――乾いた銃声が、二つ。
――ドン! ドン!
アブドゥルの視界の端を、シグを構えたグレイアッシュの影が、電光石火の速度でかすめ飛んだ。
一体目の警備ユニット『センチネル』が容赦なく振り下ろした高周波ブレードの赤い軌跡に対し、アッシュは一切の回避行動をとらない。
一歩足を深く引き、身体を斜めに構えた。四肢を締め付ける『Rバインド』の疑似負荷を体幹へと逃がし、強靭なバネへと変えるための古流武術の足捌きは、現代の超近接射撃戦術へと滑らかに反転する。
シグのグリップを両手で完全に包み込み、胸元、まさに己の顎の下へと限界まで深く引き込む。脇を締め、肘を鋭角に畳むことで、その肉体はマシーンの反動制御サーボを凌駕する、強固な銃座へと変貌を遂げていた。近代戦術『CARシステム』と古流の骨格構造の構え「山勢巌《さんせいがん》の構え」の融合。それは、機械《マシーン》の計算限界を突き破るための、ゼロ距離の構えだった。
そこから膝を垂直に落とす「沈み足」から「無拍子《むびょうし》」のノーモーションのステップでセンチネルの懐へと滑り込む。「無拍子」による初動モーションの喪失が、AIの予測演算の『起こり』を消し去り、センチネルの予測計算を狂わせ、一瞬だけ硬直させる。アッシュは、左手の甲でブレードを放った敵の腕を叩くようにして外側へ受け流す。同時に、シグの銃口を敵の顎の下――カーボン繊維が露出した装甲のわずかな継ぎ目に「ねじ込んだ」。
――ゼロ距離射撃(ポイントブランク・シュート)。
至近距離から放たれるのは、精密極まるダブルタップ。
一発目の高圧徹甲弾が強固な外殻装甲に亀裂を入れ、コンマ数秒後に追撃する二発目の弾丸が、内部の電子頭脳(コア)と微細回路を確実に粉砕する。
標的のバランスが崩れるのを待つまでもなく、アッシュは火花とオイルを散らす残骸の肩を掴み、それを防盾《シールド》にして二体目のセンチネルへと流れるように滑り込んだ。
一切の無駄がない円の体捌き。神代心眼流の歩法とコンパクトな近接銃術がドッキングしたとき、銃という近代兵器は、敵の間合いを無効化して防弾装甲を穿つ「鎧通しの短刀」へと完全に変貌していた。
二体目が遮蔽物ごと切り裂こうと放った、横薙ぎの鋭い斬撃。アッシュは上半身の僅かな逸らしだけでそのブレードの熱線を回避する。
すれ違いざま、シグのグリップ底部に備えられた『ストライク・ポメル』が、密着したセンチネルの顔面へと炸裂した。
ガギィィィィン!!
鈍い破壊音とともに、打撃用の突起が敵の滑らかな鏡面装甲を叩き割り、その奥にある人工眼《センサー》の複合レンズを無慈悲に引き裂く――面部《めんぶ》砕き。
視界の同期ログを瞬時に奪われ、よろめいたマシーンに対し、アッシュは軸足をさらに一歩踏み込み、完全な密着状態で再び愛銃のスライドを獰猛に鳴らした。
――ドン、ドン。
鼓膜を揺らす、無駄のない二連撃。
密着状態から放たれた弾丸は、何が起きたのかを理解するセンチネルのAIの処理速度すら追い越し、その強固な構造体をただの鉄の塊へと戻した。
「……残り、一体」
アッシュのオッドアイには、高揚も恐怖も一切存在しない。
手足の『Rバインド』が叩き込む重い疑似負荷に耐えながら、彼はただ、工場で流れるラインの「作業」を平然とこなすように、最後の三体目の懐へと滑らかに踏み込んでいった。標的がブレードを構え直すよりも早く、その銃口が再び最適な急所へと吸い込まれていく。
「……いい時間稼ぎだ、Bランクさん」
ホロ・ウィンドウを開いたままのクリフが、引きつった声を喉の奥から絞り出した。
彼がセキュリティをハッキングし、防壁の扉をこじ開けるまでに要した時間は、わずか十数秒。アッシュはその極小の合間のうちに、一度の無駄弾も、一度の無駄な動きも見せることなく、『AAランク』の自律警備ユニットを完全に沈黙させていた。
アッシュはシグの残弾を指先の触覚だけで確認すると、流れるような動作で再び背中のホルスターへと滑り込ませた。呼吸一つ乱れてはいない。
ノックスは、硝煙が漂う中、火花を散らすセンチネルの残骸と、佇むアッシュの背中を静かに、深く、見つめていた。
(これは……神代心眼流《かみしろしんがんりゅう》……銃術《ガン・ジュツ》か。俺がまだ軍にいた頃、基地《ベース》にCQCアドバイザーとして現れた男、リュウ=カミシロ。あの男が操っていた、マシーンの計算シーケンスを盗む技の理《ことわり》に酷似している。当時、奴が引き連れてきた二人の幼い娘に対し、俺たちプロの正規兵が束になって挑んで手も足も出なかったのは、今も苦い思い出だが……。戦場を舞うように銃を振るった妹のサクヤ。非情に急所だけを穿ち続けた姉のチルヤ。あの幼き『死神の雛《ひな》』たちに見せつけられた圧倒的な絶望を……今、この目の前にいる『ノーネーム』の背中に見ているというのか……)
ノックスはあれだけの戦闘を淡々とこなし、息一つ乱れないグレイアッシュの男の姿に驚愕する。
(引き金を引く指の動きに、一切の躊躇も迷いもない。もはや呼吸と同じ次元で、『殺し』を完結させている。アブドゥルとクリフはこの男の真の力に気づいていないのか? ……いや、あまりにも軽々と、当然のように処理してみせたがために、その技術の異常さが彼らの演算能力では逆に伝わっていないのか……)
「クリフ、扉は?」
アッシュの問いに、ハッカーは我に返ったようにホロ・ウィンドウの最終コードをタップした。
「……あ……ああ、開いたよ。お望みの『女神』までの、最短ルートだ」
クリフが強固なセキュリティ扉をこじ開けた瞬間、通路の天井を辛うじて照らしていた予備電源の光がふっと消失した。
完全なる暗転。直後、メガコーポの防衛プロトコルが作動したかのように、周囲は青白い非常灯の怪しい燐光《りんこう》によって冷たく包み込まれた。