ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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一章二十話 石壁の賭け

《創世訓》 一章 二十節

『鋼の秤に載らぬ命ほど、王の机で重くなる。』

 

 同じ頃、要塞の司令部の一室。地図と魔導無線機が並ぶ簡素な部屋で、二人の男が向かい合っていた。一人は、この地域の防衛を任されている現地部隊の指揮官、ブラウン中佐。もう一人は、連合王国本国、正確には臨時都市貴族議会付き軍務局から派遣された軍事顧問、アーサー・グレイ大尉だ。

 

「……以上が、これまでの訓練における『転移者』たちの初期能力データです」

 

 グレイ大尉が、分厚いファイルをテーブルに置く。その表情は能面のように変わらない。革表紙には軍務局の焼印と、回付済みを示す黒い印が並んでいた。

 

「結構。特に羽黒承の戦術理解度と、三郷弦の近接戦闘への適性は目覚ましい。本国も期待していることでしょう」

 

「彼らは兵器ではない、大尉。まだ子供だ。この訓練はあまりに過酷すぎるのではないか」

 

 ブラウン中佐が、低く吐き捨てる。使い古された彼の軍服は、グレイ大尉の糊のきいたそれとは対照的だった。

 

「お気持ちは察します、中佐。ですが、帝国の動きは活発化しています。我々に時間は残されていない。彼らは我々連合王国の『希望』です。議会も軍務局も、そういう勘定で見ています。自らと……そして、この要塞を守る力となってもらわねばなりません」

 

 グレイ大尉は窓の外に目をやった。そこでは、クラスメイトたちが疲れた様子で、宿舎へと戻っていく。

 

「彼らには、この要塞が人類側の最前線であるという自覚を持ってもらう必要がある。そのためには、相応の“教育”が必要でしょう」

 

「……だとしても、やり方というものがあるだろう」

 

「彼らは貴重な戦力です。無駄死にさせるつもりはありません。ですが、彼らの“成長”が、この戦局を左右する鍵になることもまた事実なのです」

 

 言い方は丁寧だったが、机の上にあるのは結局、割り当て表と予算の紙だった。期待という言葉の中に、何人まで損耗できるのかという別の計算が混じっているように見えた。

 

 淡々と語るグレイ大尉の言葉に、ブラウン中佐は奥歯を噛みしめた。窓の下では、訓練服のままの少年が一人、外れかけた靴紐を結び直している。

 

 彼らは守るべき存在であると同時に、この停滞した戦況、ひいては国そのものを変えるための「鍵」となり得る存在なのだ。ブラウン中佐の机には、その二つを同じ列に並べた報告書が置かれている。本国から来た男は、まだその紙を閉じなかった。

 

「近々、初の偵察任務に出ると聞いている。危険はないのか?」

 

「ご心配なく。万全のバックアップ体制を整えてあります。ですが、本物の戦場の空気を知ってもらうためにも、必要な措置です。試練ではありますが、乗り越えてもらわねばなりません」

 

 グレイ大尉は、そこで初めてブラウン中佐の目を真っ直ぐに見据えた。

 

「この戦区の未来は、彼らの双肩にかかっているのかもしれませんので」

 

 その視線の先で、何も知らぬ少年少女たちが、つかの間の休息を貪っていた。

 

要塞の決戦

 

『何せそれが神という物だから』

 

 夜明けから幾度も寄せた波状攻撃を凌ぐうちに、気づけば陽はもう高く上っていた。

 

 空を覆う雲のせいで、昼だというのに陽光は薄い。湿った風が、城壁の石と土埃の匂いを濃く運んでくる。見張り台の旗が、風をはらんでバタバタと乾いた音を立てていた。

 

 城壁の上から南側を一度見渡す。仮設砲座は南東と南西の二箇所。その後方に倉庫への降り口があり、右手の石段が安全な退路になる。南壁の補修が遅れているのは分かっている。あそこが崩れれば、石段への道が塞がる。

 

 視界に『0』が浮かぶ。砲座のまわり、倉庫口、石段のそば、南壁の補修班。

 

 誰がどこにいるかは、もうだいたい分かった。

 

 分かった場所から、先に重くなる。

 

 倉庫の重い戸を開けると、油と乾いた木の匂いがした。徹甲弾の箱に墨で番号を打ち、階段口へと運ぶ。先日磨き上げたばかりの薬莢は、今はひんやりと心地よいが、すぐに触れないほど熱くなるのだろう。

 

