないのだろう。

 

「僕の話ですか」

 

「他に誰がいますか」

 

「机です」

 

「机は昇進しません」

 

「たまに、机の方が働いています」

 

 通信兵は鼻で息を吐いた。笑った、というほどではない。けれど、符号紙を置く手は少し乱暴ではなくなった。

 

 紙は厚かった。厚い紙は、後で残る。後で残るものほど、朝には冷たい。

 

 僕は符号紙を開いた。臨時戦域調整官。少将相当権限、発令準備。

 

 正式辞令は師団司令部到着後、王国軍務局および第二王子近衛会議承認をもって有効。

 

 ただし、現地における補給、撤退、救護、機甲予備、砲兵観測線の優先順位決定については、即時適用。

 

 文字が多い。多いのに、意味は一つだった。今日から、僕が決められる場所が増える。

 

 今日から、僕が間違えられる場所も増える。

 

「少将相当、ですか」

 

 地図係が言った。彼はまだ僕を見ていなかった。見ないまま、青い札を二枚ずらしている。見たら、手が止まると思ったのかもしれない。

 

「相当です。便利な言葉ですね」

 

「便利ですか」

 

「本物ではないのに、本物みたいな欄だけ増えます」

 

「それ、便利ですか」

 

「書類には便利です。人間には、たぶん不親切です」

 

 地図係が、そこで少し笑った。

 

 笑い声は小さい。地図の上に落ちても、札は動かない。

 

✶

 

 増えた机には、買い戻し予定表が置かれた。

 

 組合仮買い取り品目。

 

 空薬莢箱は六つ。破損した結界導線の束が三つ。修理部品箱が四つ、歯車覆いが二つ。

 

 敵軽戦車から外した照準器は、まだ型番が確認されていない。

 

 機甲衝撃兵の疑似筋肉束は、回収できそうな部分だけで五か所と見積もられていた。

 

 最後の行だけ、会計担当の字が少し小さかった。

 

「疑似筋肉束は、買い取り対象ですか」

 

「通常は違います」

 

 会計担当は、片方の袖だけまくっていた。手首にインクがついている。洗う水を節約した跡だ。

 

「今回は、軍が買い戻します。機構衝撃兵の整備班が、内部構造を見たいと」

 

「敵のものを」

 

「味方が壊される前に、壊れ方を知りたいそうです」

 

「嫌な学び方ですね」

 

「戦場の学習は、だいたい嫌です」

 

 会計担当はそう言ってから、金属板の角度を直しかけて、やめた。文字を読みやすくしたいのか、ただ手が疲れているのかは分からない。

 

「仮買い取り上限、もう一段上げられます」

 

「理由は」

 

 聞かなくても、分かる。

 

 それでも聞いた。

 

 聞かないと、数字だけが勝手に歩く。

 

「昨日から今朝までの戦果です。敵中央戦車、火力喪失。敵機甲衝撃兵一、戦闘不能。敵英雄級一、死亡確認。加えて北東林の機甲衝撃兵一、術式兵三、敵精鋭二。これは正面の分だけで、隣接戦区の分は含まれていません」

 

 会計担当の声は淡々としていた。

 

 淡々としていないと、読み上げられない量だった。

 

「この数字があると、組合は危険手当の先払いを認めます。冒険者は空荷で帰らず、壊れたものを持ち帰る。軍は後でまとめて買い戻せる。修理班は部品を得られる」

 

「つまり」

 

「死者数が多いほど、回収単価の説明が通りやすい」

 

 会計担当は、そこだけ少し声を落とした。

 

 落とした声の方が、よく聞こえた。

 

「言い方を変えますか」

 

「変えると、通りにくくなります」

 

「では、変えないでください」

 

 僕の返事は早かった。

 

 早すぎた。

 

 会計担当が一度だけ瞬きをした。

 

「すみません、嫌な命令です」

 

 言い直すと、彼は息を吸った。吸っただけで、頷きはしない。

 

「嫌な命令として、受けます」

 

