ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《辺境者の歌》 四章 二十八節
『三郷弦の笑い方は、重くなった剣の影を肩で隠す。』
2374- 第二王城 三郷弦視点
訓練場の砂は、昼を過ぎても少し湿っていた。
踏むたびに、靴裏へ細かい土がつく。
王城の兵は、その土の付き方だけで天気を読むらしい。雨は降っていないのに、夕方には滑る、と誰かが言った。
俺には、そこまでは分からない。
ただ、笑う時に足が滑ると格好がつかない、ということだけは分かる。
「三郷、何してるの」
山崎才我が、木剣を二本抱えたまま聞いてきた。
「足場の確認」
「いや、踊るの?」
俺は靴裏についた砂を、木剣の柄で軽く落とした。
「戦場で転んだら恥ずかしいだろ」
「転んだら恥ずかしいで済まないと思う」
正論だった。
俺は笑った。
笑ったら、山崎も少し顔を緩めた。そういう反応を見ると、癖になる。誰かが硬くなっているなら、俺が先に笑えばいい。
教室でも、空気が固まった時には先に笑っていた。こっちへ来てからは、それを前より意識して使うようになった。
必要なら使う。
「三郷」
佐々木宗助が、訓練場の端から声をかけた。
彼の声は、最近、遠くまで通るようになった。大きいわけじゃない。細いけれど、途中で折れない。
「桐谷を止めてくれ。腕を庇っているのに、また撃とうとしている」
「了解」
桐谷幸は、的の前に立っていた。
右腕は下げている。左手だけで銃の角度を確かめている。撃つつもりがない人間の構えではなかった。
「幸」
「何」
桐谷の左手は、まだ銃の角度を探している。
昔から、止めると言われるほど手順を早めるところがある。
「撃つな」
「命令?」
「お願い」
「なら、聞かない選択肢もある」
「あるけど、今日は選ぶな」
桐谷は返事をしなかった。
代わりに、銃口をほんの少し下げた。
それで、ようやく息が入った。
俺は笑うつもりで口を開けた。いつもの調子で、何か軽いことを言えばいい。
でも、先に浮かんだのは羽黒の顔だった。
あいつなら、撃つなとは言わないかもしれない。撃った後に何が悪化するかを、順番に並べる。腕、照準、反動、次の任務。たぶん、言い方はもう少し面倒くさい。
面倒くさいのに、聞いてしまう。
腹が立つくらい、そういうところがある。
「承くんみたいな止め方」
桐谷が言った。
「俺が?」
「今の。先に理由を置いて、最後だけ短くするところ」
「それは嫌だな」
「嫌なの」
「あいつは難しい顔が似合うけど、俺は似合わない」
山崎が後ろで吹き出した。佐々木も、少し眉を下げた。
桐谷は銃を下ろした。勝ちだ。
その瞬間、胸の奥で何かが引っかかった。勝ちと呼ぶには小さすぎる。けれど、こういう小さいものを拾わないと、たぶん俺たちはすぐに雑になる。
羽黒がいなくても、羽黒の言い方が残っている。
それが助かることもあれば、うるさく感じることもある。今日はどっちなのか、自分でもよく分からなかった。
「三郷、次」
訓練兵の声で、考えが切れた。
湿った砂の上に、赤い線が三本引かれている。中央線を越えたら負け。左右の線を踏めば、そこから敵が増える、という雑な設定だ。
雑だけど、嫌な設定だった。
戦場で雑な決まりの方が、だいたい嫌な形で効く。
「俺が前。山崎、二歩後ろ。佐々木、俺が止まったら右を塞げ。幸は撃つな。銃口だけでいい」
「また撃つな」
「今の腕で撃ったら、承に怒られる」
「いない人を使うの、ずるい」
「いる時はもっと面倒だからな」
笑いが少し戻った。号令が落ちる。
相手の木剣が二本、同時に来た。俺は一歩前に出た。
待つと、二本を別々に受けることになる。前に出れば、一人目の肩で二人目の線が詰まる。
