ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 十章 五節
『秤に載らぬ重さは、記録の余白へ沈む』
2378- 魔力溜まり外縁作戦準備区域 羽黒承視点
朝、鑑定兵が金属枠を返しに来た。
返す、と言っても、使用許可ではない。
木箱に入れ、封印布を二重に巻き、留め具へ赤札をつけている。
赤札には、連続使用禁止と書かれていた。
「昨日は連続で使いましたね」
「ですから禁止になりました」
「過去の僕へ届けられますか」
「物体転送系ですが、時間は扱いません」
「残念です」
鑑定兵は箱を机へ置かなかった。
両腕で抱えたまま立っている。
袖口に冷却材の白い粉が残り、右の眉毛にも少しついていた。夜の間、金属枠を冷やしながら調べていたらしい。
「返却前に、使用者の測定をします」
「遺物ではなく僕をですか」
「遺物側の損耗を測るには、昨日と同じ使用者の基礎出力が必要です」
技術兵が測定環を僕の手首へ通し、昨日の目盛りまで締めた。
「昨日より寝ていません」
「休息状況も記録します」
「測定値に同情してもらえますか」
「数字はしません」
通信兵が、机の上から朝食の椀を遠ざけた。
また半分残っている。
測定器は、三枚の金属板と細い針でできていた。
中央の板へ左手を置く。
鑑定兵が魔力片を差し込む。
「流さないでください。自然状態から測ります」
「はい」
針が動いた。
昨日の試験では、目盛りの端へ当たった。
今日は流していない。
それでも針は中央を越え、赤い線の手前で止まった。
鑑定兵が記録板を見る。
もう一度、針を見る。
魔力片を抜いた。
「故障ですか」
「別の測定器を持ってきます」
「故障ですね」
「まだ決めていません」
十五分後、二台目が来た。
結果は同じだった。
自然状態の出力が、昨日の作戦前より高い。
「測定器が二台とも僕を嫌っている可能性は」
「ありません」
「一台くらいは」
「ありません」
鑑定兵は昨日の記録と今日の値を並べた。
「通常なら、あれだけ流せば下がります」
「回復が早いのでは」
「早い、では足りません。消耗前より上です」
天幕の入口で、希望さんが足を止めていた。
夜番を終えた後、一度休んだらしい。眼鏡の曇りは消えているが、髪の左側だけ寝癖が残っている。
「先輩、何かしましたか」
「寝台の性能確認を続けました」
「寝ていませんね」
「横にはなりました」
希望さんは、鑑定兵の記録板を見た。
「昨日の転送後に増えたんですか」
「時刻までは分かりません」
鑑定兵が答えた。
「作戦前、転送直後、今朝の三点です。転送直後は消耗していました。今朝は作戦前を越えています」
「榴弾で敵砲列を止めたから」
「可能性の一つです」
僕は左手を金属板から離した。皮膚に三本の線が残っている。冷たい板だった。
手の奥は冷えていない。
「戦力評価として記録してください」
鑑定兵が顔を上げた。
「原因不明の上昇をですか」
「原因不明も含めてです。昨日と同じ出力を前提に作戦を組まない。転送遺物は封印継続。僕の出力は一日一回測定。急変した場合は、使用禁止を鑑定班から出してください」
「少将殿へですか」
「測定器が赤なら撃たない、と整備規定にあります」
以前、ベゼル上尉から聞いた言葉だった。
鑑定兵は少し迷い、記録板へ書いた。
使用制限権者、鑑定班。
「命令権を渡します」
「返却できますか」
「僕が面倒になった時だけ」
「もう面倒です」
「では、正しく機能していますね」
希望さんは笑わなかった。
僕の左手を見ていた。
✶
午後、戦果記録を四つに分けた。本人射撃。本人魔力。
指揮下火力。補給・救護。分類したのは、鑑定班だった。
僕の出力上昇と戦果の関係を調べるため、七章以降の記録から、時刻の合うものを拾っている。
「本人射撃は分かります」
鑑定兵が一枚目を置いた。
「機甲衝撃兵の戦闘室破壊。敵操縦者、死亡推定。直後に身体出力の変化」
「表示確認です。遺体確認ではありません」
「記録にもそうあります」
自分の言葉が、別の人の筆跡で残っていた。
二枚目。
本人は発砲していない。
砲兵へ着弾位置を指定し、敵歩兵列を切った交戦。
敵死者は二。その日の夜、左手の表示が濃くなっている。三枚目。
敵を撃っていない。
空薬莢便を止め、荷台板を外し、救護線へ人を回した日。
味方負傷者が一人生還。
同じ夜、表示は薄くならなかった。
「これは戦果ですか」
鑑定兵が三枚目を持ち上げた。
「生還です」
