ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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三章十六話 名鑑の薄い紙

《辺境者の歌》 三章 十六節

『名鑑の紙が薄いほど、名を失う穴は深くなる。』

 

 冒険者名鑑の紙は薄かった。

 

 佐々木宗助は、図書室の長机に肘をつき、古びた冊子のページをめくった。

 

 王城の図書室には、日本の学校図書館とは違う匂いがある。

 

 紙と革と、乾いた薬草。

 

 それから、長い間誰かが触れずに置いていたものの匂い。

 

 冒険者名鑑。

 

 名前だけ聞けば、もっと派手な本かと思っていた。

 

 英雄譚のように、強い冒険者の武勇が並んでいるのだと。

 

 実際に載っているのは、階級、登録地、主な依頼種別、活動停止の理由、処分歴。

 

 文字は細かく、熱は薄い。

 

 けれど佐々木には、その薄さがかえって気になった。

 

 人が戦って、戻って、失敗して、時には死ぬ。

 

 それが、数行に圧縮されている。

 

「佐々木、まだ読んでたのか」

 

 三郷が椅子を引いて座った。

 

 その後ろから、桐谷と山崎も入ってくる。

 

「訓練は?」

 

「終わった。騎士長に三回投げられた」

 

「今日は少ないな」

 

「おい、褒めろ」

 

 山崎が笑い、桐谷も少し表情を緩めた。

 

 佐々木は名鑑を閉じかけて、やめた。

 

「羽黒の噂、聞いたか」

 

 三郷の手が止まった。

 

「噂?」

 

「西詰所で、仮登録の先に進んだらしい。正式タグか、その手前かは分からない」

 

「誰から聞いた」

 

「兵站の人間が話していた。城外の補給同行から戻って、そのまま次の依頼を選んだとか」

 

 桐谷が椅子に座らないまま、机の端に手を置いた。

 

「戻ってきたの?」

 

「王城には戻っていない」

 

 佐々木は言った。

 

「詰所に戻った、という意味らしい」

 

 その違いで、空気が少し変わった。

 

 戻る。

 

 その言葉は、いつの間にか場所を変えていた。

 

 以前なら、戻る場所はこの城だった。

 

 教室として使っている部屋、食堂、訓練場、図書室。

 

 同じ廊下で顔を合わせることが、戻ってくるということだった。

 

 今の羽黒にとっては、違うのかもしれない。

 

「……ちゃんとやれてるなら、いいことだろ」

 

 三郷が言った。

 

 三郷は立ったまま名鑑を引き寄せ、同じ頁を二度めくった。

 

「その兵站の人、名前は」

 

「知らない」

 

「じゃあ噂だろ」

 

「だから最初にそう言った」

 

 佐々木が答えると、三郷は冊子から手を離した。頁の角だけが折れて残った。

 

 

「冒険者って、そんなに細かく記録されるんだ」

 

 桐谷が名鑑を覗き込んだ。

 

「細かいというより、冷たい」

 

 佐々木はページを指で押さえた。

 

「ここを見ろ。活動停止、左脚欠損。理由、迷宮内撤退失敗。備考、遺物未回収」

 

 山崎は冊子を閉じようとした。佐々木が頁を押さえたままだったので、表紙だけが半分持ち上がった。

 

「それ、名鑑に載せる必要あるのか」

 

「あるんだろう。次の依頼を出す時に、同じ失敗を数えないために」

 

「本人が読みたいとは思わないけどな」

 

 山崎は手を引いた。持ち上がった表紙が乾いた音を立てて戻った。

 

「迷宮って、前に森田さんが言ってたやつだよね」

 

 桐谷が呟いた。

 

「人の恐怖とか、記憶とかが形になる場所」

 

「そうらしい」

 

「そこにも行くのかな、私たち」

 

 答えの代わりに、椅子を引く音だけが短く鳴った。

 

 行きたい、とは以前なら言えたかもしれない。

 

 未知の場所。

 

 遺物。

 

 冒険。

 

 日本にいた頃なら、そういう言葉に胸が躍った。

 

 今は、名鑑の薄い紙が指に貼りつく感覚の方が強かった。

 

「行くことになるだろ」

 

 三郷が言った。

 

「たぶん」

 

「怖い?」

 

 山崎が冗談っぽく聞いた。

 

 三郷は少し考えてから、笑った。

 

「足が止まるに決まってるだろ」

 

 その答えがあまりに普通で、佐々木は少し驚いた。

 

 三郷は続けた。

 

「でも、行けって言われたら行くんだろ」

 

「それ、行けるのと違わない?」

 

 桐谷が聞くと、三郷は笑ったまま答えなかった。

 

 

 図書室を出る頃、廊下の向こうから森田ロハンが歩いてきた。

 

 佐々木たちが軽く頭を下げると、森田はいつもの曖昧な表情で立ち止まった。

 

「冒険者名鑑ですか」

 

「はい」

 

「よい資料です。勇ましい物語より、ああいう記録の方が役に立つこともあります」

 

 三郷が口を開いた。

 

「羽黒は、外で大丈夫なんですか」

 

 森田は少し目を細めた。

 

「任務中です。私から話せるのは、それだけです」

 

「生きてるかどうかも?」

 

 三郷が聞いた。森田は廊下の向こうを確かめ、声を落とした。

 

「昨日付の報告は届いています」

 

「昨日」

 

「今日のことは、私にも分かりません」

 

 森田は名鑑の折れた頁へ目を止めたが、直さずに廊下を進んでいった。

 

 佐々木は閉じた名鑑を脇に抱えた。

 

 紙の重さは大したことがない。

 

 けれど、妙に腕に残った。

 

 訓練棟の方から、午後の号令が聞こえた。三郷が先に歩き出し、桐谷と山崎が続いた。

 

 佐々木は折れた頁の角を伸ばした。活動停止の四文字に皺が残った。




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