ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 十章 十節
『盤上に残る一札は、置きし手の名を明かさぬ』
2378- 魔力溜まり外縁前進指揮所 羽黒承視点
敵主力は、三つに分かれていた。北の石切場に歩兵連隊規模。西の窪地に残存砲兵大隊。
中央の低地に機甲車両中隊。東路だけが、後方へ開いている。
観測図の縁には、それだけでは終わらない線が引かれていた。
「北の石切場のさらに奥、地図の外に、後方集結地があります」
希望さんが観測図の端を指の腹で押さえた。輸送車両の轍が幾重にも重なり、鉛筆の薄い囲みが一つの区画を示している。
「師団司令部規模の駐留跡と見ています。まだ動いていません」
「そこ、昔は谷でした」
ミネナが観測図を覗き込んだ。
「地図に載るずっと前の話ですけど。水が抜けた跡地です。地盤、緩いですよ」
「緩いと、何が変わりますか」
「重い車両は避けます。動くなら軽装備から」
「動けば」
「東路も塞がれます。今、見えている三群は前衛です」
沢渡さんの測距記録にも、同じ轍が重なっていた。一台や二台の跡ではない。
「北部第四戦域との通信を、こちらでも傍受しています」
通信兵が雑音混じりの受信票を差し出した。文面は途中で切れている。それでも、部隊番号の桁数が、今まで見てきた中隊・大隊の符丁より一つ多い。
「合流命令の断片です。全文は取れていません」
「砲は一門が射撃可能。二門は修理中です。前線分だけで、これです」
希望さんが観測図を置いた。
眼鏡の縁に霜がついている。
「後方には、十数門分の轍跡があります。撃っていないだけで、無いわけではありません」
「車両は四。動けるのは三。先頭は左履帯が遅れています。これも前線分です」
山崎さんが弾薬表を横へ並べた。
「後方集結地に、もっといる。数は読めない」
「補充分を合わせて、こっちは榴弾四十八。徹甲弾十三。気前よく使うと、午後には石を投げる」
「石は補給表にありません」
「現地調達だ」
「敵の規模は、目に見える三群だけでは測れません」
僕は観測図の縁、鉛筆書きの区画を指で押さえた。
「北部第三戦域全体で見れば、これは前衛です。後ろに、まだ師団の本体が控えています」
沢渡さんの測距線を重ねる。敵砲。車両。
結界支援具。歩兵壕。その奥に、一つだけ表示の濃い人間がいる。
生命も魔力も、周囲から外れている。
「転移者らしい反応は中央です」
希望さんが言った。
「移動は」
「昨夜からありません」
「囮かもしれません」
「本人でも困るけどな」
山崎さんが砲弾残数へ線を引いた。
敵の三群は、中央の低地でつながっている。
北の歩兵が下がれば、西の砲を守れない。
西の砲が止まれば、中央の車両は低地から出られない。
中央が東へ寄れば、投降路を塞ぐ。
地図の上では三つだった。
表示で見ると、もっと細かい。
北の歩兵は、壕ごとに疲労が違う。石切場に近い二つは夜から動いていない。東寄りの一つだけ、炊事と救護の往復が残っている。
西の砲列には、砲手より多い人間がいる。修理兵。弾薬を運ぶ兵。
負傷者を寝かせる場所を探している救護兵。砲を一門として数えれば、全員が消える。
数えるほど、人の形が増えた。減らない。数えるほど、地図の一区画に人の数が増えていった。一人ひとりの状態を思い浮かべるうちに、頭の奥が先に疲れてしまう。
「西の修理中二門、いつ戻りますか」
希望さんが観測図の端を指で押さえた。
「一門は砲身が無事です。車輪と結界支援具を直せば、今日中。もう一門は閉鎖機が動いていません」
「弾薬集積は」
「砲列の北側。土を被せています。人の出入りで分かります」
山崎さんが自分の弾薬表から十三発の徹甲弾を丸で囲んだ。
「車両三両を全部止めるなら足りない。外す分まで数えると、もっと足りない」
「外さない前提にはしません」
「少将らしくない景気の悪さだな」
「補給表はいつも景気が悪いです」
「中央の車両、進ませずに止めたいです。細かい経路はルセリナさんに任せます」
「承知しました」
ルセリナが中央低地へ細い線を二本引いた。
一本は車両の前進路。
もう一本は、停止した場合に後続が横へ出る場所。
そこには古い散兵壕が残っている。
