ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《辺境者の歌》 三章 二節
『名を出す場所では、名を書いた者から世界に読まれる。』
列は案外速く進んだ。
いや、正確には、進む列と進まない列があるのだと、並びながら分かった。
入口の左側では、すでにタグを持っている冒険者たちが慣れた様子で紙を出し、受付を済ませていく。
右側の列は遅い。僕が並んでいるのもそちらだ。
新規登録、身元確認、仮査定。時間がかかるのは当然だった。
当然なんだけど、当然だからといって緊張しないわけじゃない。
むしろ「ちゃんとした手続きです」と言われるほど、何か一つ書き間違えたら追い返されそうで怖い。
倉庫を改装した詰所の中は、外から見た以上に忙しない。
木机が何列も並び、帳簿をめくる音、靴音、呼び出しの声が絶え間なく重なる。
壁際には掲示板、奥には簡易の仕切り、さらに奥には検査用らしい空きスペース。
城の役所とも、兵站区画とも少し違う。
もっと露骨に「流す」ための場所だ。
人も依頼も情報も、滞らせず前へ送るための場所。
それが冒険者協会の窓口なのだと、入った瞬間に分かった。
……いや、分かった気になった、の方が正しいかもしれない。
僕はまだ列に並んでいるだけだし。
しかも列に並んでいるだけなのに、少し胸の奥が忙しい。冒険者登録。仮査定。初依頼。言葉だけ並べると、昔なら画面の右下に小さな通知が出てきてもおかしくない。
ただ、実際に目の前にあるのは、木机と帳簿と、前の人の靴についた泥だった。
夢のある単語ほど、受付の窓口を通ると急に手触りが硬くなるらしい。
✶
「次」
呼ばれて前へ出る。
受付の向こうにいたのは、年の頃三十前後の女性職員だった。
髪を後ろでまとめ、袖口をきっちり留めている。机の上には帳簿、印章、薄い金属板、それから小さな魔術灯。
「新規登録ですか」
「はい」
「紹介状、身元の分かるもの、あれば補助経歴」
よどみのない口調だった。
何度も同じ文言を繰り返している声だ。
こちらが噛んだら、そのまま机の端から転がり落ちそうな速度だった。
僕はアンテラル騎士長の封書と、城内で使っていた簡易身分札を差し出した。
受付職員はまず身分札を見て、それから封書の封を確認した。
騎士長の署名を見た瞬間だけ、眉がわずかに動く。
「……第二王城経由」
「はい」
「軍籍ですか」
「違います。城内常駐の補助任務から外れました。今回から外部実地、という形で」
自分で言いながら、言葉の縁がぼやけているのが分かった。
だが、下手に飾るよりましだろう。
ここで「王城で色々やってました」なんて言ったら、自分でも胡散臭い。
受付職員は封書を開き、中身にざっと目を通した。
「なるほど。身元照会は通ります」
そこで顔を上げる。
「ただし、紹介状があっても登録と査定は別です。協会規範にも、実務基準にも例外はありません」
「はい」
「対人依頼、軍事従属依頼、所属不明の武装集団への随伴依頼は不可。護衛、輸送補助、採取、調査、雑務は可。登録直後は単独長距離護衛も原則不可」
言葉が机に整然と並べられていく感じがした。
禁止事項の列が長い。
自由冒険者協会という名前なのに、自由への入口はだいぶ不自由だった。
いや、まあ、当然か。
自由に死なれても困るのだろう。
「問題ありますか」
次の声まで、少し間があった。
「ありません」
「では名前を」
返事は、すぐには続かなかった。
僕は息を吸って言った。
「羽黒承です」
それだけのことなのに、少し喉が乾いた。
ただ名前を言っただけだ。
なのに、城を出た時よりも「外に来た」感じがした。
職員は羽根ペンを走らせる。
「ハグロ・ショウ。年齢」
「十七です」
「主な技能」
そこで少し迷った。剣術、と言えるほどではない。
魔法、はもっと違う。兵站補助、と答えても伝わりにくい。
「整備補助、荷運び、道具点検、野営準備、応急処置の初歩……あとは、訓練で基礎戦闘を少し」
自分で口にして、肩掛け紐を握り直した。
火も出ない。雷も出ない。空間も曲がらない。
改めて並べると、本当に地味だ。
実際、受付職員の反応も薄い。
