セントラルパークに出ると、トライクロンの私設軍隊や警備部隊がアッシュの包囲網を敷くため、慌ただしく編成の準備をしていた。緊迫した無線が飛び交う騒音のなか、アッシュはその片隅で、警備部隊のものと思われるバイクを見つける。キーはついたままだった。
アッシュは漆黒の大型バイクに跨り、アイウェアをかけ、迷わずアクセルを限界まで捻り込む。
セントラルパークの静寂を、大排気量エンジンの野太い咆哮が力強く切り裂いた。タイヤが路面を激しく蹴り、強烈な加速Gが全身を襲う。先ほど強引に塞いだばかりの脇腹の傷口が、フレームの強烈な微振動によってズキズキと熱い痛みを訴えたが、彼は奥歯を噛み締めてそれをねじ伏せた。
後方では、アッシュを追跡するため、異常を察知した私設軍隊が車両に飛び乗っていた。
(……ミハエル、お前の狙いは見えたぞ)
流れる夜景の中で、アッシュの脳はアマテラスから送られた極秘データを凄まじい速度で噛み砕き、パズルのピースのように組み合わせていく。
カグヤの生体脳を触媒にし、リストラ対象者の魂を軍事転用し、アブドゥルのような「痛覚なき消耗品」を量産する。
兵隊の自動生産が始まれば、制御不能なバウンサーギルドなど不要だ。ミハエルはトライクロンを乗っ取り、世界の「暴力」という市場を独占する。その醜悪な終着点にあるのが、サクヤの蘇生と、邪魔者であるアッシュの抹殺だ。サクヤの死すら己の野望のために利用するミハエルへの憎悪が、アッシュの胸の奥でどす黒く燃え上がる。
アッシュは身に着けたアイウェアの側面に指先で触れ、音声通信を繋いだ。
「……アマテラス、聞こえるか。今からミハエルのいるトライクロンビルへ強行突入する。バックアップを頼む」
『あら、心中のお誘い? 高くつくわよ。……でも、あなたの頼みなら受けてあ・げ・る。ルート上の監視カメラは、アタシがゴミに変えておいてあげるわ』
「助かる。……行くぞ」
アイウェアのレンズに、アマテラスから送られた立体マップが重なり合う。
地図に映る無数の光点――トライクロンの本拠地へと続くそのハイウェイは、ただの道ではない。都市を区画ごとに分断し、いつでも物理的に封鎖可能な防衛ゲートが設置されている。
アッシュは管理されたその大通りへと躍り出た。高層ビル群の影が、巨大な檻の鉄格子のように視界を圧迫する。手首の痛みを無視してアクセルをさらに深く引き絞ると、咆哮を上げる鉄の馬は、支配の境界線を裂くように加速していった。
『トライクロンのビルに続くその道は、トライクロンが管理、運営しているわ。区画ごとにセクターを隔離する防衛ゲートが存在するの。そのゲートのハッキングをこれから行うわ』
「了解《コピー》だ」
直後、背後からトライクロン私設軍隊のサイレンが鳴り響いた。重装甲のパトロールカーが獣のような爆音を上げ、赤外線レーザーサイトの突き刺すような紅い点が、衣服越しにアッシュの背中を焼き始める。冷たい死の予感が背筋を駆け抜けた。
バックミラーの中、迫り来る鋼鉄の巨躯が凶悪な唸り声を上げていた。巨大なフロントグリルが、アッシュのリアタイヤを今にも噛み砕こうと、コンクリートと接触して火花を激しく散らしながら肉薄してくる。一瞬のハンドル操作のミスが完全な破砕を意味する極限の状況。
夜のハイウェイの先で、都市の分断を象徴するトライクロンの防衛ゲートが、重低音を響かせて下降を始める。この街において、ハイウェイは公共の道ではない。いつでも彼らが都市を切り刻み、逃げ場を塞ぐための「巨大な檻」の一部なのだ。
「……アマテラス、ハッキングはまだか!」
『急かさないで。今、ゲートの論理《ロジック》を焼き切っているところよ……。はい、開いたわ。死ぬ気で飛び込みなさい!』
前方の防衛ゲートが、激しい火花を散らして強引に跳ね上がった。
アッシュは迫るゲートを見据え、自らの速度と車体の傾き、飛び込むべき一瞬の隙間を直感的に見極める。アクセルを限界まで絞り込み、開き始めたゲートのわずかな空間を、火花を車体に浴びながら、最短の軌道《ライン》で滑り抜けた。
追跡するパトロールカーが強固な隔壁に激突し、爆炎が夜の空気をオレンジ色に染め上げる。轟音と衝撃波が背中を強く叩いたが、アッシュは一切振り返らない。
背後の熱風を浴びながら、アッシュは車体を深く傾けた。迷宮のように入り組んだ多層交差点を弾丸のごとき速度で駆け抜けていく。アスファルトを削るステップの金属音が、夜の街頭に激しく弾けた。
だが、追っ手は尽きない。
後方から猛烈な排気音を響かせて迫る二台の戦闘用バイク。ライダーたちが、サブマシンガンを無造作に乱射する。
刹那、アッシュはフロントブレーキを極限まで握り込み、リアを右へ大きく流した。
――360度・ドリフトターン。
焼けたゴムの白煙が視界を覆う。アッシュは遠心力に逆らわず、逆に車体と同化するように重心を沈め、内股の筋肉でタンクを強烈にホールドし鉄馬と一体となる。と、同時に、右手をアクセルから解放した。引き抜かれるのは、シグ。
アッシュの頭脳が、流れる景色を静止画の連続へと分解していく。
驚愕にバイザーの奥の顔を歪める敵ライダー。アッシュはターンの猛烈な慣性を体の軸で完全に相殺し、引き金を引き絞った。
連続する四発の金属音。
一切の無駄を削ぎ落とした正確無比な射撃が、二台の追跡者へ二連射(ダブルタップ)ずつ正確に叩き込まれる。
――ドン!ドン!
――ドン!ドン!
先頭の二発がライダーの額をバイザーごと叩き割り、続く二発が後続車のフロントシャフトを精密に粉砕する。
硝煙の向こう側、制御を失った2つの質量がアスファルトを激しく削り、爆炎の華を散らしながら夜の彼方へと転がっていった。
ターンを終えたアッシュは、シグをホルスターへと戻した。間髪入れずにアクセルを握りしめ、暴れる車体を「沈み足」で路面へと叩きつけ、制御する。
猛烈な加速。アッシュの視線は、天を衝くトライクロン・タワーの威容を、すでに冷たく見据えていた。