ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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四章三話 坑道の口

《辺境者の歌》 四章 三節

『坑道の口は名を呼ばず、入る者の息だけを数える。』

 

 坑道の入口は、口を開けたまま黙っていた。

 

 三郷弦は、支給された小型魔導灯を握り直した。

 

 手袋越しでも、金属の冷たさが分かる。第七廃棄鉱山地帯。かつて黒鉄の宝庫と呼ばれた場所。

 

 今は、忘却の坑道と呼ばれる迷宮の入口。説明は受けていた。

 

 迷宮は、強い恐怖や記憶が魔力に焼きつき、地形として残ったもの。

 

 ここは五十年前の大崩落事故を核にしている。

 

 二百人以上の鉱夫が閉じ込められ、生存者はなかった。

 

 紙で読めば、そういう事件だった。

 

 でも入口の前に立つと、紙より匂いの方が先に来た。

 

 錆。

 

 湿った土。

 

 古い油。

 

 それから、長い間閉じ込められていた空気の匂い。

 

「緊張してる?」

 

 山崎才我が隣で言った。

 

「してる」

 

 三郷は答えた。

 

「正直でよろしい」

 

 先導役の冒険者、エリカが振り返った。

 

 銀髪を短く束ね、肩には使い込まれたライフルを掛けている。

 

 王城の騎士たちとは違う種類の隙のなさがあった。

 

「今回は踏破じゃない。浅層確認と記録、可能なら遺物反応の位置特定。あなたたちは強いけど、迷宮では強いだけの新人が一番邪魔」

 

「分かってます」

 

 佐々木宗助が言った。

 

 彼の声は落ち着いている。

 

 けれど、目の奥には火があった。

 

 桐谷幸は何も言わず、魔導灯の明かりを入口へ向けていた。

 

 彼女の銃は背中にある。

 

 撃つ気配はない。

 

 でも、指はすぐ届く位置にあった。

 

「では、入ります。記録開始」

 

 協会記録員のミラが、小さな録音具の蓋を開いた。

 

 その音が、妙に明るく響いた。

 

 

 坑道の中には、古い文字が残っていた。第七鉱区。本日の採掘量。

 

 安全第一。家族へ土産を忘れるな。

 

 最後の文字を見つけた時、山崎が小さく息を吐いた。

 

「こういうの、残るんだな」

 

「残るものを核にするのが迷宮です」

 

 ミラが答える。

 

「残ってほしいものかどうかは、別ですけど」

 

 その言い方が、三郷の耳に引っかかった。

 

 奥へ進むにつれ、空気が冷える。

 

 壁には、手形のような跡がいくつも浮いていた。

 

 本物の汚れなのか、迷宮が見せている幻なのか分からない。

 

 分からないのに、指の形だけは妙にはっきりしている。

 

「前方、鋼虫」

 

 エリカが短く言った。暗がりの中で、金属質の足音が重なる。三郷は息を吸い、手のひらに魔力を集めた。

 

 氷の刃が三本、空気中に生まれる。佐々木が前へ出る。桐谷が一歩下がって射線を取る。

 

 山崎が横へずれ、銃を構えた。動きは悪くない。訓練通り。

 

 むしろ、訓練より速い。鋼虫が飛び出す。

 

 桐谷の初弾が頭部を弾き、佐々木の剣が胴を割った。

 

 三郷の氷刃が二匹目の脚を縫い止める。山崎の射撃が、逃げた一匹を壁際で止めた。

 

 勝った。その瞬間、エリカの声が飛んだ。

 

「足を止めない。死骸の音で寄る」

 

 奥から、カサカサと乾いた音が増えた。三郷は喉の奥で舌打ちした。倒した敵が、次の敵を呼ぶ。

 

 勝った場所に、長くいてはいけない。それは訓練では分かっていた。

 

 でも、体が一瞬だけ勝利の手応えに引っ張られた。

 

 エリカが振り返る。

 

「英雄気分は出口でやって」

 

「……はい」

 

 三郷は氷刃を消し、走った。坑道の奥へ。

 

 勝った場所から逃げるように。胸の奥に、少し硬いものが残った。

 

 でも、背後の足音を聞くと、悔しさより先に背中が冷えた。

 

 

 広い空間に出た。中央に、赤く光る金属箱があった。古い救助信号装置。

 

 表面には、錆びた文字が刻まれている。緊急救助信号装置 No.12。ミラが息を呑んだ。

 

「遺物反応、確認」

 

 佐々木が近づこうとして、エリカに肩を押さえられた。

 

「待つ。周囲確認」

 

「魔物は入ってこないんじゃ」

 

「そういう場所でも、床は抜ける」

 

 佐々木は口を閉じた。

 

 しばらくして、エリカが小さく頷いた。

 

「大丈夫そう」

 

 三郷たちは箱の傍まで歩み寄った。三郷は箱の側面を見た。

 

 手書きの文字がある。震えた線だった。

 

 もし誰かがこれを見つけたら、どうか、僕たちのことを忘れないでください。

 

 僕たちは、最後まで、希望を捨てませんでした。

 

 返事より先に、山崎が銃を下ろした。銃口が床板の方へ向く。

 

 桐谷は魔導灯を少し下げた。光が箱の文字からずれ、床を照らす。

 

 そこには、古い爪痕のようなものが残っていた。

 

「これ、持って帰るんですか」

 

 三郷が聞いた。

 

「回収対象です」

 

 ミラが答える。

 

「遺物は放置すると迷宮を不安定にします。協会で封印・保管します」

 

 手順としては、そうするしかないのだろう。

 

 ミラの声には迷いがなかった。

 

 だからこそ、三郷の方にだけ迷いが残った。

 

 でも三郷は、箱の文字から目を離せなかった。

 

 忘れないでください。

 

 それを持ち帰り、封印し、査定し、記録に載せる。

 

 忘れないことと、保管することは同じなのだろうか。

 

 分からない。

 

 分からないまま、エリカが金属箱を布で包む。

 

 ミラが記録を取る。

 

 佐々木が周囲を警戒する。

 

 桐谷が、静かに息を吸った。

 

「三郷くん」

 

「何」

 

「帰ったら、名前、読めるだけ写そう」

 

 三郷は頷いた。

 

「そうだな」

 

 それが何の役に立つのかは分からない。

 

 でも、箱をただ荷物として見るよりは、少しましな気がした。

 

 迷宮の外では転移者で、期待された生徒だった。

 

 ここでは、足音を間違えれば死ぬ新人だった。

 

 そして今、死者の最後の言葉を布で包んでいる。

 

 三郷は魔導灯を握り直した。強くなるだけでは、たぶん足りない。

 

 その時、坑道の奥で金属音がした。エリカがライフルを上げる。

 

「撤収。急いで」

 

 英雄気分は出口でやって。

 

 さっきの言葉が、今度は冗談に聞こえなかった。

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