ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 十章 六節
『器を傾けし手のみが、水の行方を知る』
2378- 魔力溜まり外縁作戦準備区域 羽黒承視点
鑑定班は、測定器を三台に増やした。一台目は自然状態。二台目は魔力出力。
三台目は身体反応。
僕の前には、鉄の棒と小型結界具と砂袋が置かれている。
「実験される側が増えましたね」
「測定器です」
「僕も含めて四台では」
「少将殿は使用者です」
昨日と同じ鑑定兵が答えた。
右の眉毛に白い粉はない。
代わりに、首元へ測定札を三枚下げている。歩くたびに角が当たり、乾いた音がした。
「最初は鉄棒を曲げてください」
「手でですか」
「魔力を流して構いません」
「目的は」
「最大出力の確認です」
鉄棒を持つ。
親指ほどの太さがある。
以前なら、両手で力を入れても曲がらなかった。
今は少し力を込めるだけで、中央が軋んだ。左手の奥に、`魂` が浮く。細い線が腕へ集まる。
折る。そう決めた瞬間、鉄棒が曲がった。針が三本とも右へ跳ねた。
曲がる途中の抵抗が、途中から消えた。力を足した感覚はない。鉄の方が、先に負けた。
掌に熱が残る。
「次です」
鑑定兵は曲がった鉄棒を布で包んだ。
「休まなくていいんですか」
「数値はすでに戻っています」
魂の表示は薄くなっていない。
腕へ集まった線だけが解け、机の記録へ戻っている。
小型結界具を起動する。白い面が机の上に立った。鑑定兵が砂袋を押しつける。
結界HPが減る。六秒で半分。維持しなければ消える。
「結界を残してください」
魔力を流した。白い面が濃くなる。針は上がる。
鉄棒の時より低い。砂袋が押され、結界面が歪んだ。戻す。
面を元の位置へ。割らせない。
魂から伸びた線が、今度は腕ではなく結界具へ入った。
白い面の揺れが止まる。
針は低いまま、一定の位置に留まった。
「出力が落ちています」
鑑定兵が言った。
「失敗ですか」
「違います。消費も落ちています」
砂袋を押す兵が、体重をかけた。
結界は動かない。
測定器の針も跳ねない。
「同じ魔力量ではありません」
「鉄棒より少ないですね」
「少ないのに、維持力は高い」
鑑定兵は三枚の札へ別々に数字を書いた。
「今、何を考えましたか」
「結界を戻すことです」
「残す、ではなく」
「押された分を戻す」
希望さんは試験区画の外に立っていた。
昨日から、鑑定班の試験には必ずいる。
眼鏡の奥で、結界具と僕の左手を交互に見ている。
「次は止める、ですか」
希望さんが言った。鑑定兵の測定札にも、三つ目の欄があった。破壊。
維持。停止。
「先に書いてありますね」
「試しますか」
「安全な範囲で」
鑑定兵が、砂袋を滑車へ吊った。
斜面へ置き、縄を留める。
縄を切れば、砂袋が木板の上を滑り、小型結界へ当たる。
「結界を張らず、砂袋を止めてください。手段は自由です」
「手で受けますか」
「横へ押しても構いません」
「止める、の定義が緩いですね」
「最初なので」
僕は斜面の下へ立った。砂袋まで十五歩。重さは人一人分ほど。
鑑定兵が縄へ刃を当てる。
「開始します」
縄が切れた。砂袋が滑る。速くはない。横へ避けて板から落とせるし、壊すなら正面から打てる。戻すなら、斜面の上へ押し返す。
止める。その場で。左手の `魂` から線が一斉に伸び、腕、足、目、砂袋へつながった。測定器の針が赤線へ触れる。
僕は砂袋の前へ入った。足は斜面を一歩上っていた。手を出す。衝撃。靴底が土へ沈む。砂袋は掌の前で止まった。横へ逸れない。押し返してもいない。
縄の切れた端だけが、斜面を滑ってきた。
「終了」
鑑定兵が測定器の魔力片を抜いた。
針はすぐに落ちなかった。
「手は」
希望さんが試験区画へ入ってきた。
「動きます」
指を開く。
掌は赤い。
皮膚は破れていない。
「今の出力は、鉄棒より上です」
鑑定兵が言った。
「破壊に寄せれば、もっと上がります」
希望さんの鉛筆が止まった。鑑定兵は否定しない。
「壊していません」
「はい」
「戻してもいません」
「止めただけです」
砂袋を地面へ置く。腕の中に、衝撃が残っている。痛みより先に、左手の奥が冷えていた。
`魂`。その隣に、読めない表示。輪郭が少し濃くなっている。
✶
試験は、戦力評価会議へ持ち込まれた。
鑑定班の記録には、三つの結果が並んでいる。
破壊時、高出力。
復元・維持時、低消費。
停止時、最大出力。
「停止時が最大というのは、対象を壊さずに済むからでは」
ルセリナが聞いた。
「逆です」
鑑定兵は測定札を一枚外した。
「壊すだけなら、力を一方向へ流せます。止めるには、対象の速度、重量、自分の姿勢を合わせる必要がある。制御量が増えています」
