ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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四章十七話 羽黒承がいない隊列/四章十八話 名前を書く机

《辺境者の歌》 四章 十七節

『欠けた名は隊列の後ろで、足音の数を一つ狂わせる。』

 

2374- 王都外縁集合所 三郷視点

 

 羽黒承がいない隊列は、少し歩きにくかった。

 

 人数は足りている。

 

 荷も足りている。

 

 任務票もある。

 

 それでも、列の後ろのあたりが、なんとなく物足りなく見えた。誰か入るあてがあるわけでもないのに。なのに、三郷は何度も振り返りそうになった。

 

「三郷」

 

 桐谷が呼んだ。

 

「前」

 

「見てる」

 

「見てない」

 

「見てるって」

 

 言いながら、三郷は前を向いた。

 

 見てはいる。

 

 ただ、前を見る時に、後ろも一緒に見ようとしている。

 

 それが駄目なのだろう。

 

 

 任務票は厚かった。勇者班、と上に書かれている。羽黒の名前はない。

 

 当然だ。当然なのに、そこを確認してしまう。

 

「戻る場所くらい、見つけてるだろ」

 

 昨日、そう言った。

 

 言ったからには、そう思うしかない。

 

 思うしかないことと、本当にそう思えていることは違う。

 

 三郷は荷紐を締め直した。

 

 少し強すぎた。

 

 袋の口が歪む。

 

「締めすぎ」

 

 佐々木が言った。

 

「緩いよりいいだろ」

 

「中の瓶が割れる」

 

「……それは困るな」

 

 三郷は紐を少し戻した。羽黒なら、最初からそう言っただろう。

 

 いや。言う前に、たぶん瓶の位置を変えている。

 

 

 出発前の点呼で、名前が並んだ。三郷弦。桐谷幸。

 

 佐々木宗助。山崎才我。ほかにも、いつもの名前が続く。

 

 羽黒承。その名は、呼ばれない。

 

 呼ばれないことに慣れたらまずい、と三郷は思った。

 

 でも、慣れないままだと、前に進めない。面倒くせぇな、俺。声には出さなかった。

 

 出したら、桐谷に聞かれる。聞かれたら、たぶん面倒な顔をされる。

 

 

 隊列が動き出した。

 

 足音がそろう。

 

 そろいすぎていて、逆に一人分のずれが分かる。

 

 三郷は笑った。笑うと、前の二人が少し肩の力を抜く。なら、笑っておけばいい。

 

 そういう使い方なら、まだできる。王都外縁の門が近づく。

 

 羽黒がいない隊列は、今日も前へ進む。進むしかない。

 

 その言葉だけは、あまり好きになれなかった。

 

――――――――

 

《辺境者の歌》 四章 十八節

『名を書く机には、名のない責めが小さな石として置かれる。』

 

 翌朝、西詰所の掲示板には、赤い札が一枚増えていた。

 

 旧木炭道、通行止め。文字は太く、雑だった。でも、よく見えた。

 

 掲示板の右下。雨に濡れにくい場所。

 

 昨日、僕が報告書に書いた崩落地点が、たった一枚の札になって貼られている。

 

 それだけのことなのに、しばらく目が離せなかった。

 

 紙に書いたものが、道を止める。当たり前のようで、少し怖い。間違って書けば、違う道を止める。

 

 書かなければ、誰かが落ちるかもしれない。僕は掲示板の前で、荷袋の紐を触った。

 

「朝から札に見とれてる新人は珍しいな」

 

 ラドの声が後ろからした。

 

「自分が書いた場所なので」

 

「自分が書いた場所、ね」

 

 ラドは札を見て、鼻を鳴らした。

 

「道を止めるのは気分がいいか」

 

「よくはないです」

 

「なら、まだましだ」

 

 そう言って、ラドは掲示板の端に別の紙を貼った。

 

 紙には、北見張り線外の小屋群巡回、水位杭の確認、軽補修、荷運び経路の確認がまとめて書かれていた。

 

 複数名推奨。

 

 継続受注はクラン優先。

 

 最後の一行で、目が止まった。

 

「クラン優先」

 

 声に出していた。

 

 ラドがこちらを見る。

 

「知らないのか」

 

「名前だけは」

 

「冒険者が組む看板だ。大きいところは討伐団みたいなもんだが、小さいところは荷運び、見張り、保守、記録の寄り合いもある」

 

「寄り合い」

 

「お前が好きそうな地味なやつだ」

 

 好きそう、という言い方に引っかかった。

 

 でも、否定できなかった。

 

「個人では受けられないんですか」

 

「受けられる紙もある。だが、継続は別だ。誰か一人が熱を出しただけで途切れると困る。名簿、保証人、連絡先、代わりに行けるやつ。そういうものがいる」

 

 名簿、保証人、連絡先、代わりに行ける人。

 

 挙げられるたびに、少しずつ気が重くなった。

 

「クランって、強い人たちが作るものだと思っていました」

 

「強いやつだけで組むと、だいたい荷札をなくす」

 

 ラドは真顔で言った。偏見ではなく経験らしい。少し笑いそうになって、こらえた。

 

 

 報告机の上には、昨日の控えが置かれていた。

 

 旧木炭道の崩落。止血瓶四本、巡回経由で上流へ引き継ぎ。水位杭、一本と少し水没。

 