「特化なし、実務寄り」
帳簿にそう書かれたのが見えた。間違ってはいないが、少し胸に刺さる。
特化なし。実務寄り。
うん。履歴書に書いたら採用担当が一番反応に困るやつだ。
三郷が聞いたら、たぶん笑う。
地味に強いやつじゃん、と言いそうだ。山崎なら、いやそれサポート職だろ、と横から茶々を入れるかもしれない。桐谷さんは、たぶん少し考えてから「でも必要だよね」と言う。
そういう声を勝手に思い出したせいで、胸に刺さった言葉の角が、ほんの少し丸くなった。
それでも帳簿の上では、僕は特化なしだった。
「仮査定を受けてください。右奥の三番卓です」
「タグはすぐ発行されるんですか」
「査定通過後、仮登録札を発行します。正式な協会タグは最低限の実績確認後です」
その方が、こちらも返しやすかった。
いきなり肩書きだけ立派になっても困る。
「あと一つ」
職員は書類から目だけを上げた。
「紹介状があるからといって、現場の評価が甘くなることはありません。むしろ逆です」
「……そうでしょうね」
「分かっているなら結構です」
声は素っ気なかったが、妙な嫌味はなかった。
受付職員は慰める調子ではなく、査定欄を読み上げていた。
✶
三番卓には、腕の太い男が座っていた。
四十代半ばくらい。古傷のある前腕。机の端には革表紙の記録帳。
頭上の数字は「18」。
飛び抜けて高くはない。
だが、現場慣れした気配は数字以上だった。
数字だけ見れば、もっと上の人は城でいくらでも見ている。
でもこの人の「18」は、机の前で眠っていない感じがした。
「新規か」
「はい」
「紹介状持ちだって?」
「持ってるだけです」
そう答えると、男は口の端を少し上げた。
「悪くねぇ返事だ」
彼は封書の控えを一瞥し、僕の格好を上から下まで見た。
靴、荷袋、腰回り、手の甲、肩の張り。
視線が細かい。
「剣を振る手じゃねぇな」
「あまり得意じゃありません」
「だろうな。で、何ができる」
さっき受付で答えたのと、ほぼ同じことを伝える。
男は途中で一度も頷かなかった。
「要するに、地味なことは一通りできるって言いてぇわけだ」
「派手な方は、たぶん期待されると困ります」
「みんなそう言う」
その一言に、後ろで待っていた誰かが小さく笑った。
振り向くと、皮鎧姿の若い男が肩をすくめている。
たぶん僕より少し上くらいだ。
胸当ての端に、簡素な協会タグが揺れていた。
名前らしい刻みは、ラド。
「新人はみんな『荷運びできます』『野営できます』って言うんだよ。で、実際に組ませると荷は片寄るし、火起こしで鍋は焦がす」
わざわざ口を挟まなくてもいいのに、と思う。
でも、言い返さなかった。言い返したところで、実績にはならない。
口で勝っても荷物は真っすぐ積めない。男はもう次の木箱へ手を掛けていた。
城の中でなら、紹介状があるだけで通った扉もあった。
ここでは、その紙がかえって笑われる材料になるらしい。
……まあ、僕が逆の立場でも少し怪しむかもしれない。
「聞こえたか」
机の端に積まれた書類の隅に、リゼルという名が押印してあった。
リゼルが言う。
「はい」
「なら証明しろ。口じゃなく手で」
彼は椅子から立ち上がり、背後の簡易査定場を顎で示した。
✶
査定場は、倉庫の半分を縄で仕切っただけの雑な空間だった。
木箱、ロープ、空樽、簡易天幕、担架、消火砂、装甲車の予備部品。
戦う場所ではなく、働けるかどうかを見る場所だと一目で分かる。
「新規の実技は三つだ」
リゼルが言う。
「荷の仕分け、野営準備、緊急時の判断。剣の腕を見たい時もあるが、お前はそっちじゃねぇ」
剣の腕を見られずに済んだ。胸の奥に、少し硬いものが残った。
「まずこれ」
足元に、四つの荷箱が並べられる。
大きさは似ているが、重さは違うらしい。
「二人編成で半日移動。魔導式装甲車一台に同乗。雨の可能性あり。都市外で一度だけ短時間停車。負傷者一名想定。積み込み順に並べろ。理由も言え」
訓練で似たようなことは何度もやった。
兵站区画では、物資の積み順ひとつで人が疲れるし、取り出しの遅れで手当てが遅れると教えられた。
僕は箱に手を置いて重さを確かめる。乾物。水。
天幕部材。救急具。