木剣の重さが手首へ来た。
受けるのではなく、少し流す。アンテラル騎士長に何度もやられたやつだ。真似できているとは思わない。でも、真似しないと間に合わない。
砂が滑る。靴裏が半分だけ持っていかれた。
俺は笑った。笑うと、相手が一瞬だけ迷う。
その迷いへ、山崎の木剣が横から入った。佐々木の障壁が低く立ち、桐谷の銃口が相手の膝より少し上を追う。
撃ってはいない。
でも、撃たれるかもしれない線があるだけで、人はそこを避ける。
俺は二本目の木剣を柄で押し返し、中央線の外へ相手を押し出した。
勝った。ただ、息が上がっていた。
肩も少し遅れて痛む。前に出れば熱い。熱いから、後ろが動ける。
それをずっと続けられるかどうかは、まだ誰にも聞かれたくなかった。
次の組は、さっきより嫌だった。
相手の一人が、木剣を持ったまま低く沈む。もう一人は剣を振らず、腰の小さな結界具に指をかけていた。
アンテラル騎士長がよくやる、当てる前に相手の足場をずらす動き。
あれは騎士長だけの化け物芸だと思っていた。
でも、訓練兵が型として持っている。
完成度は低い。速さも足りない。
それでも、知っている人間が使えば、普通に嫌な技だった。
「幸、撃つなじゃなくて、右の手首を見てくれ。結界具を開く前に止めたい」
「弾は」
「使うな。見るだけでいい」
「それ、承くんの仕事」
「今日は俺たちで代用」
号令。
低く沈んだ相手が来る。
俺は受けるより先に、半歩だけ前へ出た。
足場をずらされる前に、こちらの重さを置く。
相手の木剣が腰へ来る。
佐々木の障壁が、俺の膝より低い位置で光った。
結界具を開こうとした二人目の手首が、桐谷の銃口に追われる。撃っていないのに、指が止まった。
山崎が横から木剣を入れる。
当てるのではなく、結界具と俺の間へ差し込む。
相手の型が、そこで一拍だけ詰まった。
その一拍で十分だった。
俺は木剣の柄を押し込み、低く沈んだ相手を中央線の外へ出した。
勝った。今度は、少し分かりやすく勝った。
一人でやったら絶対に取れてなかった一拍を、山崎と佐々木と桐谷がそれぞれ勝手に作ってくれて、それを俺が最後にかっさらっただけなのに、なんでこんなに自分が強くなった気になるのか、その調子の良さが逆に少し怖かった。
アンテラル騎士長の動きは遠い。けれど、遠すぎて触れないものではない。
分解して、遅くして、誰かと分ければ、少しこちら側にも置ける。
「三郷」
佐々木が近づいてきた。
「何」
「さっきから笑い方が一定じゃない」
「笑い方に査定あるのかよ」
「ある。少なくとも、今のは無理をしている」
山崎が木剣を抱えたまま頷いた。
「分かる。ちょっと指揮官っぽい笑い方だった」
「褒めてる?」
「怖いって言ってる」
俺は、今度は本当に笑った。
怖いか。
それは困る。
俺は前に立つ人間でいたい。けれど、前に立つ人間が怖いだけなら、後ろはついてこない。三郷弦という名前は、たぶんそういう使い方をされるためにここまで残ってきたわけじゃない。
誰かが動けなくなった時、動ける場所を作る。
それだけでよかったはずだ。
訓練場の端で、薬草を煮る匂いがした。医務室から流れてきたものだろう。少し青臭くて、苦い。桐谷がその匂いに気づいて、顔をしかめた。
「ほら、医務室」
「まだ行くとは言ってない」
「俺が一緒に行く」
「それは面倒」
「面倒なら早く行こう」
桐谷は諦めたように銃を預けた。
俺はそれを受け取って、笑った。
今度の笑い方は、たぶん大丈夫だった。
大丈夫じゃない部分は、背中の剣と一緒に持っていく。
承。
お前がいないところで、俺たちは少しずつお前の真似をしている。
それがいいことなのかは、まだ分からない。