ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《辺境者の歌》 三章 二十三節
『磨かれた床の下にも泥は眠り、拍手の時だけ匂い立つ。』
2374- 第一王城大広間 佐々木視点
報告室の床は、磨かれすぎていた。佐々木宗助は、そこに映る自分の靴を見た。
泥は落としてある。血もない。
演習場の土も、砦の火薬の匂いも、ここには残っていない。
ただ、拍手だけがあった。
「勇者様方の北砦演習は、極めて良好な結果を示しました」
王国士官が声を張る。
壁際に並んだ貴族や文官たちが、上品に手を叩いた。
大きすぎない拍手。
乱れない拍手。
よく訓練された拍手。
三郷弦は、いつものように笑って頭を下げた。
桜華は背筋を伸ばし、ほとんど顔を動かさない。
桐谷幸は右腕を体の影に隠している。
佐々木は、それを見た。
記録官は見ていない。
「命中率、標的破壊速度、連携判断。いずれも、既存部隊の水準を大きく上回っています」
また拍手。山崎がいたら、たぶん笑っていただろう。少し照れて、少し得意げに。
佐々木も、悪い気はしなかった。悪い気はしない。それは認めるしかない。
自分たちが役に立つ。強いと言われる。
必要とされる。それは、まっすぐに嬉しい。
ただ、机の上の報告書には、弾薬消費欄がなかった。
少なくとも、佐々木の位置からは見えなかった。
「桜華様の前衛維持能力、佐々木様の斬撃制御、桐谷様の遠距離精密射撃、三郷様の統率。いずれも、戦場運用に十分耐えるものと判断されます」
戦場運用。言葉が、拍手の中で滑る。桐谷の右手が、ほんの少し動いた。
痛みを逃がす動きだ。佐々木は一歩だけ横へ寄った。
「幸、腕」
「平気」
短い返事。
羽黒に話す時の声ではない。
「医務室に」
「後で」
「今」
桐谷が佐々木を見る。
その目は、少し鋭かった。
「今言うと、面倒になる」
面倒。痛い、ではない。怖い、でもない。
面倒。佐々木は、それ以上言えなかった。報告は続く。
「この成果をもって、勇者班には次段階の外縁任務を検討します」
三郷の笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。誰も気づかない。たぶん。
佐々木は気づいた。
「外縁、また私が的になるやつですか」
桜華が、拍手の合間にそう漏らした。声は明るい。ただ、背筋はまだ伸びたままだった。
誰も答えなかった。桜華も、答えを待っていたわけではなさそうだった。記録官のペンは止まらない。
佐々木は、その明るさの下にあるものを、少しだけ知っている気がした。的にされること自体より、聞かれもせず決められることの方が、彼女は嫌なのだろう。冗談にしてしまえば、少なくとも自分で言った形にはなる。
成果。次段階。外縁任務。
綺麗な言葉だけが、紙に並んでいく。負傷。消費。
撃った後、音が落ちた。空の弾薬箱。それらは、どこに書かれるのだろう。
「佐々木様」
士官に呼ばれた。
「はい」
「何か補足はありますか」
補足。言うなら、今だ。桐谷の腕。
弾薬の数。演習後の補給。山崎が拾った薬莢。
言葉は浮かんだ。でも、部屋の拍手がまだ残っている。ここで言えば、水を差す。
そういう手順だった。その時点で、たぶん負けている。
「弾薬消費と負傷確認を、別紙で提出したいです」
声は、喉の奥で硬くなった。
士官が少し眉を上げる。
「もちろんです。詳細記録は後ほど」
後ほど。佐々木は頷いた。拍手がまた起こる。
三郷がこちらを見て、小さく笑った。助かった、と言いそうにも見えた。余計なことを、と言いそうにも見えた。
どちらかは分からない。報告室の床には、まだ靴が映っている。汚れはない。
だからこそ、ここにないものが少し目立った。