ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《教導書》 二章 四節
『煤は秤に残らず、ただ袖口に移って働きの名を変える。』
結論から言えば、『ハイブリッド浄水器』は採用された。
いや、「されてしまった」と言うべきかもしれない。
城の上層部会議室。重厚な円卓の末席で、僕は直立不動の姿勢を取っていた。
目の前にはカルマン曹長、数名の兵站将校、そして一番奥にアンテラル騎士長が座っている。兵站将校の一人は女性で、机の端に置いた水量表へ、僕の発表より先に小さな印をつけていた。
「報告は……以上です。本試作機は、従来の魔導式浄水器と比較して、魔力消費をおよそ九割削減しています。現地の素材と、我々の持つ……技術を組み合わせれば、低コストでの量産も、可能です」
喉がカラカラだった。
最後の「可能です」は、少し上ずった。
飯田たちが作った実機デモンストレーションは成功した。泥水が透明な水に変わる様を見ても、将校たちの表情はピクリとも動かなかった。
「……ふむ」
沈黙を破ったのは、片眼鏡をかけた初老の兵站将校だった。彼は手元の資料と試作機を交互に見比べ、事務的な口調で告げた。
「コストパフォーマンスは評価できる。特に魔石消費の削減は、逼迫する予算において有益だ。……騎士長、いかがなされますか」
話を振られたアンテラル騎士長は、頬杖をついたまま僕を見た。手元の試作機と、僕と、資料の数字。その三つを同じ順番で見比べている。
円卓の向こうに並ぶ将校たちの頭上にも、見慣れた数字が浮いていた。
ゼロ。少し上がった数。僕にはまだ意味を決められない表示。
最初のころなら、たぶん一人ずつ数えていた。けれど今は、数字よりも先に、誰の羽根ペンが止まったか、誰が試作機の筒ではなく、濾過後の水だけを見たかを追っていた。
「採用だ。来月の『北方遠征』に間に合わせろ」
「は……?」
「聞こえなかったか? 北方遠征だ。目的は近隣遺跡の調査と戦略的資源の回収。湿地帯を行軍する主力部隊に配備する。数はとりあえず300」
「さ、300ですか!?」
僕の声が裏返る。
量産イベント、という言葉が頭の端をかすめた。
ゲームなら、ここで工房の設備が一段階上がって、職人たちが一斉に動き出す場面だ。
実際には、円卓の上の資料が一枚増えただけだった。
試作機1つ作るのに、僕ら4人とガント親方が掛かり切りで丸2日かかったのだ。それを300? 来月までに?
「できんのか?」
騎士長の声が低くなる。
円卓の向こうで、誰かの羽根ペンが止まった。
「や、やれます! やらせていただきます!」
「よろしい。貴様を『特別技術班・班長心得』に任命する。……下がれ」
そこで話は切れた。
拍手も、感嘆の声もない。
ただ、「300個作れ」という命令だけが残った。
✶
「……300個ぉ!?」
工房に戻って報告すると、飯田が絶叫した。持っていたレンチを取り落とし、小泉が白目を剥く。
「無理だろ! 俺の錬金術だって魔力無限じゃねぇんだぞ! 型枠作ったって、素材の純度均一化だけで1日が終わる!」
「計算上、今のラインだと1日平均生産数は3.5個が限界だよ! 300個達成には3ヶ月かかっちゃうよ!」
田中が動かない数字を、妙に元気な声で突きつける。
ガント親方は腕を組み、不敵に笑っていた。
「へっ、上はいつだって現場を知らねぇもんだ。だが、受けちまったもんは仕方ねぇ。やるぞ」
「親方……!」
「安心しろ、単純作業はこの『木偶』共にやらせればいい」
親方が指差したのは、僕ら技術班……ではなく、工房の隅にある人力の粉砕機だった。
そこからの日々は、黒い粉だらけだった。
「開発」という響きから想像していたものは、どこにもなかった。
内政無双なら、ここで領地が潤って拍手が起きる。
僕の前にあるのは、黒炎木の炭と、欠けた爪と、詰まりかけた粉砕器だった。
待っていたのは徹底的な叩き上げの教育プログラムと、泥臭い単純作業の連続だった。
午前中は、トズメク教導長による「指揮官基礎講習」だ。
戦術論、兵站管理、部隊運用。膨大な知識を頭に叩き込まれ、模擬戦術マップと睨めっこする。
「貴様は『兵』ではない。『将』になるための視点を持て」
そう叱咤され、脳みそが焼き切れる寸前まで酷使される。
――ただ、不思議と苦ではなかった。
盤面を俯瞰し、リソースを管理し、最適解を導き出す。その思考プロセスは、意外にも僕の性に合っていたのだ。教導長からも「悪くはない」と(彼にしては)最大限の評価をもらっている。