「敵への損害はありません」
「ありません」
「ですが、変化はある」
「はい」
四枚目は、転送榴弾。通常榴弾二十二。敵砲三門破壊。
二門放棄。弾薬車一台炎上。敵砲兵の死者、確認七。
重傷十一。軽傷は不明。数字が確定していた。
昨日までは、確認中だった欄。七。
その数字を読んだ時、左手の奥が一度だけ強く脈打った。
測定器の針も動いた。
鑑定兵が振り返る。
「今、流しましたか」
「いいえ」
「針が上がりました」
希望さんが、戦果記録を閉じた。
「死者数が確定したからですか」
「紙を読んだだけです」
「でも、動きました」
針は元の位置へ戻らない。
赤い線の少し手前で震えている。
「別の記録を」
鑑定兵が言った。通信兵が保管箱から一枚出した。水車小屋線。
敵砲撃を誘導し、味方配置を止めた日。味方死者なし。敵死者なし。
撤退成功。針が少し動いた。上へ。
「今度は誰も死んでいません」
鑑定兵の声が低くなった。
「生き残った人がいます」
僕が答えた。
その言葉でも、針が動いた。
「測定を終了します」
希望さんが魔力片を抜いた。鑑定兵より先だった。針が落ちる。
金属板の光が消えた。
「希望さん」
「故障です」
「二台目です」
「二台とも故障です」
朝、僕が言ったことを返された。鑑定兵は否定しなかった。戦果記録を四つの束へ戻す。
本人射撃。本人魔力。指揮下火力。
補給・救護。どの束にも、針が動いた記録があった。
「公的な記録は、戦力評価の変動までにしてください」
僕は鑑定兵へ言った。
「原因は書かないんですか」
「確定していません」
「推定は」
「複数の戦果と生還に連動する可能性。そこまでです」
「魂、という言い方をする人もいます」
鑑定兵の声は、測定具より小さかった。
「鑑定用語ですか」
「違います。兵の噂です」
「では、記録には使えません」
僕の声は普通に出た。
普通に、紙を閉じられた。
「原因不明の出力上昇。継続観察。運用制限あり。それでお願いします」
鑑定兵は頷いた。
希望さんは、閉じた記録束の上へ手を置いたままだった。
✶
夜、四つの束を一人で開いた。
鑑定班へ返す前の確認。受領簿にはそう書いた。
本人射撃は、表示が消えた相手だけを一、二と数える。本人魔力は転送榴弾による死者七。負傷者は入れない。
指揮下火力には、砲撃、小銃、戦車、機甲衝撃兵。僕が命じた位置で死者が出た記録を拾った。
数えられるものだけで、欄が足りなくなった。
紙を継ぎ足し、補給・救護の束を開く。弾薬を渡し、冷却液を回し、橋を通して負傷者を戻した記録。
戻った人が、次の戦闘で敵を撃った。
その弾薬を、別の人が運んだ。
その人を、救護兵が戻した。
誰から誰へ、どの命令からどの弾へ、どの生還から次の死者へつながったのか。紙の上へ線を引いた。
線が重なった。
本人射撃の欄へ、補給の線が入る。
指揮下火力の欄へ、生還者の線が戻る。
敵死者の欄から、捕虜収容の毛布へ線が延びる。
毛布は死者を増やしていない。引いた線を消すと、紙が破れた。
左手の奥に、二つの表示が浮いていた。HP、SAN、STR。数字で読めていたのは、いつもそこまでだった。その奥にずっと薄くあった層が、今日はじめて輪郭を持つ。今までは読めなかった片方だけ、輪郭が合う。魂。数字はない。代わりに、細い線が何本も伸びている。
線は机の上の記録へ、弾薬表へ、救護簿へ、僕が書いた命令へ伸びた。目を閉じても消えない。左手を机の下へ隠しても、表示は同じ場所に残った。
死者を数える表示ではない。僕の射撃、命令、渡した弾、戻した人。その先で生じた結果までを、切らずにつないでいる。
直接。命令。武器。補給。生還。五つの欄を作り、合計欄も作った。鉛筆を置く。指が離れない。右手で一本ずつ開いた。
紙の上には、数えかけの数字が並んでいる。
合計欄だけが空白だった。
僕が線を引けたのは、この四つの束に載っている分だけだ。
北部第三戦域全体では、これと同じ線が、僕の見ていない場所でも毎日増えている。師団司令部が回してくる週報には、僕の命令が直接届かない部隊の戦果も、束のさらに向こうで積み上がっているはずだった。
その全部を、僕は数えていない。数えられない。
北部第三戦域のどこかで、また誰かの表示が動いた気がした。ここからは見えない。見えないのに、動いた感覚だけが伝わってくる。
左手の魂は、まだ何も書かれていない欄よりずっと重かった。
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