ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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三章二十二話 軽い依頼の重さ

《辺境者の歌》 三章 二十二節

『軽い依頼ほど、帰らぬ時に初めて重さを明かす。』

 

 朝になっても、沢の音は細くなっていなかった。

 

 目を開ける前から分かった。

 

 水の音が、夜より少し近い。

 

 板の上で体を起こすと、背中が固まっていた。

 

 肩を回す。

 

 小さく鳴った骨の音が、自分でも年寄りみたいで嫌だった。

 

 小屋の中は薄暗い。入口の隙間から、灰色の光が差している。

 

 雨は弱くなっていた。でも、止んではいない。

 

「杭」

 

 老人が短く言った。

 

「はい」

 

 返事をして立つ。

 

 寝起きの頭は重い。

 

 それでも、荷袋の位置と食料の数だけは先に確認した。

 

 残り二つ。借りた干し芋が一つ。

 

 水袋は半分。イラがそれを見ていた。

 

「先に見たならいい」

 

「はい」

 

 褒められた気はしない。それでも、昨日より手順が一つ増えた。一つ増えた。

 

 寝起きの頭の中に、小さな丸が一つついた。丸をつけるには、まだ早い。

 

 昨日の自分より、一つだけ手前で止まれた。

 

 それくらいは、覚えておいてもいいかもしれない。

 

 外へ出ると、土が柔らかかった。靴底が沈み、少し遅れて水がにじむ。

 

 沢まで降りる道は、昨日より滑る。老人は杖をつき、イラは縄を持った。

 

 僕はその後ろを、足元だけを見すぎないように進んだ。

 

 杭は、一本目が完全に隠れていた。

 

 二本目は、半分ほど水に沈んでいる。

 

「一本半」

 

 僕が言うと、老人が頷いた。

 

「まだ動ける。だが、沢沿いは駄目だ」

 

「旧木炭道も駄目ですよね」

 

「見てから言え」

 

 そう言われ、僕たちは二股の方へ向かった。昨日、左へ入らなかった道。草に覆われた旧木炭道。

 

 朝の雨で、入口の土はさらに崩れていた。近づくと、昨日よりはっきり分かった。道の先が、えぐれている。

 

 細い水が斜面を削り、草の下の土を持っていっていた。

 

 もし夜にここへ入っていたら。

 

 もし帰りに、広い方だと思って足を進めていたら。

 

 想像の中で、足元が消えた。

 

「戻る道は一本減った」

 

 老人が言った。

 

「はい」

 

「なら、次は何を見る」

 

 答えを探す。地図。杭。

 

 空。足跡。

 

 どれから言えばいいのか迷い、僕は地面を見た。

 

 旧木炭道の入口に、小さな足跡があった。僕たちのものではない。

 

 昨日の荷馬車のものでもない。子供か、体の小さい人の靴跡。

 

 王都側から来て、入口で止まり、少し中へ入って、また戻っている。

 

「足跡です」

 

「新しい。雨の後です。ここで引き返しています」

 

 老人が目を細めた。

 

「半分増えたな」

 

 何が半分なのか、もう聞かなかった。

 

 イラが沢の方を見た。

 

「荷の子かも」

 

「荷の子?」

 

「西から小物を運ぶ子がいる。大人が来られない時に、薬草とか釘とか持ってくる」

 

 女は沢の方をもう一度見た。

 

「今日なら、止血瓶かも」

 

「止血瓶?」

 

「上流の伐木小屋で一人、昨日手を切った。深くはないけど、雨で戻せないって朝に伝令があった」

 

 軽い依頼。その言葉が、頭の中で少し形を変えた。小屋の屋根を押さえること。

 

 沢を見ること。水位杭を数えること。

 

 それだけだと思っていた紙の外側に、誰かの切った手があった。

 

 その時、道の向こうから小さな声がした。

 

「おーい」

 

 雨の中、少年が立っていた。

 

 濡れた前髪の下の顔に、見覚えがあった。物見台で会った、あの少年だ。

 

 背中に布包みを背負い、片足だけ泥だらけになっている。

 

 頭の上に数字が見えた。

 

 6。

 

 細い数字だった。

 

 ただ、その数字の横に一瞬だけ、薄い文字のようなものが重なった。

 

 生命。

 

 そう読めた気がした。

 

 読めた、というより、目が勝手にその字を選んだ。

 

 2。

 

 僕は見直した。

 

 少年は一人だ。

 

 でも背中の包みの口が少し破れ、そこから小さな瓶が二本のぞいている。

 

 数字ではない。

 

 瓶だ。

 

 そう思ってから、いや、と考え直す。

 

 今見た2は、瓶の数を目が拾っただけかもしれない。

 

 能力ではなく、ただの数え間違いでもない。目が勝手に数字の形へ寄せた。

 

 そういうこともある。覚える。

 

「そっちは落ちる。右へ回れ」

 

 イラが少年に声をかけた。

 

「でも、こっちの方が近いって」

 

「近い道が残ってるとは限らない」

 

 強くない声に、少年はすぐ黙った。僕は少年の方へ歩きかけて、足を止めた。

 

 旧道の入口の土は柔らかい。近づきすぎれば、自分も足を取られる。縄。

 

 そう思って、イラを見る。彼女はもう縄をほどいていた。

 

「投げて」

 

「はい」

 

 僕は縄の端を受け取り、少年の方へ投げた。

 

 一度目は届かなかった。

 

 二度目で、少年の足元へ落ちる。

 

「結べるか」

 

 老人が聞いた。

 

「できる」

 

 少年は震えた手で縄を腰に回した。引く。急がない。

 

 足を置く場所を言う。右の石。

 

 左の草は踏むな。包みは前に抱えろ。

 

 僕は言いながら、自分の声が少し硬いことに気づいた。

 

 でも、言わないよりはましだ。

 

 少年が安全な道へ出た時、僕の手のひらは縄で赤くなっていた。

 

 届いた。

 

 縄も、声も、たぶん。

 

 その瞬間、少し呼吸が浅くなった。

 

 すぐに少年の膝の泥が見えて、上がったものは戻った。

 

「薬瓶、二本割れた」

 

 少年が泣きそうな顔で言った。

 

「二本で済んだ」

 

 イラが言う。少年は黙った。

 

 僕も黙った。二本で済んだ。

 

 たしかに、荷は全部なくなったわけじゃない。

 

 でも、ニコの指は割れた瓶の数を数えたまま止まっていた。

 

「残りは」

 

 イラが聞いた。

 

 少年は慌てて布包みを開いた。

 

「四本。止血瓶、四本はある」

 

 女の肩が、ほんの少し下がった。

 

 それを見て、僕はようやく息を吐いた。

 

 二本で済んだ、という言葉の意味が少し変わる。

 

 慰めではなく、次の誰かに届く数だった。少年の膝は擦りむけていた。

 

 血は少ない。けれど泥が入っている。

 

「小屋で洗います」

 

 僕が言うと、老人が頷いた。

 

「戻るぞ。杭が二本になる前に」

 

 その言葉で、みんなが同じ方を向いた。助けた。けれど、そこで終わりではない。

 

 少年を小屋へ戻す。傷を洗う。荷を数える。

 

 沢を見る。戻れるか決める。軽い依頼。

 

 依頼票の言葉が、雨でふやけた紙みたいに頭の中で歪んだ。

 

 軽いかどうかは、紙が決めることじゃない。

 

 僕は縄を巻き直しながら、濡れた道を見た。

 

 帰る道は、昨日より細くなっていた。

 

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