ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~   作:ハルキーノ

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五章十二話 土の匂いが先に立つ

《王録》 五章 十二節

『土の匂いが先に立つ時、地図はまだ神託になれない。』

 

2375- 北戦線砲兵陣地 砲兵視点

 

 北戦線の砲兵陣地は、朝から乾いた土の匂いがした。

 

 湿地ではない。

 

 泥に足を取られる場所でもない。

 

 だからこそ、砲車の車輪跡がはっきり残る。

 

 どこで止まり、どこで撃ち、どこへ下がったのか。地面が全部覚えていた。

 

「目標、右斜面。小型十二、中型三。距離八百」

 

 観測兵が声を張る。

 

 山崎才我は、装甲戦闘車の車体側面に片手をつきながら、その声を聞いた。

 

 鋼板越しに、内燃機関の振動が掌へ伝わってくる。

 

 前方では、ゴブリン族の群れが斜面を斜めに降りていた。

 

 ただ走っているわけではない。

 

 低い岩場から岩場へ移る。

 

 数体が止まって投石器を構え、その間に別の数体が横へ走る。

 

 ゲームで見たことのある動きだった。

 

 でも、画面の中よりずっと嫌だった。

 

「撃てば散る。散った先を押さえろ」

 

 砲撃指揮官が言う。車内から短く鐘が鳴った。

 

 直後、砲声。空気が押し潰される。

 

 山崎の耳の奥が一瞬だけ白くなり、斜面の一部が土ごと持ち上がった。

 

「着弾。右へ逃げた」

 

 砲声の残りが薄れてから、返事が来た。

「桐谷、右の岩陰。逃がすな!」

 

 桐谷幸は返事をしなかった。返事の代わりに、銃床を肩へ押し込み、息を細く吐いた。

 

 伸びた右腕が、普通ならあり得ない角度で銃口を持ち上げる。

 

 放たれた魔弾は岩の角を物理的に無視してカーブを描き、岩陰へ滑り込もうとした一体の膝を正確に抜いた。

 

 倒れた個体を踏み越えようとして、後続が詰まる。

 

「そこ、止まった!」

 

 山崎が叫ぶ。

 

「二発目、岩陰奥。詰まりの後ろを叩け!」

 

「了解。焼結炸薬弾、装填。信管遅延、短め。ファイア!」

 

 砲撃指揮官が吠える。

 

 砲声。

 

 今度は直撃ではなかった。だが、爆風が岩陰の奥で跳ね、熱波がゴブリン族の隊列をなぎ倒した。

 

「よし!」

 

 山崎は思わず声を上げたが、すぐに視界の端で火花が散った。

 

 左。中型が二体、盾を構えて突進してきている。

 

「佐々木、頼む! あの盾、割れるか!」

 

「手甲のマギブレイク機を一枚噛ませる。三秒だけ見ろ」

 

「――『雷光障壁(サンダー・ベール)』!」

 

 佐々木宗助が手を突き出すと、手甲に留めた小型機械が作動し、先に薄い術式の罅が走った。その奥へ紫電を纏った半透明の壁が虚空に現れる。

 

 先頭の盾が壁へ食い込んだ。半透明の面が弓なりにたわみ、紫電が盾の縁から腕へ這う。前へ出ていた脚が止まり、二体目が避けようとして岩側へ身体を開いた。

 

 遅れて放電が弾けた。先頭が盾ごと崩れ、壁にも一本、白い亀裂が走る。佐々木は突き出した腕を下げなかった。

 

「助かった……! 三郷、お前も、よく見えたな」

 

「才我、数字で見るな。岩見ろ、岩! アクセラップ、踏み込め! インターキラーは接触で切れ!」

 

 三郷の脚具に留めた小型起動具が白く弾けた。低い姿勢からの加速は、魔法の補助があっても無茶に見える。飛来する巨岩の間隙を縫って、三郷は敵陣へと突っ込む。剣柄の接触機は、近接殺傷の術式をまだ閉じたまま震わせていた。

 

 岩を一つ、二つ。三郷は飛んでくる石の下へ肩を沈めた。盾を回し直そうとした中型の懐へ入り、接触する寸前に剣柄の接触機を作動させる。

 

 白い術式線が盾の内側から脇へ走った。中型は盾を捨てて身を捻ったが、もう遅い。刃は厚い胴で一度止まり、三郷が踏み込んだ分だけ押し切って両断した。

 

 倒れた盾が岩へ当たり、敵の左列が一拍止まる。味方の壕から短い歓声が上がった。三郷は振り返らず、刃についた白い光を次の敵へ向ける。

 

 右翼では山崎たちの魔導砲が火を噴く。

 

「斉射! 次弾装填急げ!」

 

 後方では佐々木が防弾魔術を展開している。

 

「弾々魔術、二段構えで防ぐぞ! マギブレイク機の干渉に巻かれるな!」

 

 閃光が戦場を支配し、爆鳴が空気を震わせる。

 

 彼らがその「暴力」で戦線を維持している間、桐谷は一人、静かに思考の海に沈んでいた。

 

 最初はただの、オートエイムだった。

 

 それが、いつからか二つに分かれている。

 

 『透過視』で捉えた、壁の向こうに潜む影の群れ。

 

 『必中』が示した、敵の眼球という一点。

 

 それらを無意識に処理しながら、彼女は羽黒の背中を思い出していた。

 

 羽黒なら、このあふれ出す敵の情報をどう「管理」していただろうか。

 

 彼は派手な攻撃を持たず、距離と射線と退く場所だけで、これと同じ――あるいはこれ以上の盤面を制御してみせたはずだ。

 

 火と移動。撃って、下がる。

 

 押さえて、移る。教本に載るなら、きっときれいな図になる。

 

 だが実際には、誰かの息が乱れ、誰かの肩が震え、誰かが空薬莢を蹴って転びかける。

 

 それでも、隊列は崩れなかった。

 

 最後の一群が斜面の向こうへ退く頃には、山崎の喉は乾ききっていた。

 

「追撃は」

 

 佐々木が聞く。

 

 砲撃指揮官は首を横に振った。

 

「しない。向こうは退いた。こっちは弾を使いすぎた」

 

 山崎は砲塔の横に白字で書かれた残弾数を見る。

 

 朝より、かなり減っていた。

 

「勝ったんですよね」

 

 桐谷が言う。

 

 砲撃指揮官は少し間を置いた。

 

「今日のところはな」

 

 その言い方で、笑い声は出なかった。

 

 遠くの斜面には、爆煙がまだ薄く残っている。

 

 風がそれを少しずつ散らしていく。

 

 散った煙の向こうで、ゴブリン族の小さな旗が一本だけ残っていた。

 

 撤退の旗なのか、次の集合点なのか。

 

 そこまでは、誰にも分からなかった。

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