味方の工兵が夜間に深さを測り、車両の左側だけが落ちるよう土を戻していた。完全に埋めない。発見されない程度に浅くする。
「先頭を壊すのではなく、向きを固定します」
「後続が右へ出れば、対車両班の正面です」
「左へ出れば」
「北の歩兵と重なる」
「その形で進めてください」
敵にも正しい選択はある。
正しい方へ動けば、こちらが撃ちやすくなる。
僕は赤札を一枚、裏返した。
「車両乗員へも武装解除通告を。降車して東へ向かうなら撃たないと明記してください」
「交戦中に降りると思いますか」
「思いません」
ルセリナの筆が止まった。
「それでも書きます」
「北と中央の間を切ります」
ルセリナが赤札を持った。
「砲撃ですか」
「砲撃は西の一門と、中央車両の前だけ。北は煙幕。歩兵を東へ押し出します」
「逃がすのですか」
「武器を置けば」
僕は東路へ白い札を置いた。
「投降標識を二つ増やしてください。救護班も一組。ただし中央車両が入れば道を閉じる」
山崎さんが白札を見た。
「また残すのか」
「残します」
「そこから撃ち返されたら」
「観測して止めます」
「止める、ね」
左手の奥で、`意思` が浮いた。
僕は手袋を引き上げた。
「山崎さん」
「分かってる。今のは作戦用語だ」
敵主力の中央には、まだ人がいる。
数字ではなく、人の形で並んでいる。
そのうち何人が東路を選ぶかは、地図では分からない。
希望さんの観測線に、小さな揺れが入った。
「中央の濃い反応、北へ意識を向けています」
「そこまで分かるのか」
山崎さんが双眼鏡を下ろした。
「周囲の魔力が寄る方向です。断定はできません」
敵転移者の周囲だけ、結界の張り方が違う。外へ面を向けていない。砲列。
車両。北の歩兵。三方向へ薄く伸ばしている。
守っているのか。動かしているのか。
中央の一人を倒せば全部が崩れる配置にも見えた。
そう見せて、こちらの火力を集める囮にも見える。
「濃い反応へは撃ちません」
「少将殿」
「役割が確定していません。先に周囲を分けます」
人を撃つ判断には、役割の確定が必要らしい。
役割が分かれば撃てる。
名前が分からなくても。
左手の内側が熱くなった。
「少将殿、手袋が」
通信兵が言った。
手首の留め具が外れていた。
「すみません。机と仲が悪いようです」
留め直す。
通信兵は通告文の複写へ戻った。
「開始は正午。先に停戦と武装解除を通告します」
「返事がなければ」
「もう一度送ります」
ルセリナが口を閉じた。
山崎さんは弾薬表を折った。
「三度目は」
「撃ちます」
その答えだけは、すぐに出た。
✶
前進指揮所から敵低地まで、二千歩余り。双眼鏡では人影が小さい。僕には表示が見える。
歩兵壕。砲側。車両の中。
中央の濃い反応。
敵味方の間には、砲撃で削れた土と、使われなくなった散兵壕がある。
白旗を持った伝令が中間まで進んだ。東路にも同じ文面を掲げる。武器を置くこと。
負傷者を先に出すこと。東路を通る人員へ発砲しないこと。敵陣から、信号弾が一発上がった。
赤。受領の色ではなかった。伝令は止まった。
敵壕から銃口が二つ上がる。こちらの結界班が面を張った。
「伏せさせますか」
「まだ」
伝令が白旗を高く持ち直した。風で布が一度、棒へ巻きつく。敵側から声は届かない。
銃口の一つが下がった。もう一つは残った。中央の濃い反応が動く。
敵兵の銃口が、同時に少し上がった。命令だったのかもしれない。表示には書かれていない。
「伝令、帰投信号」
通信兵が青い布を振った。白旗がゆっくり後ろへ下がる。敵は撃たなかった。
受け入れもしなかった。山崎さんが砲隊へ手を上げる。
「まだです」
「分かってる」
敵砲の一門が、こちらへ向きを変えた。砲側の兵が三人走る。一人が砲尾、一人が弾薬。一人は、東路を見たまま動かなかった。
敵の砲口と味方の砲口が向き合い、その間を白旗の伝令が戻ってくる。僕は三度目の通告文を開いた。文面は同じだった。
武器を置くこと。負傷者を先に出すこと。東路を通る者へ発砲しないこと。拒否された後も、同じ文章を送る。変える場所がなかった。
残った主力は、まだ終わる方を選ばなかった。
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