クリフの指先が、ホログラムグリッドの上で爆発的に跳ねた。
「カウント開始。百二十秒。……行け!」
クリフの切迫した通信を耳の奥で受けながら、アッシュは返事の代わりに、弾かれたように開いた隔壁の向こう側へと滑り込んだ。
アッシュの進入と同時に、背後で重厚な電磁隔壁が閉鎖される。室内を鳴り響く、警告音。
開かれた隔壁の向こう側は、白に染まった巨大なアーカイブ室だった。
天井を埋め尽くす六角形の発光パネルが、幾何学的な床のグリッド線を白々と照らし出している。その部屋の中央には、オレンジのラインが走る強固な円柱型のカプセルが、電磁ロックの眠りに就いたまま垂直にそびえ立っていた。
アッシュの戦術アイウェアがクリフのホログリッドと完全同期し、破壊すべきターゲットを赤くハイライトする。
狙うべき4つの制御基板は、中央の棺を挟んで左右の壁面に整然と並ぶ、計4枚のデータモニターの裏側だ。
――残り時間、百十五秒。
「チッ、防衛用のアドバンスド・ドローンが起動した! 左右の天井からくるぞ!」
クリフの悲鳴のような通信と同時に、ハニカム天井の隙間から、カーボン装甲を纏った自律殺戮マシーンが音もなく滑り落ちてくる。
アッシュは走る。四肢の『Rバインド』が叩き込む重い疑似負荷を体幹のバネでねじ伏せ、まずは左翼のデータパネルへと最短距離で突進した。時間はない。左右の壁を往復し、防衛システムを「短刀」で突き殺しながら4つの心臓を停止させる、孤独なタイムアタックが始まった。
――残り時間、百二秒。
ハニカム天井の隙間から滑り落ちてきたのは、風切音を完全に殺した暗殺用の飛行ドローンだった。
徹底して軽量化されたその機体は、空中で鋭く静止《ホバリング》し、アッシュの首筋を狙ってレーザーカッターの熱線を容赦なく照射してくる。
アッシュのオッドアイの奥で、熱線が放つ光の粒子が、その殺意の軌道をなぞるようにミリ単位で暴かれていく。
頭上から迫る熱線を、半身を深く開くことで紙一重でかわす。――神代心眼流「山勢巌《さんせいがん》の構え」。
鋭い風圧を浴びながらも体幹を一枚の岩として固定し、同時に銃身を顎の下、胸元へと深く引き込むCARシステムのハイポジション。
急激に高度を下げて肉薄してきたドローンに対し、コンパクトに構えた銃口を、プロペラの結合部に二連射を叩き込む。
――ドンドン!
高圧軽量弾ならではの、火花のような軽い破裂音がコンマ数秒の間に弾ける。マズルブレーキによって反動が極限まで殺されたその弾丸は、ブレることなく精密に同じ隙間へ全弾吸い込まれた。
内部のローター基板を撃ち抜かれたドローンは、火花を散らしながら白磁の床へと墜落する。その鉄塊が転がるより早く、アッシュはすでに左側の壁に並ぶデータモニターへと跳躍していた。
戦術アイウェアが赤くハイライトする、1つ目の制御基板。
引き金から指を離さず、着地の勢いのまま液晶パネルへと銃口を押し当て、ゼロ距離で引き金を2回絞った。
――ドンドン!
ガラスが爆ぜる不快な金属音とともに、モニターの奥で激しい電子火花が飛び散る。アイウェアの画面上で、4つの光点のうち1つが静かに消滅した。
――残り時間、八十八秒。基板、残り3つ。
左側のモニターに最後の弾丸を叩き込んだ瞬間、銃のスライドが後方でピタリと停止した。
――ホールドオープン。この突入の前に消費していた6発と合わせ、弾倉は完全にカラだ。
「よし1つ目クリア! でも次がくるぞ、右側から挟み撃ちだ!」
通信越しに叫ぶクリフの声を背に受けながら、アッシュは弾の出ない銃を握り締め、反対側の通路へ無拍子で駆けだす。
右側の天井から二機の飛行ドローンが滑り落ちてくる。熱線のチャージ音がキィンと悍ましく鳴り響いた。
残弾ゼロ。アッシュに、マガジンを入れ替える猶予すら使わせないゼロ距離の奇襲。
だが、アッシュは揺るがない。
スライドが下がったままの銃身を翻し、突進してきた一機目の懐へと鋭く踏み込む。グリップ底部の鋼鉄突起『ストライク・ポメル』を、ドローンのセンサーへ向けて、下から突き上げるように強烈に叩き込んだ。
――神代心眼流「面部《めんぶ》砕き」
――ガギィン!
