ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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二章十話 硝子に映る線

《教導書》 二章 十節

『割れた硝子の向こうで、線はまだ細く光っていた。』

 

 翌朝、工房の炉に火を入れた時、僕は妙に落ち着いていた。昨日の論功行賞で残った冷たさは、眠っても薄れなかった。

 

 だが実際には逆だった。金の広間で浴びた拍手の残響だけが抜け落ちて、そこにあった温度差だけが、澄んだ輪郭を持って残っていた。

 

 炭をくべて、ふいごを引く。炉の奥で火が育つ。その単純な手順だけは、余計なことを考えなくて済むし、考えたくないことがある時ほど、手順というものは妙にありがたい。

 

「朝っぱらから辛気くせぇ顔だな」

 

 ガント親方が欠伸混じりに入ってきた。片手には工具箱、もう片手には朝食代わりらしい固いパンを持っている。

 

「そんな顔してましたか」

 

「してる。鏡見なくても分かる程度にはな」

 

 親方はパンを齧りながら、炉の火加減を眺めた。

 

「まあ、昨日のアレの後だ。無理もねぇ」

 

 昨日のアレ。あえて言葉を濁してくれたのだろう。勲章の差とか、拍手の大きさとか。数えだしたらきりがない。あとたぶん僕が気にしすぎている分までひっくるめて、昨日のアレだ。

 

「……親方」

 

「何だ」

 

「現場で手を借りたい相手と、一緒に肩を並べたい相手って、別なんですね」

 

 言ってしまってから、自分でも驚いた。もっと曖昧で、もやもやしたものだと思っていたのに、口に出した途端、やけに形が見えてしまった。

 

 親方はしばらく何も言わず、最後の一口を飲み込んでから口を開いた。親方は返事をせず、炉の脇に置かれた僕の工具箱を足で寄せた。

 

「邪魔だ。通路に置くな」

 

「今その話ですか」

 

「今できる話はそれだ」

 

「……でも」

 

「でも、あいつらは悪くねぇ。そう言いてぇんだろ」

 

「はい」

 

 親方は鼻を鳴らした。

 

「面倒くせぇな、お前は」

 

 そう言いながらも、声色は少し柔らかかった。親方は炉へ向き直った。僕の聞きたかった答えは、その背中からは出てこなかった。

 

 

 昼前、工房に三郷がやってきた。

 

「羽黒、ちょっといいか」

 

 三郷は、扉のところで片手を上げていた。昼休みに誰かを輪の中へ呼ぶ時と、ほとんど同じ上げ方だった。昔から、あの手に呼ばれると断りにくい。

 

「どうしたの」

 

「次の訓練編成の話。俺たち、戦闘班の一部は騎士長直轄で別メニューになるらしいんだ」

 

「へえ」

 

「それでさ、お前のことも少し聞いた。工房と兵站、それから士官教育を並行する方向で動くらしい」

 

 少し聞いた。

 

 その言い方に、妙な引っかかりを覚えた。僕自身の話なのに、僕の知らないところで、もうだいたい形が決まっているような響きだった。

 

「よかったじゃん」

 

 そう言うと、三郷は少し眉を下げた。

 

「羽黒、怒ってるだろ」

 

「怒ってないよ」

 

 それは本当だった。

 

 怒ってはいない。

 

 炉の音が、三郷の声との間に一枚だけ挟まった。

 

「俺さ、お前が必要だと思ってる」

 

 三郷は、間を置かずに続けた。

 

「前線で一緒に戦う形じゃなくても、お前がいたから助かった場面、何回もあった。浄水器もそうだし、補給の整理も。遠征の時だって、お前の判断で助かっただろ」

 

「うん」

 

「だから、あんまり気にすんなよ。立つ場所が違うだけだって」

 

 立つ場所が違うだけ。

 

 立つ場所。三郷は訓練場と工房の話をしている。僕もそう受け取ればよかった。

 

 炉の奥で炭が崩れた。

 

「それ、誰が決めたの」

 

「何が」

 

「立つ場所」

 

 三郷の口が止まった。僕自身、こんな返しをするつもりではなかった。

 

「俺が決めたわけじゃないだろ」

 

「分かってる」

 

「じゃあ、何で俺に怒るんだよ」

 

 声は大きくなかった。それでも、工房の奥で槌を振っていた職人が一度こちらを見た。

 

