ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《創世訓》 一章 八節
『苦痛に耐える術を問う者は、すでに門前に立っている。』
講義室の黒板には、朝から何度か消した跡が残っていた。
森田さんが広げた地図は、紙ではなく薄い板のようなものだった。表面に指を滑らせると、海岸線だけが少し明るくなる。
「この国の名は”連合王国”。通称はオクズィーク=リッサジオール連合王国だ、長いから連合王国と省略されることも多い」
森田さんは長い国名を言い終えてから、黒板の端に小さく「連合王国」と書いた。
「全部、覚える必要はありますか」
誰かが小さく聞いた。
「今はない。書類で困った時に、正式名称を見て同じ国だと分かればいい」
「名目の上では王国だが、今この国を実際に回しているのは『臨時都市貴族議会』だ。王の病と第一王子の死でできた、国務代行の寄り合いと思えばいい」
黒板に簡単な地図を張り出している。細かいところは若干怪しくなっている。諜報対策かな?
僕たちの席からは、王都の位置だけが妙にはっきり見えた。周りの線はぼかされているのに、いま自分たちがいる場所だけは逃げ場みたいに濃い。
「そして北方に、海峡と半島をまたいで広がる領域がある。正式名称は真人類帝国だ」
森田さんは、連合王国より明らかに大きい輪郭を北側に引いた。ただ、黒板の端に収めるためか、外側の線は途中で省かれている。そこから太い半島が、アトラス大陸の内側へ食い込む。
海峡沿いには港があり、半島の奥には鉄道らしき短い線がいくつか付いていた。地図の記号なのに、そこだけ妙に固い。
「帝国。この国は近年力をつけ我々の脅威となりつつある国だ」
そんな中、コインの話をしていた男子が手を上げた。
「森田先生、前に地図を見た時、帝国の領土は連合王国より大きく見えました。あれだけ大きい国相手に、諸外国の力を借りるなどはしているのですか?」
「それは手を打っているのだが……相手の強みが、こちらの得意分野と噛み合っていない」
森田さんは黒板を軽く叩いた。
「まず、地図の見え方に注意しろ。今の黒板は簡略図だ。帝国本土と半島、後背の属領まで含めれば、面積だけなら連合王国の倍近い。だが、国土が大きければそのまま強い、という話でもない」
「”工業力”だ」
その単語だけ、黒板に別枠で書かれた。
「誤解しないでほしい。帝国は、その点で弱い国ではない。むしろ世界でも最高級の工業国家だ。港、鉄道、規格化された部品、軍需工場。どれも揃っている」
黒板の帝国側に、森田さんは短い線を何本か足した。
港から工場へ。
工場から鉄道へ。
鉄道から前線へ。
それだけなら、僕にも分かる。ものを作って、運んで、撃つ。単純で、強い。
「連合王国も工場を持っている。魔導具も、砲も、車両も作れる。だが、帝国と同じやり方で、同じ量を、同じ速度で押し返す国ではない。王家、都市貴族、地方勢力、冒険者協会、迷宮資源。それぞれが別の強みを持っていて、同じ箱に詰めるには手間がかかる」
会議や許可が多いから負ける、という話ではないのだと思う。
同じものを大量に作り、同じ線へ流し込む帝国。
違うものを集め、必要な場所へ組み合わせる連合王国。
黒板の上では、どちらも線だった。けれど、線の太り方が違う。
「そのうえで、王国側には鉱産資源の制約がある。国家の稼ぎも、都市の税と迷宮租税にかなり寄っている。魔法資源のある、”魔力溜まり”ならいくつかあるんだが、魔物がいてな……」
うーん? 魔物程度だったらすぐに殲滅できるんじゃないのか?
「森田先生」
僕は手を上げた。
「何故連合王国は魔物を駆逐して、魔力溜まりから資源を得ないんですか?」
「ハグロ。君はこの世界の魔物を知らないだろう。奴らは魔力を糧に生き延び、数を増やす。挙句の果てには超常的な力を振るう。そして、何故かは知らないが、そのほとんどが人類文明に対して恐ろしく敵対的で獰猛だ。奴らの中には他の魔物を組織するような個体もいる。それらとの戦いは、下手したら他国の軍隊に匹敵するほど我々を圧迫する」
黒板の地図で、魔力溜まりの印だけが妙に濃く見えた。そこに食料も補給線も要らない相手が溜まっている。資源の印の横に、進入禁止の赤線が何本も引かれていた。
「君達は騎士長と戦って、理不尽な戦いとはどういうものかを理解しただろう。魔物とは、動物の形をした理不尽そのものだ。我々は姿形からは想像だにできない能力、そして倒しても倒しても増殖し続ける果てしない個体数と、現在技術でも完全に対処しきることは難しい」
「待ってください。魔物ってそんなに強いんですか? さっき貸してもらった銃くらい大口径のものならばイチコロなんじゃないんですか?」
そう、銃に詳しい男子が質問する。
「君たちにはあれが過剰な程の大口径に見えるのだろうな。銃に詳しい転移者は皆そう言う。だが、魔物に対してはあれでも不十分なのだ」
「十ミリで、不十分?」
「不十分な相手がいる、という意味だ」
