ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 五章 五節
『支援組織の名前は旗より軽く、傷より長く目に残る。』
西詰所へ戻る頃には、日が傾いていた。
荷は減っていたが、白布は泥を吸って出発時より重い。赤布の一本には、大型魔物の血が飛んでいた。
布を洗えば落ちるだろうか。
落ちてほしい。
仮置き箱に血付きの赤布は、さすがに絵面が悪い。
絵面。
そんなことを考えられるくらいには、戻ってきたのだと思う。
受付職員は、僕たちを見るなり、まず人数を数えた。
「出発四、帰着四」
「四人とも戻りました」
「負傷」
「軽傷一。僕の右手です。悪化なし」
包帯はまだ湿っている。悪化なし、と言うには少し頼りない白さだった。
「自己申告は信用度が低いので、後でラドさんに確認します」
「その方が正確だと思います」
信用がない。
いや、これはたぶん信用の種類が違う。
ラドさんが横から言った。
「右手は軽い。頭は少し浮いてる」
言葉より先に、息が長く抜けた。
「頭は負傷欄ですか」
「注意欄だ」
受付職員が本当に注意欄へ何かを書きそうになったので、僕は少し焦った。
「そこは書かなくても」
「必要なら書きます」
この詰所は、冗談と記録の境目がたまに怖い。
メリルが記録板を机に置いた。
彼女の字は、最後まで崩れていなかった。
大型試験依頼。
後衛支援実施。
撤退線、負傷者整理、補給品位置確認。
負傷者八、帰還八。
荷の紛失、なし。
装甲戦闘車後退線、維持。
王城派遣戦力との直接接触なし。
最後の一行だけ、少し黒く見えた。
インクの量は同じだ。
たぶん、僕の目がそこを先に読む。
「王城派遣戦力との直接接触」
リゼルが紙を見ながら言った。
「ありませんでした」
「問題は」
「ありません。同じ戦域にはいましたが、顔は見ていません」
同じ戦域であって、同じ場所でも、同じ戦いでもない。
その差が、少し喉に残った。
リゼルはそれ以上聞かなかった。
ラドさんも聞かない。
聞かれないと、少し助かる。
でも、少し物足りない。
面倒くさいな、僕は。
「報酬の話をします」
受付職員が別の紙を出した。
急に現実的になった。
いや、報酬も現実だ。
むしろかなり現実だ。
「討伐報酬ではありません。大型試験依頼の後衛支援費として、総額の一部が支払われます」
「一部」
「十五パーセント」
僕は一瞬、聞き間違えたと思った。
「十五」
「はい」
「多くないですか」
「討伐隊側からの提示です」
討伐隊側。
冒険者隊長か。
装甲戦闘車の車長か。
協会担当者か。
誰が言ったのかは分からない。
でも、数字は紙にある。
十五パーセント。
箱の数ならすぐ扱える。
報酬になると、急に大きい。
「受け取っていいんですか」
僕が聞くと、ラドさんが嫌そうな顔をした。
「働いた」
「それは、たぶん」
「戻した」
「そこは胸を張っていい気がします」
「なら受け取れ。受け取らない支援は、次に誰かをただ働きにする」
その言い方は、少し痛かった。
ただ働き。
善意。
遠慮。
どれも、きれいに見えることがある。
でも、続けるには形がいる。
「受け取ります」
言うと、受付職員が頷いた。
「では、仮設立審査中共同体みちしるべの収入として保留記録に入れます」
「また長い」
ニコの声がした。
いつの間にか荷置き場にいた。
今日の参加者ではないのに、戻る時間には必ずいる。
どういう嗅覚なのか。
「ニコさん、聞いていたんですか」
「長いところだけ」
「一番どうでもいいところです」
「どうでもよくない。呼びにくい名前は忙しい時に雑になるんでしょ」
受付職員が少し目を上げた。
「正しいです」
ニコは得意そうにした。
リゼルが報酬欄へ印を押す。
「今回の件で、みちしるべは支援組織として扱われる」
「支援組織」
「戦闘組織ではない。だが、戦闘の外側に立つ組織だ」
戦闘の外側。
その言葉は、少し落ち着かなかった。
外側と言われると、安全な気がする。
でも今日の外側には、負傷者も、砲声も、切り落とされた巨大な頭もあった。
「外側でも、近いです」
リゼルは頷いた。
「だから名前がいる」
名前。
みちしるべ。
曲がった字から始まった名前が、報酬欄と支援組織という言葉の横に置かれている。
大きくなりすぎていないか。
そう見えた。
同時に、少し胸が上がった。上がるな。
自分で止める。でも、全部は止まらなかった。
認められて嬉しい気持ちと、素直に喜んだら何か見落とす気がして怖い気持ちが、同時にあった。どっちを優先すればいいのか、まだ分からなかった。
箱の中で紙が増えている。
旧木炭道。
北二番水場。
状態線の戦い。
大型試験依頼。
四枚。
少し前まで、ゼロだった。
「羽黒さん」
メリルが言った。
「報告書の最後、どう締めますか」
地図の空いた場所だけが、しばらく見られていた。
「締め」
「試験依頼の総括です」
総括。
また大きい言葉だ。
僕は手帳を開く。
成功。
そう書くのは早い。
勝利。
違う。
支援完了。
事務的すぎる。
考えていると、ニコが横から言った。
「戻した、でいいじゃん」
戻した。
僕は、その言葉を紙の上に置いてみる。
負傷者を戻した。
装甲車を戻した。
布を戻した。
紙を戻した。
たぶん、一番近い。
「大型試験依頼、後衛支援。負傷者および搬送線を戻した。今後も同種依頼に対応可能。ただし、討伐主目的不可、撤退判断は監督者優先」
メリルが書く。
ラドさんが横から言った。
「対応可能、は少し強い」
「では」
「条件付きで対応可能」
僕は頷いた。
「条件付きで」
メリルが書き直す。
条件付き。
僕たちらしいと思った。
正式でもない。
強くもない。
でも、条件が合えば動ける。
ニコが仮置き箱を覗き込む。
「箱、閉まらなくなるよ」
「まだ閉まります」
「じゃあ、次で閉まらない」
ニコは箱の蓋に手を置いたまま、当然のように言った。
「次がある前提ですか」
「あるでしょ」
ニコは当然のように言った。
次。
その言葉が、明るく聞こえた。
明るく聞こえたことを、僕は少し覚えておく。
仮置き箱の蓋を閉じると、端が紙一枚分だけ浮いた。
机の端には、補給中継の書類が一枚ある。日付、経路、荷の量。僕はそれを箱へ入れようとして、やめた。
一件目は、明日の机に残しておくことにした。
✶
詰所を出ると、外の広場で見覚えのある背格好が荷車の陰から手を振った。
井上だった。
「先輩、ちょうどよかった。届け物のついでに寄ったんです」
澄人の姿はない。一人らしい。
「一人か」
「たまには。……その包帯、大丈夫なんですか」
「軽傷です」
「軽傷って、みんな同じ顔で言いますよね」
彼女は少し笑って、荷車から小さな包みを取り出した。
「これ、余った軟膏です。協会の備品、余剰分」
「もらっていいのか」
「余剰分なので」
余剰分。その言い方に、少し安心した。借りではなく、余りなら受け取りやすい。
「ありがとう」
「今度、ちゃんと座って話したいです。立ち話ばっかりで」
言われて、初めて気づいた。ここ数回、いつも立ったまま、数分だけ話して別れている。
「……そうだな」
それだけ言うと、彼女は満足そうに頷いて、また荷車を引いていった。
軟膏の包みは、思ったより軽かった。