ただ、教導長が叩き込んでくるのは、地図の上だけの話ではなかった。
石を三つ置き、紐を一本張る。そこへ小さな鏡片を立てる。
「敵を見るな。敵が通る線を見ろ。光を当てるな。相手が見誤る場所へ置け」
言われた通りにしても、最初はただの工作だった。けれど、紐の角度を少し変えるだけで、同じ場所に置いた石が別の障害に見えることがある。
戦場の配置は、強い駒を前に出すことだけではない。
水、光、足場、戻る幅。そういう地味なものが、後で人を動かす。
頭上の『0』も、同じだった。そこにあること自体は、もう分かっている。
問題は、その人がどこに立って、何を持ち、どこへ戻れるかだった。
だが、その実感に浸る暇はない。
そして午後。休む間もなく工房へ放り込まれ、肉体の酷使が始まる。
来る日も来る日も、僕は黒炎木の炭を砕き、飯田が錬金術で変形させた筒に詰め込む。
小泉が検品し、田中が品質管理の記録をつける。
浄水器の筒は、途中から妙に形が揃い始めた。
「飯田、ここの肉厚、昨日より厚い」
「圧が逃げる場所だ。割れたら水が無駄になる」
「水じゃなくても同じだよね。冷却液でも、魔導油でも」
田中が記録表の端に、勝手に別の欄を作っていた。
車両用。
その四文字だけが、煤で汚れた紙の端に残っている。
「今は浄水器だろ」
僕が言うと、小泉が顔を上げずに答えた。
「今はね」
飯田は笑わなかった。筒の継ぎ目を指でなぞり、もう一度だけ厚みを測った。
手が炭で真っ黒になり、爪の間に入り込んだ煤は洗っても落ちなくなった。
それでも、作業台と資材置き場を何度も往復する足取りは、転移直後の自分よりずっと安定していた。トズメクに叩き込まれた基礎体力と動作の癖は、こういう地味な場面でだけ、じわじわ効いてくる。
「……休憩だ」
作業開始から10時間。親方の声で、ようやく手を止める。
工房の外に出る。新鮮な空気が美味い。ふと、歓声が聞こえて視線を上げた。
工房から少し離れた第一訓練場。そこに、彼らがいた。
「――
轟音と共に、標的の岩が粉々に吹き飛ぶ。
放ったのは佐々木宗助だ。彼の周りには三郷や、他の戦闘職のクラスメイトたちが集まっている。少し離れた位置に、桐谷の背中もあった。岩の破片が飛んだ方向を目で追ってから、すぐにこちらへ一瞬だけ視線を寄越し、また標的の残骸へ戻す。
彼らの装備は、僕の薄汚れた作業着とは違い、真新しい軽鎧やローブだった。陽の光を浴びて輝いて見える。
「すげぇ威力だな、佐々木! これなら実戦でも通用するぞ!」
「ああ。だが、まだ発動が遅い。トズメク教官には『亀の方が速い』って言われたよ」
佐々木が苦笑いしながら汗を拭う。
その直後、砂塵を切り裂いて影が走った。アンテラル騎士長だ。
何が起きたのか、僕の位置からは追えなかった。歓声が途切れ、佐々木の背中が土へ落ちる。
それでも彼らは立ち上がり、騎士長へ食らいついていく。その姿は、紛れもなくこの場の中心にいる者たちのそれだった。
それを見ていた僕の手元には、飲みかけの水筒と、炭で汚れた軍手。
「……あっちが表舞台、か」
僕が作った浄水器は、確かに役に立つだろう。300人の兵士の喉を潤し、間接的に命を救うかもしれない。だが、その功績が語られることはない。歴史に残るのは、剣を振るい、敵を倒した英雄たちの名前だけだ。
僕の手元には、炭で黒くなった軍手と、空になった水筒がある。
――それでいい。
佐々木たちの「解析」や「爆炎」は、一瞬の閃きで戦場を終わらせる。
けれど、僕が今、教導官から学び、工房で形にしているのは、その閃きが消えた「後の世界」を維持するための規律だ。
誰も見ない。誰も褒めない。
だが、この「整備兵こそ英雄の半分」というトズメクの言葉を信じるなら、今僕が砕いている炭の一粒一粒が、いつか彼らの足元に置かれる。
「……よし、戻るか」
僕は空になった水筒を置き、再び薄暗い工房へと足を向けた。
胸の奥にある黒い澱みは、まだ消えていない。
けれど、それは劣等感だけではない。
炭で黒くなった指先が、水筒の縁を少し強く掴んでいた。
2373- 第一訓練場 佐々木宗助視点
佐々木宗助が長剣を構えると、その瞳の奥に幾何学的な模様が浮かび上がった。
日本にいた頃、剣道の全国大会まで上り詰めた彼に発現した異能――『解析』。
巨石の内部へ細い線が幾つも走って見える。剣を入れれば割れる線、刃が滑る線、その奥で一つだけ交差する点。
「――見えた!」
刃が交点へ入った。硬質な音が一度だけ鳴り、そこから白い亀裂が巨石の上下へ走る。
