ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《創世訓》 一章 二十一節
『賭け札は祭壇に置かれ、汗と血でようやく文字を得る。』
「おい、シュメーダ?大丈夫…だよな?」
騎士長が彼女に駆け寄る。声の出し方が、さっきまでと違った。まだ土埃が舞い、火薬の匂いと呼ばれるそれが漂う中、僕は遠くから二人を見ていた。
シュメーダさんが乾いた声で笑う。
「ハハ…どう思う?」
「おい…まさか未調整でやったのか!?」
彼女の『0』は薄く…ひび割れているように見えた。
「まぁ、待たせるわけには…ならんだろ?」
「あと…アレはするなよ。まぁ、多分どうせうまくいかないだろうから…しないだろうがな」
あれ?
「っち…そうかよ…お前は変わらずだな…はぁ…」
騎士長がシュメーダさんの肩に手を置く。置いた手は、すぐには離れなかった。
「まぁ、あの子らには黙っててくれよ…」
二人の握手は、ただの挨拶より長かった。
「そのつもりだ…さぁて…」
首を突っ込むには遠すぎて、見なかったことにするには近すぎた。
「どうした羽黒?いくぞ」
「うん…」
嫌なことばかりが浮かぶが、三郷に言われるがまま、僕は皆と要塞を後にした。口の中に、まだ石の粉が残っていた。
豪華な食事……ではないか。いつものご飯とは変わらない食事。
「さて、大した物は出せないが…軽い戦勝のお祝いとしようか!」
騎士長が声をあげる。木の皿が配られ、誰かがやっと笑った。
少し離れた席で、桐谷さんが黙々とスプーンを動かしていた。味の薄さに気づいたのか一瞬だけ眉を寄せて、それでもまた口へ運んでいた。
「実際『アレ』はスタンピードとしてどうだったんですか?」
「んーまぁ5年に一度ってレベルだな、かなりきつかっただろ」
「それでも悪いことばかりじゃない…あいつらの落とし物は金にもなるしいろいろ使えるからな」
そうか、魔物の遺骸は魔法的な素材になるのか。あの超重陸亀《ジャイアントトータス》の甲羅や魔石は、とんでもない価値になるのだろう。
食事は進む…まぁおいしい。空腹は最高のスパイスだ。しかし、どうもいつもよりも味気ない気がしなくもない。シュメーダさんの姿が、この食堂にないからだろうか。そして、あのひび割れた『0』の残像が、煮込みの豆の上にチラついていた。
勝った後の食事。
言葉だけなら、もっと明るい場面のはずだった。でも、皿の上の豆はいつもの豆で、パンは少し冷めていて、木の椀の縁には誰かの指の跡が残っている。
戦勝祝いは、思っていたより生活に近かった。
「俺があんまりしないタイプだけどよ…なんかゲームみてぇだな」
山崎くんが声をあげる。僕が前に紹介したやつだ!
「そういう見方もあるか…まぁ、確かにそうか。」
騎士長……アンテラルさんはいつも通りだるそうだ。けれど、杯を置く音だけが妙に硬かった。
「リスクとリターンってことですか?」
ふと声をあげる。
「そういうことだな、魔物の多い地域でも経済が発展するってのはこういうわけだ。」
「奇妙な経済…いや普通か…。」
「勝手に経済にされてもな」
横河がぼそっと言った。手元のポケットを、無意識のように上から押さえている。誰にも取られたことのない金貨を、また誰かに数えられるのが嫌なのかもしれない。
「それで…あの、アンテラルさん」
気になって声をかけてしまう。
「ん?なんだ…?」
「シュメーダさんは…彼女は大丈夫なんですか?」
答える前に、彼は杯の縁を親指で一度なぞった。長い間だった。
「駄目だったよ」
声の温度が、さっきまでと違った。
「未調整のまま撃ち切った。ああいう大魔法は、本来なら調整済みの器でしか受けられない。あいつの体は、最初から間に合ってなかった」
「調整すれば」
「間に合ってりゃな。運んでいる途中で、『0』が消えた」
彼は僕の肩に手を回し、親しげな仲間にする時みたいに、顔をぐっと近づけてきた。酒と汗の匂いが混じり合った、むせ返るような匂い。そして、僕の耳にだけ聞こえるように、低い声で囁いた。
「貴様なら察することもできるだろうが…言うなよ…!」
聞きたくない言葉の輪郭だけが、先に耳の奥に残った。それでも……。
僕はただ頷くことしかできなかった。
「口止め料としていいことを教えてやる…貴様らが最初に来た時のアレ…覚えているな?」
「はい…あの威嚇射撃?…の」
「あれには、ちゃんとしたマニュアルがある。俺を含む貴様ら異世界人がここでどういう扱いになっているかは…わかるな?」
アンテラルさんは僕の肩を一度強く叩き、そして何事もなかったかのように兵士たちの馬鹿話の輪に戻っていった。僕は、冷たくなったパンを握りしめたまま、その場に立っていた。食堂の喧騒が、急に水の中のように遠く、ぼんやりとしか聞こえなくなっていた。
ふと、腰の剣の重みを感じた。戦闘のどこかで、三郷が黙って差してくれたのかもしれない。忙しさに紛れて、渡された瞬間の記憶がすっぽり抜けていた。それでも、今夜だけはいつもより少し重かった。
明日になれば、また訓練がある。廊下を歩いて、食堂でパンを受け取って、誰かの数字を見る。たぶん、それを普通みたいに繰り返していく。
でも、明日の食堂に、シュメーダさんはいない。明後日も。もう、ずっと。言うなよ、と言われた中身が、まだ僕の中で形になっていない。
そう考えると、握ったパンの端だけが少し潰れた。
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