旧ニューヨーク。セントラルパークの東端。
かつて人類の至宝を抱いていたメトロポリタン美術館は、過去の戦争の爪痕を晒す巨大な廃墟と化していた。ギリシャ神殿を思わせる壮麗なファサードは半分が爆撃で消し飛び、剥き出しの鉄骨が、まるで肋骨のように夜空へ突き出している。
割れた大理石の階段には、名もなきギークたちがスプレーで描いたネオンカラーのグラフィティが殴り書きされ、かつての名画や彫刻の残骸は、今やマシーンどもがたき火にくべるただの燃料にすぎない。美の殿堂の面影は、爆撃のクレーターに溜まった黒い酸性雨の水溜りに、虚しく揺れるだけだった。
美術館の崩落した天井、その爆撃のクレーターへと強引に滑り込んだ輸送ヘリのハッチが開く。ノックスとクリフの二人がヘリから降りてきた。クリフはリーダーであるノックスに戦術マップを展開しながら状況をディスカッションしている。内容はアッシュとアブドゥルにも無線で届いている。
「……ったく、この美術館の地下は最悪の『迷宮《ダンジョン》』だよ」
メトロポリタン美術館の地下施設跡から、湿った死臭を孕んだ冷気が吹き込んでくる。クリフが手元の端末を操作し、青白いホロ・マップの解像度を上げながら、ノックスに忌々しげに吐き捨てた。
「ここを抜けてマディソンの地下鉄に入るんだ。そこには旧地下鉄の路線に、巨大排水チューブが縦横無尽に走ってる。それだけならまだしも、大戦時の防空壕生成マシンがいまだに暴走して地下を掘り続けてるんだ。……数時間前まであった通路が、今は壁になってるなんてザラだよ。今のマップなんて、気休めにもなりゃしない」
クリフが吐き捨てた直後、足元からズズズ……と巨大な岩盤が削れる異様な重低音が響き、彼らの立つ床が小刻みに震えた。暴走を続ける旧時代の遺物が、今この瞬間も、迷宮の『正解のルート』を物理的に書き換え続けているのだ。
後続のヘリが着陸し、狭い機内でアッシュを睨み続けていた巨漢、アブドゥルがハッチを蹴るようにして降りてくる。アッシュもまた、柳に風を流す冷静な足取りでその後に続き、先行していた二人の前に合流した。
「チッ、ランダムダンジョンかよ。面倒くせぇな。一気にぶち抜いて進めばいいだろうが」
アブドゥルが乱暴に引いたショットガン『ベネリM4-S』の金属音が、湿ったトンネル内に嫌な反響を呼んだ。
しかし、アッシュは意に介さず、クリフが展開したホロマップに目を向けた。
刻一刻と崩壊し、再構築されていく地形データが、ノイズ混じりに明滅している。その中で、クリフが予測侵入経路を導き出していた。
輸送ヘリに乗っている間、『狂犬』アブドゥルはずっと、アッシュを値踏みするように睨み続けていた。アッシュはその刺すような視線を、柳のごとくあしらい続けていたが、ヘリを降りてノックスやクリフと合流した瞬間、その苛立ちはついに限界を迎えて爆発した。
「それにしてもよォ、こいつ、首の裏に『命綱』がねぇんだよ……死にたがりか?『命の予備』すら持たねえ欠陥品が、戦場で何の役に立つ! おい、Bランク。足引っ張んなよ? お前のケツを拭くほど俺は暇じゃねえんだ!ったく、こんなひょろい女みてぇなツラの野郎と組まされるなんてなぁ! なんで、こんなのが選ばれたんだ?」
「さあ? トライクロンの重役様のお気に入りらしいね」
ホロ・マップから目を離さずに、クリフがニヤニヤと薄汚い笑みを浮かべた。
「どういうわけか知らないが、すごいコネだよ。美人は得だね」
アッシュはアブドゥルとクリフの安い挑発を、ただ肩をすくめてやり過ごした。
四肢を締め付ける『Rバインド』の疑似負荷が、重く、鈍い脈動を彼の筋肉に伝えている。
アッシュがこの高速具を外さないのは、このパーティの能力に歩調を合わせるためだ。拘束具のない速度では、彼らはついてこれないだろうことをアッシュは本能的に察していた。だが、いざとなればこの拘束具をパージし、本来の速度を解放すればいいだけの話だ。
アッシュはアブドゥルから完全に視線を外し、背中のホルダーからシグを引き抜いた。スライド、バレル、マガジン。冷たい金属の感触を指先でなぞり、その感覚だけで愛銃のコンディションを確認していく。
「よせ、アブドゥル、クリフ。ノーネームもチームの一員だ。……それに、企業の喉元へ潜り込むには、この流動的な迷宮こそが最高の遮蔽になる。了解《コピー》か?」
「……チッ。了解《コピー》だ、親父《オヤジ》」
老兵ノックスの重苦しい制止に、アブドゥルは忌々しげにコンクリートへ唾を吐き捨て、底の見えない闇の入り口へと視線を逃がした。