森田さんは分類表の一枚を黒板に留めた。そこには、亀のような輪郭と、横に何本かの線が引かれている。
「たとえば『ジャイアントトータス』。戦車級の装甲圧を持つ大型魔物だ。正面の甲羅は、四十ミリ級の徹甲砲弾でも抜けないことがある」
「当たってもですか」
「当たってもだ。装甲板のような外殻が、角度によって弾を嫌な方向へ弾く。この時代の砲弾は、硬い弾芯で割るか、炸薬入り徹甲弾で内側を壊すか、そのあたりが限界だ」
森田さんは亀の輪郭の端を指でなぞった。
「炸裂が奥へ届かなければ止まらない。硬芯徹甲弾なら薄い場所を抜けることもあるが、それは距離と角度がそろった時の話だ。そして、そもそも当たらない可能性すらある」
誰もすぐには笑わなかった。
「軍務局の分類表には『アナイアレイター』や『ムーヴメイデン』の名も並ぶ。今日は名前だけでいい。重要なのは、今話したジャイアントトータスのような相手との戦闘が、もはや小さな紛争を超えるということだ。ただの治安維持部隊では対処できない。だから陸軍が直接動く」
並べられた名前は、どれも作り話みたいだった。けれど森田さんは、分類表をめくる手つきでそれを言う。
転移者が珍しくない目で見られる理由が、少し分かった気がした。僕たちより先に、もっと大きくて硬くて、話の通じないものがこの世界にはいる。
騎士長の赤い外套を思い出した。
あの人たちから見れば、僕たちは特殊な能力を持っているだけの、まだ銃の安全装置も確認しきれない高校生だ。
「騎士長のような存在が何百人、何千人といるなら、まぁ話は違う。だが、あれは数を出せる戦力ではない」
「じゃあ、普通の兵隊で止めるんですか」
「普通の兵隊と、砲兵と、工兵と、補給だ。数を出せるのは、そちらになる」
数を出せる戦力。
騎士長の赤い外套ではなく、黒板に書かれた砲兵と工兵と補給。その単語の方が、この国では現実に近いのかもしれない。
僕たちは、本当に生きて現世に帰れるのだろうか?
「森田さん」
そう三郷が声を上げた。
「魔力溜まりに魔物がいるならば、何故王国軍と戦闘することになるんですか?」
確かにそうだ。ちょっかいを出していないなら戦闘にならないはずだ。だから有り余るほどの資源を回収していない、という理論なのではないのか。
いや、聞きたくない。その”答え”を聞いてしまったら凶悪な事実に巻き込まれてしまう。
「魔物はずっとそこに引きこもっているわけではない。月が満ちた時、より強くなった放射魔力が魔物を活気づけるのだ。『そこに人という襲うべき存在が大量にいるのだぞ』と。そして溢れ出た魔物共はその道中のあるものを襲い、全てを踏み潰し、そして何もかも消し去る。文明も、魔法も、科学も」
間を取る。
「月とは我々に魔力の資源を与えてくれるが……同時に脅威でもある」
月が満ちた時。その条件は一定周期で確実に発生することを指している。
「それは……あと何日で起こるんですか……?」
誰かがか細い声で呟く。
「十日後だ。だから我々は君たちを雇った」
教室が沈黙に包まれる。
誰かが書き留めていたペン先を止めた。黒板の前で、森田さんの影だけが地図の上にかかっている。
「それって……それって僕たちに死ねって言ってるのと同じですよ! なんで前もって言わないんですか!」
思わず僕は叫んだ。
「安心しろ」
「君たちを一方的に適当に使い潰すほど私達は愚かではない」
「我々も、共に戦う」
言外に、”共に死に向かおう”と言っているように聞こえた。
「……まぁ、心配するな。スタンピードは対策すればある程度どうにでもなる。今までずっと耐えて来たんだ、これからも迎え撃つことはできるさ。君たちにはその”手助け”をしてほしいってだけだ」
誰かの椅子が、小さく後ろへずれた。僕ももう一度口を開きかけて、閉じた。
「難しい話ばかりで疲れただろう、一旦授業は解散しようか。」
何度も耐えているのなら、もしかしたらまだ余裕があるのかもしれない。
いや、それなら何故雇った? 実は今回は特別脅威が大きい?
それともそれは建前で別の目的がある? なんなら、呼び出した訳でもないというのも嘘なのではないか? そもそも、どうやってこの世界に来たのか? 魔物とはそもそもなんなのだ? なぜ人類を襲う? 魔法とはなんなのだ? 僕たちの能力は誰から与えられ、どのようにして作動している? そもそも、これは夢なんじゃないか? それとも、僕たちのもともといた世界の方が夢? いや、そしたら突然城の中にいた方がおかしいか、でも、その場で世界が作られたとしたら……。
考えはまとまらないまま、だんだんと僕たちは城の正門に近づいていった。
落ち着け、すこしだけ、考えるのをやめよう、そっちの方が懸命だろう。
今は、この美しくも中途半端に近代化された不思議な城の内装と、意味の分からないステンドグラスでも見ていよう。
何故打ちっぱなしなのかとか考えないようにしながら進むのはわりと難しかった……。
前を歩く兵士の靴音に、しばらく歩幅を合わせた。
ふと振り返ると、さっきまで隣にいたはずの兵士の姿が、いつの間にか列から消えていた。