ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 九章 二十五節
『車輪は命令を運ぶ。刃は、その後ろで遅れて目を覚ます。』
2378- 北部第三中継点 羽黒承視点。夜明け前の道は、まだ黒かった。最初に聞こえたのは、履帯ではない。
歯車だった。
乾いた噛み合いの音が、泥の上を細く走ってくる。続いて、油を温めた匂いと、魔導冷却液の甘い匂いが混じった。
「輸送列、見えました」
通信兵が幕を少し上げた。
外では、兵がまだ寝ぼけた顔で銃を持ち直している。寝ぼけていても、安全装置だけは指が先に探す。ここに来てから、そういう動きだけは全員早くなった。
道の向こうから、低い車体が三両入ってきた。
B.I.G-ACFV-65K。
通称、アルゴ。
装甲戦闘輸送車、という名前より、運んで帰す車と言った方が近い。車体後部が少し大きく、兵員区画を守るように結界の線が薄く揺れている。
戦車ではない。
けれど、戦場の端で一番嫌な仕事を引き受ける車両だ。
人を運ぶ。
弾を運ぶ。
負傷者を戻す。
戻ってきた人間が吐く場所まで、だいたい知っている。
「アルゴ三両、到着。後続、機構衝撃兵二」
通信兵が読み上げた。
「機構衝撃兵」
「B.I.G-UBD-62M9。汎用UBD系列の改良突入支援仕様。現場呼称、機構衝撃兵。大剣、十ミリ重機関銃、四十ミリ低装薬砲。煙幕弾発射器あり」
「朝から紹介が濃いですね」
「少将相当権限のところへ来る荷です」
「荷と言うには、足音が大きすぎます」
僕がそう言うと、通信兵は少し口元を動かした。
笑った、とは言わない。
笑いかけて、通信符号が先に来た顔だった。
アルゴの後ろから、二体のゴーレムが姿を見せた。
三メートルを少し超える。
人の形をしているが、人ではない。肩の装甲は傷だらけで、腕には大剣が吊られている。背の側面に、十ミリ重機関銃の箱。腰の低い位置に四十ミリ低装薬砲。
関節の隙間から、疑似筋肉の束が見えた。
革ではない。
金属でもない。
濡れた縄を何本も撚って、魔力で無理やり動かしているように見える。
操縦兵が降りてきた。
一人は髪を短く刈った女性兵で、首筋に結界導線の跡が赤く残っている。もう一人は背の高い男性兵で、左手の指を何度も開いたり閉じたりしていた。
機体と繋いだ後の癖だろう。
体がまだ、自分の大きさを間違えている。
「戦域調整官殿」
女性兵が敬礼した。
「中継点までの護衛、到着しました。以後、命令を受けます」
「ありがとうございます。まず、機体は寝かせてください」
「寝かせる、ですか」
「はい。ここで立っているだけで、周りの兵が落ち着きません」
女性兵は自分の機体を見上げた。
大剣を吊った鉄の体が、朝の薄い光の中で黙っている。
「確かに」
「あと、アルゴの後部は救護列優先でお願いします。弾薬箱は二両目。三両目は帰り荷と空箱です」
「戦闘前から帰り荷ですか」
「帰り荷を考えない車は、戻る時に一番邪魔になります」
男性兵が、少し笑った。
「嫌な経験則をありがとう、というやつですね」
「はい。僕が言う前に言われました」
通信兵が横で符号紙に何かを書いた。
たぶん、余計な会話ではない。
けれど、符号紙に残すほどのことでもない。
そういうものが、朝の中継点には少し必要だった。
✶
中継点の北西に、低い林がある。
林の向こうは浅い窪地で、雨が降ると水が溜まる。今朝は水こそ浅いが、泥の底が柔らかい。人なら歩ける。車両なら少し嫌がる。
嫌がる場所は、敵も使う。
「北西林、低い反応。七」
僕は地図に指を置いた。
「距離、八百から九百。推定観測手一、徹甲小銃二、術式兵二。残りは護衛。工兵班の見立てでは、これも本隊数百の先端だそうです」
通信兵が息を吸った。
「アルゴ列を見に来たんでしょうか」
「たぶん。機構衝撃兵も見られています」
林の中で、細い値が二つだけ少し上がった。
徹甲小銃。
十二か、十三ミリ級。
帝国側がよく使う。戦車を正面から抜く火器ではない。けれど、結界の薄い場所、装甲車の視察口、ゴーレムの関節、操縦席の端なら話が変わる。
「アルゴ一両目、止めないでください。速度そのまま。二両目、後部結界を強めて。三両目は右の土手へ寄せます」
「撃ちますか」
「まだです」
僕は林の奥を見た。数字が枝の間で揺れる。敵は撃てる。
こちらも撃てる。
でも、今撃てば林の中へ散る。散った徹甲小銃は、あとで戻ってくる。別の場所で、別の車両の側面を狙う。
「アルゴの二十ミリ、林の手前に榴散。人ではなく、枝を落としてください」
