ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《辺境者の歌》 三章 八節
『濡れた荷台に半日を載せれば、帰路は一日の重さを持つ。』
車両庫の屋根を、雨が細かく叩いていた。
三郷弦は、支給された外套の襟を立てながら、荷台へ積まれていく木箱を見ていた。
箱の側面には、白い塗料で番号が振られている。
弾薬。予備の魔導灯。簡易治療具。
水。携帯食。
兵士たちは慣れた手つきで箱を運び、固定具を締めていく。
その動きは速い。
速いのに、誰も慌てていない。
「俺たち、けっこう本格的な任務っぽくなってきたな」
山崎才我が、支給された小銃を肩に掛けながら言った。
「近郊演習地の魔物掃討補助だろ。任務っていうより、実地訓練だ」
佐々木宗助が答える。
「実地訓練でも、外に出るなら任務だろ」
三郷はそう言って、腰に提げた短剣の位置を直した。
言葉にすると、それがちゃんと事実に聞こえた。
守られるだけだった時期は過ぎた。
もう自分たちは、王城の中で震えているだけの学生ではない。
前へ出る。
戦う。
誰かの役に立つ。
そう思うと、雨音まで景気づけの太鼓みたいに聞こえた。荷台に乗るだけで、少し前ならイベント出発前のムービーみたいだと笑っていたかもしれない。今も、笑えないわけではない。ただ、木箱の番号と兵士の手つきを見ていると、笑い方だけは少し選ばないといけない気がした。
「三郷」
トズメク教導長の声が飛んだ。
「はい」
「浮かれるな。今日の目的は討伐数ではない。隊列を崩さず、報告と撤収まで終えることだ」
「分かってます」
「分かっている顔ではない」
即座に返され、山崎が横で吹き出した。三郷は苦笑いした。
たぶん、顔に出ていたのだろう。それでも、仕方がないと思う。
少し前まで、異世界に来たこと自体が悪夢だった。
今は、その世界でできることが増えている。
その実感は、簡単には抑えられない。
✶
出発直前、桐谷幸が荷台の横で立ち止まった。
「これ、水、足りる?」
彼女の声は小さかった。
「え?」
三郷が振り返る。
「人数、今日増えてるよね。随伴の兵士さん、昨日聞いた数より多い」
桐谷は荷台の木箱を指差した。
水箱は三つ。
兵士は昨日の予定より、たしかに四人多い。
「演習地まで半日もないだろ」
山崎が言った。
「でも、雨だし、戻りが遅れたら」
「予備くらいあるんじゃないか」
佐々木が荷台の奥を覗き込む。
兵士の一人が気づいて、積み荷表を確認した。
紙の上を指でなぞり、少し眉を寄せる。
「水箱、一つ追加だ。増員分が反映されていない」
短い命令で、別の兵士が走った。
大きな問題ではない。
誰かが気づけば済む程度のことだ。
でも三郷は、そこでふと羽黒の顔を思い出した。
あいつなら、先に気づいただろうか。いや、分からない。
でも、気づきそうだった。そう思ってしまった。
「桐谷、よく見てたな」
三郷が言うと、桐谷は少し困ったように笑った。
「なんか、こういうの、羽黒くんが見てそうだったから」
その名前が出ると、荷台の周りの空気がほんの少し変わった。
誰かが嫌な顔をしたわけではない。
ただ、雨音が少し大きく聞こえた。
「外でやってんのかな、こういうこと」
山崎が呟いた。
「たぶん」
三郷は答えた。たぶん。
それ以上は分からない。羽黒がどこで、誰と、何をしているのか。
王城にいる自分たちには、噂より細かいものは届かない。
✶
演習地での掃討は、成功した。
濡れた草を割って魔物が出ると、三郷の氷がその正面ではなく、逃げる側の地面を先に白くした。足を取られて向きを変えた一体へ、佐々木が半身で入り、剣の一撃で姿勢を崩す。
右へ逃れた影は、山崎の連射に押し戻された。銃声は騒がしいのに、弾着は土から脚へ順に上がり、魔物を佐々木の間合いへ返していく。
その外側を抜けようとした一体だけは、桐谷が撃った。雨で輪郭が滲んでも、肩口が跳ね、前へ出ていた腕が落ちる。
四人の攻撃は同時ではない。三郷が行き先を狭め、山崎が戻し、佐々木が止め、最後の隙を桐谷が抜いた。
兵士たちからも、悪くない評価をもらった。
「実戦投入まで、そう遠くないかもしれんな」
教導長がそう言ったとき、三郷の胸は確かに高鳴った。
実戦。
その言葉には、怖さよりも先に手応えがあった。
山崎が、足元の薬莢を拾いながら笑った。
「で、俺ら何発使った?」
軽い声だった。
けれど、兵士が開いた弾薬箱の中は、朝よりはっきり減っていた。雨に濡れた薬莢が、掌の中で小さく鳴る。
「訓練弾と実弾、混ぜて数えるな」
佐々木が言った。
「分かってるって。いや、でもさ。撃ったら減るんだな、これ」
「当たり前だろ」
三郷はそう返した。
当たり前だ。
当たり前なのに、少し遅れて胸に来た。
けれど帰りの車両の中で、三郷は濡れた手袋を握りながら、荷台の水箱を見ていた。
追加された一本は、半分だけ残っている。なくても、たぶん帰れた。なくても、大きな問題にはならなかった。
でも、あったから誰も喉を気にしなかった。たったそれだけのことが、妙に頭に残った。
「三郷?」
桐谷が声をかけた。
「いや」
三郷は首を振った。
「戻ったら、羽黒のやつに聞いてみる」
「何を?」
「外って、どういうところか」
桐谷は少し目を伏せた。
「戻ってきたら、ね」
「戻ってくるだろ」
三郷はすぐに言った。
すぐに口を閉じた。
「戻ってきたら、飯の味も聞くか」
山崎がわざと軽く言った。
「そこからかよ」
「大事だろ。羽黒、絶対そういうところ覚えてるぞ」
三郷は少し笑った。たしかに、あいつなら水の味とか、鍋の底とか、妙なところから話を始めそうだった。
車輪がぬかるみを踏み、車体が揺れる。
窓の外で、雨に濡れた道が王城へ続いていた。
同じ朝に出発したはずなのに、羽黒が歩いている道は、たぶんここではない。
三郷は濡れた手袋をもう一度握った。
勝てるようになってきた。
進めるようになってきた。
それなのに、何かを一つ、置いたまま走っている気がした。
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