ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《辺境者の歌》 四章 十七節
『欠けた名は隊列の後ろで、足音の数を一つ狂わせる。』
2374- 王都外縁集合所 三郷視点
羽黒承がいない隊列は、少し歩きにくかった。
人数は足りている。
荷も足りている。
任務票もある。
それでも、列の後ろのあたりが、なんとなく物足りなく見えた。誰か入るあてがあるわけでもないのに。なのに、三郷は何度も振り返りそうになった。
「三郷」
桐谷が呼んだ。
「前」
「見てる」
「見てない」
「見てるって」
言いながら、三郷は前を向いた。
見てはいる。
ただ、前を見る時に、後ろも一緒に見ようとしている。
それが駄目なのだろう。
✶
任務票は厚かった。勇者班、と上に書かれている。羽黒の名前はない。
当然だ。当然なのに、そこを確認してしまう。
「戻る場所くらい、見つけてるだろ」
昨日、そう言った。
言ったからには、そう思うしかない。
思うしかないことと、本当にそう思えていることは違う。
三郷は荷紐を締め直した。
少し強すぎた。
袋の口が歪む。
「締めすぎ」
佐々木が言った。
「緩いよりいいだろ」
「中の瓶が割れる」
「……それは困るな」
三郷は紐を少し戻した。羽黒なら、最初からそう言っただろう。
いや。言う前に、たぶん瓶の位置を変えている。
✶
出発前の点呼で、名前が並んだ。三郷弦。桐谷幸。
佐々木宗助。山崎才我。ほかにも、いつもの名前が続く。
羽黒承。その名は、呼ばれない。
呼ばれないことに慣れたらまずい、と三郷は思った。
でも、慣れないままだと、前に進めない。面倒くせぇな、俺。声には出さなかった。
出したら、桐谷に聞かれる。聞かれたら、たぶん面倒な顔をされる。
✶
隊列が動き出した。
足音がそろう。
そろいすぎていて、逆に一人分のずれが分かる。
三郷は笑った。笑うと、前の二人が少し肩の力を抜く。なら、笑っておけばいい。
そういう使い方なら、まだできる。王都外縁の門が近づく。
羽黒がいない隊列は、今日も前へ進む。進むしかない。
その言葉だけは、あまり好きになれなかった。
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《辺境者の歌》 四章 十八節
『名を書く机には、名のない責めが小さな石として置かれる。』
翌朝、西詰所の掲示板には、赤い札が一枚増えていた。
旧木炭道、通行止め。文字は太く、雑だった。でも、よく見えた。
掲示板の右下。雨に濡れにくい場所。
昨日、僕が報告書に書いた崩落地点が、たった一枚の札になって貼られている。
それだけのことなのに、しばらく目が離せなかった。
紙に書いたものが、道を止める。当たり前のようで、少し怖い。間違って書けば、違う道を止める。
書かなければ、誰かが落ちるかもしれない。僕は掲示板の前で、荷袋の紐を触った。
「朝から札に見とれてる新人は珍しいな」
ラドの声が後ろからした。
「自分が書いた場所なので」
「自分が書いた場所、ね」
ラドは札を見て、鼻を鳴らした。
「道を止めるのは気分がいいか」
「よくはないです」
「なら、まだましだ」
そう言って、ラドは掲示板の端に別の紙を貼った。
紙には、北見張り線外の小屋群巡回、水位杭の確認、軽補修、荷運び経路の確認がまとめて書かれていた。
複数名推奨。
継続受注はクラン優先。
最後の一行で、目が止まった。
「クラン優先」
声に出していた。
ラドがこちらを見る。
「知らないのか」
「名前だけは」
「冒険者が組む看板だ。大きいところは討伐団みたいなもんだが、小さいところは荷運び、見張り、保守、記録の寄り合いもある」
「寄り合い」
「お前が好きそうな地味なやつだ」
好きそう、という言い方に引っかかった。
でも、否定できなかった。
「個人では受けられないんですか」
「受けられる紙もある。だが、継続は別だ。誰か一人が熱を出しただけで途切れると困る。名簿、保証人、連絡先、代わりに行けるやつ。そういうものがいる」
名簿、保証人、連絡先、代わりに行ける人。
挙げられるたびに、少しずつ気が重くなった。
「クランって、強い人たちが作るものだと思っていました」
「強いやつだけで組むと、だいたい荷札をなくす」
ラドは真顔で言った。偏見ではなく経験らしい。少し笑いそうになって、こらえた。
✶
報告机の上には、昨日の控えが置かれていた。
