ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

25 / 60
二章四話 秤に残らない煤

《教導書》 二章 四節

『煤は秤に残らず、ただ袖口に移って働きの名を変える。』

 

 結論から言えば、『ハイブリッド浄水器』は採用された。

 

 いや、「されてしまった」と言うべきかもしれない。

 

 城の上層部会議室。重厚な円卓の末席で、僕は直立不動の姿勢を取っていた。

 

 目の前にはカルマン曹長、数名の兵站将校、そして一番奥にアンテラル騎士長が座っている。兵站将校の一人は女性で、机の端に置いた水量表へ、僕の発表より先に小さな印をつけていた。

 

「報告は……以上です。本試作機は、従来の魔導式浄水器と比較して、魔力消費をおよそ九割削減しています。現地の素材と、我々の持つ……技術を組み合わせれば、低コストでの量産も、可能です」

 

 喉がカラカラだった。

 

 最後の「可能です」は、少し上ずった。

 

 飯田たちが作った実機デモンストレーションは成功した。泥水が透明な水に変わる様を見ても、将校たちの表情はピクリとも動かなかった。

 

「……ふむ」

 

 沈黙を破ったのは、片眼鏡をかけた初老の兵站将校だった。彼は手元の資料と試作機を交互に見比べ、事務的な口調で告げた。

 

「コストパフォーマンスは評価できる。特に魔石消費の削減は、逼迫する予算において有益だ。……騎士長、いかがなされますか」

 

 話を振られたアンテラル騎士長は、頬杖をついたまま僕を見た。手元の試作機と、僕と、資料の数字。その三つを同じ順番で見比べている。

 

 円卓の向こうに並ぶ将校たちの頭上にも、見慣れた数字が浮いていた。

 

 ゼロ。少し上がった数。僕にはまだ意味を決められない表示。

 

 最初のころなら、たぶん一人ずつ数えていた。けれど今は、数字よりも先に、誰の羽根ペンが止まったか、誰が試作機の筒ではなく、濾過後の水だけを見たかを追っていた。

 

「採用だ。来月の『北方遠征』に間に合わせろ」

 

「は……?」

 

「聞こえなかったか? 北方遠征だ。目的は近隣遺跡の調査と戦略的資源の回収。湿地帯を行軍する主力部隊に配備する。数はとりあえず300」

 

「さ、300ですか!?」

 

 僕の声が裏返る。

 

 量産イベント、という言葉が頭の端をかすめた。

 

 ゲームなら、ここで工房の設備が一段階上がって、職人たちが一斉に動き出す場面だ。

 

 実際には、円卓の上の資料が一枚増えただけだった。

 

 試作機1つ作るのに、僕ら4人とガント親方が掛かり切りで丸2日かかったのだ。それを300? 来月までに?

 

「できんのか?」

 

 騎士長の声が低くなる。

 

 円卓の向こうで、誰かの羽根ペンが止まった。

 

「や、やれます! やらせていただきます!」

 

「よろしい。貴様を『特別技術班・班長心得』に任命する。……下がれ」

 

 そこで話は切れた。

 

 拍手も、感嘆の声もない。

 

 ただ、「300個作れ」という命令だけが残った。

 

 

「……300個ぉ!?」

 

 工房に戻って報告すると、飯田が絶叫した。持っていたレンチを取り落とし、小泉が白目を剥く。

 

「無理だろ! 俺の錬金術だって魔力無限じゃねぇんだぞ! 型枠作ったって、素材の純度均一化だけで1日が終わる!」

 

「計算上、今のラインだと1日平均生産数は3.5個が限界だよ! 300個達成には3ヶ月かかっちゃうよ!」

 

 田中が動かない数字を、妙に元気な声で突きつける。

 

 ガント親方は腕を組み、不敵に笑っていた。

 

「へっ、上はいつだって現場を知らねぇもんだ。だが、受けちまったもんは仕方ねぇ。やるぞ」

 

「親方……!」

 

「安心しろ、単純作業はこの『木偶』共にやらせればいい」

 

