ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

50 / 57
三章十三話 王都の端を越える朝

《辺境者の歌》 三章 十三節

『王都の端を越える朝、内なる灯は背後で小さく燃える。』

 

 正式タグを受け取った翌朝も、西詰所の匂いは変わらなかった。

 

 木。油。濡れた外套の残り香。

 

 変わったのは、僕の方だ。そう言い切れるほど大きな差ではない。

 

 ただ、帳場へ向かう途中で、もう仮札を確かめる癖が出なかった。

 

 内ポケットの中にある冷たい重さが、確かにそこにあると分かっていたからだ。

 

 朝の帳場は混んでいた。

 

 依頼票の束、貸し出し棚、外へ出る人間、戻ってくる人間。

 

 相変わらず、人も紙も滞るのを嫌う場所だった。

 

「羽黒」

 

 呼ばれて机の前へ立つ。

 

 リゼルは、今日の依頼票をすぐには出さなかった。

 

「北へ二日」

 

 短くそう言って、脇の紙を指で叩く。

 

「荷継ぎ小屋まで補給同行。三人組の予定だったが、一人寝込んだ。人手が足りねぇ」

 

 昨日見た、右側の紙だった。日をまたぐ依頼。

 

 見張り線のひとつ外。喉の奥が少し乾く。

 

「僕ですか」

 

「候補だ」

 

 彼は言い方を選ぶように少し間を取った。

 

「決まったわけじゃねぇ。向こうが嫌なら別だし、お前が断るならそれで終わる」

 

「向こう?」

 

 顎で示された先に、槍使いと弓手が立っていた。

 

 どちらも前に何度か組んだ顔だ。

 

 槍使いは腕を組み、弓手は壁へ肩を預けている。

 

 呼ばれてそちらへ行く。

 

「話は聞いたか」

 

 槍使いが言う。

 

「少し」

 

「北の荷継ぎ小屋まで行って、補給箱を届けて戻る。帰りは向こうの帳簿と空箱も回収だ。急ぎじゃないが、止まると面倒な仕事だ」

 

 弓手が続ける。

 

「本来は四人。今は三人。荷持ちが一人減ると、見張りと休止の回し方が崩れる」

 

 その言い方なら、こちらも頷けた。

 

 助けてやる、ではなく。

 

 足りない穴をどう埋めるか、という言い方だった。

 

「僕に何をやらせるつもりですか」

 

 聞くと、槍使いは少し目を細めた。

 

「まず後ろを見る。休止に入る前に水と火を確認する。荷の片寄りが出たら直す。いざとなりゃ撃て。近づかれたら切れ。無理なら引け」

 

 どれも分かる仕事だった。

 

 分かる仕事として聞けたことに、喉の奥が少し開いた。

 

「面倒を見る余裕はねぇぞ」

 

 槍使いが言った。

 

「そのくらいの方がいいです」

 

 即答していた。

 

 弓手がそこで初めて笑った。

 

「なら話は早い」

 

 その時、少し離れた帳場でラドがこちらを見ていた。

 

 彼は口を挟まなかった。

 

 ただ、槍使いと弓手の顔を見て、それから僕の腰の水袋へ視線を落とす。

 

「二日なら、替え紐をもう一本持て」

 

 それだけ言った。

 

「え?」

 

「荷より先に、袋の口が駄目になることがある」

 

 ラドは言い終えると、すぐ別の受付へ歩いていった。

 

 助言が短すぎる。

 

 いや、助言してくれただけましなのか。

 

 

 誘われた。

 

 ただそれだけのことなのに、頭のどこかが妙に静かにならなかった。

 

 西詰所の裏手で貸し出し棚の点検を手伝いながらも、僕はさっきのやり取りを何度か思い返していた。

 

 以前なら、必要とされたこと自体で少し浮ついたかもしれない。

 

 誰かと一緒に行く。

 

 名前を呼ばれる側に入る。

 

 そういうことを、もっと単純に喜べたはずだ。

 

 今は違う。

 

 誰かの輪に入ることは、そこから外れる時のことまで一緒に思い出させる。

 

 近い場所で動くことは助けになる。

 

 でも、近さはそれだけじゃ終わらない。

 