「お願いします」

 

 買い戻し予定表の上で、赤い印が一つ増えた。

 

 赤い印は血ではない。ただ、遠くから見れば同じ色に見えた。

 

✶

 

 昼前、冒険者補給部隊が到着した。

 

 軍の補給隊より、足音が少し揃っていない。荷車の紐の結び方も、それぞれ違う。けれど、荷の積み方は悪くなかった。重いものを下に、濡れて困るものを内側へ、すぐ売れるものを外側へ置いている。

 

 そういう雑さは、嫌いではない。

 

「羽黒さん、これ、本当に軍が買い戻すんですか」

 

 先頭の冒険者が、空薬莢の箱を叩いた。若い女だった。髪を短く切り、耳の上に薄い傷がある。片手に荷縄、片手に小さな帳面。腰の剣は飾りではないが、今日は帳面の方がよく使われている。

 

「買い戻します。箱ごと封をして、組合印を残してください」

 

「中身を数えろって話じゃないですよね」

 

「数えたら日が暮れます」

 

「助かった。軍人さんは、たまに薬莢にも戸籍を作ろうとするから」

 

「戸籍は作りません。せいぜい住民票です」

 

 彼女が笑った。

 

 隣の冒険者も笑う。こちらは大柄な男で、荷車の車輪へ膝を当てている。種族名は分からない。耳の形だけなら再人種ではないが、兵科表ならたぶん高負荷荷役適性と書かれる。そういう国だ。

 

「住民票なら、こいつらも町内会を作れますね」

 

「町内会長は誰ですか」

 

「一番曲がってる薬莢」

 

「では、苦情係も兼任ですね」

 

 笑いが、荷車の間を少し通った。それでいい。笑えるうちに、荷を下ろす。

 

 荷を下ろせるうちに、次の荷を積む。

 

「飯は」

 

 僕が聞くと、若い女の冒険者は帳面から顔を上げた。

 

「軍の炊き出しはまだですか。塩の少ない飯は、士気に悪い」

 

「豆と鍋はありますが、塩は少ないです」

 

「羽黒さん、料理できるって聞きました」

 

「噂が悪い方向へ広がっていますね」

 

「いい方向です。冒険者と仲のいい部隊は飯がうまい、って昔から言います」

 

 彼女は帳面を閉じた。

 

「鍋、見ます?」

 

「見ます」

 

 通信兵がこちらを見た。

 

「そういえば、後方から荷物が一つ届いています。高橋桜華様から」

 

 紙包みを開けると、乾燥させた香草の束と、短い手紙が一枚。

 

『塩、足りてる? 足りてなさそうだから送る。多分足りてない』

 

「少将相当権限で、鍋ですか」

 

「鍋も戦域です」

 

「その理屈、上に通しますか」

 

「通す前に食べさせます」

 

 今度は通信兵も笑った。

 

 短い笑いだった。

 

 でも、午前の地図室には、それで十分だった。

 

✶

 

 豆は、水を吸いすぎていた。

 

 悪くはない。けれど、このまま煮ると皮が割れ、鍋の底で粘る。粘ると、配る時に量が揃わない。量が揃わないと、後ろの兵が椀の底を見る。

 

 椀の底を見た兵は、次の命令を少し遅く聞く。

 

 そういうものだ。

 

「水を少し捨てます」

 

「水、足ります?」

 

「足りません。だから、捨てる水にも仕事をさせます。泥落としへ回してください」

 

 冒険者の男が、鍋の横で目を丸くした。

 

「水にも再就職先があるのか」

 

「あります。うちの職場は人手不足なので」

 

「水手不足ですね」

 

「それは採用しません」

 

 女の冒険者が笑いながら、豆を木杓子で混ぜた。混ぜ方が荒い。

 

「底、押さないでください。焦げます」

 

「鍋まで指揮するんですか」

 

「鍋は嘘をつきません。焦げたら焦げた匂いでばれます」

 

「人間より正直だ」

 

「人間も、腹が減るとかなり正直です」

 