佐々木が剣を振り抜くと、遅れて左右の石が割れ、別々の方向へ倒れた。爆発も光もない。見つけた一点へ、剣筋を寸分違わず通した結果だった。
佐々木は残心を解き、短く息を吐いた。
周囲で見ていたクラスメイトたち――三郷や他の戦闘班の面々から、どよめきと歓声が上がる。
「すげぇ切れ味だな、佐々木! これなら実戦でも通用するぞ!」
「ああ。イメージ通りだ」
佐々木は額の汗を拭い、高揚した気分で答える。
この世界に来て数週間。自分たちの成長速度は異常だった。
『解析』の能力は、剣術の習得速度を飛躍的に高めていた。トズメク教導長も、口では厳しいことを言いながらも、その目には明らかな驚愕の色が見て取れた。
この力を、無駄にはできない。
使い方を間違えれば、あっさり自分か誰かを傷つける。それだけは分かっていた。
「――遅いと言ったはずだぞ、新人」
冷ややかな声が、背後から熱気を裂いた。
振り向きかけた視界の端で、瞳の奥の模様が勝手に像を結ぶ。伸びてくる腕、足を払う軌道、木剣が首へ止まる位置まで、赤い線になって見えた。見えていたのに、体がついてこなかった。
背中が土へ落ちた直後、首筋に木剣の冷たさが触れる。
「がっ……!? くそ、動きは見えていたのに……!」
「目は良いようだが、体が貧弱すぎる。情報処理に反射神経が追いついていないな」
騎士長は木剣を引くと、つまらなそうに他の生徒たちを見回した。
「貴様らの『チート』など、当たらなければただの見世物だ。組織で振るう力というものを教えてやろう」
「三人がかりだ、行くぞ!」
三郷が叫び、土の上へ氷を走らせ、正面から踏み込んだ。アンテラルは凍った地面へ乗らず、割れた巨石の片側を蹴って斬撃の上を越える。着地と同時に木剣の柄が三郷の肩へ入り、前進だけを止めた。
左右から別の生徒の剣が入る。騎士長は一方を木剣で受け、もう一方の手首を空いた手で押した。二本の刃は本人ではなく、互いの進路を塞ぐ。
佐々木には全部見えた。次に騎士長が立つ場所も、木剣が通る角度も見える。それでも、立ち上がって一歩目を出す間に、攻防はもう二手先まで進んでいた。
だが、足は止まらなかった。
むしろ、佐々木の胸には新たな炎が灯っていた。
(今のままじゃ、足りない)
今は負けていても、すぐに追いつける。佐々木は、土を払う前にもう次の踏み込みを考えていた。
✶
訓練が終わり、休憩時間。
佐々木たちは木陰で火照った体を休めていた。支給された水筒の水が美味い。
「しっかし、キツかったなー騎士長。あれで手加減してんだろ?」
「化け物だよな。……でも、来月の『北方遠征』には俺たちも選抜されるらしいぜ」
「マジ? ついに実戦かよ!」
話題はもっぱら、来月に控えた遠征のことだった。
未知の土地、遺跡、魔物との戦い。声の速さが、訓練後とは思えないほど戻っていた。
「あ、見てあれ。羽黒君じゃない?」
三郷が指差した先。
工房の裏手から、煤だらけの作業着を着た人影が出てくるところだった。
羽黒承。クラスでも目立たなかった、地味な男子生徒。
彼は顔も手も真っ黒に汚し、疲れ切った足取りで歩いている。その背中は、どこか小さく見えた。
「うわ、真っ黒。何やってんだアイツ」
「なんか、工房で下働きさせられてるらしいよ。荷運びとか、炭砕きとか」
「マジかよ……。俺たちが魔法の特訓してる間に、炭砕きか……」
佐々木は、どこか引っかかるものを覚えながらも、羽黒から目を離した。
「……ま、適材適所ってやつか。アイツはアイツで頑張ってんだろ」
「そうだな。……でも、ちょっと可哀想かもな」
三郷がポツリと漏らす。
その言葉に、何人かが曖昧に笑った。
佐々木だけは、笑わなかった。可哀想、で片づけていいのか、まだ分からなかったからだ。誰が何を運んで、何を削って、その結果として今の水があるのか。名前が出ないまま済まされるものが、たぶんこの先も増える。それだけは、覚えておきたいと思った。
彼らには見えていなかった。
羽黒が作っている「それ」がなければ、彼らが遠征先で泥水を啜ることになる未来も。
彼らが万全の状態で戦えるのは、誰かがその「土台」を支えているからだという事実も。
光の中にいる彼らには、足元の影は見えなかった。
「よし、午後もやるぞ! 絶対に騎士長に一撃入れてやる!」
「オー!」
佐々木が声を上げ、クラスメイトたちが呼応する。
若い声が、青空に響き渡った。
その声の届かない場所で、羽黒は工房の扉を押し開けていた。
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