ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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二章十一話 遅れた足音

《教導書》 二章 十一節

『遅れた足音は罪ではない。別の道が石を鳴らしただけである。』

 

 祝宴の翌日、兵站倉庫へ書類を届けに行く途中で、カルマン曹長に呼び止められた。

 

「班長心得、ちょっと来い」

 

 曹長の机の上には、遠征後の再配置表が広げられていた。

 

「貴様の名前、こっちにも入れておいた」

 

 差し出された紙を見る。工房補佐、兵站整備補助、遠征時臨時技術班、士官教育補修。自分の名前の横に、いくつもの欄が並んでいた。

 

 工房。兵站。技術班。士官教育。どの欄にも、僕の名前が細く押し込まれている。

 

「多いですね」

 

「多いな。はっきり数えりゃ四つだ」

 

 曹長は即答した。

 

「だが、今のお前を一か所に固定するのはもったいねぇ。器用貧乏とも言うが、貧乏で終わるかどうかは使い方次第だ」

 

「……便利屋ってことですか」

 

「そう拗ねるな」

 

 曹長は鼻で笑って、鉛筆の尻で卓を軽く鳴らした。

 

「こっちは現場だ。剣だけ振れるやつ、魔法だけ撃てるやつ、そういう連中だけじゃ回らねぇ。お前みたいに隙間を埋められるやつは貴重だ」

 

 貴重。ありがたい言葉のはずなのに、胸の奥では別の音がした。

 

 隙間を埋める。

 

 空いた場所へ流し込まれる。形が決まっていないから、どこへでも押し込める。

 

「……曹長」

 

「何だ」

 

「もし僕が、ここ以外でやれることを探したいって言ったら、変ですか」

 

 曹長の太い指が止まった。

 

「逃げたい、って意味か」

 

「分かりません。たぶん、それだけじゃないです」

 

 正直に答えると、曹長は少し目を細めた。

 

「なら、まだまともだ」

 

「え」

 

「逃げたいだけのやつは、もっと都合のいい嘘をつく」

 

 曹長は椅子にもたれ、低い声で続けた。

 

「俺はお前に残れとも出ていけとも言わん。だが、抜けるなら先に言え。お前が持ってる棚を、誰かに渡さにゃならん」

 

 曹長は再配置表の三つの欄へ丸をつけた。僕がいなくなれば、三人分の名前が要るらしい。

 

「そんなに」

 

「だから面倒なんだ。褒めてないぞ」

 

 

 その帰り、城壁通路で三郷とすれ違った。

 

「羽黒、ちょうどよかった」

 

 彼は訓練帰りらしく、汗を流したあとだった。肩には新しい外套が掛けられている。

 

「これ、今度の編成表。たぶんお前にも回ってると思うけど、念のため」

 

 差し出された紙は、さっき曹長に見せられたものの写しだった。

 

「ありがとう」

 

「いや、別に」

 

 少し間が空く。前なら、こんな沈黙はもっと短かった気がする。

 

「……忙しそうだな、お前」

 

「そっちもでしょ」

 

「まあな。でも、騎士長直轄って結局、訓練がきつくなるだけなんだけど」

 

 三郷は苦笑した。たぶん会話を繋ごうとしてくれている。それも分かる。

 

「羽黒、今度時間ある時、また飯でも」

 

 昨日、工房で言われたのと同じ誘いだった。

 

「忙しいんじゃなかった?」

 

 声の角が、自分で聞いても硬かった。三郷が一瞬だけ黙る。

 

「忙しいけど、作るよ。お前が避けなきゃな」

 

「そっか」

 

 胸元へ紙の角が当たった。

 

「避けてない」

 

「じゃあ、昨日から何なんだよ」

 

 三郷は僕の返事を待った。通路の向こうから訓練帰りの班が来て、僕たちは壁際へ寄らされた。

 

「今ここでする話じゃない」

 

「いつならするんだ」

 

 答えられないうちに、班の列が二人の間を通った。

 

「じゃあ、またな」

 

 三郷はそう言って、来た方へ歩いていった。手の中の編成表は、端が汗で湿っていた。

 

 

 工房へ戻ると、中は妙に静かだった。祝宴の翌日特有の気だるさなのか、あるいは遠征後の再編成で皆が持ち場を移っているせいなのか。炉の音も槌の音も、いつもより一段低く聞こえる。

 

 僕は倉庫から運び込まれた予備フィルターの箱を検品しながら、ぼんやりと数字を追っていた。数は合っている。破損も少ない。記録にもズレはない。

 

 仕事としては、何も問題なかった。

 

 三度目で、同じ部品を不良箱へ入れかけた。数は合っているのに、手順だけがずれていた。

 

「羽黒、そっちの箱終わったら、第三棚の部材も見とけ」

 

 ガント親方が、帳場の奥から声を飛ばす。工房といっても、修理や注文を受ける店でもある。入り口の脇には、注文票と勘定箱を並べた帳場があった。

 

「はい」

 

 返事をしながら、僕は自分の声が驚くほど普通なことに気づいた。昨日の夜、あれだけ色々考えたのに、一晩明ければちゃんと働けてしまう。

 

 人間は、そう簡単には壊れないのかもしれない。あるいは、壊れきる前に慣れてしまうのかもしれない。

 

 第三棚の部材箱を開ける。浄水器の交換用パーツ。応急修理用の金具。馬車の軸受け。

 

 どれも棚から消えれば誰かが困る。それは分かる。それなのに、木箱のラベルには僕の名前がどこにもなかった。そう思ってしまった時点で、もうだいぶ危ういのだろう。

 

 

 日が落ちてしばらくした頃、工房の戸口にアンテラル騎士長が立っていた。一昨日は工房の入り口で、昨日は帰りの廊下で。三日連続で前触れもなく現れるその姿に、今度は少し腹が立った。

 

「……最近、よく来ますね」

 

「考えはまとまったか。燻るなと言った話だ」

 

「まとまってません」

 

「結構。まとまっていないうちに動くな」

 

 騎士長は僕を一瞥した。

 

「貴様は、今の場所で使える。だが、それだけで済ませるには少し惜しい」

 

「騎士長は、僕に何をさせたいんですか」

 

 騎士長は親方の作業台に置かれた修理札を一枚取った。

 

「配置換えを望むなら、希望先と引き継ぎ日を書け。『ここではないどこか』では書類にならん」

 

 何も決めていないことを、きれいに逃げ道まで塞がれた。

 

「貴様がここに残るのも、離れるのも、軍にはどちらでもいい。必要なのは、空く席と命令系統を先に決めることだ」

 

「僕の気持ちは」

 

「報告書の欄外にでも書け」

 

 騎士長は本当に用件を終えたらしく、親方へ部品の納期を聞き始めた。僕だけが会話から外れた。

 

 

 騎士長が去った後、僕は一人で倉庫の鍵を閉めた。夜の工房は、昼より広く見える。人のいない作業台。片付けられた工具。冷めた炉。

 

 ここは居心地がいい。やるべき仕事も、いくらでもある。

 

 灯りを落とす前に、僕は第三棚の修理札を数えた。十二枚。明日も同じ場所へ来れば、少なくとも十二件は僕を待っている。

 

 倉庫の鍵を親方の釘へ戻した。いつもは自分の腰へ下げたまま、翌朝また開けていた鍵だった。

 

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