西園寺輝彦が導き出したその戦慄すべき仮説は、人類の歴史を根底から覆す、あまりにも醜悪な『不老不死』のロードマップだった。
西園寺はさらに仮説を深堀していく。
『ヒミコ』と『イヨ』が構築する超高密度な生体ネットワークは、プレイヤーがゲームにログインしている間、その意識――すなわち魂をそのまま保存する、魂の波形を100%純粋なまま繋ぎ止めるバックアップ・ストレージとして機能している。ならば理論上、現実の肉体が寿命や事故で滅びようとも、ここに蓄えられた魂のデータを別の人工的なクローン義体へと書き戻せば、人間は死を超越して何度でも『転生』できるはずだった。
だが、その不滅のサイクルを完成させるためには、最大にして最悪の壁が立ちはだかっていた。莫大な情報質量と、極めて繊細な位相を持つ『魂』を、劣化させることなく、どうやって現実世界の物質的な別の脳へと送り返すのか。既存の電磁波や光通信の帯域、どれほど進歩した量子パケットであっても、転送の途中で重要な符号が霧散し、精神が崩壊してしまう。
その絶望的な問いに、西園寺はゲーム開発の仕様書を塗り潰すような、狂気に満ちた執念で答えを見出した。
着目したのは、培養液の底で脈動するオーパーツたちが、微弱に、しかし確実に放ち続けている未知の『量子エネルギー』だった。
――かつて物理学者たちが幽霊《ファントム》のような遠隔作用と呼んだ、量子もつれ「エンタングルメント」。
西園寺は、あの生体脳が発する量子エネルギーを利用すれば、距離も時間も、次元の壁さえも無視した『完全なる同期通信』が可能になることを突き止めた。情報空間にある魂の量子状態と、現実世界に用意した器の脳を、量子レベルで完全にもつれ合わせる。そうすれば、一瞬のタイムラグもなく、一ビットの欠損すら許さずに、魂を新しい器へと滑り込ませることができる。
「これこそが、私の仮説を埋めるミッシングリンクだ……この魂のデータは『量子魂《クォンタム・ソウル》』と呼称しよう」
マルチモニターに映る緑色の複雑な脳波形を見つめながら、西園寺は誰もいない研究室で、取り憑かれた子供のような笑みを浮かべていた。
西園寺輝彦は、どこにでもいる――いや、少しばかり天才肌なだけの、ただのゲームデザイナーだった。ゲーム制作者なら誰でも自分が作る成果物には異常に執着する。彼は、その執着心が誰よりも強かった。
彼が欲しかったのは、仕様書のバグを潰し、プレイヤーを心の底から熱狂させる究極のVRMMOゲーム、ただそれだけだったのだ。オーパーツである生体脳の構造に興味を持ったのも、すべてはより現実と虚構の境界を融解させる仮想現実を構築するための、純粋な知的好奇心に過ぎなかった。
だが、彼は見つけてしまった。生体脳が放つ量子エネルギー。そして量子もつれを利用した、時空をも超える完全なる精神転送システム。
西園寺はその奇跡のシステムに、自らの姓から取って『サイオリンクシステム』と名付けた。それが、彼の人生の終わりの始まりだった。
上層部の重役たちが、その技術が秘める真の価値に気づくのに、時間はかからなかった。ゲームのプレイヤーたちが電子空間に預けている『意識』が、理論上、死をも超越する『魂のバックアップ』になり得る。それが証明された瞬間、会社はゲーム会社であることをやめた。
彼らが群がったのは、数百万人のゲーマーが形成する市場などではない。全人類が抱く『死への恐怖』という、この地球上で最も巨大で、最も確実に金を産む利権だった。
瞬く間に設立された巨大利権組織――『ニューリィライブ保険機構』。
「死後の魂の完全なバックアップと、別義体への不滅の復活」を約束するその保険会社は、世界中の富豪、政治家、メガコーポの権力者たちの莫大な資産を吸い上げ、瞬く間に世界の頂点へとのぼりつめた。ゲームのロゴは抹消され、灰色の企業ロゴへと差し替えられた。
そして、システムの唯一の生みの親である西園寺輝彦は、その機構の『技術最高顧問』という名の、金と監視に塗れた電子の檻へと無理やり引きずり込まれた。
「私はただ、面白いゲームを作りたいだけなんだ! 頼むからコードを書かせてくれ!私をこの役職から外してくれ!!」
西園寺は必死に抵抗し、怒号を上げ、幾度も辞職を願い出た。だが、不老不死という究極の富を手に入れた会社が、その心臓の鍵を握る天才を解放するはずがなかった。開発室の自動ドアの両脇を固める、仕立ての良いスーツを着た武装ガードたちは、笑みを浮かべ、西園寺の自由を、クリエイターとしての魂を、完全に圧殺したのだった。
死を超越し、無限の生を約束するはずだった『サイオリンクシステム』。だが、大戦が生み出した超文明技術を、強引に商業利用したツケは、やがて最悪のバグとなってニューリィライブ保険機構を震撼させることになる。
原因は、新たなクローン義体へ魂を転送し、記憶を再構築《リビルド》するプロセスの致命的な欠陥にあった。量子化された魂データが物質の脳へと定着するわずかな瞬間に、自我と記憶情報の結合不全が稀に発生してしまうのだ。
そのバグが引き起こす悪夢の病――『フラッシュバック症候群』。
蘇生した人間のうち、数パーセントの確率で発症するその症状は、単なる記憶障害の域に留まらなかった。記憶の再編が狂った結果、人間の精神の底、普段は強固な心理防壁の奥に固く閉じ込められているはずの『抑圧された別人格』や、自己の残像である『ドッペルゲンガー』が、主人格の境界線を食い破って表層へと溢れ出してくるのだ。
昨日まで愛する夫であり、理知的な投資家だった男が、目覚めた瞬間から狂暴な別人へと変貌する。脳内で二十四時間鳴り響く見知らぬ他者の声に耐えかね、発狂して自らの爪で壁を掻き毟りながら命を絶つ者。心の奥底に眠っていた、自分自身すら知らなかった殺人衝動の人格に肉体を完全に乗っ取られ、凄惨な猟奇事件を引き起こす者――。
『復活』したはずの富豪や権力者たちが次々とおかしくなっていく地獄絵図に、機構の上層部はパニックに陥った。このバグの存在が表のネットワークに露呈すれば、数千兆円の巨大利権は一瞬で崩壊する。
西園寺輝彦がどれほどコンソールを叩き、デバッグを試みようとも、『ヒミコ』の出力と『イヨ』の管理能力だけでは、人間の精神の深淵を完全に制御することは不可能だった。ゲームのルールで縛るには、人間の業はあまりにも深く、ドス黒かった。
――残された手段は、ただ一つ。
隔離区画の最奥で、一度もシステムに接続されることなく、冷たい培養液に浸されたまま眠っていた三番基。
――コードネーム『KAGUYA(カグヤ)』
魂を物理の肉体に繋ぎ止める、真のミッシングリンク。この眠れる怪物を目覚めさせ、その未知の演算能力をシステムに同期させない限り、人類は不老不死の夢の中で、自らが作り出した精神の化け物に喰い尽くされることになる。機構の上層部は西園寺の背後に立ち、ついに禁忌のレバーを引くことを決断したのだった。