見た目では分からないが、持ち上げればだいたい分かる。
少なくとも、結び目は引いた分だけ締まった。
能力名が「対象の頭上に数字が表示される」でも、箱の重さは普通に腕へ来る。
「最初に救急具、その次に天幕、次に水、最後に乾物です」
「理由」
「負傷者が出た時に一番早く取り出す必要があるから。雨が来るなら、治療と同時に覆いも必要です。水は重量があるので重心を下に置きたい。乾物は即応性が一段落ちます」
「水が先じゃねぇのか」
ラドがまた茶々を入れる。
「喉は渇くだろ」
「短時間野営なら、行動中に携行水で繋げます。箱の水を最優先にするのは、転倒時の取り回しが悪いです」
だがリゼルは気にした様子もなく、次の指示を出した。
「じゃあ縛れ」
ロープが投げられる。
結びは手が覚えていた。
荷崩れしにくく、それでいて切迫時には外しやすい形。
ガント親方に習った結び方と、兵站で見た実用本位の結び方を混ぜたものだ。
結び終えたところで、リゼルが一度引いて確かめる。
ほどけない。
だが無駄に固くもない。
「……悪くねぇ」
初めて、男の声にわずかな評価が混じった。
✶
二つ目は簡易天幕だった。
杭の向き、風上、焚き火の位置、排水の溝。
すべてを完璧にやれるほどではないが、少なくとも何も知らない素人ではない。
「そこ、火口を近づけすぎ」
リゼルが言う。
「失礼しました」
すぐに位置をずらす。
「言い訳しねぇのはいい」
ぶっきらぼうな言い方だった。
だが、少なくとも失格扱いではない。
三つ目は口頭だった。
「護衛中、先頭の装甲車が駆動不良を起こした。後方から煙。依頼主は『荷を捨てるな』と言ってる。お前は前衛でも指揮役でもねぇ。どう動く」
戦闘の正解を問うているわけではない。
混乱した時に、どこを見て、何を先に切るかだ。
「まず煙の種類を見ます。火災か、土煙か、魔法かで違うので」
「曖昧だな」
「分からないなら近づきすぎません。次に、駆動不良を周囲に大声で共有。装甲車を寄せられるなら寄せる補助に入ります。依頼主の指示は聞きますが、全体の退路を塞ぐなら従いません」
声に出してから、長すぎたと気づいた。机の向こうのペン先は、まだ止まったままだった。
「勝手だな」
「全員が止まる方が危険です」
そこでようやく、試験官の視線が僕の顔へ戻った。
「で?」
「負傷者の有無と、火が出ているかだけ先に確認します。僕が前衛でないなら、前に出る人間の邪魔をしない位置で、水、道具、担架の準備に回ると思います」
最後まで言うと、リゼルは黙った。
数秒、荷の縄だけが風で揺れた。
先に触った方が負けみたいで、かえって嫌だった。
やがて男は記録帳に何かを書き込み、顎で後ろを指した。
「おい、さっき笑ってた坊主」
「は?」
「お前、この新人と組んで荷をあっちまで運べ」
若い男が眉をひそめる。
「なんで俺が」
「査定だ。文句あるか」
ないらしい。
男は舌打ちして、縄の向こうに置かれた木箱へ向かった。
✶
箱は見た目以上に重かった。
だが、それ自体は問題ではない。
問題は持ち方だ。
若い男は力任せに片側を持ち上げようとして、最初から少し姿勢が崩れていた。
「待って」
「は?」
「そのままだと角で手を切る」
僕は箱を一度下ろさせ、持ち手代わりに余っていた布を通した。
「これで滑りにくくなる」
「……細けぇな」
「落とすよりましだよ」
そう言うと、男は不満そうな顔のまま、もう一度持ち上げた。
今度は少し安定する。
指定された場所まで運ぶ途中、床の一部がわずかに湿っていた。
水樽の漏れか何かだろう。
「右」
「なんだよ」
「そこ滑る」
半歩ずらす。
男は最初こそ苛立った顔だったが、実際に床を見て口を閉じた。
無事に運び終える。
箱を下ろした瞬間、若い男が短く息を吐いた。
「……お前、力はそこそこだな」
「たぶん」
「でも、そういうのは見えてる」
そう言って、自分の手の赤くなった指を見た。
布を通していなければ、皮が剥けていたかもしれない。
「兵隊上がり?」
「上がりというほどでもないよ。城で少し」
「ああ、だからか」
それ以上は聞いてこなかった。
名前を聞かれない距離の方が、今は返事をしやすかった。
✶