金属がひしゃげる凄まじい衝撃音。センサーを粉砕された一機目が仰け反り、チャージされていた熱線が天井へ向けて虚しく暴発する。
敵の防衛網がブレた一瞬の隙だった。
打撃のフォロースルーの動作をそのまま利用し、アッシュは左手で腰の予備マガジンを引き抜き、同時に右親指でマガジンキャッチを押した。空の弾倉が床に落ちる前に、新しいマガジンがグリップへと吸い込まれるように装填される。
左手の手掌でスライドを叩き戻し、次弾をチェンバーへ送り込むまで、わずか一秒足らず。
満載の10発を込めた銃口を、体勢を立て直そうとするドローンの胴体へ、今度こそ容赦なく突き刺した。
――ドンドン!
弾丸がヒットし、ドローンがきりもみしながら床に叩きつけられる。アッシュは流れるように、眼の前にある右壁の2つ目、3つ目のデータモニターへと銃口を横一線に滑らせた。
――ドン! ドンッ!
押し当てられたスパイクがガラスを噛み、至近の銃撃が制御基板を立て続けに粉砕する。
――残り時間、四十二秒。基板、残り1つ。
ラスト一機のドローンが死角へと回り込もうとするが、アッシュの眼はすでに最後の一枚――右奥の壁面モニターを捉えていた。
迫る熱線を半身の最小限の体捌きで平然と受け流し、破壊しながら最短ルートで突進し、最後の一枚へと愛銃の銃口を突き立てる。
――ドンドン!
4つ目の基板が完全に沈黙した。
――残り時間、二十九秒。すべての制御基板、破壊完了。警告音《アラート》停止。
外で待つクリフの目の前のハッチが、ロック解除の信号とともにオープンした。
「……29秒残した。上出来だろ?」
アッシュは乱れた呼吸を整えながら、シグをホルスターへと滑らせる。
「……なかなかすごいね。キミ、本当にBランクなの?」
クリフの指が、一瞬だけホログラムのインターフェースの上で止まった。
だが、その驚きはコンマ数秒後には「非論理的なバグ」として処理されたようだった。彼はアッシュの顔を見ることもなく、再び端末の光の中に視線を埋没させる。
「ふん……まあ、いいか。どうでもいいことだよね。ランクなんてのは、過去のデータの集積でしかないんだし」
そのドライな言葉と共に、クリフは最後のプロトコルを実行した。
アッシュは、青白いモニターの光に照らされたクリフの横顔を静観する。
性格の歪み、協調性の欠如。それらはこの極限の死線において、致命的な欠陥にはなり得ない。アッシュが求めているのは友情ではなく、物理障壁を突破する「鍵」としての精度だ。
(……今のところ、問題はなさそうだな)
アッシュは心の中で、クリフを『優秀なパーツ』として再定義した。
私情を排除し、互いの技能《スペック》だけを頼りに暗黒の最深部へと潜る。その危うい均衡こそが、バウンサーという生き方の本質だ。
「……開くよ。ニューリィライブが隠し続けてきた、最高機密の『宝箱』がね」
クリフがポータブル・デッキの仮想キーに、最後のプロトコルを滑らせた。
内側から加圧されていた重厚な真空隔壁が、プシュ、と鋭い排気音を立てて解錠される。凍てつくような白い冷気が、磨き抜かれた白磁の床へ滝のように溢れ出した。
光の届かない、最深部の閉ざされた空間。
立ち込める冷たい白煙の向こう側から、青白い光を帯びた、たった一つの『揺りかご』が厳かにその姿を現した。