ファントムコード 月下の迷子(カグヤ)   作:ふゆのねつ

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第33話:乱戦

 背後で重厚な隔壁が閉まる金属音が響く。トライクロン社のエリートガードが、次々と通路を封鎖していく。閉ざされた空間に、彼らが纏う強化装甲の人工筋肉が放つ不快な駆動音が低く鳴り響いた。

 

 その数、十余名。全員が最新型のアサルトライフルで武装した、企業の私設兵だ。

 

「……どけ……俺はいま虫の居所が悪い……」

 

 アッシュが低く吐き捨てた瞬間、重心が深く沈み込んだ。予備動作の一切を排した「無拍子」。

 直後、床のコンクリートを内側から爆破したかのような「爆脚《ばっきゃく》」の踏み込みが、敵との距離を一瞬でゼロにする。先ほど塞いだばかりの脇腹が裂けるような激痛を訴えたが、そんなものは疾走する慣性の彼方へと置き去りにした。視界から消えたアッシュが、いきなり目の前に姿を現したかと思った刹那、さらに斜め前方へと「前曲歩《ぜんきょくほ》」で滑り込んだ。

 

 ――一瞬、何が起こったのかわからず、フリーズしていたガードの引き金がアッシュの残像を追って反射的に引かれる。

 

 閃光と激しい銃声が狭い通路に鼓膜を劈く爆音となって吹き荒れる。だが、アッシュの姿はすでにその射線にない。弾丸の奔流は、アッシュがすり抜けた場所にいた別の兵士の全身を容赦なく撃ち抜いた。飛び散る火花と装甲の破片。

 

 アッシュは目の前の男の懐へ完全にもぐり込み、その銃を持つ腕を、心眼流の技で極めて折る。

 ベキリ、という硬質な関節の破壊音。同時に、シグを抜き、左手側の死角から銃口を向けてきた別の男の顔面へ、正確無比な二連撃《ダブルタップ》を叩き込む。そのまま折った腕を左手で強引に引き倒し、姿勢を崩した男の眉間へ、さらに二発の弾丸を撃ち放った。硝煙のツンとした臭いと返り血が、アッシュの頬の泥汚れをさらに黒く汚していく。

 

 何人かが慌てて銃口を修正するが、その洗練された体の動きが、彼らのサイバネティクスが弾き出すハイテクの予測演算を完全に凌駕する。

 アッシュは死んだ男を盾にして銃弾を凌ぎ、その重い巨体を無造作に蹴り飛ばしてガードの集団へぶつけた。

 

 アッシュの身体はすでに敵と敵の間、そのわずかな射線の死角へと予備動作のない動きで身を滑り込ませる。呼吸のテンポすら一定に保たれたその一切の無駄のない動きを、ガードたちのセンサーは捉えることができない。

 

 マシーンのAIは、射線を平面の『点と線』で予測する。だが、神代心眼流の歩法(沈み足・空間把握)とCARシステムが融合したとき、アッシュの視界には、敵の攻撃が届かない数センチ刻みの『安全な空間の層《レイヤー》』が見えていた。

 

 射線そのものを肉体で支配する超近接三次元戦術――『レイヤー・コントロール』。

 

 それは、銃口を向けられた瞬間に、すでに勝負を終わらせるための絶対の技術だった。

 焦燥に駆られた兵士たちが放つフルオートの連射は、アッシュを捕らえる代わりに、味方の背中をズタズタに引き裂いていった。

 

 ガードたちがアッシュの残像を追って強引に身体の向きを変えた、その瞬間だった。

 完全に陣形が乱れ、並んでいた兵士同士のアサルトライフルが互いに激しくぶつかり合う。至近距離で金属が噛み合い、鋭い火花が飛び散った。密着した至近距離での乱戦《メーレー》において、その長い銃身は取り回しの利かないただの不自由な棒切れと変わらない。

 

 その隙を、アッシュは見逃さなかった。

 

 肉体を鉄壁の盾とし、同時に最大の武器とする「銃術」の理合い。敵の銃身を強引に肘で撥ね上げると同時に、弾丸よりも早く、最短距離でその懐へと深くもぐり込んだ。硬質な装甲板とアッシュの衣服が擦れ合い、生々しい肉体衝突の衝撃が彼の腕へと鋭く伝わる。

 

「撃つな! 射線を開けろ!」

 

 隊長の悲鳴が響くが、混戦の速度には追いつかない。

 瞬く間に通路へ死体の山が築かれ、残るは二人。

 アッシュは挟撃の隙を与えず、一人の敵をもう一人の盾にする位置へと軸線をずらす。正面の男が引き金に指をかけた瞬間、アッシュの姿がその視界から完全に消失した。

 

 重力に従う、真下への「膝抜き」からの「無拍子」。

 予備動作を完全に削ぎ落とした沈み込みから、爆発的な踏み込みで間合いを盗む。

 

「がはっ……!?」

 

 男の身体へ体当たりを敢行し、その重心を根こそぎ破壊する。体勢を崩した男の顎をストライクポムルで突き上げ、肉の盾として強引に振り回しながら、背後から狙おうとしていたもう一人のガードへと叩きつけた。重い装甲を纏った二人の肉体が歪に重なり、動きが止まったその刹那。

 

 アッシュの右手に握られたシグが、火を噴いた。

 重なった後ろの男の顔面へ、正確無比なダブルタップ。

 続けて、足元へ這いつくばった男を冷酷に地面に組み伏せ、完全固定し、逃げ場のない眉間へ残りの二発を容赦なく叩き込んだ。

 

 排出された空薬莢が床に転がり、高音を立てる。

 硝煙の匂いだけを残し、通路に完全な静寂が戻った。アッシュの荒い吐息が、静まり返った空間に小さく白く弾ける。

 やがて倒された兵士の肉体から緑色の量子が漂い始める。魂の帰還が始まる。

 

 スライドが後方でホールドオープンされたシグ。アッシュは親指ひとつで空のマガジンを床へ落とし、流れるように新たな弾倉を挿入した。手のひらでグリップ底を力強く叩き、金属音とともにスライドを前進させる。

 

 ふと、天井の隅で赤く光る防衛カメラのレンズに視線を向けた。

 モニターの向こう側で、ミハエルがこちらを観察していることをアッシュは確信していた。

 

「……待ってろ、親友」

 

 アッシュはシグの銃口をレンズの芯へ向け、躊躇なく引き金を引き絞った。

 乾いた破砕音とともに、赤い光が完全に死ぬ。

 

 ミハエル側の視界を暗黒へ叩き落とした男は、サクヤとカグヤの待つ最上階へ向け、静かに闇を上り始めた。

 

 

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