ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《辺境者の歌》 三章 一節
『城の外の朝は、影の長さで自由の代価を示す。』
第二王城の城門を出て、外縁街道へ下りた。城壁は背中側にあり、道は城下へ伸びている。
新章開始、と頭のどこかが言った。もちろん音楽は鳴らない。荷袋の金具が背中で擦れ、肩紐が食い込んだだけだった。
歩く。ただ歩く。それだけで精一杯だった。
背中の荷袋が、城の中で担いでいた時より重い。中身が増えたわけじゃない。まずは今日の仕事と、夜までに荷を下ろせる場所を自分で見つける。布の紐まで妙に肩へ食い込んできた。
朝の空気は冷たく、肺に入れるたびに頭の奥が少し澄んだ。外縁街道にはまだ人が少なく、時おり魔導式の装甲車が低い駆動音を残して通った。
城内の朝は号令や足音で始まる。外の朝はもっとばらばらで、誰かに合わせて動いている感じが薄い。……自由って、案外静かだな。静かなぶん、自分の足音だけがやけに近かった。
✶
外縁の通りに入る手前で、後ろから車体の低い唸りが近づいてきた。
「兄ちゃん、道の真ん中だと轢くぞ」
振り返ると、くすんだ鋼板を張った小型の魔導式装甲車が寄ってきていた。半分だけ覆われた荷台には木箱と麻袋が固定され、運転席から顔を出した中年の男が片手で合図している。
「すみません」
慌てて端へ寄る。
運転手は僕を一瞥し、肩の荷袋と作業着を見た。
「城勤め上がりか?」
ただの世間話らしい。それでも「城勤め上がり」という言い方は、卒業生みたいで少し変な気分になった。
「まあ、そんなところです」
「そんなところ、ね」
運転手は鼻で笑うでもなく、操縦桿を軽く戻した。
「行く当てが決まってるならいい。決まってないなら、朝市の先の共同宿は早めに押さえとけ。陽が高くなると埋まる」
「ありがとうございます」
「礼はいらん。迷って装甲車の前に出られる方が困る」
それだけ言って、装甲車は低い駆動音を残して先へ進んでいった。
装甲車は妙にあっさり走り去った。名前も聞かれなかった。
城で僕に声をかける人は、兵站の補助、工房の見習い、アンテラル騎士長の下についた転移者だと知っていた。今の僕は、道の真ん中にいた荷物持ちの若者だった。
少し楽で、かなり心細い。森田さんの言った「個人」は、たぶんこういう意味も含んでいた。
✶
朝市通りは、日が上がるにつれて急に音を増していった。
野菜籠を並べる音、板戸を開ける音、湯気の立つ鍋を運ぶ音。誰かの怒鳴り声を、別の誰かが笑って流した。
王都の中心街ほど整っておらず、石畳は欠け、壁には補修跡が多い。格好いい街ではない。店先では、割れた籠を縄で縛り直していた。
僕は立ち止まり、通りを見回した。樽を運ぶ男の上には「11」、犬を追う子供には「3」、装甲車へ荷を積み直す女には「9」が浮いている。
数字そのものには、もう驚かない。ただ、城の外では相手の強さや経験の目安になっても、僕の立場を保証してはくれなかった。
数字は相手の目安にはなっても、僕の身分札にはならない。犬を追う子供の「3」を見たところで、迷子かどうかも分からなかった。
便利だけど、思ったより雑な力だ。今さらだけど。
教室なら、三郷が「じゃあまず飯だな」と言い、桐谷さんは僕が立ち止まった理由を先に拾う。飛井なら、街の看板を勝手に読もうとして怒られる。思い出した途端、腹が鳴った。
✶
通りの角に、小さな食堂を見つけた。
木の看板は半分剥げ、店先の樽も新しくはない。それでも扉の隙間から、焼いた薄パンと塩気のある肉、香草を煮た湯気の匂いが流れてきた。
城を出る前は、まともに食べていない。腹がぐう、と鳴った。空腹は緊張の後ろに溜まっていたらしい。僕は扉を押した。
店内には丸卓が三つ、奥に煮炊き場。客は、眠そうな若い男と、鎧の留め具を外しかけたままスープを飲む女の二人だけだった。
「いらっしゃい」
奥から声をかけた女主人は、腕まくりした前腕が太く、鍋を振る手つきに迷いがなかった。
「食事、できますか」
「そのための店だよ。座りな」
言い方は雑だが、追い出す感じではない。僕は入口に近い席へ腰を下ろした。
「初見だね。王都の人間じゃない?」
「ええと……」
少し迷ってから、僕は言った。
「最近まで城の中にいました」
「なるほど。じゃあ余計に腹減ってる顔だ」
女主人は勝手に納得し、木皿を置いた。
「朝定食。薄パン二枚、燻肉、豆の煮込み。高い方は卵がつく」
「安い方で」
「見栄がなくて結構」
そう言って奥へ引っ込む。