 親方が指差したのは、僕ら技術班……ではなく、工房の隅にある人力の粉砕機だった。

 

 そこからの日々は、黒い粉だらけだった。

 

 「開発」という響きから想像していたものは、どこにもなかった。

 

 内政無双なら、ここで領地が潤って拍手が起きる。

 

 僕の前にあるのは、黒炎木の炭と、欠けた爪と、詰まりかけた粉砕器だった。

 

 待っていたのは徹底的な叩き上げの教育プログラムと、泥臭い単純作業の連続だった。

 

 午前中は、トズメク教導長による「指揮官基礎講習」だ。

 

 戦術論、兵站管理、部隊運用。膨大な知識を頭に叩き込まれ、模擬戦術マップと睨めっこする。

 

「貴様は『兵』ではない。『将』になるための視点を持て」

 

 そう叱咤され、脳みそが焼き切れる寸前まで酷使される。

 

 ――ただ、不思議と苦ではなかった。

 

 盤面を俯瞰し、リソースを管理し、最適解を導き出す。その思考プロセスは、意外にも僕の性に合っていたのだ。教導長からも「悪くはない」と(彼にしては)最大限の評価をもらっている。

 

 ただ、教導長が叩き込んでくるのは、地図の上だけの話ではなかった。

 

 石を三つ置き、紐を一本張る。そこへ小さな鏡片を立てる。

 

「敵を見るな。敵が通る線を見ろ。光を当てるな。相手が見誤る場所へ置け」

 

 言われた通りにしても、最初はただの工作だった。けれど、紐の角度を少し変えるだけで、同じ場所に置いた石が別の障害に見えることがある。

 

 戦場の配置は、強い駒を前に出すことだけではない。

 

 水、光、足場、戻る幅。そういう地味なものが、後で人を動かす。

 

 頭上の『0』も、同じだった。そこにあること自体は、もう分かっている。

 

 問題は、その人がどこに立って、何を持ち、どこへ戻れるかだった。

 

 だが、その実感に浸る暇はない。

 

 そして午後。休む間もなく工房へ放り込まれ、肉体の酷使が始まる。

 

 来る日も来る日も、僕は黒炎木の炭を砕き、飯田が錬金術で変形させた筒に詰め込む。

 

 小泉が検品し、田中が品質管理の記録をつける。

 

 浄水器の筒は、途中から妙に形が揃い始めた。

 

「飯田、ここの肉厚、昨日より厚い」

 

「圧が逃げる場所だ。割れたら水が無駄になる」

 

「水じゃなくても同じだよね。冷却液でも、魔導油でも」

 

 田中が記録表の端に、勝手に別の欄を作っていた。

 

 車両用。

 

 その四文字だけが、煤で汚れた紙の端に残っている。

 

「今は浄水器だろ」

 

 僕が言うと、小泉が顔を上げずに答えた。

 

「今はね」

 

 飯田は笑わなかった。筒の継ぎ目を指でなぞり、もう一度だけ厚みを測った。

 

 手が炭で真っ黒になり、爪の間に入り込んだ煤は洗っても落ちなくなった。

 

 それでも、作業台と資材置き場を何度も往復する足取りは、転移直後の自分よりずっと安定していた。トズメクに叩き込まれた基礎体力と動作の癖は、こういう地味な場面でだけ、じわじわ効いてくる。

 

「……休憩だ」

 

 作業開始から10時間。親方の声で、ようやく手を止める。

 

 工房の外に出る。新鮮な空気が美味い。ふと、歓声が聞こえて視線を上げた。

 

 工房から少し離れた第一訓練場。そこに、彼らがいた。

 

「――爆炎(フレア)!」

 

 轟音と共に、標的の岩が粉々に吹き飛ぶ。

 

 放ったのは佐々木宗助だ。彼の周りには三郷や、他の戦闘職のクラスメイトたちが集まっている。少し離れた位置に、桐谷の背中もあった。岩の破片が飛んだ方向を目で追ってから、すぐにこちらへ一瞬だけ視線を寄越し、また標的の残骸へ戻す。

 