 相手の足音に自分の歩幅を合わせるうちに、いつの間にか自分の足で立っているのか分からなくなることもある。

 

 それが怖くないわけではなかった。

 

「まだ迷ってんのか」

 

 顔を上げると、弓手が木箱を抱えて立っていた。

 

「顔に出てますか」

 

「少し」

 

 彼は木箱を棚へ戻し、そこでそれ以上踏み込んではこなかった。

 

「別に断ってもいい」

 

「……はい」

 

「ただ、お前が考えてるほど重く受け取る話でもない」

 

 その言い方が、少し意外だった。

 

「二日歩くだけだ。戻れば終わる。酒を酌み交わして義兄弟になるわけでもない」

 

 ほんの少し、肩の力が抜けた。

 

 そういう距離なら、持てるかもしれない。

 

「逆に言えば、それだけだ」

 

 弓手は淡々と続ける。

 

「こっちは荷を止めたくない。お前は外を見たい。利害はそれで足りる」

 

 きれいな言葉ではなかった。

 

 でも、変にきれいな言葉より信用できた。

 

「一つだけ」

 

「途中で無理だと思ったら、引く方を選びます」

 

「選べ」

 

 弓手は即答した。

 

「そこで意地を張るやつは連れて行かねぇ」

 

 

 昼の仕事が引く頃、槍使い、弓手、それから僕の三人で外縁区の小さな食堂へ入った。

 

 煮豆と固いパンと、薄い肉の入った塩気の強い汁。

 

 温かいものを腹へ入れながら、明日の話をする。

 

 言えることは、そこで尽きた。

 

「出るのは日の出前」

 

 槍使いが指を折る。

 

「最初の休止は城壁影が切れてから。昼前に一度長く止まる。水はそこで半分まで。夜番は二つに分ける」

 

「荷継ぎ小屋の中は?」

 

「狭い」

 

 弓手が答える。

 

「寝る場所も広くねぇ。だから荷は中、寝るのは壁際、火は小さく」

 

「……はい。壁際、火は小さく、荷は中ですね」

 

 会話は必要なところだけで進んだ。どこから来たのか。何を失くしたのか。

 

 どうしてここにいるのか。そういう話は、誰もしなかった。その距離なら、こちらも息を継げた。

 

 食堂を出る前、槍使いが立ち上がりながら言う。

 

「確認だけだ。お前を拾うわけじゃない」

 

「はい」

 

「お前もこっちに寄りかかるな」

 

「そのつもりです」

 

「なら明日来い」

 

 それで決まった。

 

 雑ではない。

 

 でも、踏み込みすぎない。

 

 そのくらいの距離が、今の僕にはちょうどよかった。

 

 

 宿へ戻ってから、荷を広げた。

 

 水袋と黒パン、干し肉を油布の上に置き、替え紐と針を布の端へ寄せた。

 

 使い捨て結界の魔法具は一番取りやすい位置に入れる。

 

 旧式ライフルを受けるための空きだけは、荷袋の中で変に大きく見えた。

 

 二日歩くだけ。

 

 そう言われれば小さい。

 

 けれど、日をまたぐ距離は、半日で戻る仕事とはやはり違う。

 

 戻る手順を、夜を挟んだ形で持たなければいけない。

 

 共同部屋の隅で紐を締め直しながら、僕は昼の言葉を思い返していた。

 

 拾うわけじゃない。寄りかかるな。

 

 冷たい言い方にも聞こえる。でも、僕にはむしろその方が助かった。

 

 近さが最初から決められていれば、そこから先を勝手に期待しなくて済む。

 

 同じ道を歩く。同じ火のそばで一晩だけ休む。でも、それ以上の何かを急いで結ばない。

 

 それなら、たぶん持っていける。内ポケットのタグに触れる。薄い金属の冷たさは、昨日と同じだった。

 

 ただ、その先で待っている紙はもう違う。僕は荷袋の口を閉じ、壁にもたれて座った。まだ不安はある。

 

 誰かと近い場所で動くことへの身構えも、きっと簡単には消えない。

 

 それでも明日の約束は、鎖というより、細い橋に近かった。

 

 渡りきれるかは分からない。

 

 けれど、橋の端に立つくらいなら、もう出来る気がした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。