「枝」
「はい。見えすぎる場所を作ります」
「航空魔導兵は」
「高く出さないでください。林の手前で一度だけ浮いて、倒れた枝の向こうを見ます。撃たせるためではなく、敵がどの出口を残したかを見るためです」
アルゴ二両目の砲塔が、ゆっくり左へ向いた。
車体の結界面が、朝の湿気を押し返すように薄く光る。小口径弾には強い。けれど、撃たれ続ければ減る。張った分だけ削られ、時間が経てば戻る。六秒も経てば、余った分は半分になっていく。
だから、結界は貯金ではない。
息継ぎだ。
アルゴが撃った。
二十ミリの榴散弾が林の手前で割れ、低い枝をばらばらに落とした。鳥が一斉に飛ぶ。泥に葉が落ちる。
隠れていた人影が、膝をついた。
航空魔導兵が林の手前で一度だけ浮いた。背中の飛行具が白く噴き、すぐに低く沈む。通信へ、短い息が入った。
『左、倒木の奥。出口二つ。右は泥です』
「敵、伏せました」
「機構衝撃兵一号、前へ。四十ミリ一発。林の左端、根元。木を倒して、線を閉じてください。二号は煙幕だけ。出すぎない」
「了解」
女性兵の声が通信に乗った。UBD-62M9が動いた。人間より一拍遅い。
けれど、一歩の長さが違う。
疑似筋肉が膨らみ、装甲の内側で束が引かれる。機体が前へ出る。足を置いた泥が、深く沈んだ。
敵の徹甲小銃が鳴った。
乾いた音。
機構衝撃兵の左肩に白い線が走る。結界が弾体の姿勢を崩した。弾は装甲を斜めに擦り、外装板の留め具を飛ばしただけで止まる。
でも、止まっただけだ。
機体は少しよろけた。
疑似筋肉の束が一瞬遅れて縮み、膝が泥を噛む。
「一号、無理に走らないでください。左脚、半歩遅れています」
「見えていますか」
「見えています」
嘘ではない。
数字だけではない。
左脚の値が、ほんの少し汚れて見えた。HPのようなものが薄く削れ、戻る途中で引っかかっている。
見えている。
その言葉を、どこまで信じていいのか分からない。
「四十ミリ、今」
機構衝撃兵の低装薬砲が撃った。
大きな音ではない。
けれど、木の根元には十分だった。幹が裂け、林の左端が斜めに倒れる。敵の一部が後ろへ逃げる。逃げ道が、倒れた木で細くなる。
「一号、止まって。大剣はまだ抜かない。二号、煙幕を右へ」
「突入しないんですか」
「しません。ここは見せる場所です。殺す場所では、まだない」
言ってから、口の中が少し乾いた。まだ。その言葉は便利だ。
便利すぎる。
「水車小屋側、小銃班。北西林の出口、二つ。撃つのは足元。徹甲小銃を持って出た者だけ」
味方の小銃が鳴った。
敵の一人が転んだ。
もう一人が筒を抱え直す。
「今は撃たない方がいいです。筒を捨てたら通してください」
「捨てない場合は」
「撃ってください」
短い返事が返る。林の中の値が動いた。一つが筒を離す。
もう一つは、離さない。銃声。値が落ちた。
ゼロ、とは表示されない。けれど、低いところへ沈む。
僕は息を止めていたことに、少し遅れて気づいた。
✶
敵の術式兵は、すぐに引かなかった。林の奥で、青白い線が走る。リ・ガクラ。
字幕が必要な魔法、と誰かが言っていた。音より先に、結果が来る。
煙幕の向こうで、味方の結界面が歪んだ。板状の光が一度だけへこみ、補助兵が膝をつく。
「結界班、下げて。アルゴ三両目、後部を盾にしない。人を乗せる車です」
「では」
「機構衝撃兵二号。大剣、抜いてください」
返事の代わりに、金属の擦れる音がした。大剣が抜かれる。剣と言うには厚すぎる。
板と言うには、刃がある。
UBD-62M9が煙幕の中へ半歩入った。スラスターが短く噴き、泥が後ろへ跳ねる。長く飛ぶためのものではない。ただ、一拍だけ距離を奪う。
敵の術式兵が二人、結界を前へ張った。貫通には強い。弾は曲がる。
姿勢を崩される。でも、斬撃には弱い。教わったことだ。
何度も聞いた。聞いていたから、命令できる。命令を出した舌の奥に、苦い膜が残った。
「二号、結界面を切ってください。人は斬らない。面だけ」
「了解」
大剣が横へ走った。
速い、というより、重い。
空気が逃げる前に、結界の面が裂けた。術式兵の前にあった光が、布を切られたように乱れる。切れ目はないはずの結界が、負荷の逃げ場を失って白く荒れた。
「アルゴ二両目、二十ミリ。低く。術式具を壊してください」
連装機銃が短く鳴った。
敵の足元で泥が跳ねる。術式具の金具が飛び、青白い線が消えた。
「敵術式兵、二。戦闘不能」
通信兵が言った。
「死亡確認は」
「まだ」
「では、戦闘不能で」
「はい」
少し間があった。
その間に、林の奥から別の銃声がした。