旧木炭道の崩落。止血瓶四本、巡回経由で上流へ引き継ぎ。水位杭、一本と少し水没。
未確定視認記録。リゼルは、それを一枚ずつめくった。
「止血瓶は届いた」
最初に言われたのは、それだった。
「よかったです」
「伐木小屋の男は指二本を縫ったらしい。間に合ったと報告が来ている」
指二本。
その言葉で、昨日見えた瓶の数字を思い出した。
二本割れた。四本残った。指二本。
数字は、紙の上にあると静かだ。でも、実際には人の手についている。僕は自分の指を軽く握った。
最近は、見る前に何を確かめたいかを決めるようにしている。今度は、瓶の残数と、使われた場所と、次に同じ数が出るかどうかを知りたかった。
三つとも、今回はそろって見えた。前より安定している気がする。ただ、油断すると見間違える。だから、まだ紙には慎重に書く。
「それで、あの継続依頼ですが」
言いかけると、リゼルは顔を上げた。
「早いな」
「見るだけです」
「見るだけの顔じゃない」
そう言われ、口を閉じた。
リゼルは机の引き出しから、薄い書類を一枚出した。
クラン仮設立申請。
文字を見た瞬間、背中が少し伸びた。
「なぜこれを」
「昨日の報告書を読んだからだ」
「報告書で、ですか」
「個人の報告としては細かい。継続依頼の下地としては使える。お前が毎回一人で行くなら、いつか途切れる。なら、途切れない形を考える方が早い」
リゼルは書類を指で叩いた。
「ただし、看板は便利だが、逃げ場所にも言い訳にもならん」
「はい」
「名前を書けば、その名前で受けた失敗も残る」
名前。昨日まで、名前は呼ばれていた。羽黒承。
西詰所に顔を覚えられるためのもの。依頼票に書かれるためのもの。でも、ここでは違う。
名前は、道を止める札の隣に残る。荷を引き継ぐ紙に残る。失敗した時、次に誰かが見る欄に残る。
「僕一人では、クランになりませんよね」
「ならん」
「保証人も必要ですか」
返答は短いのに、紙の余白だけがどんどん狭くなっていった。
「必要だ」
「資金は」
条件が一つ増えるたび、僕の指は紙の下へ逃げた。
「最低額はある」
「名前は」
「当然いる」
全部、重い。
なのに、書類から目が離せなかった。
「なぜ、僕にこれを見せるんですか」
リゼルは少し黙った。
「お前は、道を止める紙を書いたあとに、その札を見に来た」
「はい」
「そういうやつが一人くらい、軽依頼の看板を持ってもいい」
褒め言葉には聞こえなかった。
でも、机の上に置かれた書類は動かなかった。
僕はそれを見た。クラン仮設立申請。
上の欄に、まだ何も書かれていない。空白が、妙に広く見えた。
✶
昼前、ニコが西詰所へ顔を出した。
膝にはまだ布が巻かれている。
でも、昨日より歩き方はましだった。
「瓶、届いたって」
「聞きました」
「母ちゃんに怒られた」
ニコは片手で首の後ろを掻いた。
「少し?」
「かなり」
ニコは不満そうに言い、それから掲示板の赤い札を見た。
「あれ、俺のせい?」
「道が崩れたせいです」
「でも、俺が入った」
「入ったから、分かりました。いや、たぶん、入らなかったら僕も見なかったと思います」
ニコは少し考えて、納得していなさそうな顔をした。
「変なの」
「僕もそう思います」
そう答えると、ニコは少し笑った。
それから、報告机の上の書類を見た。
「なにそれ」
「クランの申請書です」
「クラン作るの?」
ニコは紙の上に落ちた影ごと、こちらを覗き込んだ。
「まだ、見るだけです」
言ってから、ラドとリゼルに同じようなことを言われたのを思い出した。
ニコは、僕と申請書を交互に見た。
「作ったら、道の札とか増やすの?」
「たぶん、そういう仕事もします」
「じゃあ、名前は分かりやすいやつにして」
「どうして」
「子供でも読める方がいい。読めない札、意味ないし」
それだけ言って、ニコは受付の方へ行った。取り残された僕は、申請書の空欄を見た。子供でも読める名前。
そんな条件が増えた。でも、不思議と嫌ではなかった。
大きな名前はいらない。強そうな名前も、たぶん合わない。
読めて、戻れて、次の誰かが間違えにくい名前。
そういうものが必要なのかもしれない。
僕は申請書の端に、まだ本欄ではない小さな余白を見つけた。
そこに、鉛筆で短く書いた。道しるべ。書いてすぐ、少し恥ずかしくなった。
でも、消さなかった。まだ名前ではない。ただの候補だ。
それでも、空白だった紙に、初めて文字が乗った。