 背後で靴音が止まり、赤い外套が視界に入る。近衛騎士長アンテラルだった。

 

「羽黒…いや観測手、視野は取れているか」

 

「はい。砲座は二つ。仮設です。南壁の補修が遅れています。弾薬も、潤沢とは言えません」

 

「よし。貴様ら転移者は砲の補助に徹しろ。貴様らの命は使い捨てではない。合図が出るまで撃つな」

 

 命令が短い。返事をする前に、足が階段口へ向いた。鐘が三度鳴り、間を置いて、もう一度。

 

 最初の気配は音ではなかった。足元の石畳が、爪先の下でほんの少し浮く。

 

 次に、腹の底に響くような低い地鳴りが始まった。

 

「前方二五〇〇! 大型四、幼体だ!」

 

 見張り台からの絶叫。草原の地平線が盛り上がり、土埃の向こうに巨大な甲羅が見えた。その歩みは遅いが、一歩ごとに地面が揺れ、城壁の小石がカタカタと音を立てて転がり落ちる。

 

 砲座、弾薬、補修、見張り、搬送。

 

 そのどれより先に、右手の石段を見た。逃げるなら、あそこしかない。

 

「距離二三〇〇。風速三。初弾、狙いは甲羅の接合部!」

 

 僕の声に応え、砲手の肩にぐっと力がこもる。装填手の頭上の『0』が、わずかにせり上がる。引き金に指がかかる瞬間、砲座のまわりから声が消えた。

 

 ――ドン!

 

 鼓膜より先に、胸が押された。発射の瞬間、肺が圧迫されて息が勝手に漏れた。弾道は斜面を滑り、敵の足元で炸裂して白い火花と黒い煙を上げた。

 

 砲撃に気づいた幼体の一体が、ぬっと顎を上げる。その喉の奥で、渦を巻くように蒼い光が生まれ、急速に輝きを増していく。

 

「伏せろ! ブレスが来るぞ!」

 

 誰かの叫びと、光の奔流が城壁に到達するのはほぼ同時だった。熱せられた石が弾ける甲高い音。熱風が頬を焼き、舞い上がった石の粉が口の中でじゃりじゃりと音を立てた。

 

「二射目! 射角二分下げ、同じく合わせ目を狙え!」

 

 僕は甲羅の六角形の継ぎ目を睨む。そこだけ、守りが薄いはずだ。砲身がわずかに下がり、再び空気が張り詰める。

 

 ――ドン!

 

 今度は、甲羅に赤い裂け目が走った。幼体の歩みが崩れ、喉に溜めていた光が霧散する。遠くから、苦悶の唸り声が聞こえた。砲座に、短い安堵の空気が流れる。

 

「落ち着け! まだ三体いる!」

 

 そう言ったあとで、自分の声の大きさに気づいた。

 

 二つの砲座が交互に撃つ。一体は甲羅の裂け目から蒼い光を漏らして止まったが、残りは歩みを緩めない。吐き出された光が胸壁を削り、補修兵の積んだ石を通路へ散らした。

 

 四体を止め切る前に、甲羅の後ろから小さな数字が広がった。棍棒や杖を持った森猿人の列だ。

 

「第二波、来ます! 小型、正面と右翼!」

 

 見張り台からの報告に、誰もが息を呑む。さっきのは序の口に過ぎなかった。

 

「まだ終わりじゃないのかよ…」

 

 クラスメイトの大森君が掠れた声を漏らす。その士気を下げる言葉を、別の声が打ち消した。

 

「でもまだ…行けるぞ!」

 

 三郷だ。彼は仲間を鼓舞するように声を張り上げる。

 

「雑魚狩りは俺らに任せな! でかいのはしっかり頼むぜ、羽黒!」

 

 三郷が長剣を抜き放ち、靴底と剣柄に留めた小型起動具へ魔力を送った。

 

「アクセラップ、踏み込む! ――『インターキラー近接殺』!」

 

 靴底の起動具が光り、三郷は棍棒が振り下ろされる前に懐へ入った。接触に合わせて剣柄の小型機械が作動し、長剣の白い線が先頭列を横切る。崩れた二体へ後続がぶつかった。

 

 山崎たちも右翼で引き金を引く。

 

「斉射! 弾幕を途絶えさせるな!」

 

 右翼では山崎たちの銃声が重なった。三郷を避けて斜めに通された弾道が、止まった後続を盛土側へ押し返す。

 

