宗教国家と聞くと、どことなく内向的に感じるかもしれない。事実、ビルジェイエはその百三十五年とされる歴史の中で、一度たりとも外部との連絡をした形跡がない。
もっとも、この時代の資料が残っている国なんて世界中を見回してもビルジェイエだけなことを考えれば、それが内向的と言うよりも、外に向いたところで意味がなかったと言える。
「あの国はね、百年の前の国と言われても、多分信じると思うよ」
「それほど栄えていたのですか? ビルジェイエは」
「そうだね〜。二百年前だっけ? 帝国ができるまでは退屈だったよ」
我が帝国は圧倒的な技術力を武器に、分裂状態が続いていたこのエンケ盆地を統一した。その名残から、国は研究活動を奨励している。
「他の国はさ〜、いつまで経っても魔法に固執してたじゃん? 一点物の魔法使いより一般人を強くした方がいいって、ずーっと思ってた。千年でようやく賢い国が現れて、嬉しいよ」
「……しかし、依然として魔法の力は強力だと思います。我々は魔法使いに危害を加えることができませんから」
魔法使いはどのような魔法を使えるかに関わらず、物理的な攻撃を無効化する。正式な軍の教科書でも「魔法使いが作戦区域に現れた場合、最も損害の少ない方法で速やかに退却せよ」とされている。人間の枠を飛び出た人外なのだ。
「そうでも無いよ? 昔は魔法使いも簡単に殺されていたんだ」
「それは失礼ながら、安寧様の力によるものでしょうか?」
「違う違う。普通に刺せば死んだんだよ、本当に!」
冗談めかして物騒なことを言うが、嘘を言っているようにも思えなかった。
「では、何故今は魔法しか効かないのでしょうか?」
「まま、急がない急がない。それは後々わかることだから。先に言っちゃうと面白くないでしょ? 結論ありきで語れるほど、単純な話でもないし」
「すいません、大変興味深い話でしたので」
「わかるよ。みんなそうだったから」
今までも幾度となくこのような会話をしてきたのだろう。安寧の一挙手一投足には、常に既知の香りが漂っていた。話している雰囲気は全くもって軽快で、なのに重苦しい何かが乗っている。
「ビルジェイエって、よく宗教国家って言われてるけどさ」
「あの国を統治していたものは、宗教じゃない」
「必要性、かな」
◇
ユスティナ暦一五年。
滅亡の三年前、ビルジェイエ各地には閉塞感が漂っていた。風光明媚な街並みは産業革命の波にのまれ、空は曇り、川は濁り、道行く人々の顔には先の見えない未来に対する絶望と終わらない労働の疲れが見て取れる。
炭鉱のある西部から聖都へと向かう蒸気機関車の中、狭い乗務員室の端っこで安寧は、邪魔にならないように縮こまっていた。
「もうすぐ聖都に着きますから。窮屈な思いをさせてしまって、申し訳ございません」
運転手の男ヨストは、まだ若く、女でもある安寧に丁寧な態度で接していた。この運転手が時代にそぐわず紳士的であるのは、単に彼女が魔法使いであるからで、強張ったビジネススマイルからは敬意よりも面倒が伝わってくる。
「大丈夫ですよ。急なお願いをしているのはこちらの方ですから。乗せていただいて本当にありがとうございます」
白い礼服は神殿の人間であることの証左だ。
この移動は突然決まったことで、本来蒸気機関車に乗るためには役所への申請をしなければならないのだが、特例ということで乗せてもらえる形になった。だから、彼女としては申し訳ない気持ちなのだが、どうにもその態度に運転手は違和感があるようだ。
「あのー、差し支えなければ、どうしてそこまで畏まるのですか?」
「え?」
「ああ、いえ、失礼ながら、同僚たちは魔法使いが横柄だの強欲だの、悪評ばかり言うものですから。何分、魔法使いの方と実際に会ったのはこれが初めてでして。もしかしたら、同僚たちにタチの悪い嫌がらせをされているのかと」
どうやら、魔法使いは悪人であるという風説が流れているらしい。それは間違いでも何でもなく、社会に広く知られている常識のようなものだ。
「そう、ですね。基本的に、近寄るのはやめた方がいいと思いますよ? 気に食わなかっただけで全身を燃やしてくる人も、いますから」
「うわ、それは怖い。てっきり、可愛らしいお嬢さんみたく、行儀のいい人ばっかりだと思っていました」
「そこが問題なんですよ……」
