通路の先、赤く明滅するシグナルと、乾いた警告音とともにガードドロイドの群れが、逃げ場を失い、怯えた小動物のようになった少女へと距離を詰めていく。鉄錆と空気が焼き付いたような、ひどく人工的な乾燥を感じる通路で、殺戮の包囲網が完成しようとしたその刹那、背後の闇からアッシュが飛び出した。
アッシュの放ったシグが、鋭いマズルフラッシュとともに二連射を刻む。硬質な破裂音が狭い壁面に反響し、後方に位置していた二体のドロイドが、中枢回路を穿たれて青白い火花を散らし、膝から崩れ落ちた。
「――ターゲット変更。排除開始」
無機質な合成音声を発し、残る四体が一斉にアッシュへと銃口を向ける。数的には圧倒的不利。ドロイドの群れはセンサーを明滅させ、アッシュの足の踏み込みや肩の傾きから次の挙動を瞬時に割り出そうと、彼の動きを予測し始める。しかし、アッシュの動きは、神代心眼流の「無拍子《むびょうし》」によってその電子頭脳の計算を根底から狂せる。
予備動作の全くない動きで距離を詰め、さらに斜め前へと素早く無駄なく、ドロイドたちの隙間を縫うように滑り込む。――前曲歩《ぜんきょくほ》。敵の死角へと鋭くステップを踏み、四体の『射線《レイヤー》』が一点に重なるポジションを瞬時に奪う。
高度な演算能力を持つガードたちが導き出した最適解は、皮肉にも自らの引き金を凍りつかせる結果となった。
アッシュの背後に回ったドロイドは、目前の味方を射抜くフレンドリーファイアのリスクを感知し、攻撃コードの実行をコンマ数秒、中断せざるを得なくなる。
高度な電子計算能力を持つ最新鋭の殺戮兵器を、数百年前の戦場で生み出された古流武術が流れる水のように翻弄していく。
混乱する電子信号の隙を突き、CARシステムのハイポジションと心眼流の構えを融合させた『山勢巌《さんせいがん》』から、一機ずつ懐に飛び込んで、その関節の隙間にAP弾を至近距離から叩き込んでいく。アッシュの掌にシグの反動が立て続けに走り、銃口のスパイクが機械の装甲を強引に引き裂いた。
肉眼では捉えきれない滑らかな円の動きとともに、重厚な鉄の塊が、次々とただの動かないガラクタへと変貌していった。
最後のドロイドが黒い潤滑オイルを床に撒き散らして沈黙すると、アッシュは流れるような無駄のない動作でマガジンを換装し、熱を帯びた銃をホルスターへ滑り込ませた。
白煙の立ち込める通路で、彼はゆっくりと少女の前に膝をつく。そして、不器用だが柔らかな笑みをその唇に浮かべた。
「……心配ない。もう、終わったよ」
アッシュの声に、うずくまっていた少女がビクリと肩を震わせた。
ゆっくりと顔を上げた彼女の姿に、アッシュは息を呑む。
濡れた鴉《からす》の羽のように艶やかな、腰まで届く見事な黒髪。小柄な肢体は、先ほどの暴走が嘘のように華奢で、今にも崩れてしまいそうなほどに線が細い。
その肌にあった、赤い文様は姿を消し、月の光を透かした真珠のように白く、滑らかだった。
人工物であることを示す接続端子《ポート》の一つもないその身体は、神話から抜け出した幼い姫君のような、完成された「美」を湛えている。
差し出されたアッシュの手を見つめる彼女の瞳は、吸い込まれるほどに深い黒だ。左右対称のその一対の黒曜石は、先ほどアッシュの喉を締め上げた猛々しさは微塵もなく、ただ本物の人間以上に瑞々しい感情と、深い霧の中に迷い込んだ子供のような怯えだけが宿っている。
「……今度は首を絞めないでくれよ」
「ごめんなさい……」
震える唇から漏れた声は、鈴の音のように清らかで、けれど消え入りそうなほどに細かった。冷え切った通路の空気に、そのか細いソプラノが切なく溶けていく。
アッシュはその震える小さな肩を見つめ、確信する。
この少女は、巨大企業の数千億ドルを動かす最新のプラットフォームなどではない。
自分を『モノ』としてしか扱わない冷酷な世界の真ん中に、たった一人で放り出された、ただの孤独な迷子なのだと。
アッシュは彼女の白い腕を流れる「赤い血」を見つめた。
「……ケガをしたのか?」
精密な合成皮膚の下から溢れるその鮮血は、アッシュが知るどのサイボーグの冷却液よりも熱を持ち、生々しい。アッシュは自分の無骨な指先が血で汚れるのも厭わず、メディカルキットから応急テープを取り出した。
カグヤの小さく柔らかい手首をそっと支え、その傷口にテープを優しく貼り付けてやる。指先に伝わる彼女の微かな鼓動と温もりが、アッシュの胸の奥をチリチリと微かに締め付けた。応急処置を終えると、少女は震える唇を小さく開いた。
「わたしは……わたしはカグヤ……」
その声は、まるで誰かの記憶をそっと撫でるような温度を持っていた。
そして、少女は、恐怖と混乱で忘れていた、懐かしい、あの人の名前を思い出す。
「……テルヒコが、名付けてくれたの」
西園寺輝彦。アッシュの中であの動画の映像がよみがえる。
『頼む。この子は希望だ。助けてやってほしい……』
そして、西園寺の死の真相。この子は、その事実を知っているのだろうか?しかし、先ほどの会話の中で、彼女がその真実を知っている感じはしない。アッシュは、言葉を選ぶように続けた。
「……俺は……アッシュだ。名前はない、ただのアッシュだ」
アッシュの脳内で、先ほどモニターを埋め尽くしていた文字列が一つに結びついた。
『TS』――Teruhiko Saionji。
あれは非情なシステムログなどではなかったのだ。彼が自分の魂を削って作り上げたカグヤという『娘』へ遺した、最後の暗号であり、子守唄だった。
「さっきのキミのあの力はなんなんだ?」
「あれは……私の身体に仕込まれたセキュリティ・プログラム……私を無理に起動させようとしたことで、私を守るためにでてきたみたい……でも、もうあれは、たぶん、出てこないと思う……」
「……キミは、西園寺のことをどこまで知っているんだ?」
アッシュの問いに、カグヤの表情が暗く沈む。そして首を横にふる。
「テルヒコは……私を『サイオリンクの結晶』だって、言ってくれたの」
彼女は、世界のどこにも居場所を持たない子供のように震えていた。
大きな瞳に深い哀しみが溜まり、今にも泣き出しそうな顔を見せる。その仕草、その感情の揺らぎ。機械であるはずの彼女のどこに、これほど純粋な「心」が宿っているのか。
「……もういい。無理に思い出さなくていい」
壊れそうなほど、儚い少女。カグヤ。
彼女は、西園寺の死の真相を知らない。アッシュは、彼女を傷つけないよう、やさしく手を差し伸べた。