ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《創世訓》 一章 二節
『神秘とはいずれも己の内側にあり、見える物はただの陰である。』
知らない天井……いや、知ってる黒板だ……
目の前には緑がかった黒い板、まさに黒板そのものがあった。
ただ、黒板の縁は木ではなく、黒い金属で押さえられている。板の下には白い粉ではなく、薄く削れた石の粉のようなものが溜まっていた。
ここは……教室なのか?
さっきのは夢だったのだろうかと、首を動かせる範囲で辺りを見渡す。
黒板へ向かって長机が何列か並び、その各列にクラスメイトが座っている。みんないる。みんな座ったまま……椅子に縛り付けられてる!?
びっくりして飛び上がりそうになったが……どうやら僕も縛り付けられているらしい……
よく見ると、そもそもここはいつもの教室ではなかった。僕たちの教室より横にも奥にも広い、講堂のような場所だ。
長机はすべて正面の黒板へ向いている。椅子は床に固定され、腕のところには革の帯が巻かれていた。天井は高く、声が上へ逃げる。左右の壁には窓がなく、代わりに細い灯りが等間隔に並んでいた。蛍光灯ではない。火でもない。ガラス管の奥で、白い光がゆっくり呼吸するみたいに揺れていた。
教室のふりをした、別の部屋。
そう考えた方が近かった。
「おはよう、諸君、お目覚めかな? というより、今目覚めるようにした、が正しいか」
スーツを着こなした女性が、僕たち全員と向かい合うように黒板の前へ立っていた。
……突然現れたような気もする。
黒板の右側には、小さな机が一つだけ置かれている。古い冊子、薄い金属板、白い球体、インク壺。彼女の持ち物なのか、この部屋の備品なのかは分からない。
「え? 誰?!」
「ここは何処?」
「お姉さん何歳?」
誰かが声を上げれば。
「なんで」「これ取ってく「これは夢?」「さっきの「どういうつ「誘拐?」」」」」
次々に皆が声を上げる。
これでは何が何だか分からない。声は講堂の壁にぶつかって、少し遅れて戻ってくる。縛られた椅子の脚が、床で小さく鳴った。
そうあの女の人も思ったようで、
「静粛に!」
そう一喝した。一瞬で講堂は静まり返った。
「これでは埒が明かない、手を挙げて指された者から発言してくれ」
複数人が手を挙げる。
革帯のせいで、腕は肩より上まで上がらない。だから、挙手というより、机から少し浮いた手があちこちに並ぶ形になった。
「じゃ、君」
すぐさま一人が指される、桐谷さんだ。
「私は
まずは相手の存在を聞くことにしたらしい。笑みを浮かべながら彼女は語る。
「自分から名乗ってくれるとは礼儀正しいね、私は森田・ロハン・イケ
「「「森田……」」」
皆に動揺が走る、唐突の「森田」に驚きを隠せない様だ、顔立ちにほんのり日本人の面影があるようにも見えるがまさか日本人とのハーフとでも言うのだろうか?
黒板の前に立つ彼女の靴は、講堂の床に馴染んでいた。僕たちだけが、椅子にも、机にも、空気にも合っていない。
「フフ、やはり君たちには馴染みある名字だったか。別にふざけて言ってる訳じゃない、私の父は君等と同じ日本と呼ばれる国から”落ちて”来たんだ……さて次の質問は? まさかこれだけじゃないだろう?」
三郷くんが手を挙げる。
「はい君!」
「ここは、日本ではないのでしょうか? なぜ拘束されているのでしょうか?」
まぁ、ここが日本だったら逆に困惑するかもしれない。多分緊張してるせいで直接聞くのは憚れるのだろう。
「一度に二つか……簡潔に言うと日本では無いね」
日本ではない。それだけなら、まだぎりぎり物語の言葉だった。外国とか、異世界とか、そういう棚に押し込められる。
「それに、少なくとも君たちのいた星ではないのは確かだよ。ここは君たちの言語で惑星ユニフォールと呼ばれる星さ」
星。誰かが、小さく「は?」と言った。僕も同じことを言いたかった。けれど声にすると、もっと本当になりそうで嫌だった。
「ありとあらゆる者が、この世界に落ちてくるんだ。拘束に関しては、まぁ……一応眠らせたわけだが……暴れられると困るからだ」
「呼んだ訳じゃないってことは……」
誰かがぽつりと言葉を零す。