「問題っていうのは?」
「魔法使いって、やたら顔がいいんです!」
魔法使いが魔法使い足る所以、それは魔法と容姿にある。魔法は神によって与えられる力だが、選ばれるためには神に気に入られる必要がある。詳しいことはわかっていないが、最低条件が容姿に優れていることだった。
「確かに、お嬢さんは私が出会った人で一番綺麗だと思います。同僚たちもあれだけ悪口を言いながら、魔法使いを街中で見かけて嬉しかったと言っていましたね」
「まあ、私は置いておくとして。普通に生きていたら滅多に見れないような人たちだらけなんです。あの人たちがわがままを言っても、叶えてくれる人が世の中には大勢いるんです。だから! より! 嫌われるんですよ、魔法使いが!」
「な、何か、大変そうですね……」
「わかります? 黙ってれば愛想が悪いだの不気味だの言われて、口を開けば呪詛だって言われる気持ちが」
話を聞く中で、ヨストは同僚たちと行った酒場での出来事を思い出した。
その日は、資産家を聖都まで送り届ける仕事を何事もなく終えると、羽振りのいい資産家が酒代にとチップをくれたので、そのまま酒場まで繰り出すことと相成ったのだ。
「そういえば、酒場の酔っ払いたちも近くに『鉄』の魔法使いが歩いてるとかで、結構な人数が野次馬しに行きましたね」
「あー、『鉄』。あの、線細いのに筋肉質と噂の。理想の王子さまって感じらしいですね。私はそういうの嫌いですけど」
「『木材』の魔法使いも一緒にいたとかで、男どもも叫んでましたよ」
「木材さんもいたんですか!? 珍しっ! 北部の山奥でしか会えない珍獣のはずじゃ」
「意外と、魔法使い同士って雑な感じなんですね」
「ええ、どうせ殺せないので。一方的に殺せるとかだったら下手な口きけないですし」
魔法使いのパワーバランスは、お互いが干渉できないという原則によって保たれている。魔法使いはそうでない人間を蹂躙し、お互い危害を加えられないため、昔の戦争は魔法使いの数で決着したとされている。
「それで、お嬢さんは何の魔法使いなんですか?」
「あー……。それ、聞いちゃいます? あんまり有名じゃないから多分、知らないと思いますよ?」
「構いません。こんなにいい魔法使いがいたんだよって、広めるためですから」
「うぐ、そう言われると嫌とは言えませんね……」
彼女は右手を軽く握り、人差し指と親指をこすり合わせながら、恥ずかしそうに言った。
「安寧、です」
「聞いたことありませんね!」
「ですよね。知ってましたよ。というか聖都も行ったことないし。そりゃ知らないのも当たり前だろって話ですよね」
「安寧さんは、どのような魔法をお使いになられるのですか?」
その質問は、彼女にとっては非常にクリティカルだった。魔法使いの名前はそのまま、使う魔法の意味を表していることが多い。鉄なら何かしら鉄を生み出すなり武器や機械などを作れたりするだろうとわかるし、木材なら木にまつわると言っておけば大きく外れることはない。
安寧の抽象的な名前はかえって、捉え方の余地があることになる。その魔法をどう思うかは人次第だ。
「あー、えーっと、その、何というかですね。あまり誤解はしてほしくないのですが、こう、少々物騒と言うか、危険と言うか。とにかく、聞いておいて避けるような真似はしないと、約束してくれますか? ヨストさん」
「勿論です。少し話しただけですが、あなたがいい人なのは伝わりました。だから、気にせず話してください」
「……じゃあ、言いますよ?」
「はい」
彼女はその身にまとった教会の礼服の襟を正してから、覚悟を決めて口を開いた。
「触れた生物を殺す魔法、で「うっわ、こわこわこわ、やばすぎるだろこの女マジでヤバイ奴じゃんちょ近寄らんといて!」
次の瞬間、ヨストは乗務員室の対角へと全力で飛びのいていた。安寧の目には涙が浮かんで――は、いなかった。むしろ、ハイライトの消えた瞳が、黄金色の瞳が、壁に背中を擦り付けた男の全身を捉えていた。
「ごめんなさい。さすがに殺します」
「マージでごめん。結構喋れるから、いけるかなって」
「神もきっとお許しになられます」
「免罪符、免罪符はどこ!?」
「安心して下さい。私の魔法を使えば、痛みなく人生を終えることができますから」