その気安さに、肩から力が抜けた。期待されないのが助かるって、だいぶ情けないけど。
それでも、少し「旅の一日目」みたいだと思った。
木皿の縁の欠けと、手の中に残った銅貨を見た瞬間、その見出しはすぐ引っ込んだ。旅なら宿代を数えなくていい、なんてことはない。むしろ、ここからは全部それだ。
しばらくして木皿が運ばれてきた。
薄パンは固いが温かい。豆の煮込みは塩が強く、燻肉の脂とよく合った。城の食事の方がたぶん上等なのに、匙はこっちの方が進んだ。
「兄ちゃん、旅人?」
向かいの卓から、眠そうだった若い男が声をかけてきた。革の胸当てに安物の短剣。頭上の数字は「12」で、僕と大差ないか少し上くらいだった。
「旅人というほどでは」
「じゃあ職探しか」
男の目が、僕の腰の荷と靴底を往復した。
「そんな感じです」
曖昧に返すと、男は勝手に頷いた。
「だったら西の詰所の掲示板を先に見た方がいい。今日みたいな朝は、装甲車の積み込み補助とか近距離護衛が朝のうちに埋まる」
「西の詰所?」
「冒険者協会の仮窓口みたいなもんだよ。正規の建物はまだ先だが、最初の受付ならそっちで済む」
アンテラル騎士長の封書にも、外縁区西側の窓口へ向かい、登録確認、身分照会、携行技能の簡易申告を受けろとあった。
昨夜は他人事のように読んだ文面が、街の人間の口から同じ場所を聞いた途端、地面につながった。
「ありがとう。助かります」
「礼はいらない。俺も最初に教わったからな」
男はそう言って、残りのスープを飲み干した。
「まあ、気をつけろよ。あそこ、朝一は人が多い。ぼさっとしてると順番も仕事も飛ぶ」
男は雑な忠告だけ残し、席を立った。
知らないなら教わって、次は動く。単純だ。そのぶん、ぼさっとしていると順番も仕事も飛ぶらしい。
✶
食事を終え、銅貨を払って外へ出る。
空は青みを増し、通りはもう朝の密度になっていた。肩がぶつかり、装甲車の駆動音と金具の軋み、怒鳴り声と笑い声が混じる。
城門を出た時の静けさは消えていた。その方が、今は歩きやすかった。
「あんた、背中の荷、紐が片方緩んでるよ」
食堂の女主人が、扉口から声を飛ばした。
「え?」
確かめると、右側の結び目が浮いていた。このままなら、荷袋の中身を道へ撒いていた。
「ありがとうございます」
「外は、誰も拾って追いかけてくれないからね」
その言葉は、説教というより事実だった。
「覚えときます」
「覚えるだけじゃなく、締めな」
僕がその場で結び目を締め直すと、女主人は店の奥へ戻っていった。
誰も僕を特別扱いしないが、紐が緩んでいれば教えてくれる。城の外はもっと冷たい場所だと思っていた。
ただし、道の真ん中に立てば普通に轢かれる。そこは朝一番で学んだ。
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西の詰所へ向かう道の途中、小さな外門の前を通った。
そこに立つ老兵がこちらを見た。癖で姿勢を正しかけ、途中で止まる。城内勤務ではないのに、体だけが敬礼の角度を覚えていた。老兵は口の端を上げた。
「新しい朝か」
独り言のような声だった。
「……たぶん」
「なら、背筋だけ伸ばして行け。肩まで固めるな」
老兵はそれだけ言って、外門へ顔を戻した。
僕は頭を下げ、その場を離れた。試しに肩の力を抜くと、荷袋がずり落ちかけた。難しい以前に、紐の調整が要る。
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西の詰所は、外縁区の石造りの倉庫を半分だけ改装したような建物だった。
立派とは言い難いが、入口には列ができ、壁の掲示板には羊皮紙が何枚も貼られていた。荷運び補助、街道監視、薬草採取、簡易護衛。
城の命令書とは違う、生活のための依頼だった。金額と期限が全部の紙にあり、胸が高鳴って、すぐ手持ちの銅貨を数え直した。
荷袋から、アンテラル騎士長の署名が入った紹介状を出した。最初の受付は通せても、その先で何を聞かれるかは書かれていない。
布の紐を握り直しても、手のひらの汗は引かなかった。それでも足は動き、列の最後尾へ入れた。
前には重装備の男、後ろには籠を抱えた女。誰も僕を知らないし、列は僕の覚悟を待たずに進んだ。
朝の光が倉庫の壁を斜めに照らす。列が一人分進み、僕も前の男が空けた石床へ移った。
受付から「次」と声がした。まだ僕の番ではない。それでも、紹介状の角を折らないよう持ち直した。
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