ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《辺境者の歌》 四章 十一節
『幼き椅子に座る者ほど、立てば多くの旗を倒す。』
2374- 第一王城会議室 ランドマール視点
ランドマールは、席を立たなかった。
立ちたいわけではないし、立ってはいけないと先に言われていたわけでもない。
ただ、会議室の中では、立つだけで意味が生まれる。
それが少し分かってきた。
机の上には、臨時都市貴族議会の名簿と、通行許可の一覧が置かれている。文字は大人向けで、ところどころ読めない。読めない文字があることを悟られないよう、ランドマールは一行ずつではなく、紙の余白を見た。
「殿下、こちらの照会については」
文官が言った。こちら。
そう言われても、紙は三枚ある。ランドマールはすぐには答えなかった。
答えない間に、文官が自分で紙を一枚前に出す。
待つと、相手が補ってくれる。
補わせすぎると、相手が決める。
その差は、まだうまく掴めない。
✶
通行許可。補給路。
議会照会前。どれも大きい言葉だった。
大きい言葉は、声に出すともっと大きくなる。ランドマールが声に出せば、たぶん部屋の端まで届く。届いた先で、誰かが「殿下の意向」と呼ぶ。
意向。
自分のものなのか、周囲が欲しがっている形なのか、分からない言葉だ。
「急ぐ必要があります」
軍務士官が言った。
「急げば、どこが困りますか」
ランドマールは聞いた。
会議室の音が一つ減った。
誰かが答える前に、別の文官が名簿をめくった。
「復旧費の責任印が未処理です。許可を先に出すと、都市側が後で異議を出す可能性があります」
「では、急ぐと後で怒られます」
「……そうとも言えます」
ランドマールは頷かなかった。
頷くと、今の説明に印を押したことになる。
代わりに、手元の石筆を少し持ち直した。
✶
母上は、席を立たない方がいいと言ったことはない。
ただ、昔こう言った。
あなたがそこにいるだけで、乱暴な人たちは少し静かになるの。
その言葉を、ランドマールは何度も思い出している。
静かになるのは、いいことなのだろう。
でも、静かな人が正しいとは限らない。
静かになった人が、後で別の場所で大きな声を出すこともある。
会議室の中で、ランドマールはそれを少しずつ知っていった。
「殿下」
書記官が低く呼んだ。
「この件は、保留と記録してよろしいですか」
保留。
決めないという決定。
ランドマールは、ようやく頷いた。
「保留にしてください」
書記官の筆が動く。
その音だけは、拍手よりずっと小さい。
それでも、紙の上では拍手より長く残る。
✶
会議が終わっても、ランドマールはすぐには立たなかった。
人が先に動く。
椅子が引かれ、書類が集められ、誰かが小声で次の部屋の名前を言う。
ランドマールの足元では、靴紐がほどけていた。
結び直したい。
でも、今ここで屈めば、部屋にいる何人かが駆け寄ってくるだろう。
王子の靴紐は、王子だけの問題ではない。
そのことが、少し面倒だった。
ランドマールは、最後の文官が出ていくまで待った。
それから、やっと椅子の下へ手を伸ばした。