 彼らの装備は、僕の薄汚れた作業着とは違い、真新しい軽鎧やローブだった。陽の光を浴びて輝いて見える。

 

「すげぇ威力だな、佐々木! これなら実戦でも通用するぞ!」

 

「ああ。だが、まだ発動が遅い。トズメク教官には『亀の方が速い』って言われたよ」

 

 佐々木が苦笑いしながら汗を拭う。

 

 その直後、砂塵を切り裂いて影が走った。アンテラル騎士長だ。

 

 何が起きたのか、僕の位置からは追えなかった。歓声が途切れ、佐々木の背中が土へ落ちる。

 

 それでも彼らは立ち上がり、騎士長へ食らいついていく。その姿は、紛れもなくこの場の中心にいる者たちのそれだった。

 

 それを見ていた僕の手元には、飲みかけの水筒と、炭で汚れた軍手。

 

「……あっちが表舞台、か」

 

 僕が作った浄水器は、確かに役に立つだろう。300人の兵士の喉を潤し、間接的に命を救うかもしれない。だが、その功績が語られることはない。歴史に残るのは、剣を振るい、敵を倒した英雄たちの名前だけだ。

 

 僕の手元には、炭で黒くなった軍手と、空になった水筒がある。

 

 ――それでいい。

 

 佐々木たちの「解析」や「爆炎」は、一瞬の閃きで戦場を終わらせる。

 

 けれど、僕が今、教導官から学び、工房で形にしているのは、その閃きが消えた「後の世界」を維持するための規律だ。

 

 誰も見ない。誰も褒めない。

 

 だが、この「整備兵こそ英雄の半分」というトズメクの言葉を信じるなら、今僕が砕いている炭の一粒一粒が、いつか彼らの足元に置かれる。

 

「……よし、戻るか」

 

 僕は空になった水筒を置き、再び薄暗い工房へと足を向けた。

 

 胸の奥にある黒い澱みは、まだ消えていない。

 

 けれど、それは劣等感だけではない。

 

 炭で黒くなった指先が、水筒の縁を少し強く掴んでいた。

 

2373- 第一訓練場 佐々木宗助視点

 

 佐々木宗助が長剣を構えると、その瞳の奥に幾何学的な模様が浮かび上がった。

 

 日本にいた頃、剣道の全国大会まで上り詰めた彼に発現した異能――『解析』。

 

 巨石の内部へ細い線が幾つも走って見える。剣を入れれば割れる線、刃が滑る線、その奥で一つだけ交差する点。

 

「――見えた!」

 

 刃が交点へ入った。硬質な音が一度だけ鳴り、そこから白い亀裂が巨石の上下へ走る。

 

 佐々木が剣を振り抜くと、遅れて左右の石が割れ、別々の方向へ倒れた。爆発も光もない。見つけた一点へ、剣筋を寸分違わず通した結果だった。

 

 佐々木は残心を解き、短く息を吐いた。

 

 周囲で見ていたクラスメイトたち――三郷や他の戦闘班の面々から、どよめきと歓声が上がる。

 

「すげぇ切れ味だな、佐々木! これなら実戦でも通用するぞ!」

 

「ああ。イメージ通りだ」

 

 佐々木は額の汗を拭い、高揚した気分で答える。

 

 この世界に来て数週間。自分たちの成長速度は異常だった。

 

 『解析』の能力は、剣術の習得速度を飛躍的に高めていた。トズメク教導長も、口では厳しいことを言いながらも、その目には明らかな驚愕の色が見て取れた。

 

 この力を、無駄にはできない。

 

 使い方を間違えれば、あっさり自分か誰かを傷つける。それだけは分かっていた。

 

「――遅いと言ったはずだぞ、新人」

 

 冷ややかな声が、背後から熱気を裂いた。

 

 振り向きかけた視界の端で、瞳の奥の模様が勝手に像を結ぶ。伸びてくる腕、足を払う軌道、木剣が首へ止まる位置まで、赤い線になって見えた。見えていたのに、体がついてこなかった。

 

