ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 五章 四節
『後衛支援の初陣では、刃の外に立つ者も同じ影を踏む。』
北の森の入口には、人が多かった。冒険者隊。搬送班。
協会職員。装甲戦闘車の乗員。銃を持つ護衛。
それぞれが、それぞれの荷物と声を持っている。
似た服の人間が多いせいで、遠目にはまとまって見える。
近づくと、全然まとまっていない。肩紐の締め方。靴の泥。
水筒の位置。緊張している人の指。もう疲れている人の首の角度。
見えるものが多い。多すぎる。
「数えるな。見る場所を決めろ」
ラドさんが言った。
「はい」
「返事の前に決めろ」
返事の使い道が減っていく。僕は息を吐いて、見る場所を三つに分けた。戻り線。
負傷者置き場。荷置き場。敵は見ない。
いや、見える範囲では見る。でも、見に行かない。
大型魔物のいる方から、低い吠え声がした。腹の底に響く。
見ない、と決めた途端に、そちらを見たくなる。
人間の頭は、言うことを聞かない。
僕の頭だけかもしれない。
「羽黒さん」
メリルが横から声をかけた。
彼女は今日、詰所ではなく現地に来ている。
ただし前には出ない。
記録板と予備札を持ち、戻り線の内側に立つ役だ。
「白布、三本。赤布、四本。予備杭、二。水袋、二。止血布、八」
「確認しました」
「羽黒さんも確認を」
言われて、僕はもう一度見る。白布、三。赤布、四。
予備杭、二。水袋、二。止血布、八。
毎回、目で数え直さないと落ち着かない。四章の迷宮の頃は、ここまでしなくても勝手に合っていた気がするが、今は違う。
頭の端に浮いた数字と、目で数えた数が合う。
「合っています」
「では、合っています、と記録します」
メリルはそう言って板に書いた。
合っています。
その一文が妙に頼もしい。
僕が見た数より、メリルの字の方が残るのだと思った。
「みちしるべの代表候補か」
装甲戦闘車の車長が近づいてきた。
以前、白布を助かったと言った男だ。
「候補です」
「まだ候補か」
「まだ候補です」
前衛の一人が肩の帯を締め直し、短く息を吐いた。
「長いな」
「審査中共同体よりは短いです」
車長は一瞬ぽかんとし、それから笑った。
「そりゃそうだ」
笑い声は大きい。周りの何人かがこちらを見る。少し恥ずかしい。
でも、車長の肩の力は少し抜けた。それなら、まあいい。
「後退線はどこだ」
「白布二本目までです。三本目は搬送班用。装甲車は二本目より後ろに下がらないでください」
「後ろに下がらない?」
「三本目の先は担架が通ります。車輪が入ると、担架が止まります」
車長は地面を見た。白布。
赤布。担架を置く平たい場所。
「なるほど。車はこっち、担架はこっちか」
「はい」
「撃った後、下がりたくなったら?」
「二本目で止めてください」
「止まれなかったら?」
ラドさんが横から答えた。
「俺が怒鳴る」
その場の呼吸が揃わなかった。
「怖いな」
「止まれるだろ」
装甲車の車輪跡が、白布の手前で深く残っていた。
「止まる」
車長は笑って戻っていった。
たぶん、これで一つ線ができた。白布だけではなく、言葉の方でも。
少し前なら、こういうやり取りを「パーティ内の役割分担」みたいな雑な棚へ入れていたと思う。前衛、後衛、支援役。便利な言葉だ。でも、目の前の白布はそれよりずっと細くて、踏まれればすぐ泥に沈む。
大型魔物の吠え声が、また近づく。
前方で、冒険者隊が動き始めた。
王城派遣戦力の一団は、そのさらに向こうにいた。
距離がある。旗と木立と装甲車の影で、顔は見えない。誰か知っている人がいるのかもしれない。
いないのかもしれない。分からない。
分からないまま、僕の場所だけは決まっている。
「見るな」
ラドさんが言った。
「見ています」
「違う。引っ張られるな」
それは、たぶん合っている。僕は視線を戻り線へ戻した。白布。
赤布。担架。水袋。
メリル。ラド。今の僕の場所。
✶
戦闘は、遠くで始まった。遠く、のはずだった。
でも、音は近い。三つ首の獣が吠えるたび、森の葉が震える。
装甲戦闘車の砲声が、その上から叩きつけるように響く。
銃声。魔法の光。誰かの号令。
見たい。見て、数字を取りたい。
でも、僕が見なければいけないのは、そこではない。