 未確定視認記録。リゼルは、それを一枚ずつめくった。

 

「止血瓶は届いた」

 

 最初に言われたのは、それだった。

 

「よかったです」

 

「伐木小屋の男は指二本を縫ったらしい。間に合ったと報告が来ている」

 

 指二本。

 

 その言葉で、昨日見えた瓶の数字を思い出した。

 

 二本割れた。四本残った。指二本。

 

 数字は、紙の上にあると静かだ。でも、実際には人の手についている。僕は自分の指を軽く握った。

 

 最近は、見る前に何を確かめたいかを決めるようにしている。今度は、瓶の残数と、使われた場所と、次に同じ数が出るかどうかを知りたかった。

 

 三つとも、今回はそろって見えた。前より安定している気がする。ただ、油断すると見間違える。だから、まだ紙には慎重に書く。

 

「それで、あの継続依頼ですが」

 

 言いかけると、リゼルは顔を上げた。

 

「早いな」

 

「見るだけです」

 

「見るだけの顔じゃない」

 

 そう言われ、口を閉じた。

 

 リゼルは机の引き出しから、薄い書類を一枚出した。

 

 クラン仮設立申請。

 

 文字を見た瞬間、背中が少し伸びた。

 

「なぜこれを」

 

「昨日の報告書を読んだからだ」

 

「報告書で、ですか」

 

「個人の報告としては細かい。継続依頼の下地としては使える。お前が毎回一人で行くなら、いつか途切れる。なら、途切れない形を考える方が早い」

 

 リゼルは書類を指で叩いた。

 

「ただし、看板は便利だが、逃げ場所にも言い訳にもならん」

 

「はい」

 

「名前を書けば、その名前で受けた失敗も残る」

 

 名前。昨日まで、名前は呼ばれていた。羽黒承。

 

 西詰所に顔を覚えられるためのもの。依頼票に書かれるためのもの。でも、ここでは違う。

 

 名前は、道を止める札の隣に残る。荷を引き継ぐ紙に残る。失敗した時、次に誰かが見る欄に残る。

 

「僕一人では、クランになりませんよね」

 

「ならん」

 

「保証人も必要ですか」

 

 返答は短いのに、紙の余白だけがどんどん狭くなっていった。

 

「必要だ」

 

「資金は」

 

 条件が一つ増えるたび、僕の指は紙の下へ逃げた。

 

「最低額はある」

 

「名前は」

 

「当然いる」

 

 全部、重い。

 

 なのに、書類から目が離せなかった。

 

「なぜ、僕にこれを見せるんですか」

 

 リゼルは少し黙った。

 

「お前は、道を止める紙を書いたあとに、その札を見に来た」

 

「はい」

 

「そういうやつが一人くらい、軽依頼の看板を持ってもいい」

 

 褒め言葉には聞こえなかった。

 

 でも、机の上に置かれた書類は動かなかった。

 

 僕はそれを見た。クラン仮設立申請。

 

 上の欄に、まだ何も書かれていない。空白が、妙に広く見えた。

 

 

 昼前、ニコが西詰所へ顔を出した。

 

 膝にはまだ布が巻かれている。

 

 でも、昨日より歩き方はましだった。

 

「瓶、届いたって」

 

「聞きました」

 

「母ちゃんに怒られた」

 

 ニコは片手で首の後ろを掻いた。

 

「少し?」

 

「かなり」

 

 ニコは不満そうに言い、それから掲示板の赤い札を見た。

 

「あれ、俺のせい?」

 

「道が崩れたせいです」

 

「でも、俺が入った」

 

「入ったから、分かりました。いや、たぶん、入らなかったら僕も見なかったと思います」

 

 ニコは少し考えて、納得していなさそうな顔をした。

 

「変なの」

 

「僕もそう思います」

 

 そう答えると、ニコは少し笑った。

 

 それから、報告机の上の書類を見た。

 

「なにそれ」

 

「クランの申請書です」

 

「クラン作るの?」

 

 ニコは紙の上に落ちた影ごと、こちらを覗き込んだ。

 

「まだ、見るだけです」

 

 言ってから、ラドとリゼルに同じようなことを言われたのを思い出した。

 

 ニコは、僕と申請書を交互に見た。

 

「作ったら、道の札とか増やすの?」

 

「たぶん、そういう仕事もします」

 

「じゃあ、名前は分かりやすいやつにして」

 

「どうして」

 

「子供でも読める方がいい。読めない札、意味ないし」

 

 それだけ言って、ニコは受付の方へ行った。取り残された僕は、申請書の空欄を見た。子供でも読める名前。

 

 そんな条件が増えた。でも、不思議と嫌ではなかった。

 

 大きな名前はいらない。強そうな名前も、たぶん合わない。

 

 読めて、戻れて、次の誰かが間違えにくい名前。

 

 そういうものが必要なのかもしれない。

 

 僕は申請書の端に、まだ本欄ではない小さな余白を見つけた。

 

 そこに、鉛筆で短く書いた。道しるべ。書いてすぐ、少し恥ずかしくなった。

 

 でも、消さなかった。まだ名前ではない。ただの候補だ。

 

 それでも、空白だった紙に、初めて文字が乗った。

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