ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《創世訓》 一章 五節
『天は人を器として用い、人はその痛みを運命と呼ぶ。』
地獄だった。騎士長はさっきの気だるげな顔とは裏腹に、多種多様な能力を使う生徒たちを叩きのめしている。
訓練場の白い射撃線は、もうあまり意味を持っていなかった。誰かが後ろへ下がり、誰かが砂地の方へ回り、結界板の前には倒れた木剣と空の弾倉が転がっている。
土壁の下には薬莢が散っていた。兵士が数える余裕は、たぶんもうない。
氷が砂地を白くし、炎が射撃線の向こうを舐める。そのたびに騎士長は攻撃の外へ半歩ずれ、術者の手が下がる前に木剣かナイフの柄を当てていた。
僕? 射撃場脇の木箱の陰に隠れて戦闘を観察中。参謀だから前には出れない!そう参謀だからね!!
木箱には訓練弾、と焼き印が押してある。今の僕には、英雄の盾より頼もしく見えた。
……昨日までの僕は、英語の授業をボーッと聞いている高校生だった。それが今は、異世界の城で木箱を盾に、クラスメイトが騎士に吹っ飛ばされていくのを数えている。冷静に並べると、どうかしている。どうかしているのに、目の前を追うだけで頭がいっぱいで、怖がる順番がずっと後回しになっていた。
「能力を使ったからって油断するな! 自分の攻撃はすべて当たらない前提でいろ!」
そうアドバイスをしながら一人ずつ行動不能にしていく様は、敵役に見えた。
「言っておくが、これでも加減している。魔物は加減をしない。最初の実戦で死ぬのは、負け方を知らんやつからだ」
騎士長がそう言い放つ間にも、また一人、木剣が宙を舞った。
三郷は倒れていない生徒を左右へ散らし、自分も銃を撃つ。騎士長のナイフが青く光り、弾丸は刃に触れたところで土壁側へ逸れた。流石にイカれてる……!
「みんな援護を頼む!」
三郷くんがそう叫ぶ。
銃を構える。弾を押し込み、構え直す。けれど照準の先にいたはずの騎士長は、もう別の場所にいた。
白い射撃線の右。砂地の中央。結界板の前。
位置が変わるたび、誰かの銃口も遅れて動く。
追い切れない。
僕は三郷に向かって手を振った。口で言うより、その方が早い気がした。
彼はこちらを向き、騎士長の方を確認して……駆け寄ってくる。
よし! 気付いてくれた!
ここまでは、全員が自分の能力を騎士長にぶつけていただけだった。
でも、それでは届かない。
なら、重ねるしかない。
「三郷。みんなに一斉に撃たせて、あと、少し時間を稼いでくれないかな?」
「案があるんだな? 任せとけ。”参謀”」
三郷はまだ動ける連中のところへ走り、短く何かを伝えていく。途中から、声の通る男子も混ざった。
彼は体育館で列を作る時も、いつの間にか人数を左右に散らしていた。先生に頼まれたわけでもないのに、空いている場所を見つけるのが早い。
うまくいくかは分からない。
分からないままでも、もう撃つしかなかった。
「雷、いけるか!」
雷撃の男子が人差し指を向けるが、その先から放たれた光はカスリもせずに何も無い空間へ飛ぶ。
昼休みに割り箸をペンみたいに回していた手だ。その手が今は、知らない魔法の形を作ろうとしている。
「良い攻撃だな、雷のやつ! だがまだまだだ! 隙の多い攻撃を点に集中させるな! “回数”もしくは“面”を意識しろ!」
「今だ! 撃て!」
その瞬間、左右へ散った生徒たちが一斉に射撃する。もちろん僕も撃った。狙うのは騎士長本人というより、砂地の左右と後ろだ。逃げる幅を狭める。
「ふむ、ブラフだな! 良いぞ!」
多数の銃声が重なる。左右と後ろを塞がれた騎士長は、砂地を蹴って上へ逃げた。え? 人間離れしすぎてないか……。土壁には横一列の着弾痕が残り、白い粉が雨みたいに落ちる。
土壁の白い粉が、雨みたいに落ちる。
僕たちの銃声は大きい。でも、騎士長の足音の方が怖かった。
「いい連携だな、だが反応が悪い」
当たる気がしなかった。
騎士長が速い、というより、こっちの弾が遅いのかもしれない。
排莢しようとして、指が一度止まる。ハンドルを起こし、引いて、押し込む。そこだけで半拍遅れた。
「飛べるやつ、今だ!」
「あぁ!」
飛べる男子が、煙瓶を抱えた生徒ごと騎士長の着地点へ突っ込んだ。黄緑色の煙が、降りてくる騎士長の足元から広がる。毒ガスか!