 豆の匂いが立つ。

 

 塩は少ない。

 

 代わりに、冒険者が干し草のような香草を少し出した。連合王国の名前はまだ覚えていない。刻むと、湿った土と柑橘の間みたいな匂いがする。

 

「食べられる草なら入れていいです」

 

「毒草なら売ってません」

 

「売る人はだいたいそう言うので。職業病です」

 

 香草を少し入れる。

 

 鍋の匂いが変わった。

 

 兵が集まり始める。機甲試験隊の整備兵、通信兵、冒険者、救護兵。肩の高さも、耳の形も、手の汚れ方も違う。けれど、湯気の前では同じように椀を持つ。

 

 誰かが言った。

 

「この部隊、飯は悪くないな」

 

 別の誰かが返す。

 

「冒険者がいるからだ」

 

「違う。鍋を怖がる上官がいるからだ」

 

 笑いが起きた。僕は木杓子を鍋に戻した。部下の前では、笑った。

 

 笑える形にした。鍋の底に、焦げはなかった。

 

✶

 

 食後、精神力測定器の列ができた。魔法加速徹甲弾を撃つ可能性がある者。広域マギブレイク機の補助に入る者。

 

 結界過負荷射撃を扱う戦車兵。それから、僕。

 

「僕もですか」

 

 GT-76Exの車長、ベゼル上尉が測定器を持っていた。真鍮箱の針が三本、昼の光を受けて細く光る。

 

「貴官は、昨日から今日にかけて徹甲小銃、マギブレイク、アクセラップ、戦域観測、直接射撃を続けています」

 

「並べると、ひどい勤務表ですね」

 

「だから測ります」

 

 上尉は冗談として受け取らなかった。受け取らない方がいい冗談だったのかもしれない。

 

 僕は手袋を外し、測定器の端子へ指を置いた。

 

 冷たい。針が動く。一つ目は安定。

 

 二つ目は、少し揺れる。三つ目は、揺れたあとで、上へ戻った。

 

「高い」

 

 整備兵が小さく言った。

 

 上尉が彼を見る。

 

 整備兵は口を閉じた。

 

「使用許可は出ます」

 

 上尉が言った。

 

「ただし、連続使用は禁止します。貴官は測定値が高い。高い者ほど、戻りも強い」

 

「戻り」

 

「術式の反動です。人によっては吐く。人によっては眠る。人によっては、笑い続ける」

 

 笑い続ける。

 

 その言葉だけが、鍋の湯気の後に残った。

 

「僕は」

 

「まだ分かりません」

 

 上尉は測定器を閉じた。

 

「ただ、針の戻り方が少し妙です。撃った後に、もう一度測ります」

 

「撃たない方がいいですか」

 

「撃たずに済むなら」

 

「それは、いつもそうです」

 

 僕は手袋をはめ直した。左手の奥で、表示が少し濃くなる。HP。

 

 SAN。STR。見えた気がした。

 

 見えた、ではない。気がした。それくらいにしておきたかった。

 

 昨日までは、三つの字はきれいに並んでいた。今は、境目のあたりが少し滲む。誰の値かより先に、自分の値と混ざっているような気がして、それ以上見るのをやめた。

 

✶

 

 午後、師団司令部から第二報が来た。臨時少将相当権限、現地発令。正式辞令は追送。内部呼称は中佐待遇、外部回線では戦域調整官とする。

 

 通信兵が符号紙へ呼称を二つ書き分けた。階級章より先に、送信先ごとの呼び方だけが増えた。

 

 机の上には、まだ買い戻し予定表がある。

 

 敵の死者数で上限が上がった紙。その横に、少将相当権限の符号紙。その横に、豆の皮が一つ落ちていた。

 

 僕は豆の皮を皿の端へ置き、次の署名欄を開いた。

 

――――――――

 

面白かったら、下記のリンクから評価やレビューをいただけると嬉しいです。

https://kakuyomu.jp/works/822139841314440520/reviews

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。