 その合間を縫うように、桐谷さんの単発だけが一定の間隔で響いていた。狙いを外さない一発が、弾幕でも崩れない敵を一体ずつ削っていく。

 

 ちゃんと効いている。

 

 彼らが異能チートで戦場に「華」を散らすなら、僕は数字を積み上げることで「土台」を支えるだけだ。

 

 それが見えただけで、次の声が出しやすくなった。

 

「各砲座、射角二分下げ。座標、標識杭の黒点へ!」

 

 僕が叫ぶと、砲手たちが機械的な迅速さで動く。

 

 しかし、敵の波は途切れなかった。

 

「第三波、大隊規模! 第四波に大型!」

 

 三郷が正面を崩し、山崎班がその左右から抜ける個体を撃つ。砲座は小型を無視して大型種へ向き、僕は三つの射線が重ならないよう標識杭を一つずつずらした。

 

「第五波、小型二個大隊規模!」

 

 一つの列を止めると、その死骸を踏んで次が来る。砲身が赤み、装填手が布を巻いた手で砲尾を開く。水桶は冷却と負傷者の両方へ回され、半分を切った。

 

「弾、残り六!」

 

 装填手の声が掠れていた。

 

「第六波……第七波、続きます!」

 

 腕が重い。息が苦しい。それでも、正面の印が詰まれば三郷へ、右翼が膨らめば山崎班へ、甲羅の数字が前へ出れば砲座へ声を送る。

 

「第八波! 第九波!」

 

 誰かの報告が、途中から悲鳴と区別できなくなった。もう格好いいことを考える余裕はない。落ちたら終わる。

 

「第十三波、半壊。……まだ来る」

 

 僕の報告に、隣で銃を構えるクラスメイトが「ちくしょう」と悪態をつくのが聞こえた。歓声をあげる余裕なんて、もう誰にも残っていない。

 

 その時だった。

 

 ズシン、と今までとは明らかに質の違う衝撃が、要塞全体を揺るがした。地面の下から巨大な何かが心臓を脈打たせたような、鈍く、重い振動。

 

 煙の向こう、地平線の先に、巨大な影がゆっくりと姿を現した。

 

 体長二十メートルを優に超える超重陸亀ジャイアントトータス。

 

 頭上の『0』が、妙に静かだった。

 

 それだけで嫌だった。

 

 石段までの距離を、もう一度だけ数えた。

 

 奴の分厚い甲羅に、こちらの放った砲弾が次々と着弾するが、小石をぶつけた時みたいに弾かれていく。

 

 やがて、奴がゆっくりと巨大な口を開ける。空気が歪むのが見えた。奴の口内に、周囲の魔力を根こそぎ吸い上げるように、青白い光の渦が形成されていく。あの規模は、この要塞の壁ごと僕たちを消し炭にする気だ。

 

 生温かい風が、死の匂いを乗せて僕の頬を撫でた。奴が咆える。凝縮された魔力の奔流が、光の槍となってこちらへ放たれた。

 

 突如、鼓膜を突き破らんばかりの轟音が響き渡る。

 

「すまない、遅れた」

 

 硝煙の向こうから現れた人影。その身に纏う鎧には、見たこともない複雑な文様が刻まれ、淡い光を放っている。その光が不可視の壁となり、僕たちを消し炭にするはずだった光の槍を霧散させていた。

 

 その声には聞き覚えがあった。シュメーダさんだ。

 

「遅いぞ、とっとと奴を片付けろ!」

 

 アンテラル騎士長が、城壁の瓦礫を蹴り飛ばしながら怒鳴る。

 

「しゃーねーだろ、この遺物の機嫌が悪かったんだよ」

 

 シュメーダさんは悪びれもせず、自身の胸当てをコンコン、と軽く叩いた。

 

「んじゃ、サクッと終わらせるか…!」

 

 僕が声をかける間もなく、彼女の姿が掻き消えた。いや、違う。加速したのだ。鎧の文様から迸る魔法の光が尾を引き、戦場を切り裂いていく。

 

 地面を蹴り、空を舞い、何もない空間をさらに蹴って天を衝く。僕たちの使う魔法とは次元の違う、あまりにも高密度で洗練された魔力制御。あれが、この世界の極致か。

 

 超重陸亀ジャイアントトータスも脅威を認識したのだろう。甲羅の至る所から蒼い光弾を放ち、弾幕を形成する。だが、シュメーダさんは迫りくる光弾を、手に持った長剣で次々と打ち払っていく。

 