「訓練で改善できますか」
「分かりません。魔力技術として再現できていません」
ルセリナが僕を見る。
「少将殿は、三回で流し方を変えた。破壊時の上限も、まだ見えていません」
「考え方を変えただけです」
「何を」
鉄棒。折る。結界。
戻す。砂袋。止める。
「目的です」
僕は答えた。
「対象に何をさせるか。それで、力の入る場所が変わりました」
「術式は」
「使っていません」
「詠唱も」
「ありません」
ルセリナは記録を読み直した。
「実戦運用は」
「保留してください」
「理由は」
「僕にも分かっていません」
会議の空気が少し止まった。
強いことより、分からないことの方が扱いにくい。
「分からないまま使う日が、絶対来ますよ」
ミネナが言った。それまで黙って記録板を眺めていた。
「気休めじゃなくてですか」
「うん。長く生きてると、そういうのだいたい当たる」
「あなたの勘を作戦に入れる欄はありません」
ルセリナが言う。
「じゃあ作ってください」
「増やしません」
「少将殿が使わなければならない場面は来ます」
「来ないように作戦を組みます」
「来た場合は」
「鑑定班の使用制限を優先。僕が解除を求めた場合は、山崎さんと希望さんの同意を追加してください」
山崎さんが机の端で顔を上げた。
「俺まで入れるな」
「砲弾を返してくれた実績があります」
「二発だけだ」
「重要な二発でした」
希望さんは返事をしなかった。
交代表に使った太い鉛筆で、使用制限の欄へ自分の名前を書いた。
山崎さんも、しばらくしてから署名した。
「止めろと言う役ばかり増えるな」
「助かります」
「止まるのか」
「努力します」
「そこは断言しろ」
山崎さんの声に、通信兵が少し笑った。会議は次の議題へ移った。敵主力の後退位置。
東路の捕虜数。味方の弾薬。僕の左手は、机の下に置いた。
✶
夕方、救護車の車輪止めが外れた。捕虜収容区画の坂だった。空車ではない。
味方負傷者が二人。敵負傷者が一人。救護兵が後ろから荷台を押さえている。
車輪止めの木片が泥を滑り、車体が坂を下り始めた。
「離れて!」
誰かが叫んだ。救護兵は離れない。手を放せば車体が速くなり、坂の下には銃を持たない捕虜の列がある。
止める。足が先に動き、車体の横へ入った。周りの兵が一歩目を出す前に、僕は二歩目を置いていた。荷台の縁を掴む。重い。試験の砂袋より重い。
左手の奥で、`魂` が開いた。線が車輪へ入る。車軸、荷台、救護兵の腕、負傷者の `生命`、捕虜の列。全部が同じ場所へ寄った。
五つが一度に重なると、どれが車輪でどれが人か、境目が一瞬分からなくなった。
僕は車体を止めた。車輪が泥を削り、右足が半歩下がる。それ以上は動かなかった。荷台の金具が先に悲鳴を上げた。
「輪止め!」
工兵が新しい木片を打ち込む。救護兵が荷台の中を確認する。負傷者三名。
生命表示、変化なし。捕虜列、負傷なし。
「少将殿、手を」
「大丈夫です」
荷台から手を離す。
指が震えていた。
人が集まる前に、手袋を直した。
「車輪止めを二重にしてください。坂上では車体へ縄も。救護兵一人に車両の重さを任せないでください」
「了解」
工兵が泥の中へ二本目の杭を打った。僕は救護車の中を見た。味方二人。
敵一人。同じ毛布。同じ傾いた寝台。
誰も死んでいない。測定器はない。
それでも、左手の二つの表示は濃くなっていた。
✶
夜、洗面桶へ水を張った。
手袋を外す。
救護車を掴んだ掌に、木の細い傷が残っている。
血は出ていない。水へ入れると、冷たさが遅れて来た。左手の奥には `魂` があり、隣の表示も輪郭が合い始めている。`意思`。二つ並んでいた。
僕は水の中で指を閉じた。戻したい。魂の線が掌の内側へ集まり、傷の周りが温かくなる。殺したくない。線が止まる。外へも、内へも動かない。止めたい。全部の線が、一点へ寄った。
水の中で、指が勝手に強く閉じた。爪が掌へ食い込み、その動きで水面が震える。すぐに言葉を切ると、水面の揺れも止まった。
息が浅くなっていた。桶の縁を掴む。戻したい。誰を。殺したくない。誰を。止めたい。何を。
答えを置かないままでも、`意思` は濃くなった。
`魂` が、僕から結果へ伸びた線を残す。`意思` は、その線をどちらへ動かすか決める。戻したい、殺したくない、止めたい。言葉を替えるたび、同じ線の向きだけが変わった。
水から手を上げる。掌の傷は、水を吸って白くなっていた。閉じた指の跡が、その上へ重なっている。
桶の底には、何も残っていなかった。
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