 背中が土へ落ちた直後、首筋に木剣の冷たさが触れる。

 

「がっ……!? くそ、動きは見えていたのに……!」

 

「目は良いようだが、体が貧弱すぎる。情報処理に反射神経が追いついていないな」

 

 騎士長は木剣を引くと、つまらなそうに他の生徒たちを見回した。

 

「貴様らの『チート』など、当たらなければただの見世物だ。組織で振るう力というものを教えてやろう」

 

「三人がかりだ、行くぞ!」

 

 三郷が叫び、土の上へ氷を走らせ、正面から踏み込んだ。アンテラルは凍った地面へ乗らず、割れた巨石の片側を蹴って斬撃の上を越える。着地と同時に木剣の柄が三郷の肩へ入り、前進だけを止めた。

 

 左右から別の生徒の剣が入る。騎士長は一方を木剣で受け、もう一方の手首を空いた手で押した。二本の刃は本人ではなく、互いの進路を塞ぐ。

 

 佐々木には全部見えた。次に騎士長が立つ場所も、木剣が通る角度も見える。それでも、立ち上がって一歩目を出す間に、攻防はもう二手先まで進んでいた。

 

 だが、足は止まらなかった。

 

 むしろ、佐々木の胸には新たな炎が灯っていた。

 

 (今のままじゃ、足りない)

 

 今は負けていても、すぐに追いつける。佐々木は、土を払う前にもう次の踏み込みを考えていた。

 

 

 訓練が終わり、休憩時間。

 

 佐々木たちは木陰で火照った体を休めていた。支給された水筒の水が美味い。

 

「しっかし、キツかったなー騎士長。あれで手加減してんだろ?」

 

「化け物だよな。……でも、来月の『北方遠征』には俺たちも選抜されるらしいぜ」

 

「マジ? ついに実戦かよ!」

 

 話題はもっぱら、来月に控えた遠征のことだった。

 

 未知の土地、遺跡、魔物との戦い。声の速さが、訓練後とは思えないほど戻っていた。

 

「あ、見てあれ。羽黒君じゃない?」

 

 三郷が指差した先。

 

 工房の裏手から、煤だらけの作業着を着た人影が出てくるところだった。

 

 羽黒承。クラスでも目立たなかった、地味な男子生徒。

 

 彼は顔も手も真っ黒に汚し、疲れ切った足取りで歩いている。その背中は、どこか小さく見えた。

 

「うわ、真っ黒。何やってんだアイツ」

 

「なんか、工房で下働きさせられてるらしいよ。荷運びとか、炭砕きとか」

 

「マジかよ……。俺たちが魔法の特訓してる間に、炭砕きか……」

 

 佐々木は、どこか引っかかるものを覚えながらも、羽黒から目を離した。

 

「……ま、適材適所ってやつか。アイツはアイツで頑張ってんだろ」

 

「そうだな。……でも、ちょっと可哀想かもな」

 

 三郷がポツリと漏らす。

 

 その言葉に、何人かが曖昧に笑った。

 

 佐々木だけは、笑わなかった。可哀想、で片づけていいのか、まだ分からなかったからだ。誰が何を運んで、何を削って、その結果として今の水があるのか。名前が出ないまま済まされるものが、たぶんこの先も増える。それだけは、覚えておきたいと思った。

 

 彼らには見えていなかった。

 

 羽黒が作っている「それ」がなければ、彼らが遠征先で泥水を啜ることになる未来も。

 

 彼らが万全の状態で戦えるのは、誰かがその「土台」を支えているからだという事実も。

 

 光の中にいる彼らには、足元の影は見えなかった。

 

「よし、午後もやるぞ! 絶対に騎士長に一撃入れてやる!」

 

「オー!」

 

 佐々木が声を上げ、クラスメイトたちが呼応する。

 

 若い声が、青空に響き渡った。

 

 その声の届かない場所で、羽黒は工房の扉を押し開けていた。

 

――――――――

 

面白かったら、下記のリンクから評価やレビューをいただけると嬉しいです。

https://kakuyomu.jp/works/822139841314440520/reviews

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。