ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《辺境者の歌》 三章 十八節
『茶葉なき部屋に座す者は、眠りより古い記憶と向き合う。』
2374- 第一王城応接室 第二婦人視点
ランドマールは、部屋に入ってすぐ立ち止まった。
香のない部屋に気づいたのだろう。
第二婦人は、その反応を見てから笑った。遅すぎず、早すぎず。母親が子の来訪を喜ぶ時の顔に近づける。王族が客を迎える時の顔にはしない。
「お母様」
「よく来ましたね、ランドマール」
呼び名は昔のままだった。
それだけで、部屋の空気が少し柔らかくなる。柔らかくなったものは、形を変えやすい。
ランドマールは椅子に座る前に、机の上を見た。
茶器はある。
茶葉はない。
「今日は、お茶はないのですか」
「眠れなくなると困りますから」
嘘ではない。
嘘ではない言葉は扱いやすい。すべてを言わずに済む。
ランドマールは納得したように頷いた。けれど、目はまだ茶器の横に残っている。小さい子どもの目ではない。何かを比べている目だった。
第二婦人は、袖の内側に隠した封書の重みを意識しないようにした。
「書庫では何を読んでいたの」
「古い英雄譚です。ヘルドランテ兄上が、昔、あまり好きではないと言っていた本でした」
その名前を出されると、部屋の石が少し冷える。
第二婦人は笑みを保った。
「あの子は、英雄譚より制度書の方が好きでしたから」
「兄上らしいです」
ランドマールはそこで少し笑った。
笑い方が、昔より薄い。
六年を消しても、癖までは消えない。椅子に座る時の膝の角度。誰かの名前を聞いた時に、返事の前に少し口を閉じるところ。そういう小さなものが、時折、消したはずの時間の形をなぞる。
第二婦人は、そのたびに茶葉の量を思い出す。
多すぎた。
少なすぎても、あの子は壊れていた。
だから正しい。
正しい、という言葉を、今日は口に出さなかった。
「転移者の方々は、王城にいるのですか」
ランドマールが聞いた。
質問の順番が、少し嫌だった。
「ええ。第二王城に」
「会えますか」
「今は難しいでしょうね。あちらは保護という名目で動いています。あなたが近づけば、余計な意味を持たせられます」
「余計な意味」
「あなたが第三王子だからです」
ランドマールは黙った。分かっていない沈黙ではない。
分かりたくない沈黙でもない。その中間にいる。
「僕が会えば、誰かが困るのですか」
「困らせる者が出ます」
これも嘘ではない。
事実が届く前に、廊下では別の話になっている。そこへ怖がった者が一人加わるだけで、票も、兵も、書簡も、少しずつ向きを変える。
ランドマールには、まだその速度を見せない方がいい。
「ヘルドランテ兄上も困りますか」
第二婦人は、答えるまでに少し時間を置いた。
短い時間だった。
けれど、ランドマールはその短さを覚える子だ。
「あの子は、いつも自分で困りごとを増やします」
「それは、悪いことですか」
「王族としては、あまりよくありません」
「兄としては?」
ランドマールが、こちらを見た。
第二婦人は、その目から少し逃げたくなった。
逃げる代わりに、机の上の茶器を少し寄せた。音は小さい。茶葉が入っていないから、蓋の中は軽い。
「優しいのでしょう」
言葉が茶器の中へ落ちたように、軽い音もなく沈んだ。
ランドマールは、うれしそうにはしなかった。
「僕も、優しくした方がいいですか」
「あなたは、あなたでいればいいのです」
そう言うしかない。あなたのままでいてほしい。
あなたのままでは王冠を守れない。その二つを同じ口で言うことはできない。
廊下の向こうで、誰かが歩調を落とした。控えの者だろう。時間を知らせに来たが、入るか迷っている。
第二婦人は、ランドマールの前に置かれた空の茶器を見た。
今日は、茶葉を使わなかった。使わずに済んだのか。
使わなかっただけなのか。その違いは、まだ決められなかった。
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