ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 五章 八節
『仮の札ほど、押された指の跡を神判のように残す。』
2375- 第二王城近衛会議室 書記官視点
第二王城の近衛会議室は、第一王城の議場より狭い。
狭いくせに、机の上には物が多かった。回付印。写し。
許可証。補給表。
防諜札。王冠の置き場所はない。
森田ロハンは、その机の端で紙をめくっていた。
会議というより、仕分けに近い。誰に見せるか。
どこまで通すか。何を残し、何をまだ紙の外へ置くか。
「北領から、また協会照会です」
文書係の女が、三枚の紙を差し出した。
「みちしるべ?」
「はい。正式名では『仮の札ほど、押された指の跡を残すのか?』。現地では略称で通っています」
森田は、少し眉を上げた。
羽黒が、自分の名前を看板にしなかったのはよかった。
ああいう少年は、他人から雑に呼ばれた時に一番傷む。
自分では気づかない顔をして。
「内容は」
「北砦方面、後衛支援依頼の継続。加えて、荷札確認と退避線の記録が、現地保守記録として回っています」
別の男が口を挟む。
「便利すぎますな」
近衛会議では、便利という言葉は誉め言葉ではない。
使われやすい、という意味になるからだ。
「便利なものは、使う側が増えます」
森田が言うと、男は肩をすくめた。
「だから整理せねばならん。北領は今、紙の流れだけで組まれている。軍務地図室、協会、現地保守組、転移者班。名目が四つあると、責任は五つに増える」
「六つです」
文書係の女が言った。
「帝国商隊を見ている西回廊の監察も入ります」
笑い声は出なかった。
紙が増えると、たいてい笑えなくなる。
「ヘルドランテ殿下は」
男が聞く。
「今は呼びません」
森田は即答した。
「この話は、あの方の机へ載せるには細かすぎる」
「しかし、近衛会議の名で出る紙もある」
「だから仕分けるのです」
森田は、三枚の紙を並べた。一枚目。北領の大型試験依頼。
二枚目。みちしるべへの継続依頼。
三枚目。転移者班の配置照会。
「この三つを一緒にすると、軍務省は喜びます」
「なぜ」
「一人の転移者を、対人戦の外に置いたまま、補給と撤退だけで戦線へ組み込めるからです」
文書係の女が、そこで小さく息を止めた。
正しい。
正しいが、言い方が良くない。
「良くない顔をしましたね」
森田が言うと、女は頭を下げた。
「失礼しました」
「いいえ。良くない顔は、たいてい正しい」
森田は二枚目の紙だけを指で押さえた。
「これは協会へ返す。軍務照会への添付は禁止。北領の現地保守と後衛支援、そこまで」
「転移者管理機関からは」
「人物照会だけ受ける。行動照会は曖昧に」
「曖昧に、ですか」
「ええ。どうせ向こうも、曖昧にしか守らない」
部屋の空気が少し乾いた。
森田は、言い過ぎたとは思わなかった。
第二王城の会議で、言葉を柔らかくしすぎると、紙の方が固くなる。
「みちしるべは、今後も使いますか」
男が聞いた。
使う。
その言い方が嫌だった。
だが、使わないと前線の隙間が埋まらないのも本当だった。
「使います。ただし、近衛会議の名では触らない」
「協会任せに」
「現地任せに。少なくとも、そう見える形に」
森田は、補給表の端を軽く叩いた。
「この国は今、王の名より、誰がどの紙に印を押したかで動いています。なら、印の届く範囲を間違えないことです」
文書係の女が、新しい写しを持ってきた。
「西回廊、第二婦人側の照会写しです」
男が顔をしかめる。
「こちらまで来たか」
「来ますよ」
森田は紙を受け取らなかった。
「王家の病と継承の穴を、紙で埋めている国です。紙はどこへでも来ます」
それから少し考え、最後の指示だけを口にした。
「みちしるべの名は、近衛会議の正式議事には残さない。残すなら、荷札か依頼票までです」
「理由は」
「本人のため半分、組織のため半分」
森田はそう言ってから、机の端に置いた紙を見た。
「名前は、一度上の机へ乗ると、使い道が増えすぎる」
文書係の女が、静かに頷いた。
会議はそれで終わらなかった。
終わったのは、その名前をどこまで上へ持ち上げるか、という話だけだった。
机の端に残った二枚目の紙には、小さくこう書かれている。
みちしるべ。
まだ、現場の字だった。