「怒ってない」

 

「その言い方で?」

 

 言い返せなかった。三郷は肩をすくめ、扉の外へ目をやった。

 

 三郷は少し困ったように笑って、

 

「今度また、お前の飯食わせてくれよ。遠征の時の、あれ、桜華もずっと褒めてたし」

 

 と言った。

 

「時間があればね」

 

「できれば焦げてないやつで」

 

「注文があるなら、自分で火を見て」

 

「それは無理だな。俺、火加減だけは信用されてない」

 

 三郷は小さく笑った。でも、目は笑っていなかった。僕も笑えなかった。

 

「おう。無理すんなよ」

 

 それだけ言って、三郷は去っていった。扉が閉まる直前、三郷はこちらを振り返った。何か言いかけ、結局そのまま出ていった。

 

 僕は火床へ炭を足した。必要だと言われたはずなのに、火掻き棒を持つ手へ力が入りすぎた。

 

 

 午後、用事で上階へ部品を届けに行った帰り、中庭で高橋桜華と佐々木に出くわした。

 

「あ、羽黒くん、その記章、付けてるんだ」

 

 桜華が僕の胸元を見た。兵站整備補助功労の小さな銀色の記章。今朝、外しかけて、結局そのままにしていた。

 

「一応、せっかくだし」

 

 少し離れた木陰に、桐谷の姿もあった。こちらには気づいているはずなのに、何も言わず、佐々木の方へ視線を戻す。

 

「似合ってるじゃん。住み分けって大事だよね。羽黒くん、支えるの上手いし」

 

 住み分け。桜華の口からは、訓練班を分ける時と同じ軽さで出た。

 

 佐々木も悪気なく頷く。

 

「今はみんな分かってると思う、お前が別方向にすごいって」

 

 今は。みんな。分かってると思う。佐々木は褒めたつもりらしく、返事を待っていた。

 

「そろそろ行くぞ、桜華。今日は十五人での合同訓練だ」

 

「あ、うん。じゃあ羽黒くん、またね」

 

 二人は軽い足取りで訓練場の方へ向かった。その背中は明るい場所に向いていて、振り返らないことが少しも不自然じゃなかった。

 

 僕だけが、その場に取り残されていた。

 

 

 夕方、工房に戻る廊下で、アンテラル騎士長に呼び止められた。

 

「羽黒」

 

 低い声。

 

 反射的に背筋が伸びる。

 

「はい」

 

「貴様、今の配置に不満はあるか」

 

 唐突すぎて、口の中で返事の形が作れなかった。

 

「……ない、とは言いません」

 

「正直でいい」

 

 廊下の窓から差す夕光が、赤いマントの端を染めていた。昨日と同じ人が、昨日と少し違う声で立っている。

 

「貴様が今いる場所は、偶然ではない。だが、固定でもない。燻るな。使えるなら、もっと上手く使え」

 

 それだけ言って、彼は通り過ぎていった。残された僕は、しばらく廊下に立ち尽くした。

 

 分類、住み分け、立つ場所が違うだけ。三つとも、僕が口を挟む前に決まっていた。

 

 

 夜。工房の片隅で、僕は一人で記章を外した。

 

 机の上に置く。軽い音がした。

 

 金の勲章でもなければ、誇らしい戦果でもない。けれどこれは、僕がここで手を動かした跡ではある。その事実だけは否定したくなかった。

 

 否定したくはない。

 

 でも、この小さな銀色を胸に付けて、納得した顔で同じ机に戻り続ける自分も、うまく想像できなかった。

 

 窓の外では、祝宴の名残の音がまだ遠く響いている。笑い声。楽器。食器の触れ合う音。

 

 その全部が、透明な壁の向こう側の音みたいに聞こえた。手を伸ばせば触れられそうで、実際には届かない。壊そうとすれば、自分の方が傷つく。

 

 ガラスの境界線。

 

 そんな言葉が、不意に頭に浮かんだ。

 

 僕は記章を引き出しにしまい、そっと閉めた。

 

 引き出しを閉めると、記章が中で滑った。開け直せば済む。僕は取っ手に触れたまま、祝宴の音が途切れるまで動かなかった。

 

――――――――

 

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https://kakuyomu.jp/works/822139841314440520/reviews

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