ファントムコード 月下の迷子(カグヤ)   作:ふゆのねつ

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第32話:儀式の祭壇

 トライクロン・タワー最深部、アーカイブ直結の儀式の間。

 そこは、目眩《めまい》がするほどに洗練された、電子の要塞だった。

 

 白一色で統一された空間は、生活の温もりを塵《ちり》一つすら許さない、機能美に満ちている。正面の壁一面を埋め尽くす幾層もの巨大モニターは、無数の情報や冷たい光を目まぐるしく明滅させ、部屋全体を青白く照らし出していた。

 

 中央のコンソールへと続く階段は、ステップの隙間から滑らかな光を放ち、まるで死地へと誘う花道のようだ。中央に鎮座する、バイオコンテナ。右壁に浮かぶ幾何学的なインターフェースの青光、そして不自然なほど静かに佇む観葉植物の緑。そのすべてが、影を一切作らない均一な天井照明の下で、かえって異様なまでの非現実感を醸し出している。

 

 そこは青白い冷気と、数千の演算ユニットが吐き出す不快な駆動音に支配されていた。超高密度のデータ処理が引き起こす、密閉された室内の空気を重く沈ませている。

 

 中二階、コントロールルーム。下層の警備網が蹂躙され、アッシュがこちらへ突き進んでいることを告げる赤い警告ログが、けたたましいアラームログとともにホログラムで点滅している。

 

 だが、ミハエルはそれを一瞥し、ただ鼻で笑った。私設軍隊の壊滅も企業の損失も、今の彼にとっては儀式を彩るノイズに過ぎない。

 

「……さあ、蘇る時が来た。ああ、愛しい、僕のサクヤ……」

 

 ミハエルは両手を広げ、天を仰いだ。

 

 コンソールから溢れ出す無数の量子光が、円柱状のバイオ・コンテナの中で眠るカグヤを包み込んでいく。注入されるナノ核酸と電子データは、カグヤという少女の自我を書き換え、塗り潰していく猛毒のコードだった。コンテナのガラスの内側で、繋がれたチューブが脈打つように震え、淡い燐光が少女の白い輪郭を容赦なく侵食していく。

 

 ミハエルは今、生死を司るシステムそのものを掌握した全能感に酔い痴れていた。モニターに映るアッシュの突入映像すら、己の至高のテクノロジーを証明するための前座でしかなかった。

 

「美しい……これが西園寺の遺産、サイオリンクの結晶、「月の女神」の力だ。たとえ不完全な魂であってもこの”力”があれば、復活できる……見てごらん、サクヤ。この光のすべてが、キミの新しい器になるんだよ」

 

 ミハエルは狂おしそうに自分自身を抱きしめ、空中に展開されたサクヤの量子魂の結晶へと語りかける。彼の肩が、抑えきれない情動で細かく痙攣していた。その瞳からは、かつての冷静なエリートの面影は消え失せ、底なしの情念だけがギラついていた。魂の書き換えプログラムの進行度が、コンソール上にプログレスバーとなってパーセンテージを刻み、最上階の床を震わせるように荘厳なハミングの重低音を響かせ始めていた。

 

「……でもね、困ったトラブルが発生したんだ。あいつが、またキミを僕から奪おうとしている。……不潔なアビスのドブネズミが、僕たちの聖域《サンクチュアリ》を汚そうとしているんだ。もう、そんなのは御免だ。……二度と、キミをあんな男には触らせない」

 

 ミハエルの端正な顔から表情が消え、陶器のような冷たさだけが残った。

 

「だからね、サクヤ。もしアッシュがここへ辿り着いたら、キミの魂を賭けた最高のゲームをしよう。……あいつが、キミを愛しているという残酷な証明をさせてやるんだ」

 

 バイオ・コンテナの中で激しく明滅するカグヤの核《コア》を見つめ、ミハエルは自身の胸元へ手を伸ばした。

 

 衣服の隙間からのぞく、皮膚とチタン合金が歪に癒着したインターフェース。そこへワイヤレス・バイタル・リンクの端子を突き刺す。カチリ、という乾いた電子音が室内に響いた。チタンの端子が肉の奥へと埋め込まれる鈍い衝撃を、ミハエルは眉一つ動かさずに受け入れる。

 

「キミたちの魂と、僕の人口心臓《ポンプ》をリンクさせるんだ。……いいかい、サクヤ。もし僕の鼓動が止まれば、キミのデータもカグヤのデータもすべて道連れに消去《デリート》される。……一蓮托生だ。素敵だろう?」

 

 ミハエルは一瞬、動きを止めた。

 やがて、喉の奥からせり上がるような、ひび割れた笑いが漏れ出す。

 

「ハハッ……ハハハハハハ! ああ、素晴らしい! これこそが究極の『愛』だと思わないか、アッシュ!」

 

 壁面のモニターが、ミハエルの乾いた笑い声の周波数に反応して小刻みに震える。

 

 ミハエルは愛おしげに手を伸ばし、カグヤの白い肌の直下で明滅する、緑色の量子痣《クォンタム・タトゥ》の光を手なずけるように撫で回した。冷たいアクリルガラス越しに、少女の熱が彼の指先へとかすかに伝わっていた。

 

「あいつが僕を殺せば、キミもサクヤも死ぬ。アッシュはキミたちを救うことはできない。……あの『名無し(ノーネーム)』の絶望する顔が、今から楽しみで仕方ないよ! サクヤ、キミもそう思うだろう?」

 

  コンソールの進捗バーが100%へと向かって冷酷に上昇していく。

 バイオ・コンテナの培養液が激しく泡立ち、浸透するコードの濁流に抗うように、カグヤの小さな指先がガラスの内側を無意識に引っ掻いた。キュキュ、とガラスが軋む悲痛な音が、機械の重低音に混じって虚しく響く。チアノーゼを起こした唇が小さく震え、白い肌の随所で緑の光が、時折赤く拒絶反応のスパイクを起こす。

 

 書き換えられていく、一人の少女の拒絶。

 

 その歪な生体侵食の光景を、ミハエルは恍惚とした表情で見つめ、ただ静かに次のフェーズのキーを叩いた。キーボードの硬質なタイピング音が、完成されつつある地獄の幕開けを冷酷に告げていた。

 

 

 

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