 彼女の頭上に浮かぶ『0』は、眩いほどの輝きを放っている。だが、光弾を払うたび、輪郭が陽炎のように揺れた。さっきの「遺物の機嫌が悪い」という言葉は、ただの軽口ではなかったのかもしれない。

 

「「かっこよ…」」

 

 誰かが漏らした呟きに、近くの二人が小さく頷いた。

 

「おい貴様ら! ぼさっとするな、雑魚は散らすぞ! 観測手、指示を!」

 

 騎士長の声に、僕は我に返る。そうだ、見惚れている場合じゃない。

 

 光の地図の上に敵影が浮く。

 

 そこへ声を重ねるように、僕は指示を出した。

 

「山崎さん、右翼のゴブリン頼む。三郷くんは正面。赤石さん、三郷くんの援護を」

 

「了解! 雑魚は俺らに任せとけ! でかい本命は頼んだぜ、羽黒!」

 

 三郷が強く叫び返し、戦場が一気に動き出した。

 

 右翼では山崎のチームが斉射の号令とともに一斉射撃を開始する。

 

 そして後方陣地、赤石さんが芝居がかった動作で眼帯に手をかけた。

 

「――見よ! 我が桎梏を解き放ち、理を歪める深淵の光……『根縛りルート・バインド』!」

 

 彼女の不敵な宣言とともに、不可視の魔力のさざ波が広がった。

 

 三郷に群がろうとしていたゴブリンたちの足が、踏み出した形のまま止まる。地面へ見えない杭を打たれたように、上体だけが前へ揺れた。

 

 僕が射線を重ねても止め切れなかった列が、彼女の一言で固まった。長くは保たない。止まっている間に崩す必要がある。

 

 その間にも、シュメーダさんは着実に超重陸亀ジャイアントトータスとの距離を詰めていた。

 

 けれど、正面を崩すだけでは足りない。

 

 巨大亀の左後方に、小さな数字が薄く回り込んでいた。岩陰を使って、シュメーダさんの背中へ伸びる列だ。

 

「山崎さん、右翼じゃない。二射だけ左奥へ。青い岩の横です」

 

「見えねぇぞ!」

 

「撃てば当たります。今だけ」

 

 一拍遅れて、山崎の班が銃口を振った。

 

 乾いた連射音。青い岩の横で、数字が三つ倒れた。

 

 当たった。

 

 そう思った瞬間、喉の奥が詰まった。何がいたのかは土煙で見えない。見えないのに、僕の声で銃口が向いたことだけは分かった。

 

 ついに懐へ飛び込んだその瞬間。

 

「――三郷! 正面の停止列へ! アクセラップは今、インターキラーは接触まで待って!」

 

「応よ! 全弾、ブち込んでやるッ!」

 

 三郷が低く身を沈め、靴底の起動具を作動させる。止まった棍棒の間を抜け、接触の直前に剣柄の小型機械を作動させた。刃に白い線が走り、先頭列が横へ崩れる。山崎班の弾がその上を通って後続を伏せさせた。

 

 巨大亀と城壁の間にいた小型の列が割れた。シュメーダさんの背後へ回れる敵が、そこで途切れる。

 

 凛とした声と共に、シュメーダさんは長剣を逆手に持ち替え、自らの鎧の胸の中心へと突き立てた。

 

 刹那、鎧の文様がこれまでとは比較にならないほどの輝きを放ち、凝縮された魔力が剣を伝って刀身を白銀に染め上げる。

 

 放たれたブレスの奔流と、白銀の剣閃が激突する。

 

 音が消えた。光が世界を白く塗りつぶす。僕の視界に映る全ての『0』が、その輝きにかき消された。

 

 やがて光が収束し、再び戦場の光景が目に飛び込んでくる。

 

 そこに立っていたのは、シュメーダさんただ一人。彼女の剣は、超重陸亀ジャイアントトータスの眉間、その分厚い頭蓋を寸分の狂いもなく貫いていた。

 

 僕の視界の端で、不自然なほど静かだった巨大な『0』が、激しく、狂ったように明滅し――そして、ガラス細工のように砕け散って霧散した。

 

 支えを失った巨体が、ゆっくりと前方へ崩れ落ちる。轟音と共に地面が揺れ、凄まじい土煙が巻き上がった。

 

 戦場に、静寂が戻る。

 

 短い笑い声と、誰かの押し殺したような泣き声が、風に乗って聞こえてきた。

 

 土煙が晴れると、右手の石段はまだそこにあった。

 

 戦の前に確認した退路は、辛うじて無事だった。

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