ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 五章 三節
『大型試験依頼は、小さな札の上で獣の影を先に落とす。』
仮名簿ができた日の午後、みちしるべ宛の紙がまた増えた。
正確には、宛先はみちしるべではない。
協会北領支部、西詰所経由、仮設立審査中共同体代表候補。
長い。口に出す前に息継ぎが必要な宛先だった。ニコなら途中で投げると思う。
紙の上の文字は、いつも通りきれいだった。でも、内容はきれいではなかった。北の森、大型魔物接近。
冒険者隊および王城派遣戦力による討伐予定。
後衛支援、撤退線、補給確認、負傷者一次整理。
術式障壁担当二名、魔導灯と治癒札の搬送補助。
アクセラップ補助具、マギブレイク短杭、予備各一束。
試験依頼として、仮設立中の支援組織参加を打診。
僕は、三回読み直した。
読み直しても、文字は変わらない。
「大型魔物」
声に出すと、受付職員が頷いた。
「ウィルド・ガルム。三つ首の獣型です。北領では珍しくありませんが、今回は街道に近い」
「珍しくない三つ首」
言葉の組み合わせが少しおかしい。
いや、僕の感覚がおかしいのかもしれない。
この世界では、三つ首にも通常枠があるらしい。
「討伐に出るのは」
「北領冒険者隊、装甲戦闘車一両、王城派遣戦力から数名。術式担当も入ります。アクセラップとマギブレイクは、現地の冒険者にも通じるはずです」
王城派遣戦力。
その言葉で、薄い紙片の角が急に硬くなった気がした。
「誰が行くかは」
「詳細未着です」
受付職員の答えは早かった。早い答えは、だいたい答えではない。
ラドさんが僕の横から紙を取った。黙って読み、鼻を鳴らす。
「受けるな」
「早いですね」
「早く言わないと、お前は考える」
ラドさんは依頼票を畳まず、指だけで角を押さえた。
「考えるのは悪いことですか」
「考えながら前に出るやつは厄介だ」
否定できなかった。
昨日も、前に出そうになった。
足を止めたつもりでも、止める前に一歩出ていることがある。
ラドさんは紙を机へ戻す。
「これは討伐依頼じゃない」
「後衛支援ですよね」
「だから危ない」
僕は紙を見た。後衛支援。撤退線。
補給確認。負傷者一次整理。
戦うより後ろの言葉ばかりだ。それなのに、ラドさんは危ないと言う。
「後ろなら安全、ではない」
先にリゼルが言った。
いつの間にか報告机の向こうに立っていた。
「大型魔物の討伐で一番乱れるのは、勝った後だ。怪我人、興奮した若手、荷の取り違え、追撃確認、撤退判断。後ろにいる者ほど、全員の間違いを受ける」
「全員の間違い」
「そうだ」
それは、かなり嫌な言葉だった。戦う人が間違える。逃げる人が間違える。
運ぶ人が間違える。それを後ろで受ける。後衛という言葉は、名前ほど後ろではない。
「断るべきですか」
僕が聞くと、リゼルはすぐには答えなかった。
ラドさんは答えた。
「断れ」
「ラドさんは早いです」
「早くて悪いか」
「悪くはないです。分かりやすいので」
ラドさんが少し目を細めた。褒めたつもりだった。
たぶん伝わっていない。リゼルは別の紙を出した。
「ただし、これは試験依頼だ。正式参加ではなく、後衛支援体制の検証。受けない場合でも、こちらから代替案を出す必要がある」
「代替案」
「みちしるべが直接参加しない代わりに、撤退線の札と補給点の整理だけ行う。あるいは、現地には行かず、事前地図と荷札表だけ作る」
それならできる。そう思いかけた。でも、すぐに昨日の小鬼の群れを思い出す。
地図だけでは、草の揺れは見えない。荷札表だけでは、ニコの呼吸は分からない。
「現地に行かないと、状態は見えません」
口に出してから、ラドさんがこちらを見た。
「行きたいのか」
「行きたい、とは違います」
「なら何だ」
何だろう。誰がいるか分からない。分からないまま、紙だけが先に来る。
大型魔物。装甲戦闘車。冒険者隊。
王城派遣戦力。後衛支援。
紙の上に、今まで別々だったものが一枚に集まっている。
そこへ、みちしるべの名前が小さく置かれた。
小さすぎる。
でも、置かれている。
「見たいんだと思います」
「自分たちの仕事が、どこまで届くのか」
言ってから、少し浮いていると思った。自分たち。
今、自然にそう言った。ニコが横で顔を上げる。
「自分たち?」
「そこを拾わないでください」
「拾うよ。落ちてたし」
やっぱり拾われた。
ラドさんはため息をついた。
「浮くな」
「はい」
「今の返事は軽い」
「少し浮いていたので」
「自覚があるなら、まだましだ」
リゼルが紙面の隅に指を置いた。
「条件を出せ」
「条件」
「受けるにしても、みちしるべが受ける範囲を決める。決められないなら断る」
僕は手帳を開いた。書く前に、机の周りを見た。ニコ。
イラ。ガロン。メリル。
ラド。受付職員。リゼル。
今度は全員を連れていくわけではない。でも、全員の仕事が要る。
「条件、一つ目。討伐には参加しません。戦闘開始前の撤退線確認と、戦闘後の戻り線だけ」
リゼルが頷く。
「二つ目。前線から二段下がった位置に、白布の戻り線と赤布の進入不可線を作ります。装甲車の後退線とは混ぜません」
「続けろ」
ラドさんが言う。
「三つ目。負傷者の一次整理は、治療ではなく状態確認だけ。歩ける、担架、止血先行、動かさない。四つに分けます」
メリルの筆が動く。
「四つ目。荷は拾いません。落ちた荷は位置だけ記録します」
「いい」
ラドさんの声が短く入った。
「五つ目。撤退判断は僕ではなく監督者優先。僕は状態と数を出します」
「監督者は俺だな」
「お願いします」
僕は紙の余白を見て、書ける場所が残っているか確かめた。
「まだ受けると言ってない」
「条件の話です」
褒められたのか、釘を刺されたのかは分からなかった。
「口が回るようになったな」
それは、褒め言葉だろうか。罠だろうか。半分くらい罠だと思う。
僕は紙に書き足した。六つ目。浮いたら止める。
自分で書いて、少し嫌になった。でも、必要な気がした。ラドさんがそれを見て、口の端を動かす。
「よし。そこまで書くなら、試験としては受けられる」
「受けるんですか」
「受けるなと言った」
「はい」
「だが、条件を書いた。書いたなら、条件を守らせる」
分かりにくい。
でも、たぶん許可だ。
ニコが小さく手を上げた。
「私も行く?」
「行きません」
僕とラドさんの声が重なった。
ニコは不満そうに口を尖らせる。
「早い」
「早く言わないと、ニコさんは考えます」
「それ、ラドさんの真似?」
「たぶん」
受付職員が、今度ははっきり笑った。僕は手帳を閉じる。大型試験依頼。
後衛支援。参加条件六つ。紙の上では、まだただの文字だ。
でも、文字がそろうと、少し足場になる。
足場に乗っていいかどうかは、別の話だ。僕は手のひらを見た。昨日の痺れは、まだ少し残っている。
浮いている。少し。
でも、足は机の下にあった。今は、それを確認できればいい。