「あぁそうだ。帰ることはできない」
森田さんは、そこだけ少しゆっくり言った。
騒ぐ声が出るまでに、少し間があった。みんな、息の置き場所をなくしたみたいだった。
講堂の白い灯りが、変わらない明るさで机を照らしている。その明るさが、少し腹立たしかった。
「本当に、”落ちて”来たんだ。私個人としては出来れば帰してやりたいところなんだが……ここに落ちた者たちは、諦めてここに帰化するか、無駄に足掻いて死に絶えるかの二択をすることになる」
森田さんは黒板の端に置かれていた古い冊子を指先で叩いた。
「《創世訓》には、こうある。『天は大地に光を与えた。そして同時に夢を奪った』。古い文書だよ。信じる者もいれば、ただの寓話だと笑う者もいる。だが、落ちてきた者の話になると、この一節を持ち出す者は多い」
帰れない……のか。この部屋に差し込む光が心なしか弱くなった気がする。
教室のあちこちで、誰かが息を呑む気配がした。袖口を握る手、机の縁に押しつけられた指、動かない膝。僕もたぶん、似たような場所に力を入れている。
「……服装を見るに、君がこの子たちの先生だろう。私の知識が正しければ、貴女は生徒たちを守らねばならなかったはずだ……」
最前列の端で、加賀先生が深く頷いた。先生の椅子にも、僕たちと同じ革帯が巻かれていた。大人だからといって、扱いは別ではないらしい。
「恥ずかしい話なんだが、君達をずっとタダで養い続けられるほど余裕はない」
皆に動揺が走る。当たり前だ。帰れないと言われた直後に、今度は養いきれないと言われたのだ。現実が一枚ずつ無造作にめくれていくみたいで、頭がついていかない。
「それに、君たちの知識や力を狙う者もいる」
力。その言葉で、何人かが自分の手を見た。剣を出した人。光を出した人。何も出せていない僕。頭の上の数字は、相変わらずほとんどがゼロだった。
「正直に言おう。我々はそれを今、欲している」
一呼吸入れる。
「それに、いや、この話はここでは出来ないな、忘れてくれ……うーん、えっと、なんというか、なんて言えばいいんだ?」
唐突に話がたどたどしくなり始める。そこだけ妙に人間くさかった。用意していた台本から外れたのか、それとも本音を飲み込んだのか。どちらにせよ、僕たちに全部を話しているわけではないのだろう。
「そう。衣食住と立場をある程度保護する代わりに、働いてもらう。言い方は悪いが、雇用だ」
「対価は払う。決して使い潰すわけではない」
彼女は何やら腕時計の様なものを握り込むと思い出したように喋り始める。何か後ろめたいことでもあるのか最後は少し元気がなかった。
握った手の白さだけが、妙に目に残った。言葉より先に、そこへ力が入っているように見えた。
使い潰す。
否定された言葉だけが、逆に机の上へ残った。
助けてくれる、と言っている。でも、養い続ける余裕はない、とも言っている。
妥当に考えると親切な話ではある。それでも、膝のあたりに力が入らなかった。
見知らぬ世界で、見知らぬ団体に雇用される。社会経験がほとんどない僕達にとって、これは相当に危うい話に思えた。けれど、じゃあ断ったらどうなるのかという答えも、僕の中にはなかった。
しかも相手は、王子本人というより、そのまわりの組織だ。城に連れて来られたのに、話をしているのは王ではなく、相談役や会議や書類を持つ人たちばかりだった。
「それじゃあ、次の質問に移ろうか、ハイ、君」
このような形で次々と質問され話が進んでいく。
僕はほとんど黙ったまま、それを聞いていた。質問を重ねるほど、安心できる材料より、逃げ場のない現実の輪郭ばかりがはっきりしていく気がしたからだ。
だけどその話の内容は、考えていた”ファンタジー”とは少し違ったんだ。
ある意味いつもの授業のように進んでいく、この非現実を受け入れる感覚は不思議だった。僕にはまだうまく飲み込めないのに、頭だけが勝手に話を追っていく。
黒板の端には、森田さんが書いた知らない地名が残っていた。
ユニフォール。
白い文字は、授業の板書みたいに見えた。
でも、黒板消しで消したところで、ここが教室に戻るわけではなかった。
黒板の隅、森田さんが最後に書き足した一文字だけ、他より小さくかすれていた。何と書いてあるのか、僕にはまだ読み取れなかった。