迫る銃弾の嵐。アッシュは真横の壁へと弾かれたように跳躍した。
(——リミッター、解除)
滞空の刹那、アッシュは左腕の基部にあるパージレバーを鋭く引き絞った。
パシュッ、という硬質な排気音。四肢を縛り付けていたR-バインドの接続が強制遮断され、これまで筋肉を苛んでいた絶望的な疑似重圧が、一瞬にして電子の霧となって霧散する。
次の瞬間、脳のシナプスから全身の細胞の隅々までを、神速の「軽さ」が痛烈に貫き通した。重力から解き放たれたかのような圧倒的な血流の奔流が、彼の肉体を爆発的に加速させる。
着地と同時に障害物へ滑り込み、シグのトリガーを引く。数発の徹甲弾がアブドゥルの胸部を正確に捉えるが、狂人は怯むどころか、悦びに満ちた笑みを深めて持っていたアサルトライフルをその場に投げ捨て、背中から本命の愛銃ベネリを強引に引き抜いた。
「オラアアアアア!」
咆哮とともに放たれた電磁粉砕弾が、アッシュのいた遮蔽物ごと、通路を粉微塵に粉砕する。凄まじい衝撃波が狭い室内の空気を容赦なく震わせた。
だが、その噴煙を割って、アッシュが鋭く跳ねた。
Rバインドの枷を外された脚力が爆発し、沈み足から神速の「爆脚《ばっきゃく》」で一気にアブドゥルとの間合いを殺す。弾丸を連射しながら懐に飛び込んだアッシュは、重心を崩したアブドゥルに勢いのまま体当たりをぶち込む。そのまま倒れ込んだ巨躯の腕を骨の軋む関節の極めで完全に封じ、至近距離から二発、その心臓部へ確実に弾丸を送り込んだ。
だが、アブドゥルは止まらない。巨躯を物理法則を無視した角度で捻り、アッシュの関節技を強引に引き剥がす。立ち上がり、アッシュめがけて巨砲の重厚な銃把《グリップ》を棍棒のように振り下ろしてきた。
鉄塊と化した銃身が頭上を裂く寸前、アッシュは神代心眼流の極致――「爆脚《ばっきゃく》」によって再び懐の死角へ潜り込んだ。
己が質量と鉄の大地の質量を乗せた鋭利な肘打ちが、アブドゥルの穴が開いた分厚い鳩尾を直撃し、その強固な重心を強引に崩す。がら空きになった腹部へとシグの銃口を押し当て、零距離から四発の連射をブチ込んだ。スパイクが装甲を噛み、至近距離での爆圧が敵の肉体を内側から破壊していく。
ケブラー繊維のボディアーマーを貫き、本体のカーボン繊維の内部機構を破壊され、その場に膝をつくアブドゥル。だが、その声には苦痛よりも、悍《おぞ》ましい狂気が混じっていた。
「……おお、痛てぇ……腹に穴が開いちまったじゃねぇか……。お前、その力、『Bランク』じゃねぇな。……騙されたぜぇ。ならこっちも、本気だ……!」
アブドゥルは糸で吊るされた人形のような不自然な動きで、即座に跳ね起きた。その体からは赤い量子が立ちこみ始める。
赤い血のような量子が、アブドゥルの巨躯をさらに歪に肥大させていく。他者の魂を自らの演算力へと変換し、異形の怪物へと変貌を遂げた男が、次の瞬間、残像を残してアッシュの視界から完全に消えた。
闘牛を殺すためだけに育てられた猛牛の如き、質量そのものの暴力。
反応するよりも早く、アッシュの肉体に強烈な質量激突の衝撃が狂い咲いた。肺の空気を力任せに絞り出され、喉の奥から熱いものがせり上がる。
「がはっ……!」
辛うじて交差させた両腕の上から、ガードごと肉体を圧し折るような衝撃が炸裂した。アッシュの身体は数メートル以上も吹き飛び、背後の装甲壁へと激突する。
肺から強制的に空気が漏れ出した。膝をつき、薄れゆく意識を凄絶な精神力だけで繋ぎ止めるアッシュの視界で、アブドゥルの腹から滴る液体が床の埃を濡らす。
赤ではない。粘り気のある、白い生体冷却液。
アブドゥルは最大出力を放った反動で、一瞬だけ完全に動きが止まっていた。
――勝機は、この一瞬。
アッシュは喉の血を吐き捨てながら瞬時にリロードを完了し、深く息を吸い込む。神代心眼流「山勢巌《さんせいがん》の構え」から、流れるように銃をCARシステムのハイポジションへと移行させた。
相手が鉄の塊ならば、神代心眼流の真骨頂――装甲を透過する打撃の理合を、弾丸に乗せて骨の奥へと叩き込むまでだ。
アッシュは体を深く沈み込ませ、コンクリートを粉砕するほどの凄まじい踏み込みで地面を爆ぜさせた。
――「爆脚《ばっきゃく》」
アブドゥルの人工瞳孔が、あり得ない速度に対する驚愕に収縮する。
(速い!?なんてもんじゃねぇ!)
迎撃の動作すら許さない。弾丸と化したアッシュの体当たりが巨漢の体軸を完全に射抜き、その体勢を崩す。
すかさず右腕をロックし、右足で刈り倒しながら、さらにアブドゥルの左肩関節に弾丸を一発。そこから流れるような動きでシグの鋭角なストライクフェイスをアブドゥルの顔面へ深々と突き刺した。
(バケモノだ!)
打撃の理合を込めたその一撃と同時に、弾丸をブチ込む。
そのまま巨漢を地面へと押し倒し、なおも銃口を顔面に密着させて地面へ叩きつけながら、もう一発。
アブドゥルの両腕を完全に殺したまま馬乗りになったアッシュは、頭部へとめり込ませたシグのトリガーを、指が壊れるほどの速度で引き絞った。残弾のすべてを、至近距離から脳髄の奥底へと吐き出させる。
激しい硝煙のなか、全弾を撃ち尽くしたシグの金属スライドが、カチリ、と虚しい音を立てて後方で固定された。
――神代心眼流・銃術「兜割り」
完全に沈黙した鉄の肉体を見下ろし、アッシュは煙の上がる銃口を静かに下ろす。
「……騙したのは、お互い様だろ」
馬乗りになった彼の下で、二人の魂を喰らった「怪物」はようやくその機能を停止した。飛び散る合成脳組織と砕かれた人工頭蓋から溢れ出す、粘り気のある白い合成血液。それがアッシュの頬を汚し、死の冷たさを伝えてくる。
ノックスとクリフ。食い散らかされ、エネルギーへと変換された彼らの赤い魂の残滓が、アブドゥルの肉体からデータの塵となって闇に溶けていく。それは、蘇生の叶わない「真の死」の証明だった。
アッシュは震える手で、白い液体を拭った。
パージされたRバインドの拘束から解き放たれた筋肉は、かつてない出力を発揮した代償として、焼き切れるような激痛を訴えている。細胞の一つ一つが悲鳴を上げ、今にも頽れそうになる。
アッシュは重い身体を引きずるようにして立ち上がった。周囲には、破壊されたコンクリートの粉塵と、引き裂かれた鉄の匂い。
この地獄のような惨劇を、まだ、煉獄を知らないあの少女に見せるわけにはいかない。
彼は血と合成血液に染まった自分の腕で「赤い左目」を覆うように、グレイアッシュの前髪を乱暴にかき上げた。