「ああ!『安寧』ってそういうことか。それはちょっと助かる」
「では」
そう言って、安寧の手が男の頭の上に乗せられる。
「ふむ、結構手ちっちゃい」
「死ねクソドライバー」
「えっ、あっ」
三時間後、蒸気機関車は定刻通り聖都へ到着し、後に行われた検品作業で積み込んだ貨物の中から、男性の死体が発見された。
◇
国民の大半が下を向いて生活しているこの国において、聖都は明らかに浮いていた。商いは盛んに行われ、水路は澄んでいる。人々の顔は明るく、野心と希望に満ち溢れた表情は嘘偽りがないもので、久しく忘れていた感情を思い起こさせた。
ヨストは運転手として車両を貨物駅に送り届けた後、これから一週間は線路の工事のため運行ができないことを知らされた。わけあって金の持ち合わせがなかった彼は、駅の階段に座り込んで、途方に暮れている。当然、乗務員室に乗っていた安寧もその話を聞いていて、見逃す理由もなかった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫そうに見える?」
「見えませんね!」
「はぁ〜〜〜。こんなことになるんだったら、先月の食費を削るべきだった……」
やってしまった、と手で顔を覆って俯くヨストに、安寧は疑問を抱いていた。この男が宵越しの金も持たないような生き方をするのか、と。慣れたらフランクだが、それまでの彼は注意深かったはずだ。酒場でも、魔法使いの野次馬は他人事のように話していた。その生き方は聖都出身のものではなく、彼女と同じ、西部出身の怯えた生き方だ。
「お金、ないのですか?」
「まあ、安酒の一杯飲めたらマシってとこだな」
と、財布を広げた。中には薄汚い小さな鉄道硬貨が11枚。西部では一日過ごせる金額だが、聖都では物乞いが一日で稼ぐ金額を下回っている。何より、鉄道会社が自前で発行している貨幣で、使える店もあまり多くない。
「日雇いの仕事でも見つけるよ、最悪奴らに借りれば何とかなるだろ」
と、ヨストは遠くの貨物の裏からこちらの様子を覗いている同僚たちの方へ、クイっと顎をやる。『安寧』もそれにつられて視線を向ければ、彼らは慌ただしく身を隠した。
「何か、やましいことでもあるのでしょうか」
「あまり気にしない方がいいぞ。俗な人間は死んでも俗だ。特にこっちの人間はな。気にするだけ無駄」
「そういうもの、なんですか」
「そうそう。安寧は聖都に用があって来たんだろう? 俺のことはどうとでもなるから、気にしないでくれ」
心配させないように、あるいは同僚たちからの目線を気にするようにして、ヨストは街へ向かうように促した。魔法使いには近寄らない方がいいと言われているのは、どっちに転んでも正しかったのだと、彼は痛く実感していた。だが、さらにそれを肯定する存在が目の前にいることを、まだ理解できていなかった。
「あの、ですね。もしよろしければなのですが、聖都を案内していただけませんか? ああ、勿論お金に関しては、魔法使いなので。ある程度は工面できると、思い、ます」
そう、この女だ。狭い乗務員室の中で必要性に駆られた行動ではあったが、社交力が高く、一人で生きていけるような強い人間は、隅っこで縮まることはしないだろう。気遣いは大事だが、突き詰めれば気にし過ぎで、臆病ともなる。
もう正直に言おう。安寧に、一人で聖都を歩く胆力はなかった。
男は直ちに人生最大の面倒が眼前に迫っていることを察知し、可及的速やかに断ろうとして、彼女がしきりに人差し指と親指を擦り合わせているのを見つけた。
思い返せば、魔法の内容を言うときもこうしていた。緊張も不安も恐怖も飲み込んで、彼女が今まで背負ってきた経験に立ち向かうときの、勇気の証だと男は思った。故に、断る選択肢を失ってしまった。
「……いいよ」
「本当ですか! 助かります!」
そう言って嬉しそうに笑う姿は、今までの張り詰めたものではなく、年相応の無邪気さがあった。
「まったく、どこでこんなに懐かれたんだか」
男は腰に手をあてて、ため息を吐く。それはあくまで、自分自身の心を落ち着かせるためだった。そこまで無自覚ではない。まだ若い子どもが、しかも女が列車に乗って一人旅をするだけでも考えられる余地が山ほどあるというのに、彼女は魔法使いだ。西部で生きていれば、彼らの人生が決して輝かしいものでないことなど知っている。