「戻り一名!」
搬送班の声が飛んだ。最初の負傷者は、冒険者だった。左腕を押さえ、歩けている。
でも、顔色が悪い。目の前の負傷者だけ、輪郭が先に決まった。歩行可能。
出血中。意識あり。
輪郭の隅に、生命という字がにじんで見えた気がした。すぐ消えた。見間違いだと思うことにした。
文字ではない。でも、そうとしか読めなかった。
「白三へお願いします。止血先行。歩けます。担架は不要です」
僕が言うと、メリルが繰り返す。
「白三、止血先行、担架不要」
搬送班が動く。
負傷者は不満そうに前を見た。
「まだ行ける」
「止血してからです」
「行けるって」
僕は一瞬、言葉に詰まった。
ラドさんが前へ出る。
「行けるやつが、戻ってくるな」
負傷者は黙った。言い方が強い。僕が言ったら、たぶん別の刺さり方をする。
ラドさんが言ってもきつい。でも、止まる。止まるなら、今はそれでいい。
次は二人同時だった。一人は肩。一人は足。
肩の人は歩ける。足の人は歩けない。
「足、担架。肩、白三。水袋一つ使います」
声が少し大きくなった。
自分の声が、森の音に負けないよう勝手に上がる。
メリルが繰り返す。ガロンが担架を出す。ニコはいない。
いたら絶対に何か言っていたと思う。たぶん、「声でかい」とか。
いない人の軽口まで想像している場合ではない。
前方で、よく通る銃声がした。
誰のものかは分からない。
分からないのに、勝手に名前を当てはめそうになる。
それをやめて、拳を握り、すぐ開く。戻り線を見る。
白布が一本、泥で少し沈んでいる。まずい。
「ガロンさん、白二の布を上げてください。泥で沈んでいます」
「了解」
ガロンが動く。
その直後、装甲戦闘車が後退してきた。
速い。
「白二まで! 白二で止めて!」
車長がこちらを見る。見えた。たぶん。
車体が白二の手前で止まる。車輪が泥を押し、白布が跳ねた。担架の通り道は残った。
残った。胸の奥が少し跳ねる。
通せた、と思いかけた。まだ終わっていない。
「車長、ありがとうございます。今の停止、助かりました」
声を張ると、装甲車の上から片手だけが返った。顔までは見えない。けれど、さっき笑った大きな声の人だと分かった。
「次も白二です。そこまでなら、こちらで道を開けます」
思った瞬間、前方から大きな影が転がるように飛んできた。
三つ首の一つが、切り落とされたらしい。
巨大な頭が土を削り、赤布の手前で止まった。
止まったのは偶然だ。赤布が止めたわけではない。布にそんな力はない。
でも、搬送班の一人は赤布の内側にいた。そのぶんだけ、ずれた。
「赤、効いてます」
メリルが言った。
「効いたと言うには早いです」
言葉は、そこで一度止まった。
「では、赤布内側に搬送班が留まり、被害なし」
「それでお願いします」
記録の方が強い。そういう場面が、今日は多かった。戦闘はさらに数分続いた。
その数分が長かった。最後に、三つ首の獣が倒れる音がした。森の中で、太い木が折れたような音。
その後、歓声が上がった。勝った。たぶん。
でも、僕たちの場所では、歓声より先に負傷者が来た。
勝った後の方が忙しい。リゼルの言葉を思い出す。
まったくその通りだった。できれば、もう少し外れてほしかった。
✶
戦闘後、戻り線の内側には十七人がいた。負傷者、八。搬送班、四。
冒険者隊の補助、二。みちしるべ側、三。僕、メリル、ガロン。
ラドさんは線の外にいたので、数に入れなかった。
本人に言うと怒りそうなので、黙っておく。
王城派遣戦力の一団は、森の向こう側へ移動していった。
装甲車の影と、冒険者隊の背中に隠れて、最後まで顔は見えなかった。
こちらに気づいた者がいたのかも分からない。
分からない方がいいのかもしれない。そういう数字だった。思った時点で、少し引っ張られている。
僕は白布を一本ずつ外した。戻り線はまだ片付けていない。勝った後こそ、なくすものが増える。
僕は白布を一本ずつ外しながら、手帳に書いた。
大型試験依頼。討伐参加なし。後衛支援、機能。
負傷者八、全員帰還。搬送路維持。赤布内側、被害なし。
装甲車、白二で停止。最後に、少し迷ってから書く。王城派遣戦力、詳細未確認。
直接接触なし。その一行は、軽くなかった。
でも、書ける事実はそこまでだった。でも、記録にできる事実は増えなかった。