一号機の頭部横を徹甲弾が抜け、後ろの土手に刺さる。結界が遅れた。薄い白線が機体の首回りを滑り、火花が散った。
「推定観測手、まだ残っています」
僕は地図を見た。林の奥、倒れた木の向こう。低い値が一つ。
動かない。でも、周囲だけが動いている。観測手だ。
撃つ手ではなく、撃たせる手。
「一号、四十ミリは使わないでください。木がさらに倒れると、視界が切れます」
「では」
「僕が出ます」
通信兵がこちらを見た。
「必要なら、僕が出ますよ」
「必要ですか」
「必要にします」
「それは、悪い言い方です」
「すみません」
僕は徹甲小銃を取った。手袋の中で、左手の表示が濃くなる。HP。
SAN。STR。文字が、さっきよりはっきりしている。
僕のものなのか。敵のものなのか。混ざっているのか。
今は、見ないことにした。見ないことにして、使った。
✶
土手の下は、朝露で冷えていた。
僕が出ると、アルゴ三両目の車長が砲塔から手を出し、進路を指で切った。女性の車長だった。泥除けの上に片膝をつき、片手で二十ミリの俯角を押さえている。
「左、低いです」
「助かります」
「助かるなら、早めに戻ってください」
「はい」
戻れるなら。
その言葉は言わなかった。
土手を三歩上がり、倒れた木の根元へ銃を置く。
距離、七百弱。
風、ほとんどなし。
ただ、朝の湿気で弾が少し重く感じる。
観測手の値は、木の向こうで低く張りついていた。
顔は見えない。
腕だけが見える。
双眼鏡ではない。観測筒。筒の金具に、布が巻いてある。たぶん、冷たさで手が滑らないようにしている。
人の工夫だ。殺す相手にも、手がある。僕は息を吐いた。
撃った。徹甲弾は、木の割れ目を抜けた。観測筒が跳ねる。
腕の値が落ちる。
肩の向こうで、もう一つの低い値が急に動いた。
「護衛一、観測手を引く」
通信兵の声が追いつく。
「撃ちますか」
僕は次弾を送った。
ボルトが熱い。
指先が遅れる。
「観測筒を持つなら撃ちます。人だけなら、撃たない」
護衛の値が、筒へ伸びた。撃った。二発目。
値が落ちる。林の中で、何かが倒れた。朝の鳥は、もう鳴いていなかった。
「敵観測手一、護衛一。死亡推定」
通信兵が言った。
「推定で」
「はい。推定」
僕は銃を下ろした。
アルゴの車長が、何も言わずに手を引いた。二十ミリの砲口も、少し下がる。
機構衝撃兵二号が煙幕の中から戻ってきた。
大剣の刃に、泥と白い結界の残りがついている。血はない。たぶん、ない。朝の光ではよく見えない。
「戻ります」
女性兵の声が通信に乗った。
「二号、右腕に負荷。大剣使用、一回でここまで来ます」
「一回で済ませてくれてありがとうございます」
「次は二回かもしれません」
「では、仲良くしましょう。まずは機嫌を損ねない範囲でね」
機構衝撃兵の操縦兵が、少し笑った。笑えるなら、まだ戻れる。僕はその言葉だけを、頭の中で繰り返した。
林の奥へ目が戻った。戻れなかった人間が、二人いる。
そこから目をそらしても、喉の奥に苦いものが残っていた。
✶
戦果表には、短く書かれた。敵観測手一、死亡推定。敵護衛一、死亡推定。
敵術式兵二、戦闘不能。敵徹甲小銃一、死亡確認。
味方損害、機構衝撃兵一号左肩外装破損、左脚疑似筋肉束過負荷。結界班一名、術式反動。死者なし。
死者なし。
その四文字で、周りの空気が少し緩んだ。
アルゴの車長が、後部扉を叩いた。
「死者なしなら朝飯が増える。うちの規定です」
「いい規定ですね」
「戦域調整官殿の権限で全軍規定にしますか」
「会計担当に撃たれるので、ここだけにしてください」
兵たちが笑った。短い笑いだった。でも、朝の中継点には十分だった。
僕は戦果表の下に、別の紙を置いた。アルゴ三両、運用開始。UBD-62M9二機、現地編入。
救護列一、復路優先。空箱二十六、買い戻し予定。戦闘は終わった。
でも、机の上の紙は減らない。むしろ増える。
少将相当権限の符号紙の下に、新しい配属表が重なった。
僕の手元へ、車両とゴーレムと兵が来る。来たものは、どこかへ出すことになる。どこかへ出せば、誰かは戻る。
誰かは戻らない。朝飯の湯気が、幕の外から入ってくる。豆と油と、少し焦げた麦の匂い。
僕はその匂いを吸って、笑う準備をした。まだ終わらない。
左手の奥は、まだ重いままだった。今朝から抱えた値を、まだ一つも下ろせていない。
だから、終わっていない顔をしているわけにはいかなかった。
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