ファントムコード 月下の迷子(カグヤ)   作:ふゆのねつ

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第17話:慟哭

 深い地下の奥底、湿った空気が淀むこの空間に、唯一の光が灯る。プロジェクターから投射されたホログラムの光の中に、一人の男が浮かび上がった。

 

 画面の中の彼は、死に体のように窶《やつ》れ、極限まで疲れ果てていた。無数の光源が織りなす立体映像は、経年劣化とデータの破損によって微かにノイズでブレており、男の幽霊のような輪郭をいっそう禍々しく、そして実体感を欠いた悲劇的なものとして際立たせている。

 

 映像の隅には、古びた記録を示すかのように日付が表示されていた。『2093年:XX月XX日』。それは、世界がサイオリンクシステムという「不死の檻」へと堕ちる直前の、決定的な分岐点であった。

 

「私は西園寺だ。この動画を見ているということは、あの子が……カグヤが目覚めるんだね。……私の罪を告白する。データ化された量子魂を転送し、新たな肉体で記憶をリビルドする過程で、自我と記憶の結合不全が発生するバグがある。そのバグで蘇った人間は、その数パーセントが記憶障害を起こす。最悪の場合、心の奥底に眠る別人格が主人格を塗り替えてしまう『フラッシュバック症候群』を引き起こしてしまう。会社はこの事実を隠している……。だが、この子がいれば、そのバグを修正することができる。この子は、私の贖罪だ。そして、この世界の未来の希望だ。もし、この子が目覚めたら、守ってやってほしい……。私の最後の願いだ」

 

 静かに、けれど魂を削るような切実な声で語りかけた西園寺は、おもむろに銃を己の顎の下へと押し当てた。冷たい銃身が、彼の乾いた皮膚に深く、絶望的なほどに食い込む。その顔は、今にも崩れそうに泣き出しそうなのに、すべてから解放される救いを求めて歪に笑っているようでもあった。立体映像の細かな粒子が、彼の震える指先、銃口の微かな揺れを、あまりにもリアルに再現していく。

 

「……私は……ゲームを作りたかっただけなんだ。でも、この世界に『歪み』を作ってしまった。頼む。この子は希望だ。助けてやってほしい……」

 

 悲痛な叫びを最後に、西園寺の指が引き金を絞る。

 乾いた破裂音が室内に響き渡り、画面はぷつりと途切れた

 室内に残されたのは、凍りついたような静寂と、先ほどまで彼が存在していたという事実の残滓だけだった。

 

「……っ!?……西園寺……あんたは……」

 

 アッシュは、光の消えた虚空をただ凝視するしかなかった。暗転した空間には、微かな電子の残光だけが、西園寺の最期をあざ笑うかのように虚しく明滅している。

 

 西園寺輝彦がもうこの世にいないことは知っていた。だが、まさかその真相が、権力闘争に敗れて企業に消されたのではなく、自らの手で命を絶ったこんな凄惨な「自殺」だったなんて、知る由もなかった。技術の父が見せたのは、神への憧憬ではなく、自らが撒いた災厄に対する、狂おしいまでの自己処刑だったのだ。

 

 耳の奥で、西園寺が最後に残した言葉が、いつまでも重く、鉛のように響いていた。アッシュの喉の奥が、乾いた緊張で硬く収縮する。彼の鼓動が、胸の内で激しく警鐘を鳴らし続ける。死者からの遺言は、あまりに重く、今の彼には毒に等しかった。

 

『頼む。この子は希望だ。助けてやってほしい……』

 

 アッシュの胸の奥で、激しい驚愕と困惑、そして名付けようのない複雑な感情がドロドロと渦を巻いていた。 世界を狂わせた男への憤りか、その最期への哀れみか、あるいは自分と同じ「消えない罪」を背負った者への共感なのか――処理しきれない感情の濁流が、彼の心を激しく揺さぶる。だが、今はそれを反芻する時間もなかった。

 

「さあ、目覚めてくれ。ボクの女神……っ!」

 

 クリフの歓喜に満ちた絶叫が、空間を切り裂く。呼応するように、培養カプセルのなかで少女の瞼が、まるで錆びついたゼンマイを巻かれたかのように跳ね上がった。

 

 だが、そこに生気はいっさい存在しない。捉えたその瞳は、光を反射しない曇った水晶のように空ろで、底知れない虚無の闇を湛えていた。左右の瞳に宿る、完全なる暗黒。それは、人間が宿すべき魂の輝きではなく、システムが生成した「空っぽの器」特有の冷たさだった。

 

 同時に、彼女の白い肌へ、血管のように赤い文様――量子痕《クオンタムタトゥ》が、寄生生物が這い回るように急速に浮かび上がっていく。

 

 ナノマシンの異常な励起《れいき》を示すその刻印は、周囲の空気をジリジリと焼くような、オゾンの焦げる異臭を放ち始めた。それは大気中の酸素を電気分解する高エネルギーの証明であり、室内に満ちる空気そのものを、殺意に近い波動へと変質させていく。

 

「あ……ああ……僕の女神……マイ・スイート・ハニー……キミはなんて美しいんだ」

 

 クリフが心酔しきった表情で、神を崇めるような手つきで震える指先を伸ばした。その刹那。 培養液を突き破る爆音とともに、少女の華奢な腕が視認不可能な速度で弾け飛んだ。

 

「——ワタシニ……サワルナ!」

 

 ドォォォン!!

 

 凄まじい衝撃音と共に、クリフの身体が放り出された。 痩せた体躯がまるで無価値なゴミのように宙を舞い、背後の壁へと激しく叩きつけられる。肉がコンクリートの壁面に衝突する鈍い音と、その余波で周囲の制御コンソールが連鎖的に砕け散る。

 

 飛び散った無数のガラス破片が床の培養液に浸り、青白い火花がパチパチと音を立てて明滅を繰り返した。

 

 煙が立ち込める大混乱のなかで、少女はただそこに立っていた。感情も宿さぬまま、冷たい輪郭だけが、殺戮の予感として浮かび上がっていた。

 

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