「先輩、さすがに冗談っスよね?」
男が振り返ると、彼の同僚たちが目を細めていた。ワタクシが代表でございます、の意を顔に貼り付けた新米の男は、上がりきった口角を隠しもしていない。
「大体言いたいことはわかるけど、一応聞いておこうか?」
「な〜んか、いい感じじゃないっすか! 俺は興味ないみたいな顔して、やることやってますね〜!」
「……お前、あいつの魔法知ってて言ってるのか?」
「え? そりゃあ安寧なら、怪我治すみたいな癒し系でしょ」
「そうか。そうだよな」
さっきまでの呆れ顔は何処へやったのか、運転手は取ってつけたような笑顔で後輩の肩へ腕を組み、耳元で何かを囁いた。新米の男の上がっていた口角が戻り、下がり、最後にまた上がった。笑うしかなかったのだ。
「マ、マジすか?」
「マジマジ。ガチでマジ」
「先輩、見直しましたわ。やっぱ違うっすね」
「わかったら、とっとと遊びにでも行きな」
「うーっす!お先、失礼しゃーす!」
逃げ足は軽やかに、ヨストの方を振り返ることなく逃げていく後輩。彼が帰ってきた途端に情報共有が始まり、彼らも運転手へ畏怖の視線を向けて足早にその場を後にしていく。どこまでも俗な奴らだと、運転手は改めて思った。
「お話、終わりましたか?」
そうだ、そういえばまだこいつがいた。
面倒な場面をいい感じに切り抜けたと思ったら、最大の問題を先送りにしていただけだった。結局のところ、ヨストに安寧と離れるという『安寧』は存在していなかった。誰かも知らない『安寧』の名付け親に会ったら、一発殴らせもらおう。彼は大まじめにそう考えていた。
「ああ、終わったよ」
一度、他の人間と話して冷静になっていたこともあるのだろう。ヨストの脳みそはやはり、この安寧なる女はおかしいと結論を出した。髪の白さとか、肌が褐色とか、瞳が黄金色とか、光っているとか。いや、そこもおかしいのだが、ここまで親身になっている自分がおかしかった。
何故、この少女は自分の妹に似ているのだろうか。
ヨストには、今年で十歳になる妹がいた。親はいない。西部の炭鉱街では飢餓が日常と隣り合わせだった。草も生えない荒れ地に無理やり作った街は、食糧供給を鉄道輸送に依存している。線路が壊れたら、食べるものがないのは当然だった。
人々も馬鹿ではない。多少運行が止まっても問題が無いような備蓄がされていた。五年前の南部を襲った豪雨は、国内有数の穀倉地帯を完膚なきまで破壊し、西部に送る余剰分を担当していた各地の代官は極めて逼迫した在庫状況を訴え、聖都はそれを黙認した。
かくして北部は冬に向けた資材を蓄え、東部は人口を増やし、南部は復興を早め、西部は地獄と化した。
運転手の両親が帰らぬ人となるのも、無理はなかった。こども二人があの飢饉を生き延びたのは、間違いなく奇跡だった。
そこから二人だけで、今まで生きてきた。男が運転手になってからは実入りも増えて、妹にい不自由させることもなくなってきた。こちらを気遣うような怯えた目も、最近は無くなった。それがたまらなく嬉しくて、ヨストにとっての働く意味だった。
そんな妹と安寧は、嫌に似ていた。
「なあ、安寧。お前、何歳だ?」
「今年で十五歳に、なりますけど」
あり得ない話、でもない、のだろうか。五歳差だ。たったの五年、されど五年。傍から見た彼女は、確実に幼すぎた。だが――
「そんなことより、今日はどこに泊まりましょう?あのあの、一緒に寝てくれますか?」
「うん、無理。距離感おかしいぞ。ってか寝てる間にミスって魔法出ないのか?」
「全然出ますよ?」
「全然出るの!?」
この少女に追求するのも――
「はい、西部って虫! 鼠! 蛇! って感じですよね?」
「確かに、虫! 鼠! 蛇! って感じだな」
「家に出ますよね」
「出るな」
悪い――
「寝てるときに齧られたりした経験は?」
「あるある」
「嫌ですよね!」
「わかる〜!めっちゃわかる〜!」
悪い――
「で!」
「で?」
「暴発するようになりました!」
「なるほど」
いや、悪くない。
「それって、ダメじゃない?」
「はい! ダメです!」
やはりこの女はおかしかった。認めてはならない。決してこの女を、正常とは認めてはならない。
ヨストはそう、決意した。
やはり名前は出すことにしました。