煙は訓練場の中央から、射撃線の方へ少し流れた。風がなければ、僕たちも吸っていたかもしれない。
抱えられている方は、教室ではプリントを配る時にいつも一枚余らせる。今はその体ごと、煙の入った瓶を守っていた。
「風、援護!」
気体を操作できる男子が両手を広げる。煙の射撃線側だけが押し返され、騎士長の周りへ厚く残った。流石は三郷くん、ちゃんと考えてる。
冗談を言う時も、彼は周りの反応を先に見ていた。今も煙の流れより先に、こっちの立ち位置を見ている。
「ほう。毒ガスか……ガスマスクでも持ってくるんだったな」
騎士長がナイフを下から振り上げる。
唇が少し動いた。
『風神の如く、賢者曰く「ダウンバースト」』
翻訳札が拾ったのは、そこまでだった。
ナイフが緑色に輝き、風が落ちる。横から吹くのではなく、上から叩きつけるみたいな風だった。複数人で必死に作り出した毒ガスの壁は、白線の向こうへ押し潰されるように吹き飛ばされた。
「今だ!! 今度は上下に散らして」
「悠長にもほどがあるぞ!」
騎士長が地面を蹴る。三郷が次の散開を言い終える前に間合いを詰め、銃を持つ手首を押さえて砂地へ組み伏せた。
「冷静に観察して仲間を指揮するのはいい考えだが、もっと仲間の強さと、命令の隙を考慮するべきだったなミサト!」
そう言った隙をついて三郷がダガーで斬り掛かった。だが容易く弾かれ、騎士長は拳を振り上げた。
三郷が前で引きつけている。
見えてから避けられるものは、たぶん駄目だ。
大きい火も、雷も、今の騎士長には遅い。
もっと、遅れないもの。
火も、雷も、弾も、見えてからでは遅い。
だったら、見えた時にはもうそこにあるものを使うしかない。
僕は、空間を歪める能力の女子の方を見た。
言葉遣いだけなら冗談みたいに上品なのに、勝負事になると遠慮が消える人だ。文化祭の射的で、景品の一番奥だけをずっと狙っていたのを覚えている。
突然、騎士長は三郷から離れた。
先程まで二人がいた空間が歪み、砂と木剣の切れ端を飲み込む。騎士長は煙の薄い側へ逃れたが、外套の裾だけが間に合わず、布が細く裂けた。
クッソ……あとちょっとだったのに……!
「痛いのが来たな、危ないところだった」
「流石にびっくり。騎士長様、ちょっと強すぎじゃないかしら?」
彼女がそう言うのが聞こえる。
歪みの外へ出られる方向は、煙の薄い砂地側しかなかった。
そこに、三郷がいた。
背中の汗が、急に冷えた。
見えてから避けた、ではない気がした。
歪んだ場所には、砂が低く沈んでいる。木剣の切れ端が、半分だけ消えていた。
騎士長がこちらを向く。その横から三郷の拳が入り、頬を捉えた。
「っ……!?」
騎士長が顔を歪める。初めてのクリーンヒットだ。予知(仮)が外れたのか、それとも逃げ道を一つにしたから届いたのか。どちらでも、今はいい。
「君、どっかに隠れてて」
僕は木箱の陰から立ち上がり、駆けた。
騎士長の拳で三郷の肩が沈み、その体が横へ飛ぶ。騎士長の顔は、まだ三郷を向いていた。
三郷の肩が、騎士長の腕の下で沈んだ。
足が先に出た。
剣を構えて走る。三郷の背と、騎士長の横顔しか見えなかった。
剣先が騎士長の外套へ届きかけた次の瞬間、足が払われた。
剣は空を切る。
頭を掴まれて、地面が一気に近くなる。
息が抜けた。
そこでやっと、自分が前に出てはいけない側だったことを思い出した。
石と砂の境目が、目の前に来た。
さっきまで地図みたいに見ていた訓練場が、ただの地面になった。
一瞬、彼の頭の数字が2857と輝いているのに気づいた。さっきまで15だったものが、増えている。
さっき同じ頭上に見えた15とは、桁が違いすぎる。強さなら、僕の体が先に分かるはずだった。けれど、今見えたものは、強いとか弱いとかいう言葉に入らない。
倒れる直前、射撃場の端に散った薬莢が見えた。
さっきまで、誰かが笑いながら撃っていたものだ。
もう誰も拾っていない。
✶
僕はふかふかのベッドの上にいた。
「気絶……したか……」
「派手にやられたね。可哀想に」
「森田……さん?」
森田さんがベッドの傍らにいる。
「そうだ、私だ、体調はどうだい?」
「まだ、体が痛いですが、思ったよりも大丈夫そうです」
「それは良かった、まぁ体調が整ったら、皆のところに行くといい」
彼の強さは一体何だったんだ?
こちらの行動が先に読まれている感じだった。この世界の強者は皆あんなに強いのだろうか? それだとしたら僕は一体どうすれば……
体力でもない。
魔力量でもない。
少なくとも、能力の有無そのものでもない。
それなら、横河くんの頭上が0だった説明がつかない。
じゃあ、この数字は何を数えている?
「違う」
「え、何がですか?」
「この世界には彼ほどの強者はいない。だが、それは身体的な強さという意味ではない。身体的な強度でみた場合では英雄級の魔族には劣る。だが、単純なそれにさらに一線を画すのが、彼の死という死の上に積み重ねられた強さだ」
「……話が掴めません」
「時が来れば彼から喋るだろう。楽しみに待ってなさい。だが……その前に」
扉の前に立つと言った。
「明日は一般常識の授業だ。ボーッと休んでる暇はないぞ」
「この状態でやるんですか!?」
「当たり前だろう。お前は戦場で負傷したからってすぐに帰還を諦めるのかい?」
「いや、なんというか、その。手心というか……」
「喋れるならまだまだ元気そうだね。では一時間後にまた会おう」
森田さんが出ていった後、寝台の横に置かれた小さな札に気づいた。
訓練中負傷。
打撲。
要観察。
たぶん、医務官の字だ。僕の大冒険は、まず三行の記録になっていた。
……この世界、かなり大変そう!
森田さんが最後に見せた目だけは、笑っていなかった。何を待てと言われたのか、その時の僕はまだ分かっていなかった。