ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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一章三話 床に置かれた足

《創世訓》 一章 三節

『置き去りにした夢は、足元から追いついてくる。』

 

 先生は森田さんと話すため部屋を出ていった。大人が二人ともいなくなると、講堂はただの広い部屋になった。ここから先は、僕たち四十一人だけで考えなくてはいけない。やっぱりと言うべきか、みんなの声はさっきより小さい。帰れない、という言葉だけが、部屋の真ん中に残っていた。

 

 革帯は外されていた。

 

 ただ、椅子は床に固定されたままだ。立てる人は立ち、座ったままの人は机の縁を掴んでいる。講堂の扉は閉まっていて、外の廊下からは遠い足音が時々聞こえた。

 

「とりあえず私が議長を務めるわね!」

 

 そんな雰囲気をぶち壊すように、竹内さんが張り切って声を上げ、手を上げる。みんなの視線が竹内さんに向く。若干不安だけど大丈夫だろうか?

 

 彼女は黒板の前までは行かなかった。机の列の間、少し高くなった通路に立つ。そこが、今この部屋で一番前に見える場所だった。

 

 誰かが先に形を作らないと、怖がっているだけの時間が増える。竹内さんの声は少し高かったけれど、上げた手は下がらなかった。

 

 文化祭の時も、竹内さんは最初にホワイトボードを取りに行った。上手いかどうかより、空白のままにしておけないのだと思う。

 

「お~い、竹内~大丈夫かよ?」

 

 飛井が彼女の前で独特な姿勢で突っかかった。まぁ気持ちはわかる。

 

 クスクス笑いが広がり、若干雰囲気が明るくなった。

 

「まぁ! まぁ、彼女にさせてやろうぜ」

 

 近くの男子が竹内さんを支援する。

 

 理由はだいたい分かるが。その男子は、誰かの消しゴムが落ちると自分の話を止めて拾う。たぶん、本人はそれを世話焼きだと思っていない。

 

「議長さんに甘いよね~」

 

 後ろの女子が、少し茶化した。

 

 空気が重くなると、こういう声が混じる。笑っているけれど、指先は制服の袖を握っていた。

 

「甘いっていうか、困ってるやつにだいたい甘いだろ!」

 

 別の男子が、その男子の脇腹をつつく。

 

 声は軽いのに、周りの顔を順番に拾っていた。

 

 正直、この時点で僕がちゃんと追えていた名前は多くなかった。三郷くん、桐谷さん、飛井くん、先生。それから、今、場を動かそうとしている竹内さん。

 

「世話焼きの話は置いておいて、時間は有限なんだから早く話をすすめようぜ」

 

 三郷君の声が、ざわついた部屋の奥まで通った。あの声が前にあるだけで、僕は少し息がしやすくなる。だから余計に、置いていかれたくなかった。

 

 それに合わせて僕も声を上げる。

 

「とりあえず、皆が"雇用"に反対かどうかの多数決を取ろう」

 

 多数決をとり皆の心のうちを知らないことにはきっと話は始まらないからね。僕の方を皆の目が向く……まぁやってみようか。

 

 黒板の下には、さっき森田さんが使っていた石筆が残っていた。誰かがそれを取れば、議題くらいは書ける。けれど、僕はまだ席を立てなかった。

 

「じゃあ、雇用に賛成の人、手挙げて!」

 

 さらに視線を感じる。挙げられた腕が並ぶ。

 

 机の列ごとに、上がる場所が偏っていた。前の方は少ない。後ろの方は少し多い。たぶん、聞こえた声の大きさだけでは分からない差だ。

 

 半分くらい。

 

 いや、半分しかない。

 

 僕は挙がらなかった手の方を見てしまった。腕を組んでいる人、膝の上で拳を作っている人、隣の子の袖を掴んでいる人。数字は全員『0』のままだ。光は同じなのに、誰がどれくらい声を出せなくなっているのかは、そこには出ていない。

 

 三郷くんなら、ここで一気に空気を持っていくんだろう。僕にはそれができない。声を張ると、たぶん裏返る。

 

「反対の人、理由を一個ずつでいいから言ってほしい」

 

 自分で言ってから、少し遅れて心臓が嫌な動きをした。議長でもないのに何をしているんだろう。でも、手の数だけ見ても何も分からない。

 

「おー、半分かよ。俺賛成! だって無一文じゃ死ぬだろ?」

 

「バカ、反対派もいるわよ! 信用できないし!そもそも実力ってなによ?」

 

「そこだと思う」

 

 声は、喉の手前で一度引っかかった。

 

 けれど、何人かはこちらを見た。

 

「信用できないのと、実力が分からないのは、別の話だと思う。信用できないなら、契約とか、監視とか、逃げ道の話を聞くしかない。実力が分からないなら、何をさせられるのか聞かないといけない。混ぜたままだと、賛成も反対もできない」

 

 言い終えると、舌だけが変に重くなった。怖いことを一つの塊にしたまま置いておくと、次に誰かが触った時、もっと大きな音がしそうだった。

 

 黒板に書けたら、もう少しうまく分けられたかもしれない。

 

 でも今は、言葉だけで置くしかない。

 

「じゃあ、森田さんに聞くこと分けようぜ。帰れるか。断ったらどうなるか。雇用って何をするのか。危ない仕事か。給料出るのか」

 

 三郷くんがそう言って、指を折っていく。僕が出した言葉より、ずっと奥の席まで届いていた。

 

 奥歯に力が入った。けれど、そこで詰まっていた話が動いたのも事実だった。

 

「給料は大事だろ!」

 

 飛井くんが言って、何人かが笑った。

 

 笑い声は短かったけれど、さっきより呼吸はしやすくなった。その問いに、まだ誰も答えられなかった。

 

 帰れない。生きていかなければならない。それ以上のことは、まだ誰にも分からなかった。

 

 ただ、講堂の扉が開いた時、森田さんの顔色が、出ていった時と少し違って見えた。

 

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