リゼルのところへ戻ると、記録帳はもう閉じられていた。
「仮登録は通す」
その一言に、胸の奥のこわばりが少しゆるむ。
「ランクはまだ付けねぇ。仮扱いだ。最初の数件で見る」
「はい」
「お前は派手じゃない。だが、荷を崩さず、手順を飛ばさず、指示待ちで突っ立つタイプでもなさそうだ」
そこで男は、少し声を落とした。
「護衛じゃ一番生き残る類だ」
褒め言葉としては地味だった。
共同宿の主人は、空き部屋の中では上等だと言った。
「勘違いするなよ。強ぇって言ってるわけじゃねぇ」
「分かってます」
「分かってるならいい」
彼は木札ほどの大きさの薄い金属片を机に置いた。
表には協会の刻印。裏には仮登録番号だけが刻まれている。
装飾はない。
実に事務的だ。
クエスト受注、という単語を頭の端で押し込めた。
金属片は、ゲームの証明書みたいには光らない。
ただ冷たく、指の腹に角だけを残した。
「仮登録札だ。正式タグじゃねぇ。失くすな。依頼受領、報告、査定更新、揉め事の仲裁、全部これで引く」
指先で触れると、金属はひんやりしていた。
魔術的な処理があるのか、ほんのわずかに脈打つような感触がある。
ここに、僕の名前が紐づく。
それは城の身分札とは似ているようで、少し違った。
向こうは与えられた所属の印で、こっちは自分で持つための印だ。
「さっそく一件回す」
リゼルが掲示板の方を見た。
「小口の輸送補助。冒険者用の魔導式装甲車一台、外縁北の染色場まで。半日。戦闘想定は低い。だが雨で路面が悪い。荷の固定と到着時確認が必要だ」
胸が、少し高鳴る。
初依頼だ。
その二文字だけなら、まだ少し浮かれても許される気がした。依頼票。仮登録札。装甲車。染色場。ひとつずつ拾っていけば、ちゃんと冒険者の一日みたいに聞こえる。
ただし報酬は安く、荷は染料樽で、失敗すれば誰かの窯が止まる。
派手ではない。
でも、それでいい。
「受けます」
視線が、依頼票の余白で止まった。
「即答か」
「受けるために来たので」
リゼルは鼻を鳴らし、依頼票を一枚抜き取った。
「依頼主は外で待ってる。報酬は安い。だが、こういう仕事を雑にやるやつは信用を積めねぇ」
「はい」
「あと、護衛ってのは剣を振る前から始まってる。そこ履き違えるな」
その言い方に、シュメーダさんの講義が少し重なった。
守るためと、狩るためは別。護衛は物流と人の往来を支える仕事。
あの時はまだ、遠い話だった。でも今は違う。
目の前の木札と依頼票が、その言葉を現実の重さに変えていた。
✶
詰所の外では、小柄な商人が装甲車の横でそわそわしていた。
染料樽と布束を積んだ、冒険者用の魔導式装甲車だった。
小さい車ではない。
くすんだ鋼板を張った車体は、荷馬車よりずっと長く、後部の貨物区画だけで十人くらいは押し込めそうだった。前面と側面には薄い鋼板、足回りには歯車を守るためのカバー、後部荷台には固定用の金具が並んでいる。
走っていないのに、車体の近くは少し温かい。前の機関部から、油と熱い金属の匂いがした。魔導式という言葉から想像するより、ずっと機械っぽい。
だが右側の留め具が一つ甘く、荷縄の掛け方にも偏りがあった。
「新しい人、ですか?」
商人は僕を見るなり、少し不安そうな顔をした。
「仮登録です。でも、荷の固定は見られます」
そう言ってしまってから、少し言い切り過ぎたかと思う。
けれど、相手の不安をそのまま受けるよりはいい。
「時間がないんです。午前のうちに入れないと、向こうの窯が止まる」
「分かりました。まず縄を掛け直します」
商人がきょとんとする。
「え、出発前に?」
「だからです」
僕は装甲車の横にしゃがみ込み、染料樽の間隔と布束の偏りを見た。
重い樽が片側に寄っている。
このままぬかるみへ入れば、揺れで車体の片側に負担が寄る。
城の外に出てから、初めて依頼主の荷に触れる。
これはもう訓練ではない。
僕がしくじれば、相手の損失になる。
やることは分かっている。見る。整える。
僕は片側へ寄った樽に縄を回し、商人に反対側を持ってもらった。
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